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2008.12.05 07:48 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 また中京

最初から注:タイトルの意味は、先月14日の「中京」に書いてあります。

 今日は東京で講習を受けなければなりません。昼から夕方までの講習会なので、「朝出て昼前に到着、夕に出発して夜に帰宅」で日帰りが可能です。で、可能だとそれをしなければならない、が私が勤務する病院の規定です。いつもより早起きして空港に行って、夜の最終便の一つ前で帰ってくる強行軍となりますが。
 「出張パック使えば前泊つけてしかも安くなりますよん。私もその方が体が楽なんだけど」と言っても、規定により却下。ただ、当直明けの翌日に早起きはこちらもしんどいものですから、自費でホテルを取って前の日に仕事が済んだらすぐに空港に駆けつけることにスケジュールを変更しました。届けは出したし少なくとも病院に一円も損はかけていませんから、問題はないはずです。
 おかげで今朝はゆっくり朝寝坊。さて、午前中がゆったり空いているのでどうしようかな。昼まで東京ならではの買い物か見物をしてみるか、それともチェックアウトまでだらだらしてゆったり本でも読もうかな。最初の予定だったら今この瞬間に私は空港目指して動いているはずの時間です。ゆったり過ごせるのは、ありがたやありがたや。
 ちなみに昼は、前回会えなかった息子とランチの予定です。どちらも昼からのお勉強の予定を気にしながらですが。ただ、昼から雨ですって? それも雷を伴う激しい雨とか。……しまった、傘を持ってきていない。どこかで仕入れておくべきか、講習会の会場から最寄りの駅までの5分間だけ我慢して濡れるか……これは悩ましい。


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2008.12.03 07:03 |  医療制度 / 行政  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 ふるさと

 私の時代とは医学部の入試もいろいろと変わってきています。学士入学とかAO入試のことは聞いていましたが、最近は推薦入学で地域枠とかふるさと枠が設けられるようになったんですね。先週、某所の忘年会でその話を聞き、ちょっと書いてみる気になりました。


 まず、あるブログの記事の紹介。「広大医学部に「ふるさと枠」。地域枠を設ける医学部は20大学超!
そのもとになった毎日新聞のニュース「広島大医学部:推薦入試に「ふるさと枠」 地域医療推進へ--09年度から /広島

 これまでにも「在学中(6年間)奨学金(月に数万円、だったかな)を支給するから、卒業後は何年間か地元で医師として仕事しろ」という県による奨学金制度はありましたが、私が聞いた範囲ではほとんどは卒業後には金を返してしまって自分が思うところに入局してしまう、ということでした。そもそも卒業したての医者に県が「金を出したのだからどこそこにただちに赴任せよ」と言ってもその前に研修が必要ですからどちらにしても大学にはいるしかなかったのですが。で、そこで働いていたら回りと同じ“人並みの将来”が欲しくなるのも無理はなかったでしょう。それが現在の研修医制度が始まって、マッチングによって卒後は市中病院で研修を始めることでできるようになって相対的に大学の「力」が落ちて県の思うようになったか、と言えば、たぶんそうではないでしょう。市中病院で研修した後「では県の意向通り動きます」という人が都合良くそれほど多く出てくるとは私には思えません。

 そこで「推薦入試に地域枠」となるわけですね。ここでキモは「推薦入試」です。推薦で入学したら、おそらくはそうでない学生よりは“スポンサーの意向”に敏感でしょう。入試の時点で厳重なフィルターがかけられますし、もし変なことをしたら後輩の入学にも影響が出るかもしれないことを考えてしまいます。
 ただ、こんどは「県庁」と「大学」の間で綱引きが行われるのではないかな。金を出すのは県でもそれを教育し鍛えるのは大学です。どちらも“じぶんのもの”として“人事権”を行使したいはず。学生がその間で引き裂かれなければいいのですが。
 ただ、少なくとも別枠で「5人の増員」ができるだけでも、医師不足には(ささやかな)朗報です。しかもその人材が「物理と数学の点が良いから医学部を受けました」ではなくて最初から「(地域で)医療をやりたい」なのですから。


 突然ですが話を変えます。
 「ふるさと枠」に私の心の一部が励起されましたが、みなさんは「ふるさと」と言われたら、どんなものを思い出しますか?

