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今、ばあちゃんと言えばがばいばあちゃん。元気な、活発なばあちゃん、というイメージ。
でも、この人はがばいばあちゃんと言うよりおばあちゃん。それは鶴田モト子先生。
先日、その鶴田モト子先生がお亡くなりになりました。92歳でした。僕が40年前、『小鳩の家保育園』に通ったときの園長先生です。月に2~4回、気が向いたときにかいぼー医院に来院され、診察(お話し)して帰られていました。僕にとって、おばあちゃんというのを感じさせてくれる人でした。優しい目をして、少し首をふりふり、こちらが思わず微笑んでしまうようなとぼけた発言をされて、従業員にも人気でした。
水曜日、かいぼー医院の玄関に移動パン屋さんが来ます。そのパンを買うために来院され、「今日は診察じゃないの。パンを買いに来たのよ。」とおっしゃって待合室に座っておられることもありました。
ここ1年くらいは、「私は身体がきつくなったから、ここで入院させてもらえないかしら。」とよくおっしゃっていましたが、入院させる理由になる疾病もなかったものですから、「入院はできません。というか入院したらかえって弱っちゃいますよ。」と言っていました。その後も度々入院を希望され、その度に断わると、帰り際に受付で、「あの手この手で先生に入院の話をしたけど、今日も断わられちゃったわ。」とニコニコしながら話されていて、笑いの渦ができていました。
本人はいたって真面目だったのかも知れませんが、周りは思わず笑っちゃう。そして手を差し伸べてあげたくなっちゃう。そんなおばあちゃんでした。
最近はおしとやかでかわいいおばあちゃんだったモト子先生。でも生き方は平坦な道のりではなかったようです。
終戦後3歳と5歳の子を連れて武雄に帰ってこられ、間もなくご主人を亡くされます。家が大きかったので、そこで小さい子どもを預かるようにしたのだそうです。名前は『小鳩の家保育園』。小鳩は平和のシンボル。こばと保育園あるいは幼稚園という名前はよくありますが、小鳩の家という名前はないと喪主の井上一夫先生が昨日、通夜の席でおっしゃっていました。モト子先生は『家』というものにもこだわって保育活動をされたのです。
僕が通った小鳩の家保育園は今の武雄郵便局のところにありました。藁葺き屋根の民家風の建物でした。
今は小鳩の家保育園は別の場所にきれいな保育園としてありますが、モト子先生にとってはいつまでもあの藁葺きの家が小鳩の家だったと思います。
あの頃園児だった僕が医者になって、でも先生にとって僕は医者だったのかこどもだったのかわからないけど・・・。
静かに自宅で亡くなられていました。最後にかいぼー医院に来られていたのは4月27日でした。いつもと変わりありませんでした。というか前日も普通だったようです。途中、もう1回くらい来てくれててもよかったんじゃない?先生。
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