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 1979年スリーマイル島事故のときには、「あれは作業員のミスで、日本では教育レベルが高いし安全装置がきちんと働くからあんなことは起きない」と「専門家」が言っていました。
 1986年チェルノブイリ事故のときに、「日本の原発はそもそも黒鉛炉ではないし、安全基準がソ連よりもはるかに厳いからあんな事故は起きない」と「専門家」が言っていました。
 「バケツでウラン」や「フクシマ」が“想定外”の時代です。

 1989年のサンフランシスコ地震で2階建て高速道路が倒壊しました。そのとき「専門家」は「日本の高速道路は落ちないようにきちんと作ってあるから大丈夫」とテレビで言っていました。
 1995年阪神淡路大震災で日本の高速道路や新幹線高架橋で何が起きたか、私は覚えています。「専門家」の皆さんがそのとき何と言ったのか(言わなかったのか)は忘れました。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代(そんな時代もあったのです)、アメリカは不景気でレイオフが盛んに行なわれていました。新聞には「日本は終身雇用制度という優れた制度があるから、従業員が安心して働ける。だからどんどん成長できるのだ。雇用が不安定なアメリカとは大違いだ」と誇らしげに書かれていました。

 エイズがアメリカで問題になり始めた頃「あの病気はアメリカの男性同性愛者の病気だから、日本人には関係ない」と言っている人がいました。(アメリカにも「あれは男性同性愛者の病気だから、スクエアには関係ない」と言っている人がいましたけれどね)

 BSEがイギリスで問題になり始めた頃「日本の畜産には無関係」と言っている専門家がいました。

 2004年のスマトラ島沖地震と津波で大きな被害が出た時「日本では津波警報がすぐ出されるからあんな被害は出ない」と言う「専門家」もいました。

 そして、北米大停電。これについても「日本とアメリカでは電力事情が全然違う」「日本の送電網は大丈夫」「だから大停電は起きない」と言っている人がいます。自信たっぷりに言う人には悪いのですが、私は眉に唾をつけさせてもらいます。なにしろ「外国での先例」に対して「いやいや、それは外国の話であって、日本は大丈夫」という主張がしばらく経ったらあっさり覆される(そして主張した人は知らんぷり)、というのをいくつも見てきているものですから。もちろん「自分の感覚の正しさを実証するために大停電が起きることを望む」ほどワルイ人間ではありません。大停電は起きないことを切に願います。でも、起きないようにするには「日本は大丈夫」と言っているのではなくて「起きること」を前提に対策を十分に立てておいて欲しいだけです。

 ただし、たまたまの順番、ということかもしれません。日本の企業で時に粉飾決算や株価操作があることを「日本企業の情報公開は遅れている。アメリカではあんなことはあり得ない」と言っている「専門家」もいましたが、結局アメリカでも「エンロン」がありましたからね。もちろん「エンロン」一つをもって、日本の会計制度が優れている、なんて主張はできません、というか、エンロン自体がまるっきり「日本的」とはほど遠い企業ではあったのですが(*1)。

*1)『エンロン内部告発者』ミミ・シュワルツ/シェロン・ワトキンス 著、 酒井泰介 訳、 ダイヤモンド社、

 

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2012.02.09 18:41 |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