 私は、市街地で育ちましたが、小学校時代までだったら「町内」(自宅とか小学校とかの周囲)です。中学高校だと、自転車で走り回った(合併前の)旧市街一帯。でもそれ以上の範囲(合併後の新市街とかもっと大きな県全域とか)を「自分のふるさと」とは認識しません。
 では、もし田舎に住んでいたら? おそらく、小学までは村とか町。中高だと郡(の一部または大部分)くらいまで広がるかな(あくまで想像ですが)。
 ただし、私が思い浮かべるのは、心に残る昔の風景の旧市街です。私にとっての『ふるさと」は、「ある特定の座標の地点のこと」ではないのです。ですから、古い風景をせっせと破壊する人は「私のふるさと」に対する“敵”です。郡部では街ほどの風景の変化はないでしょうが、それでも開発によって変わっていっているでしょうね。田舎出身の人はそれをどう思っているのでしょう。
 そういえば「郡」って不思議な単位です。町村を幾つか束ねた行政単位ですが、別に「郡長」がいるわけではありません。何の機能を果たしているのだろう、と昔から不思議でしたが、地図を見ていると、この「郡」が自然の境界(山の連なりなど)に素直に区切られていることが多いのに気がつきます(ものすごく不自然(人為的)なものもありますけれど)。もしかしたら「郡」は人が「ここが私のふるさと」と認識できる限界を表現していたものなのかもしれません(確証は示せませんが)。


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 急に寒くなりました。みなさん、お風邪など召されませんように。
 前世紀末の、やはり初冬の日のことを思い出しました。


 「もうすぐ糖尿病の人には辛いシーズンになりますけど、なんとか乗り切ってくださいね」

「ええ、忘年会は今年は数を絞ることにしました」

「Gさんはこれまで頑張ってデータがすごく良くなってますから、大きな声では言えませんが少々だったら大目に見られると思います。ただし、少々ですよ、多少の多じゃないです」

「はははは」

「それと、忘年会のシーズンが済んだら、クリスマスにお正月ですね」

「クリスマスはどうでもいいんですけど、去年までのように寝正月で朝から酒、とやってはいけないわけですね」

「いけない、とは言いませんけど、やったら病気のデータが正直に反応してくれるでしょうね」

「おかだ先生は厳しいなあ」

「私が厳しいんじゃなくて、病気が厳しいんです。私はそれを日本語に翻訳しているだけ」

といった会話をのほほんと外来でするシーズンとなったときのことです。受付から外線電話が回されてきました。「○○テレビから急ぎのお電話です。内科のドクターをお願いしたい、ということです」

 私が電話に出ると「○○テレビです。忘年会のシーズンですけど、どうして飲み過ぎたら二日酔いになるんですか?」

 普通私がよその会社などに電話したときには、まず自分の所属と名前を名乗り、それから相手を確認し、忙しくないか今時間が何分くらいもらえるかどうかを確かめ、そして用件に入ります。それが社会的な常識だと思っています。TV局では時間が惜しいのか、それとも忘年会が始まろうとする季節になってからこんな情報を集めるとはよほど企画に困っているのか、単なる礼儀知らずか、それが普段の習慣なのか、挨拶抜きで本題に入ってくれました。

 私は、基本的に礼儀正しい人に対しては礼儀正しく振る舞います。無礼な人にはそれなりです。一応プロですから患者さんに対してはもちろん無礼に振る舞ったりはしませんが、“商売以外”のところではきわめて単純な原則で動いています。ですから「おかだは礼儀正しい人だ」「いやいや無礼だ」、と人によっては評価が大きく分かれます。不思議ですねえ、私は一人で対人関係の原則も一つなのですが。

 これは明らかに「仕事」でありませんし(仕事だとしても、その依頼を受けてはいません)、愚問には愚答がよろしいでしょう。「それはアルコール代謝についての知識が必要ですが、どの程度のレベルの回答が必要かで、説明の時間は五分と一時間の間のどこかになるでしょうが?」

「かまいません。でも、できるだけ簡単に、かつ詳しく教えてください」
 ……簡単に、かつ、詳しく?

