かいぼー
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2007/05 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

2007.05.30 08:12 |  診療  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  Ressar  |  かいぼー  | 推薦数 : 1

命の波紋⑪

臓器移植、特に小児の移植については国内での論議はなかなか進みません。でのそんな中でも臓器移植を待ち望んでいる子たちはいて、しかもその願いが叶わず亡くなっていく。そんな友人のメッセージとともにRessarさんが臓器移植の問題について語ります。毎日痛みや苦しみと闘いながら、どこにこんなにしっかりと考えを述べる頭脳、精神が存在するのか?いつものことながらRessarさんには感嘆という言葉を送るしかありません。

(Ressarさんについてお知りになりたい方はこの命シリーズの①から読んでいただければ幸いです。)

 

さて、今日は、臓器移植について、書いてみたいと思います。

ご存じのように、小児の臓器移植は日本では法律上認められていませんよね。
なので、臓器移植の適応とされた多くの児は、海外へ渡米し、治療を受けることになります。
しかし、その渡米には、多額の費用がかかり、とても個人で負担できるような金額ではありません。何千万、時には1億にもなるのですから・・・。
街頭で必死でわがこの命を救おうと、募金を呼び掛けているご両親がいます。ボランティアたちがいます。
どうして日本に在国しながら、日本で治療ができないのか。
そこには、日本の独特の偏見や宗教的問題、矛盾や理不尽なことばかり、伴っています。
私が所属している団体は、11人に呼び掛け、署名を集め、法改正を強く訴えてきました。
しかし、いまだ小児にまつわる移植問題は前進していません。

私の仲間にも何人もの移植待機児がいます。
助かるには、心臓移植しかないといわれた子。
一生涯の透析から解放されるには、腎臓移植しかないといわれた子。
げんきになるには、移植しかないと言われた子や親は絶望的な気持ちになり、それが母国日本でできないとされては、とても言葉では言い表せないほどの絶望感があると思います。
運よく募金が集まり、渡米したとしても、ドナーの待機中に、亡くなってしまう子が後を絶ちません。
異国での言葉の通じない医師たちに囲まれて、最期を迎えてしまう子どもたち。
親せきや友達にもあえず、たった一人で旅立ってしまうことに、なぜ日本ではできないのと、泣きながら、主治医に答えを求めたことがありました。


私の心臓病の友達で、心臓移植をしなければ、半年も生きられないと宣告された13歳の女の子がいました。
彼女は移植が必要で、海外へ行かなければならないと告げられたとき、笑ってこう言ったそうです。

『日本を変える。』

その言葉に医師やご両親や共に闘い続けた私たちにも大きなショックを与えました。
しかし、そんな気丈な彼女をよそに、病魔は進行し続けます。
移植が早急に必要なときがやってきてしまいました。
しかし、彼女は、「アメリカでできて、どうして日本ではできないの。」と泣いたそうです。
医師らや両親の説明と説得で、彼女もようやく渡米しなければならない事実を受け入れ、準備にとりかかっていた、まさにそのときでした。

急変し、彼女は、心不全で14歳の生涯を閉じました。
本当にあっけなく、それでも彼女は、自分の人生をまっとうし、素晴らしく旅立っていきました。
私より、一つ下でした・・・。
余命半年といわれながら、さらに半年もの時間を懸命に生きた彼女の人生は、決して、悲観され、可哀想な人生ではなかったと思っています。
最期まで、「日本を変えるんだ。」といって、笑っていた彼女。病と闘った彼女は、とてもすばらしい子でした。

彼女の死は、今後の小児に対しての臓器移植に関して、改めて深く、考えなければならない。という改革を起こしてくれました。
一昔前に比べ、一般国民にも、『臓器移植』という言葉が定着しつつあります。
多くのマスコミメディアが移植について目を向けられるようになった今、私たちはもっと国に声を出しえ行かなければ、と思うのです。
心臓移植だけではありません。
日本で、生体腎移植は子どもでもできますが、それでも例が少なく、海外で腎臓移植をしなければならない子もいます。胆道閉鎖症の子にとっての肝臓移植も大きな問題です。
移植はとても大切でありながら、とてもデリケートな問題でもあります。