若い頃の話

 「記者クラブ制度にあぐらをかいた記事」や「記者クラブ制度そのもの」に対してあちこちから批判がありますが、その批判に対する“反論”がありました。
 「記者クラブについて書いておこう」(西島雄造/あらたにす)
新聞批判はしばしば、ここに書かれているように「役所から大量に流れ出てくる当局情報に寄りかかってしまう」記者クラブという書き方に収斂しがちである。官報の垂れ流しといった表現も目につく。私はこうした批判に出くわすと、この人は新聞記者としての取材経験がないか、記者の仕事をよほど甘くとらえているに違いないと思うことにしている。
と「1/3」に書かれているのを読んで、思わずわくわくと期待してしまいました。「記者クラブに属していても、記者は非常に熱心にきちんと現場の取材をしているんだぞ」という主張が「2/3」「3/3」で出てくるに違いない、と思いまして。もちろん私には「新聞記者としての取材経験」はありませんから、“記者の実像”をその経験者から教えてもらえるのは大歓迎なのです。そして、喜んで私の“思い込み”を訂正いたしましょう、と思います。
 で、読んでみたら、肩すかし。なにしろここに登場するのは「武見太郎」が現役時代の「40年前の厚生省の記者クラブでの自分の体験談」なのですから。要約するなら「おれの若い頃には、汗水垂らして走り回ったものだ。どうだ、すごいだろう」のただの自慢話(というか、この程度で自慢話になると思う感覚に私はついて行けません。ち〜っともすごいとは思えない程度の行動に過ぎませんから)。
 たとえば私が「おれの若い頃には病院ではこんな風に仕事をするものだった」と言い立てても、それはあくまで「おかだの若い頃の話」です。でも、今の医療に重要なのは私の思い出話(や自慢話)ではなくて、「今の医療現場で実際にどのように仕事がされているか」です。西島さんがいくら「おれの若い頃には」と言っても「現在の記者クラブ所属の人間がどのように仕事をしているか」「その結果どのような記事が生産されているか」「それが世界にどのような影響を与えているか」に対して言及がなければ、何の意味もない文字の羅列でしかありません。あ、訂正。「何の意味もない」は言い過ぎですね。少なくとも書いた人は「自己満足」はできるでしょうから。
 しかし、ここで「問題」になっているのは「記者がちゃんと調査報道をしているかどうか」なのですから、その“主題”にふさわしく、思い出にふけっているのではなくて、“現実の現場”(現在の記者クラブでの記者たちの取材ぶり)をきちんと調査するか、さもなければ現在の多くの新聞記事を分析して「ほら、記者クラブ経由の記事も発表原稿ばかりではないだろう?」と証明してみせるか、どちらかをして欲しかったなあ。「おれの若い頃の話」は、先輩に言い返せない後輩相手にでも開陳していてください。何の義理もない赤の他人は、よほど面白い話でなければ、ただの時間の無駄、としか思いませんよ、というか、思いました。

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2012.02.06 18:43 |  医療制度 / 行政  |  映画 / 音楽 / 読書  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

非常に役に立たない

 大災害の時に限らず、日常生活でも人間というのはけっこう簡単に頭に血が上るものですが(簡単に頭に血が上る人がいますが)、どんな時でも冷静沈着な人もいます。これは貴重な資質と言えます。ただ、「冷静」なのではなくて「鈍いだけ」だと、結局役には立たないのですが。

 ところで「非常時に役に立たない組織」というものもあります(「時」は取った方が良い組織もあるでしょうが、話が別になるのでここでは触れません)。
 私がすぐに思いだすのは、直近の東北大震災・福島原発事故のときの日本政府の対応(もちろん阪神淡路大震災のときのもセットで)。BSEの時の英国政府の対応(もちろん日本政府のBSE(や口蹄疫など)への対応もセットで)(*1)。エイズが知られるようになってしばらくの間のアメリカ政府の対応(もちろん日本政府の対応もセットで)(*2)。「SARS」や「新型インフルエンザ」の時の日本政府の対応。

 以上の“サンプル”から“一般解”を導くと「官僚組織は非常時には役に立たない」となりそうです。
 どうしてこんなに政府や官僚組織というのは「非常時」には役に立たないのでしょう。それも日本だけではなさそうなので、「官僚組織」に関してグルーバルな視点から何らかの“一般解”がありそうです。
 ここで「どうして官僚(組織)の動きはお粗末なのか」を考えるときに、大まかに二つの着眼点があります。ひとつは「官僚(個人)がアホだからきちんとした対応ができない」と「個人」に注目する。もう一つは「組織そのものが内包する弱点ゆえに、どんなに優秀な人間を集めても、組織としての対応がきちんとできない」という「組織」に注目する考え方。
 そこをもう少し深く、「どうして非常時に組織の動きはお粗末なのか(お粗末な動きしかできない組織があるのか)」を追究した本があります。『エイズ・ディザースター』というタイトルですが、副題が「ニューヨーク市と国の失策」とそのものずばりです(*3)。
 この本では「組織」は「不完全な道具である」と定義されています。そして「組織は多くの時間をかけても、正当な目的を達成することができないが、その目的はかならず明快で合理的な言葉で述べられているので、人はそれにまどわされる。」と辛辣なことばが並んでいます。いや、これはアメリカについて述べた本ですよね。
 ただし「すべての組織」が「不完全な道具」ではありません。「きちんと機能する道具」もあります。では「不完全な道具」の不完全さはどこからくるのでしょう。
 『エイズ・ディザースター』ではいくつかの要素が指摘されています。たとえば「その組織の目標がゆるやかにしか定義されていない」「個人のイデオロギーや信念を無視できない」「みんなが心から同意した目標から組織をそらしてしまうような偶然、事件とか、予期せぬ相互作用がたくさんある」。
 この本によると、「平時だったら、なんとかボロを出さずにやっていけるだけの組織」は最初から「不完全な道具」にすぎない、ということのようです。だけど、平時に「とても上手く機能している行政組織」でさえ、「縦割り行政」であちこちに「すきま」や「溝」があるわけ(みなさん、これはよくご存じですよね)。まして“非常時”には、見慣れた風景は破壊され、要するに廃墟が一面に広がっているわけです。「縦割り行政」が上手く機能できるスペース(日常)は「非常時」には非常に少なくなっているのです。つまり「縦割り行政」そのものが「非常時には役に立たないように制度設計をしてみました」という主張なのでしょう。

