もともと国有鉄道長崎線は武雄を通って、早岐、大村、長崎へと走っていました。
そのころ、祐徳稲荷神社に参詣する人の利便を考え、武雄━祐徳院門前の間に、最初は馬車鉄道(明治37年~)、その後、軌道車(大正3年~)を走らせました。
その後、国有鉄道有明線(肥前山口━諫早)の開通にともない、採算が採れなくなり、昭和6年に廃業しています。
僕は、この軌道車が走っていたことを偲ばれる場所がありますかと、郷土史家である患者さんに聞いたところ、唯一この場所がそうです、と教えていただきました。
県道330号線(武雄 塩田線)橘町永島の上野のバス停です。
ここで、武雄行きと祐徳行きの軌道車が離合していたそうです。
「県道が不自然に拡がっているでしょう。あれが離合するために広くなっていた場所なんです。」
何気ない風景。知ろうとしなければ、教えられなければ分からない景観。知れば面白い街並み。
そんなことを感じた今回の取材でした。詳しい場所は『武雄よかとこブログ』に載せます。
固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
コメント
コメント一覧
祐徳軌道は、高橋が起点だったと聞いたことがあります。驛が出来ずにさびれかけた高橋の起死回生。でも駄目でした。鐡道馬車の話も聞いたことがありますのでそれが軌道の始まりだったと思います。古い祐徳軌道の発動機機関車を模型にしたのも見たことがありますが、記憶があやふやです。
高橋駅あたりには遊女屋があったと聞いていますが、今では考えられませんね。(汗)
上野バス停のところ見てきました。
うちの父親(昭和11年生まれ)は、軌道は実際に見たことはないうですが、その親からその存在は聞いて知ってました。(昭和よ6年廃線だそうですから)
いちばん上の写真「上野」のバス停の後ろに見える民家(?)は、小学生の頃通った床屋さんです。今も営業しているみたいでした(笑)。
コメントを書く