学生時代、私は試験前夜には(にも)きっちり寝る主義でしたが、一夜漬けでなんとかする主義のクラスメイトもたくさんいました。教室で「早く始まってくれ。せっかく詰め込んだのに、記憶が蒸発するぅ」とハイになって言っている人たちの表情を見ると目がどよんとしていて「なるほど、徹夜というのは大変だね」と私は思いましたっけ。で、試験が済んだら本当に彼らの記憶が蒸発しているのが面白かったのは、別のお話です。ただこういった「一夜漬けでなんとかする主義」で生きてきた(まがりなりにも「成功体験」を重ねてきた)人は、他のことでもそれでなんとかなる、と思うようになるのかな、と私は思っています。「いざとなったら、徹夜で馬力をかけてやれば、世の中はなんとかなるものさ」と。
本日の朝日新聞の天声人語は「当直明けの外科医の手術」について書いてあります。
「日本外科学会の調査では、外科医の7割が当直明けの手術を経験し、うち8割が手術の質の低下を実感しているという。当直明け手術が「いつもある」が31%、「しばしば」が26%」という“データ”が紹介されていて「心穏やかではいられない」という実に素朴な感想がつけられています。ところで、スペースがないから触れることができなかったのか気づかなかったのかはわかりませんが、この“データ”はあくまで「主観的なもの」であることを見逃してはいけません。徹夜明けで本当に能力が落ちているとただハイになって「自分の能力が落ちていること」さえ判断できなくなっている人もいるのです。したがって「質の低下を実感」していることは重要ですが、その「実感の数字」にはあまりこだわらない方が良いです。こういった話をする場合、本当に必要なのは「客観データ(エビデンスとして使えるもの)」です。主観的なデータは、“ムード”や“印象”ではあっても細かい数字を比較できる明確なエビデンスにはなりません。
そして最後の段落には「それもこれも、病院の多忙ゆえだという。医師、看護師、そして病院全体の「心技体」が充実してこそ、気の弱りがちな患者も励まされる。負担の軽減は医療界あげての急務だろう。」
「負担の軽減」には私も賛成ですが……「医療界の急務」ですって? 「医療界の急務」ですって! だったら「医療界」が「負担を軽減します」と自分たちで決めて良いんですね。マスコミは「文句」を言いませんね。なにしろ「医療界の急務」なんですから。ただしその解決策は「夜勤明けの医者は帰します」ではなくて「夜勤そのものをやめます」かもしれませんよ。実際に「救急指定の返上」をする病院はこの“解決策”をとっているわけです。
ところで、ふだんから「救急車の“たらい回し”」と盛んに報道しているのは、マスコミでは?
「すべては医療界の問題」とすることで「おれは悪くないもんね」と言っている姿は、醜いものです(「神話崩壊後の信者たち」に書いた『「僕のお父さんは東電の社員です」 ──小中学生たちの白熱議論! 3・11と働くことの意味』を読んだときと同じ感想です)。片一方では「救急車の“たらい回し”は許さない」と主張することで「医者はもっと熱心に夜勤をしろ」と社会的な圧力をかけ、もう片方では「夜勤明けの手術の質の低下は許さない」と「医者は夜勤明けの手術はするな」と言い、でも(書いていないけれど)「日常的な手術の質量を落とすことは許さない」は“当然の前提”とし、それで生じる矛盾(夜勤明けの医者を帰したら昼の手術チームが成立しなくなる、あるいは病棟が空になる)については「その解決は医療界の急務」と軽くすまして「社会の木鐸」の機能を果たしているつもりなのですから。
しかし……一昨日書いた「若い頃の話」でも同じことを感じましたが、「社会問題についてマスコミ人が何かを社会に発信する」場合、せめて「データを調べる」か「現場で取材する」か、をして欲しいものです。自分の心の中をのぞきこむだけで手軽にすませるのではなくて。
「データ」だったらたとえばこんなのがあります。
・18時間連続で起きていた場合、多くの作業における心的・肉体的パフォーマンスは、あたかもアルコールの血中濃度が0.05%である人(=ほろ酔い状態の人)と同程度の影響を受けるとされる。
