最初から注:タイトルの意味は、先月14日の「中京」に書いてあります。
今日は東京で講習を受けなければなりません。昼から夕方までの講習会なので、「朝出て昼前に到着、夕に出発して夜に帰宅」で日帰りが可能です。で、可能だとそれをしなければならない、が私が勤務する病院の規定です。いつもより早起きして空港に行って、夜の最終便の一つ前で帰ってくる強行軍となりますが。
「出張パック使えば前泊つけてしかも安くなりますよん。私もその方が体が楽なんだけど」と言っても、規定により却下。ただ、当直明けの翌日に早起きはこちらもしんどいものですから、自費でホテルを取って前の日に仕事が済んだらすぐに空港に駆けつけることにスケジュールを変更しました。届けは出したし少なくとも病院に一円も損はかけていませんから、問題はないはずです。
おかげで今朝はゆっくり朝寝坊。さて、午前中がゆったり空いているのでどうしようかな。昼まで東京ならではの買い物か見物をしてみるか、それともチェックアウトまでだらだらしてゆったり本でも読もうかな。最初の予定だったら今この瞬間に私は空港目指して動いているはずの時間です。ゆったり過ごせるのは、ありがたやありがたや。
ちなみに昼は、前回会えなかった息子とランチの予定です。どちらも昼からのお勉強の予定を気にしながらですが。ただ、昼から雨ですって? それも雷を伴う激しい雨とか。……しまった、傘を持ってきていない。どこかで仕入れておくべきか、講習会の会場から最寄りの駅までの5分間だけ我慢して濡れるか……これは悩ましい。
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昨日の各紙に載っているニュースです。みごとにどこも横並びの記事です(その中で産経がコールセンターをきちんと取材して、コストが1億1000万円、なんてデータなどを乗せているのは“お手柄”です)が、それら金太郎飴の中から適当に読売の記事。
「「裁判員」来た、候補者通知に戸惑いや意欲」
来年度の裁判員候補の通知が始まったそうで、早くもでかい封筒が届けられた人は、わけがわからなかったりわからないけれど意欲を燃やしていたりとにかく逃げたかったり、人によって様々な反応を示しているそうです。
私の所にはまだ通知が届いていませんが、実はやってみたいとは思っています。裁判所どころか裁判そのものの内側に入れるなんてめったにないチャンスですし、このブログのネタにもできる。もちろん裁判の中身については書けませんが、守秘義務がカバーしていない部分(たとえば、裁判所の掃除が行き届いていたかどうか、とか医療的な観察)については書いてかまわないはずですから、気分的には手ぐすね引いて待っている、といったところです。(特に、インフォームド・コンセントを是とする立場からは、法律用語も徹底的にわかるまで説明してもらいたいものですね。そこも手ぐすね引いて……)
問題は、職場を不在にする予定がきちんと立つのかどうか、です。外来や病棟でのとりあえずの対応は短期間なら誰かに代理を頼むことも可能ですが、予定が明確でなければ頼みようがありません。さらに私でなければできない仕事がいくらでもあります。それも私“だけ”ではなくて、チームで取り組むべきことが。となると、チームのメンバー全員の予定も私が抜けることで影響を受けるので、あらかじめ何日から何日までときちんと予定ができないと、病院のある部分の業務が止まります。それは困ります。大いに困る。私だけではなくて、たくさんの人が。だって一部が止まれば連鎖反応が起きるのですから。(これが、それでなくても医師が不足して困っている領域の人だったらどうするんでしょう。救急室とか手術室とか診療所を閉鎖して裁判に参加?)