「そちらがかまわなくても、こちらがかまいます。今仕事中ですから。本当に詳しく知りたければ、図書館に行くか本屋で参考書を買ってくるかネットで検索かけるか、で、ご自分でお調べ下さい。キーワードは……」

「そんな暇がないから電話しているんです!」

「こちらにもそんな暇はありません。キーワードは、アルコール代謝とアルデヒド、それから脱水と低血糖です。では失礼します」



 忙しい中、親切にキーワードを教えてあげたのに、お礼の言葉もさようならのご挨拶もありませんでした。私はマスコミに対する評価を(さらに)1ポイント下げ、また仕事に戻りました。

 なおこれは、いつもと違って、ほとんど丸ごと、実話です。



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2008.11.21 07:22 |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 3

 へきめて、めっ!

 先日出かけようとバイクに乗って、私はすぐにUターンしました。眼鏡を交換するのを忘れていたのです。私は読書やパソコンに向かう時には読書用眼鏡をしていますが、使い始めてまだ日が浅く、読書と運転で「眼鏡を交換する」がまだ習慣として身についていないのです。
 私は若い頃にはバイクに乗る前に「へきめて」と呪文を唱えていました。ヘルメット・キー・免許証・手袋、の頭を取って忘れ物がないようにするためでしたが、こんどはそれに眼鏡をプラスして「へきめて、めっ」とでも唱えなければなりません。それも「運転の眼鏡だよ」と強調符つきで(ふだんから近視用の眼鏡をかけてますから、強調符をつけないとついつい「眼鏡はかけてるから大丈夫」と「交換」を忘れちゃうのです)。

 そうそう、「近眼は老眼にならない」と言っている人がときにいます。だけどそれは残念ながら本当ではありません。手っ取り早く「私」という「反例」(筋金入りの近眼だけど老眼になった)を提出できます。

 そのへんのことを「D(ジオプトリー)」という専門用語を使わずに説明してみましょう。
 人間の目には「見える範囲(ピントを合わせることができる範囲)」があります。たとえば近くは「1」遠くは「1,000」まできちんとピントが合って見えるとしましょう。(数字は適当です。単位は「ゴスン」とか「おかだ視力単位」とかを暫定的に当てはめておいてください。理論的には正視の人は無限遠までピントが合うはずですが、話をわかりやすくするために限界を設定しています) ところがその人が近視だと見える範囲は近づいてたとえば「0.1〜100」になります。遠視だと逆で「10〜10,000」の範囲が見えるわけ。近視は近く・遠視は遠く、と見える範囲は全然違いますが、近くと遠くの比率(目のレンズの調節力)は同じことに注目してください。そこで目(レンズ)と見るものの間にレンズをはさんで光を屈折させて「見える範囲」を移動させる、が近視・遠視での「視力の矯正」です。
 ところが年を取ると、この調節力が落ちてきます。特に近くを見るところがやられてしまいます。早い人は20代でもうこの変化は出ているそうですが、人間の目の能力にはゆとりがあって、「1〜1,000」が「2〜1,000」や「3〜1,000」になってもとりあえず生活に不便はありません。しかしたとえば「5〜1,000」くらいになると「手元が見えにくいなあ」となって本を遠ざけてしっかり見ようとする(「見える範囲」にものを入れる)ようになり「10〜1,000」になると老眼鏡が必要になります。(繰り返しますが、この数字は適当な目安で、何の「単位」でもありません)
 近視の場合にはスタートが「0.1」ですから「5」までに非常に余裕があります。だから正視の人と同じ調節力の老化がきても(実用的には)近くは見える、ということになります。(それで「近眼は老眼にならない」と言う人が出るようになったのでしょう) だけどこれは嬉しいことではありません。「近眼だから遠くが見えない」「老眼になって近くが見えにくい」と遠くも近くも見えない状態になってしまうのですから。
 私が現在使っている「読書用眼鏡」も実は近眼鏡です。ただ、普段使っているものよりレンズの屈折力を落として「見える範囲」を手前側に持ってきています。正視の人が老眼になったら凸レンズの老眼鏡を使いますが、私は近視だから強い凹レンズに弱い凸レンズを合体させた、と言えばわかりやすいでしょうか。(わかりますよね?)