・作業者が23時間連続で起き続けた後に行なう作業は、アルコールの血中濃度が0.12%ある人(酩酊状態の人)と同程度にひどいものとなる。
出典『保守事故 ──ヒューマンエラーの未然防止のマネジメント』(ジェームズ・リーズン、アラン・ホッブズ 著、 高野研一 監訳、 佐相邦英・弘津祐子・上野彰 訳、 日科技連、2005年、3200円(税別))
(参考までに、日本酒1〜2合でほろ酔い(アルコール血中濃度が0.05~0.10%)、3合で酩酊初期(あるいは軽度酩酊)(アルコール血中濃度が0.11~0.15%)になれます)
「取材」だったら、新聞社の記者ならお得意でしょ? 東京なら救急病院はいくらでもあるはず。そのどこかの救急室の隅っこに立っているだけでも「現場の雰囲気」はある程度わかるはずです。ただ「一晩徹夜で取材しました。どうだ、すごいだろう」では意味がありません。最低、朝から次の日の夜まで連続40時間くらい立ち続けてください。これだったら、「当直」と称する「夜勤」を間に挟んで連続勤務をする救急担当医の疲労度の100分の1くらいは実感できるんじゃないかな。ついでですが、この場合の新聞記者の体験は「一夜漬け」ですが、救急医はそれが「日常」だということもお忘れなく。1回や2回やった程度では、ちっともすごくありませんよ。
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年を取ると無理が段々利かなくなります。これは自然の摂理で仕方ありませんが、私の場合それを一番実感するのは、当直(夜勤)の“後”です。二十〜三十代には夜起こされまくっても翌日はふつうに仕事ができましたが、四十代には翌日にこたえるようになりました。そして五十代では、たとえ起こされなくても翌日に響くようになり、起こされると数日間その影響が残るようになっています。
前々回の当直では真夜中に2回起こされただけで、その後1週間、昼間にも生あくびがよく出て困りました。この場合には、その平日当直のあとの休日も出勤で休めなかった、というのが効いているのかもしれませんが。
前回の当直では、朝の4時に1回起こされただけでした。これで生あくびが何日続くか、で私の“傾向”が見えるのではないか、と思っています。傾向が見えても対策としては、栄養管理と(もしできたら)休養くらいしか思いつかないのですが。
おやぁ、また朝からあくびが……
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日本中がすっぽり寒気に覆われて、あちこちが大変なことになっています。ぼんやりテレビニュースを見ていて、前世紀に一時期を過ごした雪が良く降る地域の病院でのことを思いだしました。
やはり、全国的に雪が降った日のことです。
私が職員食堂で昼食を摂っているとTVニュースでは今と同じように「首都圏では雪で交通が大混乱、遅刻者多数。滑って転ぶ人が続出して救急車が出動」とやってました。同席した中年の看護師さんが話しかけてきます。
「東京は大騒ぎですね」
「らしいですねえ」
「だけど、たった数センチの雪でしょ? その程度で混乱するってどうなってるんでしょ? こっちでは数十センチの積雪でも遅刻してくる職員なんて一人もいませんけどね」
「したら怒られるでしょうね。まあ、慣れの問題なんじゃないです?」
「それにしても、少しとはいっても雪が積もっているわけでしょ。それなのにわざわざハイヒールを履いて出て滑って転ぶのは、どうかと思いますよ」
「何を履くのがお勧めです?」
「ゴム長ですよ。ゴム長、最強!」
妙な威張り方です。
「お洒落な都民はゴム長をもっていないのかもしれませんね」
「なら、スノーシューズか最低スニーカーでしょう。ハイヒールは手に持って行って職場に入ってから履き替えるのが安全ですよ。そのくらいのことは、いくら雪に慣れていなくてもちょっと考えたらわかりそうなもんですけどねえ」