国民の義務だからもちろんそれは果たしますが、その結果、大げさに言うなら、医療崩壊に手を貸すのは願い下げにしたいなあ。
逆から見たら、たとえばすでに面談や検査や手術の予定を次々組んでしまったところに突然「明後日から裁判だから出てこい」なんて言われても困ります。その場合には“先着順”にするしかないでしょう。プロなんだから顧客に迷惑はかけられません。ついでですが現時点で私の予定、3週間以上先までもう予約が容赦なく入ってます。
我が身でなくても身近でおきる可能性もありますね。あなたの主治医が「明日からちょっと裁判に行ってくる。いつ帰れるかわからないけれど、それまでは元気でいてね」と言ったら、あなたは快く送り出せますか? あなたの子どもの学級担任だったらどうでしょう。あなたの仕事場の同僚だったら? バイト君だったら?
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11月25日「完全/君子と小人」の補足です。(補足というより蛇足かもしれませんが、せっかく書いたものですから)
「他人の才能を評価する」ことも実は「人の才能の一つ」です。才能である以上、上手下手がありますが、それが下手くそな人間がやたら多いからこそ「自分には才能があるぞ」と外に形として示すための「資格商法」が世にはびこり、「自分は不当に評価されている」と人事評価で不満が渦巻くことにもなります。それでも「専門家」の場合にはまだ話が楽です。少なくとも使う物差しはその専門領域に関するもの一つですみますから(それでも「お前の判断基準はおかしい」と話がもめることは良くありますが、これはきっと物差しの縮尺が各人で違うのでしょうね)。
それが「評価するべき要素が複数」の場合には話はややこしくなります。それぞれの要素についてまずは各個に正しく評価した上で、さらにそれぞれのバランスを考えなければなりません。さらに「評価されるべき人」だけではなくて「その人がいる環境との関係」も考慮する必要があります。(戦闘力が優秀な軍人」は「経済市場」ではなくて「戦場」で(それも空軍なら空、海軍なら海で)評価されなければならないでしょ?)。
ところで日本では、複数の分野で才能を発揮することはあまり好まれません。「器用貧乏」「多芸は無芸」ということばがあるように、マルチタレントは低く評価されるのが日本の“伝統”です。「一芸は道に通じる」は一見最終的な「幅広さ」を高く評価しているかのようですが、そこでも重要なのは「まずは一芸(を極めること)」です。
ということは、マルチタレントを正しく評価することは、日本の“伝統”に反する行為ということになります。実際にやろうとしても、「他人を評価する才能」を欠いた人間にはそもそも無理ですが。
ではそういった人が他人の才能、特にマルチタレントを評価するにはどうするか。「完璧」を求めるのです。これなら低才能無能力の人間にも他人の評価が可能です。一点「瑕疵がある」ことのみを抽出すればいいのですから。
つまり、他人に完璧を求めること・他人のあら探しだけをすることは、そういうことをしている人自身の「自分の能力は低いという告白」でしかないのです。
ところで、「他人の才能の認知」は個人の才能(の一つ)ですが、「他人が自分より優れていることを素直に認める」のは才能より性格の問題です。嫉妬などに目をくらまされずに冷静に他人を評価できるのは、感情の領域ですから。その上で「現状の把握」をし、適材適所ができることはこれまた才能でしょう。「自分の回りに有能な人間(使える人材)がいない」とお嘆きの向きは、まずは一度自分の才能と性格を厳しくチェックした方がよいかもしれません。
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9月末に発表された「産婦人科勤務医・在院時間調査 第1回中間集計結果 報告と解説」(日本産科婦人科学会)を今頃になって見つけたので読んでみました。
在院時間の月平均は295時間、オンコール(自宅待機)は月間平均139時間です。当直回数は月に4.1回、休日日直は1.3回。つまり、病院での“残業”は月に117時間(在院時間から標準的な定時の勤務時間を引いたもの)、週に1回当直をし3週に1回は休日日直、約3日に1回は自宅待機、を繰り返し続けるのが産婦人科医の平均像です(20代から40代後半まで数字にほとんど差がありません)。ただし、緊急呼び出しの回数は今回の集計には含まれていません。あくまで病院が“管理”できる数字としての勤務実態です。
で、こういった調査があると「俺だって、会社に申告はしないけれど、月に100時間は残業しているぞ」「俺なんか130時間もやった月がある」などと嬉しそうに“自慢”して、「だから医者が“その程度”でがたがた言うな」と言わんばかりの人があちこちで見つかります。でもねえ、そういった人に私は二つ質問をしたいのです。
1)そんな生活をしているへろへろの医者にあなたは自分や家族の体を託したいと思いますか?