実は、私も、臓器移植待機児のひとりでした。
しかし、多臓器障害のため、残念ながら移植待機者リストには乗りませんでした。
常に全身状態が悪く、元主治医の留学先であったアメリカに問い合わせていただいたのですが、悪すぎて移植はできないといわれたそうです。
手術も、移植もできない・・・。
それはまさに、死へのカウントダウンでした。

年々移植待機児者は増えています。
しかし、渡米し、移植を受け、無事に帰国できた方は、わずか数%しかありません。
もし、日本で移植ができたら・・・
膨大な金額を集める必要はなく、異国での言葉や文化、宗教的な不自由もなく、何より生まれ育った母国を信じ、移植に安心して挑み、多くの助かるいのちがあるはずです。

『移植』
それは、1つの通過点にすぎず、そこにまつわる問題は、数多く、長い戦いを強いられることになります。
移植の問題は、そうした移植後が、「第二の移植との闘い」になるのかもしれません。


日本で臓器移植を。
子どもたちに、日本の素晴らしさを伝えたい。
だって、私たちは日本で生まれ、日本で育ったのだから。
日本はダメだという前に、日本を自分たちの力で、変えようと動き出してほしい。
私たちは、母国日本を信じたい。。
生まれ育った『日本でげんきになりたい。』と思う子どもたちは、日本の政治や法律・宗教的なことに反するものでしょうか。
メディアや国民が意識し始めている今だからこそ、臓器移植について、そして、日本の現状についても、理解をしなければならないと思っています。

臓器移植・・・それは自分には関係ないと思っている人でも、他人事だと思っている人でも、そんなことは程遠い未来のことだと漠然と思っている人でも、それは突然、やってくるのです。
決して他人事ではなく、いつ自分や家族に降りかかってきてもおかしくない事態として受け止め考える必要があると思います。

日本を変えたい。
日本で元気になりたい。

そう思って渡米するために日本を離れなければならない子どもたち。
大好きな家族や友人と別れて、言葉も通じない異国で治療を受けなければならない子どもたち。
移植を待つ間に急変する子も後を絶ちません・・・・


病児者や障がい児者がもっと住みやすい社会にならなければ、という思いも強くなります。
病児を取り巻く環境は実に多様に存在します。
経済的問題のみならず、親の精神的・身体的負担に加え、児の就学問題・進学・就職などの社会的問題も多く存在します。
様々な場所で、様々な立場の人が、そのような問題に取り組んでいますが、解決していくのはまだまだ先のことであり、病児を取り巻く環境は決して万全とは言えません。

病気であることを理由に、普通校への入学を断るケースも多くあります。
健常者と同じ条件で就職させてもらえないケースも耳にしました。

もっともっと、世の中に難病といわれる子どもたちの事を知ってほしい。
一昔前と比べ、差別や偏見は一見軽減したように思えますが、まだまだ一般の人たちへの理解や協力体制が十分とは言えません。。
私自身、重度の心臓病や多臓器障害のため、理解されず、差別など協力の得られない状況で、悩み、迷い、苦しみました。
私たちの後を継ぐ病児たちのためにも、この社会を変えなければならない、日本という国を変えなければならないと、強く思います。
このままでは、今後増えていくであろう病児や障がい児たちがますます住みにくい社会になってしまいます。それだけは何とかして避けたい。でもそう思うものの、私は何の権力も力もない人間です。
私一人の力では日本を変えることはできません。
でもそれが、50人、100人、200人・・・日本国民が、一緒に国に声をあげれば、何かが変わるかもしれない。。
情報を発信し、一人一人の意識を向上させ、国民ひとりひとりの理解を得、意識を向上させることができたら・・・。
きっと日本という国は、変わっていけると思うのです。
変われる余地が、変われるその光が、変われる自信が、変わっていけるだけの力が、まだこの国には残されています。