雪道のカーブで冬用タイヤをドリフトで滑らせながらばりばり車を走らせる地域の人にとって、雪に対してあまりに無防備な地域の人の思考や行動は理解できない、ということなんでしょう。私は雪がほとんど降らない地域で育ったため、そのどちらの住人の言い分もわかるような気がしていました。
「しかし、雪国だったら、数センチの積雪なんてのはニュースにもなりませんよねえ」
「でしょうねえ。そういえば、雪国では雪下ろしで毎年亡くなる人が何人もいるでしょ。そういったことは全然ニュースで流さなくて、東京で滑って転んだ人がいるというのはこうやって全国ニュースで大々的に流すのは……なんだか釈然としないですねえ」
「たしかに。雪国で雪で亡くなる人のことは東京人にはどうでもいいこと、ということなんでしょうか。そんな東京人に興味が湧かないことは地元のローカルニュースでやればいい、ということかも。だったら、東京で滑って転ぶ人のことも、東京のローカルニュースでやれば良いんでしょうけど、マスコミ人は東京にいるわけですから、自分たちにとって価値のあるニュースは全国的にも価値があると思って、ローカルニュースを全国に流してしまうのかもしれませんね」
「あ、それだったら、納得です」
私に思いつきが降りてきました。
「そういや、台風なんかもそうですね」
「台風?」
「去年の秋に、とんでもなく大きなのが九州に上陸してひどい被害をもたらしましたよね」
「ああ、ありましたありました。それも二個も」
「で、その少し後に中型の台風が関東を直撃したんですけど、ニュースの扱いは明らかに九州よりは関東の方が大きかったんですよ」
「ということは?」
「法則ができますね。『災害報道の大きさは、災害の大きさに正比例し、東京からの距離に反比例する』」
「おかだ先生は、シニカルだなあ」
「私の言葉より、現実の方がシニカルなんじゃないです? これはフィクションじゃないんですから」
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私が医者になった頃には、入院目的で病院にやってくる患者さんが持ってこられる開業医の「紹介状」の中には「名刺の裏に『よろしくお願いします』と一行だけ」のものがけっこう多く混じっていました。面倒くさい、ということもあるでしょうが、大体のことが先に電話で話してある場合には、電話で話したこと以上はもう書くことがない、という事情もあったのでしょう。ただこの「名刺紹介状」、扱いに困ります。カルテに貼ると、表を出すと裏が隠れる、「紹介状だから」と裏を出すと表が隠れる。
前世紀末のいつ頃でしたっけ(もしかして今から20年くらい前?)、厚生省が「診療情報提供料」というものを健康保険に設定しました。簡単に言ったら「これからは紹介状を書いたら、その料金を患者に請求できる」(つまりそれまでは「紹介状は無料(書いても書かなくても健康保険での扱いはまったく同じ)」だったのです)。ただし、いくらなんでも便せん数枚に詳しく患者の情報が記載された渾身の傑作と「名刺一枚でよろしくね」とを同じ扱いはできません。そこで「患者の氏名」「既往歴」「現病歴」「所見」など「これだけは必ず記載すること」というひな形が厚生省から医師会を通して示されました。最低限これだけの情報を書けば、料金を請求しても宜しい、と。
こちらは研修医の時から「紹介状や返事は必要十分なデータをきちんと書くこと」と仕込まれましたから、別に何も変わりませんでした(ただ、「ひな形」が使いにくいのには参りました)が、それまで「名刺一枚」に慣れていた人たちは、やはり大変だったようです。
最近、よく患者を紹介し合う病院が改築をして、電子カルテを採用したそうです。当然そこから来る紹介状もコンピューターを通したものになりました。ところが、あるドクターのものだけは相変わらず手書き。「う〜ん、きっと“大変”なんだろうな」と私は思っています。きっと何かの形で「明日は我が身」ですから。
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病院内で患者が急に倒れたら、医者が駆けつけます。
では、病院内で医者が急に倒れたら、誰が駆けつけてくれるのでしょう? 警察?