2)あなたはそんな多忙な生活で幸せで満足ですか?(一生それを続けたいですか?)
そうそう、「オンコールなんて、自宅で待機しているだけだろ」なんて気楽に言う人もいます。そんな人にオンコールの緊張感をどうやって味わってもらえるかしら。そうですねえ、例えば、の思考実験ですが……その人が好きな動物(犬とか猫とか)を集めておいて、その人に突然電話をして難しいクイズや計算をしてもらって、電話に出なかったり答えを間違えたらその動物が一匹ずつ殺される、というのはどうでしょう。もちろんオンコールですから、電話がかかるのは真夜中かもしれませんし、早朝かもしれません。かからないかもしれませんし、一晩に何回もかかるかもしれません。
これを想像してもらったら、一般の人でも少しはオンコールの緊張感がわかってもらえるかな?
……あ、これを読んで「おれは動物愛護団体の者だ」と殴り込みには来ないでね。動物殺しは実際にはやりませんから。
※参考までに。厚労省が平成13年に発表した「過労死認定新基準」には、その別添に「労働時間」に関してこんな記述があります。
[2] 発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月
間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認め
られる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること
を踏まえて判断すること。
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私が勤務する病院では、緊急時には全館放送で「ドクターコール」と言うことになっていました。だけどそれが私には気に入りません。医療的な緊急時に「ドクターだけ」呼べばいいとは思えないからです。そこで緊急呼集システムを作り替えることにしました。別の暗号を全館放送することで、院内でとにかく手の空いている人間は「全員集合」としたのです。緊急時には、とにかく「人手」の有無が重要ですから(まるっきり医療知識がない人間でも、患者搬送や伝令などいくらでも有用に使える場面があります)。ついでに、別の暗号で「男手集め」もできるようにしました。受付などで暴れる人がいた場合に、目撃者を増やすあるいは取り押さえるためです。受付の女性が孤立無援で泣いている、なんてことはイヤですから。
「システムは作ったが誰もそのことは知らなかった」ではいけませんから、院内に周知徹底をした上で確認のために抜き打ちで訓練をしました。抜き打ち……いやあ、「秘密を持つ」って、わくわくしますねえ。事務に協力を仰いで、記録係と急患役(シナリオは、脚立に上がって作業中転落して腰部をひどく打撲して床に倒れてのびている役)をやってもらい、「緊急呼集の訓練を今からします。○○を放送してください」と全館放送の依頼を自分でしました。
う〜む、どうも集まりが偏るので確認してみると、全館放送のスピーカーのボリュームがなんと各所でオフになっていることが判明。聞こえなければ集まれません。早速スイッチを入れて回ってもらいました。さて、ほとぼりが冷めた頃にまた抜き打ちで訓練をしなくちゃ。こういった訓練は、いざ本番がスムーズに進むように問題を洗い出すためにやっているのですから、最初は上手く行かなくてよいのです。「本番」がないのが一番良いのですけれどね。
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昭和の末頃、まだ少子高齢化もバブル崩壊も先の時代、国民保険の赤字が小さな声で問題とされていました。しかし、組合健保は黒字でした。それはそうです。大企業で「終身雇用制度」(これももう死語でしょうね)によって元気いっぱい働く人たちはどんどん稼いで保険料も滞納せず、そして定年になったら国保に移っていきました。したがって健保は収入はあるけれど支出は少なく、国保は退職後に病気がちになる人の受け皿としての機能も持たされていたので赤字になりやすい、という構造を持っていたのです。誰の目にもそれは明らかだったのに、誰もそれに対して対策を立てようとしませんでした。