 遠近両用レンズにすれば眼鏡の交換の手間は省けるはずですが、私の生活スタイル(パソコンの前に座る時間が長い、乱読、車やバイクにも乗る)からは、中途半端な眼鏡だとかえって危険、と判断しました。境目のない遠近両用レンズだと、「レンズで使っていない部分」がもったいない、というケチ根性もありますが。


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2008.11.18 06:55 |  診療  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 水銀中毒

 ずいぶん前、20世紀の最後の四半期の話です。知人から電話があって「子どもが水銀を飲んじゃった」とパニックでした。話を聞くと水銀体温計をがりっとやって口の中にこぼれた水銀をごっくんと。
 体温計の中の水銀は金属水銀ですから、そんなに簡単に消化吸収はできません。しかも体温計の中のものだから量はしれています。だから基本的には早く体外に排出させてしまえばいいわけで、便秘にならないようにしてやれば問題はないはず、と答えました。胃洗浄をしてもころころ逃げる金属をすべて取り切れるとも思えませんしね。それよりも、口の中にガラスの破片が残っていないのかどうかが気になりましたっけ。

 水銀には金属水銀・無機水銀・有機水銀の3種類があって、それぞれの毒性は異なります。
 金属水銀はこの3種の中では一番“安全”な方ですが、それでも毒性はあります。特に蒸気を吸うと気管支粘膜がやられてしまいます(腐食性気管支炎)。さらに慢性的に水銀蒸気を吸い続けると、脳に障害が出ます。昔の水銀鉱山の鉱夫にこの病気が多く出たそうです。また、金と容易にアマルガムを作りますのでそのアマルガムを焼いて金を残すやりかたで金を採掘精錬したりメッキを行っていた人びとにも、金属水銀中毒は多発していたそうです。
 無機水銀は腎臓がやられます。急性の消化器症状もあります。
 有機水銀は「水俣病」が有名です。この病気が広く報道された時には、「こんな病気があったのか」という驚きと同時に行政の不手際(残酷さ)が印象的でした。脳(特に後頭葉と小脳)がやられますが、同時に末梢神経や腎臓も障害を受けます。イラクでは水銀を含んだ殺虫剤を撒いて汚染された麦による「毒パン事件」があるそうです。

 かつては医療機関にも水銀は普通に存在していました。体温計や血圧測定器の中に。そうそう
イレウス・チューブ(腸閉塞の時に腸の中にまで入れて腸に貯まったガスなどを体外に出すための長いチューブ)にも先に重さを出すために水銀を入れていましたっけ。だけど今はデジタルの時代、最近私は院内で水銀を見ていません。
 ただ、今回このエントリーを書こうとして内科の教科書を久しぶりに開いてみて、衝撃を受けました。「水銀は常温で気化しやすい」と書いてあるではありませんか(知らなかったのか、忘れていたのか……)。すぐに思い出したのは、小学校だったか中学校の理科の実験で水銀を扱った時、机の上にこぼして玉になってころころ転がるのをつついて遊んだ記憶です。気化した蒸気を喫ったにしてもごく微量で健康に障害が出る程度ではないでしょうが、知らないとはいえ我ながら平気で恐ろしいことをやっていたものです。そういえば当時は、アルコールランプとビーカーの間に「石綿」を塗った金網をはさんで使っていましたっけ。学校の実験室には実は危険が一杯だったのね。


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2008.11.16 12:08 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 授業参観

 最近は土曜が多くなっていたためなかなか見る機会がなくて残念な思いでしたが(私はほとんどの土曜は出勤なのです)、今日は珍しく日曜に授業参観だったので学校に行って今帰ってきたところです。
 授業の雰囲気が昔とはずいぶん変わっているのに驚きましたが、保護者たちの振る舞いが変わっているのにはもっと驚きました。10年くらい前には教室の中で平気で井戸端会議をし廊下からは自分の子どもに呼びかけては写真を撮る、なんてことを平気でやっていて私はあきれました。5年くらい前には井戸端会議は消滅して静かになりましたが、その代わり皆がケータイをいじくっていましたっけ。まったく、何をしに集まったつもりなのやら。
 授業を“参観”することの意味がわかっていない人がずいぶん多いんだなあ、と思っていましたが、2〜3年前からなんとお行儀がよくなったこと。おしゃべりもケータイも写真撮影もありません。

