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2007.06.06 07:59 |  診療  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  Ressar  |  かいぼー  | 推薦数 : 2

命色⑰

生きるということ

今日生きていることを僕はあたりまえと思っています。そしてあたりまえの一日を今日も過ごします。でも次の瞬間に事故で亡くなる、あるいは何らかの発作で亡くなる可能性だってあります。でも、そんなことはないだろう、と思い、今を無駄に生きている時間はあたりまえのように存在します。

また余命を宣告され、残された日々を大事に悔いの無いように過ごされている方もいます。

どちらが幸せか、僕はわかりません。

僕がもし余命数ヶ月と言われたら・・・仕事は止めて旅行します。

でも、それも旅行できる体調と体力があればの話。

Ressarさんはそれもできません。でも彼女のすごいところは精神が萎えていないところです。萎えてないどころか、普通の人以上にえています。自分が想っていることを整然と語り、また署名活動など構想を練り(自分では活動できませんからね・・・またこのことについては後日紹介します)、僕達に命の大切さを優しく説きます。

今日もRessarさんのメールを紹介します。5月30日のものです。

 

こんにちは。
遅くなってしまって、すみません。

今日は雨です。
雨は嫌いです。こころまでしんどくなりますね。
天気に左右されやすい私の体は、今朝も種々の発作を起こし、見事に反応してくれました。
昨夜は痙攣を起こし、夜中にドクター訪問がありました。

>
毎日晴香さんのこと載せていますが、あなたの意向に添った形で出来ているでしょうか?もし違う点があったら、遠慮なく言って下さいね。


今日も載せてくれてありがとうございます
上の記述に対して、私は何もコメントする必要はないと思っています。

なぜなら、かいぼー先生は私が伝えた言葉をそのまま載せていただいて、貴重な場とたくさんの暖かな想いを、私に提供してくださっているのですから。

佐賀のがばいばあちゃん、私はあいにく放送日に意識を失っていたようで、観れていないのです。ぜひ、観てみたいです。かいぼー先生もエキストラで出られたんですね。
探したいです・笑。

1リットルの涙」は、連ドラでも観ました。
「病気はどうして私を選んだの」
このセリフを聞いたとき、一瞬頭の中であの頃の自分にタイムスリップしました。

なぜ自分が、病気に選ばれたのか?
なぜ、私なのか?

元気に学校に通う、同い年の子たちを眺めながら、あの子たちの生きる場所が、別世界に見えました。

「人は過去に生きるものにあらず、今できることをやればいいのです。」
「足を止めて今生きよう。いつか失ったとしても、叶わなかった夢は、だれかに託したっていいじゃないか。」

たった1620歳の女の子が、難病と向き合い、想いを文章に綴り、時には自分の悲運さに折り合いをつけながら、そして、皮肉にも、病気と出会ったからこそ、人間として、主人公は成長していきました。

私も生まれたときから、生まれる前から病気と向き合ってきましたが、もし今度生まれ変わることができたなら、次こそは健康でいたい!!と思うけれど、病気と出会ったからこそ、今の自分があると思っています。

時には健康さにうらやましく感じたり、元気に走りまわり、勉強にスポーツに、遊びに、忙しく過ごしている弟をみると、どこかで嫉妬する自分もいます。
弟をかわいいと思いながら、割り切ることができない、私だって・・・という想い・・・。
だけど、絶対に、私の人生じゃないと、学べなかったことってあると思っています。生じゃないと、学べないことが。

死とはどういうものか?
私が死を意識しだしたのは、5歳くらいだったように思います。

死について、語るのはまだまだ早いと思う。
たった、2歳で悪性腫瘍でお星さまになった女の子がいました。
まだ25歳で、新婚の奥さんとまだ、1歳にも満たない我が子を残し、病気で旅立った男性もいました。

まだまだ、死は遠くて、死ぬ怖さを語る相手もなくて・・・。
「死なないで。」と来る人会う人から励まされるばかりで・・・。どんなに孤独で死んだだろう・・・。

俺にその命をくれと。
もっともっと、命を大切に、過ごしてくれと。
生きる者は、いずれ、死ぬのだと。

当たり前のように、日々を無駄に過ごす私たちには伝わるでしょうか・・・。
死ぬなと、一秒で言葉にできるけれど、生きることがつらく、悲しく、生きることに絶望したものが、
「生んでくれと頼んだ覚えはねぇ!」といってしまった胸の痛みが、分かるでしょうか。

生かされるという言葉を、理解するのは容易なく。
生きるということは、もっともっと難しい。
だから、もっともっと、生きることに貪欲に、激しく燃えるように、人に迷惑をかけたり、かけられたりして、一つずつの命は生かされなければならないのだ、と私は思っています。

生きることの難しさ。生きることのしんどさ。
生きるということを、今生かされているということを理解するのは容易ではなく。
でも、大切な人には生きていてほしいと思う。
大切な人のために、生きていたいと思う。
たとえ、その行為が痛みを伴う行為であったとしても・・・。

人は皆、必ず死にゆくもの。
だからこそ、何も自ら死に急ぐことはない。
時間はどんなときでも平等に、流れ去るものだから。
苦しかったあの頃も、しんどかった今日も、いつか「あの頃」と過去化してしまう。

今日を積み重ねることが、生きていくということ。
そして、明日を生きるということに繋がるんだと信じています。

私は生きることに貪欲ではありません。
死が来るなら、受け入れようと思っています。
生きることに、失望もした。この世の絶望も知った。
だけど、この世でであった大切な人たちに、大切なものを、大事なことを、気づかせてくれた。

でも人は、すぐ忘れて、そして気づいて。
その繰り返しです。
どうして、人は忘れるのだろう?
そして、気付くのだろう?

やっぱり、生きていたいと思う。
今を、生きたいと思っています。

そして、忘れたものを、あの日手放してしまった希望を、もう一度、この手で掴んでみたいと、思います。


雨があがりました。
雨は嫌いですが、雨上がりはすっきり、さわやかな気持ちになれるので、好きです。

それでは、また=*^-^*=にこっ

Ressar

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