黒字の健保はその使い道に困って、あちこちに「山の家」や「海の家」を建てたり、毎年組合員に還元をしていました。私も当時はある健保組合に属していましたが、毎年救急箱やらスポーツ用品の配布を受けた覚えがあります。
なぜあの時期にちゃんと将来(つまり、今)の準備をしておかなかったのかなあ。
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私が勤務する病院では、一般へのインフルエンザ予防接種の前に職員の分を済ませておこうという事で何回かに分けての接種が始まりました。前回の外来で、私の目の前にどんと積まれたのは130人分(!)の予診票の束。
さて、インフルエンザワクチン接種の標準的な手順はこうなります。
1)希望者は、説明書を読み、その内容(予防接種の目的とか副反応があることなど)を理解します。
2)希望者は「予診票」にいろいろ書き込みます。(本日の体調とか、病気を持っているとか、アレルギーとか)
3)体温を測って予診票に書き込みます。
4)以上のデータや診察から、医者は予防接種が可能か不可能かの判定をします。
5)希望者は医者の判定が「可能」だったら、そこで最終決断(予防接種を受けるか受けないかの決定)をして予診票にサインします。
6)ワクチンを接種します。
7)予診票に、打ったワクチンのロット番号と注射量、接種日時(年月日と何時何分)と接種場所を記載します。
8)カルテに予防接種をしたことを記録します。
9)支払いをします。
これを読むだけで「医者の所に行って腕をめくったら、チクッとしてお終い。すべては15秒ですみました」にはならないことは、どなたでも理解できますね。6)の「医療行為(注射)」そのものはたしかに15秒ですみますが、それでも、ここに書いていない注射の準備(注射器と針のセット、ワクチンの吸い上げ)や使用済み注射針や注射器の廃棄(量がまとまるとけっこうな手間です)にそれなりの時間はかかります。さらに、文書仕事に膨大な時間が必要です。予防接種に関しては、ほとんどの時間は文書に費やされると言って良いです。泣き言を言います。130人分の予診票の医師チェックは、けっこう負担なのです。サインするだけでも最後にはイヤになります。嘘だと思ったら、自分の名前だけでも130回連続で実際に書いてみてください。きっと「小学校の漢字練習じゃないぞ」と言いたくなりますよ。で、私が書かなきゃいけないのは自分の名前だけではないのです。
だけど文句を言っていても仕事は終わりませんから、集中力を保ってきちんとやりましょう。それもできる限り時間を無駄にせずに。ここで重要なのは、流れ作業の効率を維持することです。ところが、4)まで来た人が医者の前で「あ、たいおんをはかるのをわすれてた」と棒読みで言ってそこで体温を測り始めたら、その列の後ろの人はそれだけ余分な時間を待たされます。予診票を書いていない人が注射をしているところに紛れ込んで「自分は特別に早く注射をしてくれ、はやくはやく」と注文をつけたら、その注文に現場スタッフが対応する時間分、きちんと順番を守って列に並んでいる人が待たされます。まったく困ったものです。
それやこれやで、いつもは暇で暇で閑古鳥がかーとかぎゃあとか鳴いている私の外来が、珍しく活況を呈してしまいました。さすがに殺気立つところまでは行きませんでしたが。
私がここで連想するのは、もちろん新型インフルエンザ発生時のワクチン接種です。規模にしてこの数十倍、数百倍、数千倍? よほど効率を考えて作業スケジュールをあらかじめ非常時用に組んでおかないと、現場は回らないことが確実です。「根性で頑張れ」はやめましょうね。そう主張する人が「根性」で新型インフルエンザに打ち勝って見せてくれたら、そのことばを信じても良いですけど。(だけど日本のお役所は、「計画配置」という言葉はお好きなくせに、こんな非常時に備えての効率的で実際的な人員や物資の戦略的な計画配置を計画し実行するのはなぜか苦手なんですよね。必ず現場が悲鳴を上げる事態になります)