*1)『死の病原体プリオン』リチャード・ローズ 著、 桃井健司・網屋慎哉 訳、 草思社、1998年(2001年16刷)、1900円(税別)
 「真犯人はイギリス大蔵省だ」というヒュー・フレイザー博士のことばがこの本にあります。BSEが初めて発見されたときに、適切な補償を出したり流通を禁止した汚染飼料を買い上げたりしておけば大きな問題にならなかったのに、禁止令だけ出して監視も罰則もなしですませたものだから、結局汚染飼料は流通し続け、BSEは拡大した、と。

*2)『そしてエイズは蔓延した(上)』ランディ・シルツ 著、 曽田能宗 訳、 草思社、1991年、2854円(税込み)
 『そしてエイズは蔓延した(下)』ランディ・シルツ 著、 曽田能宗 訳、 草思社、1991年、2854円(税込み)
*3)『エイズ・ディザースター ──ニューヨーク市と国の失策』チャールズ・ペロー 著、 浜谷喜美子 訳、 石川寛俊・松下一成 監訳、 1994年、2548円


 ならばどうすればいいか。まずは「自分たちの組織が不完全である」ことをふだんから前提にすること。つまり「官僚組織は“不完全な道具”でしかない」と明確に認識する。その上で組織の構成員が、学ぶ意欲を持ち実際に行為として学ぶことでしょう。歴史や先人や自分たちとは違って上手く非常事態に対処している組織から、学ぶ(つまり、用心深い医者が「失敗」に備えておくように、官僚組織も「非常時」を想定して準備をしておく……「自分は失敗しない」と信じているお偉いお役人には無理かなあ……)。
 それと「不完全な道具」を使う側の「使い方」も問題となるでしょう。
 「人は間違いを犯す存在である」を前提として、医療安全を私は考えています。すると「官僚組織は不完全な道具である」を前提として、ふだんの行政と非常時の対応とを分けて考える必要がある、ということになりそうです。それは政治家の仕事?  それとも、主権者の仕事?(「お上にお任せ」と言っていたら、駄目ですよねえ)

 そうそう、こんなことばもあります。
・「自分が理解もしていないことでなんらかの決定をしなければならないときには、自分の良心に恥じないようにすべきだ」(アラン・ディッキンソンのことば)(出典は(*1))
・平凡な人間でも、平凡な突き破る道が一つある。それは、自分自身の能力の限界を冷静に見極め、自分一人でなにもかもやろうとせずに他者にまかせることの重要性を認識したときに目の前に開けてくる。(出典は(*4))

*4)『十字軍物語2』塩野七生 著、 新潮社、2011年、2500円(税別)


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 原発の安全神話全盛期、反原発の立場の人たちの中には「原発事故が本当に起きるまで、お前らは『原発は安全だ』という主張を変えない気かよ」とため息をつきながら思っている人がいたのではないか、と私は想像しています。で、安全神話の信奉者で、神話が崩壊したあと、きちんと反省した人は何割くらいいるんでしょうねえ。「東電が悪い」「政府の対応が悪い」「危険性について自分をだました“専門家”が悪い」「危険性を広報しなかったマスコミが悪い」=「自分は悪くない」、と思っている人がけっこう多いのではないか、なんて想像もしてしまいます。

 「医療費亡国論」の信奉者たちについて、「医療が本当に崩壊するまで、お前らは信念を変えない気かよ」と私はため息をつきながら思っています。「百姓と胡麻の油はしぼればしぼるほどとれる」と同じ“政策”で、「とにかく医療費は絞れば良いんだ」と、「どのような医療が必要でそのためにどのくらいのコストが必要か」の医療設計やコスト計算を一切せずに単に「前年度比」でしか医療を考えられない人たちは、医療が崩壊したあときちんと反省するのでしょうか。「きちんと仕事をしない医者が悪い」「儲けすぎた医者が悪い」「医療を崩壊させたのはとにかく医者が悪い」「崩壊しそうだという情報をちゃんと上げない“専門家”が悪い」「コンビニ受診をしたりモンスターとなった患者が悪い」=「自分は悪くない」、「角を矯めただけだ」=「死んだ牛の方が悪い」=「自分はちっとも悪くない」、と主張するのではないか、という予感しかしません。予感というか、確信ですが。


