最近TVの「エンタの神様」によく出てくるスリムクラブは「フランチェン」というネタをやって笑わせてくれます。お笑いコンビのはずなのに、画面に出てくるのは一人だけ、という不思議なネタですが、これはおそらく、藤子不二雄の漫画「怪物くん」に出てくる「フランケン」のもじりでしょう。顔色が悪く怪力の大男でとぼけたキャラが共通しています。
で、その原典はもちろんメアリー・シェリーの『フランケンシュタインの怪物、あるいは現代のプロメテウス』です。「フランケンシュタインは怪物の名前ではなくて、その怪物を作った博士の名前」は有名なトリビアですが、それでも怪物のことを「フランケンシュタイン」と呼ぶ人は多く、世間ではほとんどそれが通称になってしまっています。これはメアリー・シェリーがその怪物にきちんと名前を与えなかったのが悪いのですが、実はこれもまた怪物が置かれた境遇をみごとに描写しています。感情的に高ぶるとすぐに気絶したり熱を出して何日も寝込んでしまう、マッド・サイエンティストとしてはきわめて線の細いフランケンシュタイン博士は、理性と科学によって生命(それも知性を持つ生命体)を創造したのに、覚醒した「彼」に命名さえせずに世界に放り出してしまいました。きわめて残酷で無責任な行為です。そして、フランケンシュタイン博士の残酷さや無責任さと、世間の荒波(醜い外見だから虐められた)によって怪物は無慈悲な「怪物」に育っていきました。
そのへんは、原作を読めばすぐにわかりますし、だから私は「怪物」をフランケンシュタインとは呼びませんが(というか「怪物」と言うことにもためらいを感じます)、「オリジナル(あるいはその翻訳)を読む」よりも、二次作品やパロディを見て原作がわかった気になる行為の方が、世間では人気が高いようです。(ちなみに、すぐ手に入る「フランケンシュタイン」は、『フランケンシュタイン 痛快世界の冒険文学 (3)』『フランケンシュタイン (子どものための世界文学の森)』……どちらも子ども向けですが。英語だと『Frankenstein―フランケンシュタイン (洋販ラダーシリーズ)』。洋書なら各種あります。以前は文庫本が各社あったのですが、今は絶版中のようなのが残念です)
フランケンシュタインに限らず、「オリジナルを読む」は、医者にとって(に限定できません。あらゆる「学」の徒にとって)重要な行為です。ニュートンの言葉を借りてくるなら「我々は巨人の肩に立っているからより遠くが見渡せる」(巨人の肩(=前人の業績の集積)から出発するからこそ、自分はそこよりさらに上へと進歩することができる)はず。したがって、何かを為そうとする人間は、自分が何者であるかを語るためには自分が実際に「何」の上に立っているのかをきちんと確認しなければなりません(「自分の仕事は隅から隅まですべて自分のオリジナル」と主張する人はそういった確認作業は不必要ですが、まったくなにも先人の業績に負わない人はまず存在しないはずです。「車輪や歯車は自分が再発明した。火も自分が再発見した」と言うのなら話は別ですが)。したがってまっとうな「学の徒」は、孫引き文献だけではなくてその出発点である「オリジナルの論文」を読むことを求められます。孫引き論文が「伝言ゲーム」で歪められていないことを確認するためにもその作業は必要です。
私が研修医になって数ヶ月後に担当した患者さんは、持病の他に不思議な不整脈を抱えていました。いろいろ調べて、これはどうも昔ParkinsonとPappが報告したヘンテコな不整脈らしい、とわかったのですが、それを聞いた指導医は、褒めてくれると同時に初めてその不整脈が報告されたオリジナル文献を読んでおくこと、と私に命じました。英語は苦手なのですが、当時は素直だった私は早速文献を探して読みました。たしか第二次世界大戦ころのもので、載っている心電図も古風な感じでしたっけ。
それからさらに数ヶ月後、他の科のカンファランスに参加していたら若い医師が「自分の患者で、癌が心臓周囲に浸潤することでParkinson & Papp syndromeを起した」と報告しました。で、なぜか私に向かって「ParkinsonとPapp、知ってるか?」との質問が。「ええ、でも彼らのオリジナルには、心臓には器質的変化は認められない、とあったと記憶していますが」と私(つまり、癌によっておきた不整脈は例外になるのではないか、という指摘です)。一瞬妙な雰囲気があたりを包んだような気がしましたが、きっとそれは私の気のせいでしょう。
何も知らないぺーぺーをだしにして、勉強の大切さを説こうと思ったらアテが外れてしまって「生意気な奴め」と思われたか、それとも「おかだは意外に勉強家だ」と感心されたか、私としてはできたら後者であって欲しいとは思いますが……あ、それはそれで困りますね。だって勉強家だから「そのこと」を知っていたわけではなくて、たまたま偶然読んでいただけ、だったのですから単なる「誤解」ですもの。
そうそう、「文献はオリジナルさえ読んでいれば安心」ではありません。診断基準などはデータが集積されることでどんどん変化します。だから「Parkinson & Papp syndrome」という言葉自体が現在でも存在するのか、あるとしてもその定義がどうなっているのか、は定期的に学会などの報告を追跡していないとわからなくなります。もちろん私はこの病気が現在どうなっているのかは知りません。
ほら、勉強家じゃないでしょ。
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どうして関節がポキポキ鳴るのかについて、納得のいく説明を私はまだ聞いたことがありません。
もしかして、人体の神秘ですか?