細かい工夫は可能です。一つの現場でワクチンのロットを揃えておけば、ロット番号の記載は省略(あるいはあとでまとめて記入)できそうです。注射量も成人は一律だからあらかじめ事務レベルで記載しておけばいいでしょう。接種日と場所も事務レベルで記入(あるいは「接種日ごとのフォルダ」を作成して、その日の予診票は全部そこに突っこむ、とか)。接種した時刻は必要です? 要らなければ省略しましょう(官僚がどうしてそんなデータを欲しがるのか、私にはわかりません。本当に欲しいのだったら、欲しい人が自分で記入すればいいと思いますが)。これだけやれば数秒は節約できます。ああ、それでも数秒か。それでも人数分×数秒ですから、でかいといえばでかいのです。
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ここからリンクしているブログ「3番目の落書き帳」の「猛省すべきなのは、当局ばかりでなく、マスコミもだと思うのだが・・・。」を紹介します。
ここで取り上げられているのは「よみうり寸評」というコラムですが、こういったネタはなかなかネットでは拾えないので紹介してもらうとありがたいと感じて、読売新聞の愛読者ではない人のためにこちらでもさらに紹介することにしました。(他人のふんどしで相撲を取っているような気もしますが……(苦笑))
で、よみうり寸評の主張「医師不足をなかなか認めず、偏在といい続けた当局に猛省と緊急打開策を求める」に対して、私も「どの口がそんなことを言う?」と感じます。「偏在と言い続けた当局」の提灯を持って踊ったり人をあおったりしていたのは誰?と。(ついでに、「緊急打開策」について具体的な「提言」はしないんですかね?)
えっと、自分のふんどしも持ち出しましょう。
死亡事故が起きてから「前からこのカーブは危険だと思っていたんだ」とか、地震の後になって「私はこの地震を予知していた」と言うのは、ある意味“簡単”です。しかし、私がマスコミや“当局”に求めたいのは「事後の指摘(「大地震がおきたらすごい被害が生じた」などの誰でも言えること)」ではなくて、囲碁将棋なら五手十手以上の読み、事件事故なら根本原因の追究です(マスゴミが大好きな「追及」ではなくてね)。“対症療法”では目の前の“症状”しか消せません。でも、きちんと追究することで根本原因がわかれば根本的な対策が立てられます。もちろん対策を立てないのだったら追究をしても仕方ありませんが。
……あ、そうか。「追究をしたくない」=「対策を立てたくない」=「だから追及をする」、なのかも。マスコミが「あんな口」をきくのは、「深く追究するのは疲れるからいやだ(あるいは、その能力を欠いている)」ということ以外に、深層心理に「対策を立てたくない」という根本原因があるからなのかもしれませんね。だって、根本的な対策が立ってしまったら、紙面などで「追及」するネタが減ってしまうもの(実は、本当は減らないのですが、考えが浅い人にはおそらく「追及のネタが減る」としか思えないでしょう)。
そうそう、朝日新聞は、少なくとも今年の6月の時点ではまだ「医師不足の原因は医師偏在。悪いのは大学医局」と言いたいそうです。
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120806260002
……しかし、ここに載っている「二次医療圏ごとの医師数」の図、すばらしく操作的ですね。医師の絶対数ではなくて、それを人口あるいは医療需要(救急車が市の境界を越えることが多い場合はそれを加味)で割らないと正しい「地域比較」はできないでしょうに。
さらに、十月に入って各地で研修医のマッチング(研修病院の採用と研修医の希望のすりあわせ)結果が発表になっています。各地の地方面に続々その記事が載ってますが、たとえば北海道はこんな記事です。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000810170005
広島はこんなの。