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麻酔科の医者に「一等席から手術を見守っているので、外科医の腕の良し悪しは自分たちに聞け」と言われたことがあります。たしかに、開腹や開胸手術だったら、最高のポジションに位置しているのが麻酔科医ですから、「見る目」は養われることでしょう。
同様に、薬局でも「医者の腕」を見ることができるようです。
院内薬局の薬剤師たちと飲み会で話をしていて「おかだ先生の処方箋は、調剤がしやすいし、患者の状態の変化が想像しやすい」と言われたことがあります。
「調剤がしやすい」はなんとなくわかります。私が昔勤務していた田舎の小さな病院では、薬剤師が一人しかいなかったため、その人が不在の時とかとても忙しいときには、私は薬局に入って調剤を手伝っていたことがあります(医師免許もちは、こういった時に便利です。薬剤師だけはなくて放射線技師のかわりも合法的にできますから)。そのとき処方箋があまりに複雑なパターン(たとえば、甲薬は朝夕、乙薬は昼だけ、丙薬は朝と寝る前)だと、調剤も服薬も面倒になります。で、そのときに旧式の分包機を苦労しながら使っていた経験があるから、ついつい処方はなるべくシンプルにまとめる癖がついています。あるいは、たとえば粉薬だと、あまりに1回の服用量が多いと調剤も服用も難しい、というのも自分の手と目で確認できているから、それらのことも考慮しながら処方箋を書きます。だから調剤がやりやすいと言われたら、それは素直に「たぶんその傾向はあるだろうな」とは思えます。
ただ「患者の状態変化」は……どんな医者でも患者の状態が変化したらそれに合わせて処方も変えます。だから処方箋から状態変化は想像するのは簡単なはず……と思っていたら……わかりやすいようにシンプルな例にしましょう。便秘気味の人に下剤を出していたとします。で、その人が急に下痢になった。まず医者が考えるのは、下剤の効きすぎ。だから下剤を減量または中止します。それでも下痢が続いたら(そして、おそろしい病気でなければ)次は整腸剤や下痢止めを出すことになります。ところが中には、下剤を中止せずに下痢止めを出す医者がいます。すると薬局では「下剤と下痢止めと両方出ていますが?」と首を捻って照会をすることになるわけです。で、私の場合には「下剤と下痢止めの両方が出る」場合が少ない、ということでした(残念ながらゼロではありませんが)。
あ、「下剤と下痢止め」はあくまでわかりやすさ優先のたとえです。実際にはもうちょっと複雑な話になります。
こういった話をしていると、処方箋を通してこちらの頭の中を見透かされているようで、ちょっとコワイ感じではあります。まあ、こういった緊張感を持って仕事をしたら、少しはミスも減るのでしょうけれど。
ちなみにこの時は、褒められただけではなくて「字の汚さ」はしっかり怒られました。ごめん。
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先月のことです。
落語の八っつあんやら熊さんが「ご隠居ご隠居、てえへんだ」と長屋に駆け込んでくるみたいに、研修会から帰ってきた褥瘡対策委員会の委員(看護師)が嬉しそうに私に“ご注進”です。「先生先生、大変です。ワセリンはもう時代遅れだと言われました」。
「じゃあ、何が最新なの?」と私。
「セラミドだそうです」
「セラミドって……聞いたことがあるけど、何だったっけ?」
「……何でしたっけ?」
「いや、聞いてきた人がそれを私に教えてくれなくちゃ」
う〜みゅ、私は“長屋の物知りご隠居さん”ではないようです。
そこで思い出しました。聞いたことがある、というか、見たことがあったのです。病棟の流しの脇に最近置かれるようになったハンドローション容器に「セラミド配合」と書いてあるのを。
そこでしばらく試してみました。おや、意外と良い感じです。指のカサカサがなんとなくしっとりしてきたような。これはたしかに皮膚の保湿目的には、使えそうです。