生意気だと思います。
何もできないのに・・・

でも、誰かが伝え、変わっていかなければ、日本はますます住みにくい社会になります。
病児者や障がい児者だけではありません。
一般の健康な方も、住みにくい社会になります。
そうなる前に、何とかしなきゃ。
本当にそうなる前に・・・。

少しでもいい。
ほんの少しでもいいから。
今の日本の状況や情勢に、そしてその理不尽な割り切ることができない事情で苦しむ人たちの事を、考えることはできないものか・・・。

病気と向き合いながら、迫り来る死と戦いながら生きるその一人として、彼らのために何ができるか。
そう考えたとき、私には、情報を現実に伝えることしか思いつきませんでした。
行動を起こそうにも私は一人の力で立つことも歩くことも、喋ることもできません。
移植のために海外へ飛び立とうとしている彼らのために、街頭で、募金に立つこともできません。
だけど、伝えたい。伝えて行きたいと思ったのです。

この想いを、かいぼー先生なら、そしてかいぼー先生のブログに来ている人たちなら、受け止めてくださると思ったから。

どうか、一人一人の感性で、ひとりひとりの考え方で、ひとりひとりの想いで、答えを導いてほしい。

生活全般にかけて、私は常に介護・看護がいる身です。
けれど伝えていく力は、残されました。
何度も心停止し、脳内への酸素供給も途絶えられたり、数々の疾患で知能低下をきたしてもおかしくなかったのに、でもどういうわけか、考え、理解し、伝える力は最期まで残されました。
だから、私は伝えます。
残されている機能を発揮するのが、私の生きている証ですから・・・。

ひょっとしたら、神様が私には伝えていく義務があると、考え伝える力を最期まで残していただいたのかも知れません。

移植はデリケートな問題ですが、軽々しく語ってほしくはない。でも、重々しくも話してほしくない。。
当たり前に、普段の日常会話に出てこれたら、いいですね。そんな社会になることを、心から願っています。

『日本を変える』

そう言って、旅立っていった彼女の命のメッセージを伝えます。


Ressar


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

世界保健機構(WHO)は受動喫煙の害を防ぐため、飲食店を含む公共施設と職場を屋内全面禁煙にするよう勧告しました。

分煙や換気によって受動喫煙の害を減らすことはできないと指摘しました。

たばこを吸うひとに聞きたい。みなさんは自分がたばこを吸っているそのたばこの先端から出ている煙の有毒性を知っていて、たばこを吸われていますか?

先日のあるイベントでの僕の体験です。そこには小学生もたくさんいました。その人ごみの中、有力者であるその人はいつものように火のついたたばこを手に持って歩いてこられました。そしてにこやかに僕に話しかけてこられました。「先生。たばこは止めないといけないかもしれないけれど、僕は止めるなら最後に止めます。なぜならたばこの税は地方に落ちますから。役には立ってますもんね。」・・・すみません。そのたばこの煙が僕の顔にもあたってますけど。周囲の子ども達にもあたってますけど。その方はいい人なので、わざとしているのではないと思います。無知なるが故なんでしょう。

公共施設も館内禁煙とはなっていますが、喫煙所は出入り口にあるため、受動喫煙はばんばんさせられます。喫煙者の利便性を考えて喫煙所を設けられているとしか思えません。海外では非喫煙者は立ち寄らないようなすごく不便な場所に喫煙所は設けてあるそうです。そうしないと館内禁煙の意味はありませんよね。形だけではなく実効があることをしましょう。

またよく子どもの前に出られる方々。子どもはあなたがたの姿を覚えていて、大人になったらあなた方のことを思い出してたばこを吸うようになります。影響を考えれば、誰もいないところで吸うのは自己責任で仕方がないとしても、人前では吸わないようにしてもらいたいと思います。

そしてそのようなことが徹底されると、自発的に禁煙しようとする人も増えてくるだろうとWHOは予測しています。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)