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000470810240001
「地元でマッチングによる内定者が少ない」ことに危機感がありますが、ここでも「その病院を希望する研修医が少ない」→「そこに定着する医師が減少」→「医師の偏在」→「医師不足」、という論理の流れが見えます。その流れの延長上に讀賣の「若手医師の強制配置」が浮かぶのは理の当然とも思えますが、大切なのはその「理」が正しいかどうか、根本的か表層的なものか、の検討ではないかなあ。これだとまるで「若手医師の研修先が偏るから、医療崩壊が起きた」なんて変な「理(若手医師の“自分勝手”が医療崩壊の“原因”)」を主張しているようにも見えるのですが。
※本稿とは無関係ですが、ネットで新聞の地方面がいろいろ比較して読めるのは、実に面白いものですね。昔「新聞は一紙(もちろん地方面は住んでいるところのものだけ)」で自分が満足できていたというのが、信じられません。
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患者さんの年齢が自分の親と同世代だと、ちょっと親近感を持ちます。それと同時に自分の親にはまだまだ元気でいてくれよ、と願います。自分と同年代あるいはそれより若い人が入院してきたら、これはまた特別に何とかしてあげたいと思います。思うだけで、行動として別に他の人を差別するわけではありませんが。
大学の同窓会で、新卒者の年齢が自分の年の半分(48対24)になったときには、やはり感慨(正直言ったらショック)を感じました。まだ自分の子どもと同年齢は卒業してきませんが、それも時間の問題です。そのときにはまた別の感慨を持つのでしょうね。
職場には平成生まれは……まだ有資格者の常勤職員ではいないかな? だけど、たとえいなくてもこれも時間の問題です。そしてそのうちに「21世紀生まれ」が社会人として仕事を始めるのを目撃することになるのでしょうね(一応、そのへんまでは現役でありたいと思っています。いえ、住宅ローンとか住宅ローンとか住宅ローンとかがあるもので……) そのときには今の職員は全員「20世紀生まれ」ということで、がんばりましょう。「勝手に十把一絡げにするな」と「若い人」には怒られそうですけれど。
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人は生まれてしばらくはオムツのお世話になります。そして、悲しいことですが、死ぬ前にもオムツのお世話にならなければならないことがあります。
私は老人病棟で紙オムツが使われている光景を、かつて日常の風景として眺めていました。そこで、その紙オムツを自分でも体験しておこうと考えました。これは「自分が他人に行なう医療的な行為はすべて医者である自分でも体験しておくべきだ」などというご立派な考えからではありません(もしこれを本気でやるとなると、手術などの血が流れるようなあるいは放射線療法のような下手すると自分の健康や命に関わる医療行為もすべて我が身で味わわなければならないことになり、とても私の身が保ちません)。知らないから知りたい、というまったく単純な好奇心からの思いつきだったのですが、もしかしたら実際の仕事の上で役に立つヒントが得られるかもしれない、という勘定高い目論見もあったのかもしれません。まあ人の心の深淵は自分でもわからないものですし、案外それほど深い意味はなかったのかもしれません。
私は現物を手に持って、まず看護婦さんやケアワーカーさんに絶対に尿を外に漏らさないような付け方のコツを習いました。自分の子どものオムツ交換は散々やってますが、大人用はどうも勝手が違いますから、まずは慣れた人にしっかり教わっておくべきでしょう。貴重な情報が無料で手にはいるのですから使わない手はありません。特に今回はオムツをつけてその上にズボンを履く予定ですので、絶対に漏らすわけにはいかない、と私の顔はすごく真剣だったことでしょう。