ちょうど「褥瘡対策マニュアル」が全面改定中だったので、セラミドもその中に入れることにしました。委員全員で半年掛けて取り組んでやっと第一回目のマニュアル総ざらえが終わったところでしたが、急遽追加。来月あたり第二回目のマニュアル総ざらえができたら、今年度中には新しいマニュアルの発行とそれを全職員に周知徹底するための研修会が開けそうです。あ、ワセリンはどうしようかな。いくら「時代遅れ」と言われても、使い道はありますから残しておくことにしましょう。
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私は時間の浪費が嫌いです。ただ、私が私の時間を浪費するのはまだ我慢できます。自分の問題ですから。あるいは、他人が好んで自分自身の時間を浪費する、これは個人の問題ですからどうぞお好きに、です。でも、他人が私に私の時間の浪費を強制してくれるのは、嫌いです。大嫌いです。
たとえば……間投詞や独り言ばかりでなかなか主題に入らない電話、20秒の電話1回ですむ用事を2分間の電話3回に“分割”する、人が揃わないことを理由に始まらない会議、その会議での無意味な“演説”、などなどなどなど、「だらだらと人生を浪費したいのなら一人でやってろ」と呟きたくなる場面はけっこうあります。ああ、人生って、耐えることなのね。
で、今回のお題は「生命保険会社の診断書」。
診断書の記入そのものは“私のお仕事”ですから、もちろんきちんとやります。今回は、氏名や生年月日や住所の欄は記入済みだったので機嫌良く書き始めました。病名、発病年月日、初診年月日、既往歴、発病時の状態と経過、紹介医について、こちらの初診時の状態と経過、入院期間、治療内容……ここまではちゃきちゃきと書いていきます。いつものことですし保険金支払いのためにはたぶん必要なデータでしょうから。しかしここで私の手が止まりました。
「入院した病気が、悪性腫瘍・糖尿病・心疾患・高血圧・脳血管障害・肝疾患・腎疾患、の場合には、病名・発病日・入院期間・治療内容についてあらためてもう一回記載をしろ」と求められたのです。
「あほくさ」と私は呟きます。
すでに「病名・発病日・入院期間・治療内容」については紙の上の方に書いています。それとまったく同じことを同じ紙の別の場所に繰り返し書くことに、どんな意味があるというのでしょうか。まだ「入院した病名は以下の6つのどれかに該当するか?」と丸やバツを書くのだったら、データ処理上必要なのだろう、と思えます。手間もそれほどかかりません。もしも「他の疾病で入院中に上記の6つの疾病の治療が必要になった場合」を想定しているのなら、「その場合にはその状態と治療期間を追記せよ」で良いでしょう。しかし、すでに書いたことと全く同じ項目を繰り返し書かせることは、単に、時間とインクと労力の無駄でしかありません。どうしてもデッドコピーをしたいのなら、デッドコピーをしたい人が自分でデッドコピーをすれば良いのです。他人にデッドコピーをやらせるのではなくて、ね(これが手書きではなくてコンピューター入力だったら、私の気分はまだ平穏だったでしょう。範囲指定してコピーすればすむことですから)。
アクサ生命保険という会社が何を考えているのかは私にはわかりませんが、そこはかとなく不愉快にはなれました。私は他の生命保険会社に入っているのですが、そこの診断書は大丈夫だろうなあ。私が入院したときに担当医を不必要に不愉快にするものではないかな? ちょっとチェックをする必要があるかしら。
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私の子供時代、「女の腐ったような男」という、男だけではなくて女にも失礼な悪口がありました(男尊女卑が前提の悪口ですから)。で、私の身近で一番その言葉を使っていたのは私のお袋だったという……(苦笑)
「男女平等」「男女共同参画推進」とかで、「女性の社会進出」が日本では推進されているのだそうです。で、ネットを見渡せば、「女性管理職をもっと!」と言う人もあれば「女性管理職は、どうも……」と言う人もいます。
ただ「女性管理職」というくくりでまとめるのはどうなんでしょうねえ。世の中ではまだまだ「女性管理職」は少数派のようで、少ないからこそ「特定のパターン」で見られてしまうのではないか、と私には思えます。だってパターン化するには数が多すぎる「男性管理職」は「男性管理職特有の反応」とか「男性管理職ならではの行動」なんてことは言われないでしょ?