参考(になるかもしれない)図書
「僕のお父さんは東電の社員です」 ──小中学生たちの白熱議論! 3・11と働くことの意味』毎日小学生新聞 編 + 森達也 著、現代書館、2011年、1400円(税別)
 「自分は悪くない」と言い張る人たちに、「ほんとうにみんなは無関係なのか?」というするどい問いかけをした小学生の投稿から始まった本です。多くの小学生が意外に(というと大変失礼かもしれませんが)きちんと議論をしようとしている態度を示しているのが印象的です。今の国会の体たらくよりよほどまとも。もちろん「自分はちっとも悪くない」と主張する人もいますが。

北米大停電 ──現代版南北戦争の視点』山家公雄 著、 社団法人日本電気協会新聞部、2004年、900円(税別)
 2003年8月14日北米で大停電が起きましたが、この本には、17日ニューヨークタイムズに載った投書が紹介されています。
 「俺たちニューヨーク市民の電気が、カナダから送られていたなんて誰が知っていた。五大湖のエリー湖をぐるりと回ってこちらに向かってたって? 誰が想像できた。65年と77年のニューヨーク大停電の後、二度と起こさないように手を打つと言ったのはどこのどいつだ。すっかり整備されたものと信じていたものを。専門家に言わせると、送電システムが脆弱だ、もっと投資すべきだと随分と前から警告していたそうじゃないか。……(中略)…… 政治家も右往左往、わけもわからず批判合戦し責任の擦り付け合いをしている。共和党は、民主党が環境重視を唱えるあまりインフラ整備を妨げてきた、と主張する。民主党は、共和党がエネルギー業界の利益誘導に忙しく停電対策を怠った、と言う。専門家と称する人びとも、意味不明の専門用語を駆使するが、要するに原因がわからずうろたえている……」
 ある種のことについては「国による違い」というのは、ないようです。

『十字軍物語』のシリーズ
絵で見る 十字軍物語』塩野七生 著、 ギュスターヴ・ドレ 絵、新潮社、2010年、2200円(税別)
十字軍物語1』塩野七生 著、 新潮社、2010年、2500円(税別)
十字軍物語2』塩野七生 著、 新潮社、2011年、2500円(税別)
十字軍物語3』塩野七生 著、 新潮社、2011年、3400円(税別)
 十字軍の遠征は宗教戦争であり、当然「聖職者」が大きな役割を果たしていました。「神がそれを望んでおられる」などのことばで「十字軍の必要性」「十字軍の正当性」を人々に強く説き(それに大々的に成功したのはたとえば第二次十字軍の修道士ベルナール、第五次十字軍の法王代理ペラーヨ)、出陣をしぶる王(たとえば神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ)を破門で脅したりしてまで人々を遠い異国の戦場に駆り立てた「聖職者」は、たとえ十字軍がみじめな失敗に終わってもその“責任”を問われませんでした。そもそも中世の聖職者は「権力の側」に立っていますし、「神の代理人である聖職者は無謬である」が大前提であり「聖書に照らしてみたら聖職者のことばは真実である」のは明らかなのですから、十字軍の失敗に関しては「信仰が足りなかった人間の方が悪い」となってしまったのです。実際に現場で苦労し飢え凍え血を流していたのはその(「後出しじゃんけん」で)「信仰が足りないとされた人たち」だったのですが。
 「歴史から学ぶ」ことの意味が、このシリーズからもわかります。(「日本の医療崩壊」で「十字軍における聖職者」に当たるのが「官僚とマスコミ」だと私は思っています)

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2012.02.03 18:24 |  生活 / くらし  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

賞味期限

大雪で停車の特急乗客に賞味期限切れ非常食配る 大阪行きサンダーバード 福井」(MSN産経)
 で、この記事でなにが「問題」にされているのか、どなたかご教示くださいません?
 配られたのは(朝日新聞によると)カロリーメイトです。ふつうの状態で保存されていたら賞味期限は1年間。で、1年と1週間前のカロリーメイトを食べたら、どんな健康被害が起きるのでしょう?  もちろん、そのカロリーメイトを食った人が、もしも腹痛・嘔吐・下痢などに次々見舞われた、というのだったら、それは大問題。だけどそれは賞味期限内であっても大問題にするべきことです。