 今日の授業は「敬語」でした。「謙譲語は大人でも使いにくいんです」と子どもたちは教わっていましたが、耳が痛い。
 そういえば「授業参観」の「参」は、「参拝」の「参」だし謙譲語の「参る」の「参」でもありますね。保護者がお行儀に気をつけるのは当たり前……それ以前に、人が集まる場所でお行儀に気をつけるのは常識でしたね。学校には限りません。


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2008.11.13 07:02 |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 便座より汚い

 「パソコンのキーボードはトイレの便座より汚い」はなかなかインパクトのあるニュースでした。
http://news.ameba.jp/internews/2008/05/13699.html
で、その後追いとしてか、こんどは「携帯電話はトイレの便座よりも汚い!」のニュースです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081109-00000000-rcdc-cn

 私は現在パソコンにはキーボードカバーをしているのですが、これの汚れ具合を見ていると、自分の手がいかに汚いものか実感できます。これでも仕事の合間には手洗いやアルコールでの消毒を繰り返しているんですけどね。

 皆が皆、鼻くそをほじったあと手を洗ってから携帯を扱っているとは思えませんし、毎日きれいに携帯をお掃除している様子もありません。ですから携帯はもちろん不潔でしょう。人の手が常に触れていてお掃除なんかしてもらえないのですから、皮脂と皮膚の細菌と汗と唾とがたっぷりまぶされていて、“良い培地”になっていることと想像します。

 だけどまだまだ「便座より汚い」と言えそうなものはいくらでもありそうです。定期的に掃除がされているのなら話は別ですが……階段やエスカレーターの手すり・ドアノブ・エレベーターのボタン・財布・コインやお札・眼鏡……一々あげつらうよりも、「人の手が触れるものは、すべて汚い』と一般化して、「ではどうするか」を考えた方が(少なくとも心の健康には)良いと思います。

 私としては、手が触れる可能性がある世界のすべてを消毒することよりも、「世界は汚い」ものとして、何かに触ったあとその手が口や顔に来る予定がある場合は、その前に手の洗浄や消毒、をお勧めします。手が他の所を触るのは本人にはまず被害はありませんが、顔に細菌をつけると経口感染のリスクが高くなりますからその確率を下げたいのです。ご自分は気がついていないかもしれませんが、顔を触るクセを持っている人は意外に多いですよ。世界の汚れを手に移してそれを顔に持ってくるのはやめた方が吉でしょう。


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2008.11.10 06:59 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 3

 二兆円をどう配る?

 定額給付金が総額「二兆円!」と聞けばずいぶん景気の良い話ですが、配り方を巡っては俄然しょぼい話になり下がっています。高額所得者は除外しろいや辞退させろ、子どもと老人は割り増しだ、制度の整合性がどうのこうのやいのやいの。
 ……どうせ人気取り政策なのですから、やるのだったらあまり総理の足を引っ張るようなことは言わずにすぱっと気持ちよく配れば良いし、本当にやりたくないのなら正面真っ向から総理に楯突けばいいのに、と思いますけどねえ。ねちねちうしろから人の足を引っ張るって、人としてあるいは公務員の資質として、どーなんでしょう? (そうそう、「老人割り増し」があるのならあれだけ精神的に虐めた「後期高齢者」に特別割り増しはしないのかな?)
 ただ、単純に分配したら、一人あたり1万円とか2万円ですか。もらえれば嬉しいけれど、使ったらすぐに忘れてしまいそうではあります(朝三暮四の逆バージョン?)。