ところで私が就職したのは特殊な世界で、「女性管理職」が当たり前でした。なにしろ「看護師」ではなくて「看護婦」の時代でしたから、病棟(外来)の主任・婦長・看護部長はすべて女性、がふつうだったのです。さすがに男性の“社会”進出が盛んな影響で、21世紀になって男性の主任・師長には出会えましたが、男性の看護部長にはまだ会えていません。まあ、時間の問題でしょうけれど。
ただ病院での「女性管理職」はあくまで「看護婦」の世界での話で、事務職での課長級以上とか、医師の部長・副院長・院長は基本的に男ばかりでした。看護部長(女性)が副院長に、というのは前世紀の末くらいから時々聞くようになりましたが、まだまだ少数派でしょう。あくまで「看護の世界」での管理者、という位置づけになっているように私には思えます。
医者に関しては、現在の医学生の男女比(厳密に数えたわけではなくて私の印象論ではおそらく女子が30%(以上))だと近い将来医者の管理職にも女性が大量に進出してくることでしょう。ただこちらでも、私の見聞の範囲内では「M字型曲線」(女性就労率が、出産・子育て世代でがくんと下がる)が効いてしまうはずです。ここを何とかするためには、出産や子育てへの社会的支援が必要になるはずですが「医師の偏在」としか言わない人にはそんな発想は望めないでしょうね。ちゃんとやればものすごくわかりやすく「医者の数」(それも働き盛りの世代)が増やせるのですが。
あ、もう一つの“解決法”がありました。「男と同じ(出産・子育てをしない)女」という選択肢です。これでもM字の落ち込みは解消できます。ただそれは女性に対して「男が腐ったような女」になることを求めることになるんじゃないか、とも思えるのですが。
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最近になって「36協定」「管理職」「時間外手当」「当直手当」などのことばによくお目にかかるようになりました。まあ、働いた分だけはいただける、のは悪いことではないのですが、そうなると次に生じる問題は「ちゃんと払ってもらっているかどうかの確認」です。時間外の時間が合っているかどうかとか手当がちゃんと5割増しになっているかどうか、とか。
なんだか面倒くさいなあ、と思ってしまう私は最初からそういったものを請求する「資格」なし?
20世紀、ある病院では、給料日になると看護師さん(当時は看護婦さん)が一斉に給料袋を開封して給与明細をチェックしている姿がありました。何事か、と聞くと小さな声で「計算ミスのチェックです。毎月必ずあるんです」と。他の看護婦さんにも確認したら、夜勤とか休日出勤とか、何かが必ず一回分抜けて記載されている、とのこと。これがたまに、だったら「ミス」ですが、全員に必ずなにか一回分が、となると「意図」を感じますね。チェックしないでそのままの人にはそのままの(本来より少ない)支払いですまそう、という意図を。もちろんタテマエは「単純な事務ミス」ですから、訂正を申し出たら即座に訂正されます。それはそれで良いのですが、結局、看護婦さんと事務と、両方に余計な手間が発生しているわけです。なんだかわざわざ手間をかけて士気を下げているだけのような気がしましたっけ。それでも少しでもお金が“節約”できた方が嬉しい、という人がどこか上の方にいたのかもしれませんが。
そういえばその病院では私も何かお金がらみで不愉快な思いをした記憶がありますが……詳しいことは忘れました。こんなのほほんとした人間は、これからの生き馬の目を抜くような(時間外などは精密に請求し間違いがないかどうかの確認をしなければならない)世界では、生きていく資格はないのかもしれませんね。
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