 ちなみに「賞味期限」は、wikipediaでは「製造者が安全性や味・風味等の全ての品質が維持されると保証する期限」と定義されています。そして、落ちるのはまず風味、それから味、それから安全性の順番でしょう。当然そのすべてを保証する期限の決定には“安全係数”がかかっている、と私は判断しています。それがどのくらいかはメーカーごとに差があるでしょうが、1%や2%ではないはず(だから「1年の賞味期限の加工食品」の賞味期限切れが1週間なら(保管状況にもよりますが)まず安全、と私は判断します)。私は「消費期限」は重視しますが、「賞味期限」は一応の目安にしかしません。

 もちろん私も「賞味期限切れ」を“奨励”するつもりはありません。たしかにJR西のチョンボ、とは言えます。備品の在庫管理(と在庫の更新)がきちんとできていなかった、ということがばれてしまったわけですから。だけど、JR西日本をかばう気はありませんが(というか、あまり好感を持っている企業ではありませんが)、私だったらこのカロリーメイト、平気で食いますよ。「1日過ぎていても絶対ダメ」と主張して配布の受け取りを拒否する人は、その分を私にください。それと、そんな場合に鉄道員は、非常食品の賞味期限を配布前に一々ダブルチェック、なんてことをしている暇があったら、列車の復旧や情報収集や安全な避難場所の確保などの方に注力してください。

 なお、カロリーメイトは先ほど書いたように賞味期限は1年ですが、「カロリーメイト ロングライフ」という非常食用のものがあって、それは賞味期限が3年です。で、これをまた配ったときに賞味期限がもし1週間切れていたら、またマスコミは大騒ぎするんですよねえ。だけど、この問題に限定したとしても、「賞味期限が一週間切れた」を問題にし「雪が降ったらダイヤが乱れる」のを当然視するのではなくて、「それをナントカできないか」を考えるほうに「知性」を使った方が良いんじゃないかなあ。
 ……もしかして「知性」にも「賞味期限」があります?


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2012.01.31 06:48 |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

待遇改善要求

 律令制度で、奴婢は「所有物」でした。(官が所有する公奴婢(くぬひ)と私人が所有する私奴婢) 「良民」は日本史の授業で自由農民と習った覚えはありますが、人間を「物」として平気で所有できる社会で「自由」が近代社会と同じ意味で取り扱われていたとは私には思えません。
 自由がない状態で人はどのように振舞うでしょう。我慢する・合理化する・満足する・他人の足を引っ張る・抵抗する……などが考えられますが、古代に行なわれた「抵抗」の一つは、逃亡や欠落でした。これは個人的な行動です。それらが組織的に行なわれるようになったのは中世以降のことで「逃散」と呼ばれます。百姓がまとめて逃げ出しちゃうわけ(この「逃散」も、中世の「村の男だけが耕作を拒否して他所に籠る」タイプ(逃げても戻ってくることが前提)と、近世前期の「一家丸ごと他領に逃げる」タイプ(戻ってこないことが前提)に区分されます)。

 現在の医療崩壊の状況下で「医師が逃散している」という表現を見ることがありますが、厳密には「医師が逃亡(欠落)している」と言う方が現実に近いように思います。まだ個人的行動ですから。「歴史用語としての正しさ」よりも「意味が伝わればいい」とも思うので、言葉づかいに必要以上に拘泥する必要もないとも思いますが。

 さて、江戸時代には「抵抗」の一手段として有名な「百姓一揆」があります。世間一般のイメージでは「竹槍や鎌を持ちむしろ旗をかかげた村の一同が、死を覚悟して代官所に押し寄せる」というものになるかもしれませんが、もともと「一揆」は「一致団結」の意味で(だから毛利元就は「国人一揆」の盟主となっていますし、伊賀は国人領主の国ではなくて「惣国」と呼ばれる一揆体制(地域共同体自治体制)を(天正九年(1581)織田信長による伊賀侵攻(天正伊賀の乱)まで)とっていました(*1))、江戸時代の百姓一揆もその「目的」は「待遇改善(たとえば「年貢をまけてくれ」)のための示威と交渉」。反乱とか革命ではありません。ただ、集団示威行動は容易に“暴発”につながります。だから一揆を主導する者はいかに平和的に行動するかに心を砕きました(*2)。1749年(寛延二年)陸奥国で大規模な百姓一揆が起きましたがその記録「伊信騒動記」には「此度の騒動、天草四郎や由井正雪等の類一揆にハあらで強訴のことに候得ば、手道具を不持ハ勿論のこと」とあります。つまり当時の“常識”では「手道具(武器)を所持していたら一揆」「所持していなければ強訴」です(だから江戸時代の“常識”では「島原の乱」ではなくて「島原天草一揆」でした(*2)(*3))。そして手道具の竹槍で死者が出たのは江戸時代の記録では2件だけだそうです(明治維新後の一揆(騒動)では竹槍による死者が多数出ています)。また、火縄銃も持ち出されましたが、これは「武器」ではなくて「号砲」でした(そもそも村にある火縄銃は「武器」ではなくて「農具」(畑を荒らす獣を殺す・追い払う、ための道具)だからこそ刀狩り後も村に存在を許されていたのです)(*4)(*5)(*6)。で、「暴発してしまった大規模一揆」の代表例が「島原の乱(「島原天草一揆」)」でした。だけど「暴発」は両者に損です。血が流れるし、領主は幕府ににらまれるし、百姓は本来の目的(処遇改善)が果たされませんから。