 以前にもばらまき人気取り政策として、ふるさと創生基金や地域振興券というものがありました(覚えていますか?)。これも、政治家や官僚がちまちまとあれこれいろんな小理屈をくっつけて、結局話の勢いを削いでしまい、根本的な目的「人気取り」がうやむやになってしまいましたっけ(何年にどの内閣でタテマエの目的は何にしてやったか、覚えていますか?)。どうせ配るのなら(かつてのローマ皇帝が、皇帝就任時に市民権を有するローマ人全員にぱーっと大金をばらまいたように)“ルール”はなるべく単純化して少々の不平等は恐れずに勢いよくやった方が、結局金は懐には残らなくても「記憶」には残るのではないかと思いますし、その記憶のいくらかは「人気」に転化する可能性もあると思うんですけどね。今のままじゃ不完全燃焼のたき火にちょろちょろ小便を引っかけて回っているだけです(汚いたとえでごめんなさい)。

  = = = = = = = = = =

 どうせ完璧な「平等」なんて無理なのですから最初から不平等を覚悟で、たとえばですが、抽選で1万人にそれぞれ2億円が当たるジャンボ頼母子講、なんてのはどうでしょう(計算、合ってるかな?)。せっかく住基ネットがあるのですから、その基礎データを使って乱数表で大抽選会です。さらにこの抽選会を放映したらとんでもない視聴率になると思いますから、民法でも流してスポンサーを募れば、抽選会やあれやこれやの費用なんかは軽く出るんじゃないかしら。(都道府県、市区町村、と発表して行って、そこで「本人が氏名の公表の許諾をするまで、ちょっと待ってね」とCMにもつれ込むのです。なにしろ国民全員が“参加”している究極の視聴者参加番組ですから、もう盛り上がることは請け合い)
 その2億円ですが、「貯蓄や贈与は禁止。消費の期限は半年以内(不動産の契約などに時間がかかるでしょうから)。使い残った分は没収。使途は公開(領収書は1円から)」のシバリをかけたら、おそらく“無駄(消費に回らない分)”は少なくなるから地域経済の活性化に役立つし、犯罪被害が怖いなどの理由で辞退する人が出たら追加抽選でまた盛り上がれます。さらに、どうせ役人などの反対でその案はぽしゃるにしてもこういうことを「言った」ということで総理大臣の株は上がったでしょうにねえ。(「自分に当たったかもしれない」と思うだけで、一瞬でも幸福感は味わえますから)
 もし私が当選したら、国境なき医師団あたりにどんと寄付、と言いたいところですが、その前にテレビとパソコンは買い換えたいな。テレビはいまだに20インチのブラウン管(当然地上波デジタルとかハイビジョンとかはまったく無関係)だし、家庭用のパソコンは2代目だったか3代目のiMac。この前プリンターが致命的に壊れたのですが、買い換えようにも古いパソコンの古いOSに対応しているものがほとんどない状態なのです(現在ネットオークションで古いプリンターの出物を物色中)。だからそれらを買い換えてからその残りを寄……って、夢物語だと景気の良いことが言えますが、現実を振り返るとどうしても話がしょぼくなりますね(2億円で何台もテレビを買うつもりなんでしょうか?)。
 やれやれ、これが現実か。ま、私は「庶民派」ではなくて「庶民」ですからね、こんなものです。


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 たまの高潮が防波堤を超えたことに対して大きな不満を持つ人は、一度防波堤の“外”に立って、防波堤が普段黙ったままどんなお仕事をしているのか身をもって味わってみると良い……と防波堤が言っています。

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 田舎で勤務していた頃、住宅の水道水が濁ることがよくありました。特に大雨の後によく濁っていたものですから役場に聞くと、町内に設置されているのは簡易水道で、でも管理や水質には問題がない、との返事でした。だけど肉眼的に変化がわかるのに問題なし? 家内の手荒れも急にひどくなったけれど、問題なし?

 患者さんの検体検査を依頼している会社に聞くと、有料だけど(当然健康保険は利きません)水質検査もしている、とのことでやってもらいました。微生物は大丈夫。塩素も大丈夫(学生時代に「残留塩素は消毒されている証拠。塩素イオンがあったらそれはおしっこが混じっているということ」と習った覚えがあるので、この結果を見て安心しました)。化学検査ではカルシウムと鉄分がずいぶん高かった、と記憶しています。今だったら「おお、蛇口からミネラルウォーターが出てきているんだ」と喜べたかも。


 残念なのは、蛇口から出ていたのが“ミネラルウォーター”ではなくて、“ミネラル”ウォーターであったことですが。


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