さて、パンツを脱いでオムツを当ててみると、どうもごわごわします。股の間の異物感と動作時のがさがさ感が、とっても邪魔です。履いただけでこんなにとまどいを感じ情けなく思うとは、私は自分が意外に弱いことがわかりました。
さて、排尿ですが……できません。当直室のベッドに身体を横にしてリラックスをして括約筋を開こうとするのですが、幼児期からおしっこはトイレでと躾られた後遺症(?)でしょうか、どうしても出てこないのです。余談ですが、将来骨折などで身動き取れなくなってベッドで便をしなくちゃいけなくなる予定の方は、ベッドの中で排尿や排便ができるようにあらかじめ練習しておいた方が良いかもしれません。
仕方がないので体を起こし、洋式トイレに腰掛けているつもりで少し力みました。やっとちょろちょろと出始めました。それにつれてぽわんと股間が暖かくなります。ちょろちょろじょろじょろとがんばって、なんとか膀胱が空になりました。それほどの異臭はありません。健康な尿にはアンモニアはそんなに含まれていないはずだから臭くないのだな、とちょっとだけ医学的なことを考えながら立ち上がると、股間の異物感は増加しています。紙オムツの吸水ポリマーがちゃんとお仕事をして、水分を含んで膨れたのです。股間にごわごわした分厚い異物が張り付いた感じは、生理時にナプキンを使う女性ならおなじみかもしれませんが、私にはなんとも妙な感覚です。妙な初体験です。
ここでさっさとオムツを外してしまうと「上手く排泄できた、よかったよかった」で終わってしまいますから、しばらく我慢してみることにしました。布オムツと違って紙オムツは表面がさらさらで快適、というのがウリのはずですから、それがどこまで本当かを確かめてみたい、という思惑もありますし、オムツをつけたまま気がつかれずに放置されている寝たきり老人がどのように感じているのかを体験する意味もあります。
とりあえず手を突っ込んで触ってみます。おむつの表面というか内面は特に濡れてはいません。科学の勝利です。TVコマーシャルどおり「さらさら」です。歩いて吸水ポリマーに圧力を加えてみます。もしかしたら水分が逆流してにじみ出てくるかもしれない、と思ったのですが、さすがにそんなこともありません。ただ、膨れたオムツが物理的に邪魔で股関節の動きが制限されるのと、含んだ水分の重さで腰が下に引っ張られる感覚があるのにはどうも違和感を感じてしまいます。
さらに、しばらくすると別の現象が生じてきました。股間が妙にぽかぽか暖かいのです。深部体温と同じ温度の水分が放出されてゲル化して、しかもそれが体表にほぼ密着しているわけですから温度がいつまでも下がらないのでしょう。股間がごわごわしてしかもぽかぽかしているというのは……大変不快です。柔らかい炬燵を股ぐらに当てているのではないのですから。そのうち、湿った感じがでてきました。もう一度私は手を突っ込んで触ってみましたが、別に濡れてはいません。どうも、閉鎖空間で逃げ場を失った水蒸気が、オムツの内側で飽和状態に達してしまったようです。ゲル化しているとは言っても水分は水分ですから、水蒸気の供給に不足はないのでしょう。
ずしりと重くてなま暖かくて湿気ている股間……これはたまりません。
それでも私はしばらく耐えましたが、結局排尿後一時間経ったところでギブアップをしました。暖かくて湿ったコンニャクを股間にずっと貼り付けているような不快感にはもう耐えられなくなってしまったのです。私は軟弱者です。
本当は大便の方も体験するべきなのでしょうが、根性無しの私はもうギブアップでした。「今は便意は無いし」と誰に向かってか一人呟きましたが、さて、それは本当でしょうか?
もっとも、「やる以上はちゃんと大便までやるべきだ」と主張される方がおられたら、どうぞ志願してください、というか、一人で勝手にやってみて下さい。紙オムツさえ手に入れば誰でもどこでも試すことはできるのですから。きっと貴重な体験ですよ。
※昨日のエントリー「産む体位」を書いたことで、前世紀に自分が紙オムツの体験をしていたことを思い出しましたので、当時のメモを探し出してまとめてみました。
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