 こうして歴史を眺めてみると、過去の「保険医総辞退」は「強訴」だったのかなあ、と私には思えます。

 日本が近代化するにつれ、「百姓」の数は減り「労働者」が増えました。そこでの「抵抗」手段は、ストライキやロックアウト。それに対して警官隊や軍隊が導入され、というのはたとえば『蟹工船』で読むことができます。で、労働組合が作られてかつての「一揆衆」のような役割を平和的に果たすようになった、ということでしょうか。
 すると、日本の医者も「労働組合」を作れば良いのかな、と思います。「医者なんかに権利はない」と断言する人も「労働者には権利はない」とは言わないでしょうから。それとも医者は労働者ではなくて公奴婢でしたっけ?


参考図書
*1)『黒田悪党たちの中世史』新井孝重著、日本放送出版協会、2005年、1120円(税別)
*2)『百姓一揆とその作法』保坂智 著、 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー137)、2002年、1700円(税別)
*3)『検証 島原天草一揆』大橋幸泰 著、 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー259)、2008年、1700円(税別)
*4)『刀狩り ──武器を封印した民衆』藤木久志 著、 岩波新書、2005年、780円(税別)
*5)『鉄砲を手放さなかった百姓たち ──刀狩りから幕末まで』武井弘一 著、 朝日新聞出版、2010年、1300円(税別)
*6)『生類をめぐる政治 ──元禄のフォークロア』塚本学 著、 平凡社選書80、1983年、1700円


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 「人工栄養」の続編です。

胃ろう中止も選択肢に 終末期医療の原則、学会が改定」(朝日新聞)

 「口から食えない」→「胃瘻造設」、と“自動的”に話を進めるのではなくて「ちょっと待て、本当にその処置は最適なのか?  最適だとして、それは“誰”にとって?」と立ち止まって考えよう、という趣旨には賛成です。頭を使わずに、なんでもかんでもとにかく医療行為をすれば良いんだ、というのには、そもそも「頭を使わず」の部分に疑問を覚えますので。
 ところでこの記事の冒頭「胃に管で栄養を送る胃ろうなどの人工栄養や人工呼吸器の装着は慎重に検討し、差し控えや中止も選択肢として考慮する」とまるでついでのように「人工呼吸器の装着」があるところに私はまず注目します。このキーワードで私が想起するのは当然「カレン裁判」です。この裁判では、紆余曲折の結果人工呼吸器を外すことを認める、という画期的な判決が出ました。で、人工呼吸器のスイッチを切ったら即死するのではないか、という一部の予想を裏切ってカレンさんはそれから9年間植物状態のまま生き続けて結局肺炎で亡くなったのでした。
 「QOL」の観点からは、カレンさんの“肉体(生命)”に人工呼吸器があった方が良かったのか悪かったのか、どちらだったんだろう、と私は思っています。カレンさんの“人生”に人工呼吸器があった方が良かったのか悪かったのか、どちらだったんだろう、とも私は思っています。そしてその「決断」をする立場でなかったことを、ひそかに喜んでいます。その決断とそれに伴う責任があまりに重すぎますもの(というか、その責任を負う覚悟のない人間がいろいろ偉そうに直接口を出すことは少し控えた方がよいと思います)。
 ただ……カレンさんの場合「人工栄養」はどうだったのでしょう。当時はまだ胃瘻はポピュラーではなかったけれど、人工呼吸器と同時に栄養もストップしていたら「9年間」はあり得ないように思うのですが。

参考サイト:「カレン事件」(Jinkawiki)


 記事に戻ります。
 次に私が気になるのは(例によって)「主語」です。この記事には
>>「胃ろう造設を含む経管栄養や気管切開、人工呼吸器装着などの適用は慎重に検討されるべきだ」と指摘した。
とあります。で、なぜか受身形で書かれている「検討されるべきだ」を能動形に直したら「検討するべきだ」になりますが、その「主語」は?  誰が(どこで)検討するんです?  さらに、「誰が検討するべきか」は誰がどこでいつ決定するんです?

そして、それに続く部分
>>具体的には「本人の尊厳を損ねたり、苦痛が増えたりする可能性があるときは、差し控えや撤退を考慮する必要がある」
で「考慮する」の「主語」は?  誰が(どこで)考慮するんです?  「誰が考慮するべきか」の決定は誰がどこでするんです?

 非常時(大災害でのトリアージなど)を除いて、医者が勝手に「この人は死ぬべきだ」なんて決定をしてはいけませんよね。ですから、ベッドサイドで「お前らはおれの言うことを黙って聞けば良いんだ」と医者がスイッチや管に手をかける、は“却下”でしょう。
 では本人?  でも本人が認知症や失語症や植物状態になっていたら? 
 では家族?  その「家族」の範囲は?  「決定」をしたあとになって突然「遠くにいた近親者」とか「どこかにいた遠い親戚」とかが出てきて「そんなことは認められない」と言い出したら、どうします?(一般的な処置でもそんなことはよくあります。ましてこの問題では生死が絡む(ものすごく即物的ですが、遺産相続も絡んでくる)のですから、必ず「家族間」でも(家族間だからこその)トラブル頻出が簡単に予想できます)
 もちろん法的な問題もあります。私は「殺人、または殺人幇助、あるいは職務怠慢で医者を訴えてやる」気満々の人の好餌になる気はありません。

 で、繰り返しますが、素朴な質問です。「主語」は?  そして、その「主語」を決定する「主語」とその根拠は?


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2012.01.26 18:29 |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

わがこ

性同一性障害 “嫡出子の認定を”」(NHK)
 夫が性同一性障害の夫婦が、人工授精で作った子供には「その夫婦の嫡出子」としての届出を認めない、と政府が言っていることに対して、裁判で異議申し立て予定、だそうです。
 片方の言い分だけしか知らないので、ニュースでは無視された政府の言い分も聞いてみたいとは思いますが、「Y染色体を持たないことが明らかな“夫”が子供を作れるわけがないだろう!」でしょうか?  ただそれだと、民法の第772条「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」との整合性がとれないのではないかな?  民法の「夫」には「女を妊娠させる能力のある男」なんて限定条件はついていません。それとも最近では「この者は妊娠可能な女を妊娠させる能力がある」という診断書がないと婚姻届が提出できなくなってるんです?(現時点では、不妊治療の一つの人工授精でできた子供は、嫡出子としてふつうに届出がされています。そうそう、妻の浮気でできた子供も)
 たしかこの772条は「子の利益(親権、扶養義務、相続など)」を考えて、のものだったはず。としたら、「法律で認められた夫婦」に対して「お前らの『子』に限っては、『夫の子』とは認めてやらない」と「例外」を作るためにいろいろ理屈を振り回すのは、知性の無駄遣いというか、知性の誤用のような気がします。もしかしてリクツではなくて感情論で、「性同一性障害を差別したいが、残念ながら女が男になることは邪魔できなかったので、せめて父にはなれないように妨害してやる」かな?  それだったら理解はしやすいですね(その論旨と態度に賛成はしませんが)。


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2012.01.25 19:10 |  仕事 / 職場  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

災害報道の法則

 日本中がすっぽり寒気に覆われて、あちこちが大変なことになっています。ぼんやりテレビニュースを見ていて、前世紀に一時期を過ごした雪が良く降る地域の病院でのことを思いだしました。

 やはり、全国的に雪が降った日のことです。
 私が職員食堂で昼食を摂っているとTVニュースでは今と同じように「首都圏では雪で交通が大混乱、遅刻者多数。滑って転ぶ人が続出して救急車が出動」とやってました。同席した中年の看護師さんが話しかけてきます。
「東京は大騒ぎですね」
「らしいですねえ」
「だけど、たった数センチの雪でしょ? その程度で混乱するってどうなってるんでしょ? こっちでは数十センチの積雪でも遅刻してくる職員なんて一人もいませんけどね」
「したら怒られるでしょうね。まあ、慣れの問題なんじゃないです?」
「それにしても、少しとはいっても雪が積もっているわけでしょ。それなのにわざわざハイヒールを履いて出て滑って転ぶのは、どうかと思いますよ」
「何を履くのがお勧めです?」
「ゴム長ですよ。ゴム長、最強!」
 妙な威張り方です。
「お洒落な都民はゴム長をもっていないのかもしれませんね」
「なら、スノーシューズか最低スニーカーでしょう。ハイヒールは手に持って行って職場に入ってから履き替えるのが安全ですよ。そのくらいのことは、いくら雪に慣れていなくてもちょっと考えたらわかりそうなもんですけどねえ」
 雪道のカーブで冬用タイヤをドリフトで滑らせながらばりばり車を走らせる地域の人にとって、雪に対してあまりに無防備な地域の人の思考や行動は理解できない、ということなんでしょう。私は雪がほとんど降らない地域で育ったため、そのどちらの住人の言い分もわかるような気がしていました。
「しかし、雪国だったら、数センチの積雪なんてのはニュースにもなりませんよねえ」
「でしょうねえ。そういえば、雪国では雪下ろしで毎年亡くなる人が何人もいるでしょ。そういったことは全然ニュースで流さなくて、東京で滑って転んだ人がいるというのはこうやって全国ニュースで大々的に流すのは……なんだか釈然としないですねえ」
「たしかに。雪国で雪で亡くなる人のことは東京人にはどうでもいいこと、ということなんでしょうか。そんな東京人に興味が湧かないことは地元のローカルニュースでやればいい、ということかも。だったら、東京で滑って転ぶ人のことも、東京のローカルニュースでやれば良いんでしょうけど、マスコミ人は東京にいるわけですから、自分たちにとって価値のあるニュースは全国的にも価値があると思って、ローカルニュースを全国に流してしまうのかもしれませんね」
「あ、それだったら、納得です」
 私に思いつきが降りてきました。
「そういや、台風なんかもそうですね」
「台風?」
「去年の秋に、とんでもなく大きなのが九州に上陸してひどい被害をもたらしましたよね」
「ああ、ありましたありました。それも二個も」
「で、その少し後に中型の台風が関東を直撃したんですけど、ニュースの扱いは明らかに九州よりは関東の方が大きかったんですよ」
「ということは?」
「法則ができますね。『災害報道の大きさは、災害の大きさに正比例し、東京からの距離に反比例する』」
「おかだ先生は、シニカルだなあ」
「私の言葉より、現実の方がシニカルなんじゃないです?  これはフィクションじゃないんですから」


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2012.01.23 06:39 |  診療  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

●死語(149)ソルコセリル40本

 「抗ヒスタミン剤」といえば「鼻水の薬」と言いたくなりますが、ヒスタミンのレセプターは胃にもあってそこにヒスタミンが結合すると胃酸が分泌されます。ということは、そのレセプター(H2レセプターと呼ばれます)を遮蔽してしまえば胃酸が出にくくなる、ということで登場したのがH2ブロッカーであるシメチジン(商品名タガメット)でした。現在この薬は大日本住友製薬から販売されていますが、私の記憶では日本に初登場時には藤沢薬品が扱っていた、となっています。当時は200mg錠を一日4回服用するのが結構大変でしたが(現在は400mgずつ一日二回服用です)、とにかく「胃潰瘍が飲み薬で治る」ということ自体が「衝撃体験」でしたっけ。
 で、そのあおりを食ったのが、それまでの「潰瘍治療薬」、特にソルコセリルでした。詳しい使い方はもう忘れてしまいましたが、一日1回静脈注射で、1回が1アンプルならトータル40回、1回が2アンプルなら20回、がワンクールだったはずです。
 当時の消化性潰瘍治療では「胃内での攻撃と防御のバランス」が重視され、「攻撃因子」である胃酸を効果的に押さえられないから「防御」を上げることで対応しよう、と、粘膜保護剤(いわゆる「胃薬」)や肉芽形成が強いソルコセリルが医者には愛用されていました。しかし、タガメットの登場で医者が「ソルコセリル!」と言う機会は激減しました。飲み薬で治るのだったら、毎日注射に通いたい人はあまりいません。
 タガメットは一時我が世の春でしたが、生者必滅栄枯盛衰、後から出てきたザンタックやガスターにその座を奪われてしまいました。だって、服用する回数が一日に二回で効果はタガメットと同等あるいはそれ以上なのですから、飲みやすい方に飛びつくのが人としては自然です。
 やがてH2ブロッカー自体がもっと制酸効果の強いPPIと呼ばれるグループの薬に、その地位を追われることになります。
 べべんべんべん(琵琶の音のつもり)。

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