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ロイターのニュースです。
「コーラの殺精子効果研究など受賞=イグ・ノーベル賞」
私の青春時代には「性交後にすぐコーラで膣洗浄したら妊娠しない」という伝説が流布されていて、それに対して「それは都市伝説」という主張も流され、私は「コーラで洗えば妊娠しない、はウソ」と信じていました。だって、物理的に膣を洗浄するのだったらコーラでなくても良いでしょうし、いくら膣内を洗浄しても子宮の中までは洗えませんからさっさと子宮頚部の粘液の中に入ってしまった精子にはあとからいくらコーラが追いかけても効果は出ない、と考えたからです。大体、コーラで洗ったら、あとがベタベタしない?(したことないから違うかもしれませんが)
あ、ここに書いてあるのは「殺精子効果」であって「避妊効果」ではない! もしコーラに試験管の中で精子を殺す効果があったとしても、体内でも精子を殺せるとは限りません。CNN.co.jp「「コカ・コーラの避妊効果」研究にイグ・ノーベル化学賞」ではもう少し詳しく紹介されています。こちらはなんだか、両論併記ですけれど。
もしもコーラに避妊効果があって、それが殺精子効果によるものだとしたら、精子とコーラが出会わなければなりません。上でも書いたように「後追い」では無理。ならば、ソフトカプセルか何かにコーラを詰めてあらかじめ膣内に設置。射精と同時にカプセルが割れてコーラと精子が混じり合う、というものだったら「コーラで受精阻止」はできそうです。でもやっぱり後がべたべたしそう(笑)。砂糖抜きの“それ専用”コーラでも作ってもらいます?
手っ取り早く「コーラを飲んだら、避妊ができる」が実現できたら、イグ・ノーベル賞とノーベル賞のダブル受賞も夢ではないかも。
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先日同僚のドクターが「変な手紙をもらった」と見せてくれました。ある学会から来た「論文の掲載料を振り込め」という手紙です。その学会は実在しています。でも問題が。そのドクターはその学会に論文を投稿したことがありません(そもそもそこの学会員ではありません)。そして文面が怪しさ爆発。「論文の掲載料を払え」と言うのに、雑誌の名前・何巻の何号なのか・論文のタイトル・掲載年月日などの情報が全然ありません。お金だけはしっかり数字が書いてありますが。つまりこの手紙を日本語に翻訳したら「あわて者やうっかり者は、さっさと銀行に入金しろ」です。銀行口座の名義は、学会の「前」会長、ということになっています。わはははは。しかし銀行は、こんな怪しい口座開設でも、平気で引き受けるんですねえ。
※論文掲載料というと、「学会誌に論文を載せるのにお金がかかるのか」と驚く人がけっこういて、こちらが逆に驚きます。昔は雑誌によっては掲載料は無しのところもあったのですが、最近はどこも懐が苦しいらしく、投稿して論文審査が通って掲載が決まったら、数万円〜十数万円の掲載料を振り込まなければならなくなりました。もちろんその場合、どの論文の掲載料かはちゃんと事務局から通知がありますし、振込先も「前会長の学会名義の口座」なんて変なものではありません。私は不勉強者で、この5年くらいは論文を書いていませんが、その原則は今でも変わっていないはずです。
私も医師として「振り込め」の手紙をもらったことが(記憶にあるだけで)二度あります。一度は「セクハラをしているだろう。内部告発すると言っている被害者の証言を押さえてやるから金を払え」。わははと笑って、まずは院内に見せびらかして歩きました。見た人は皆笑うか「セクハラ? 脅す相手を間違えましたね」と言ってくれるか、でした。私はセクハラをしていないことだけには、自信があるのです。だけど、セクハラをやりまくっている人は、ぎょっとして「あいつか、それともこいつか」と疑心暗鬼になってついうっかりお金を振り込んでしまうかもしれませんね。おっと、筋金入りのセクハラ野郎は「あれはスキンシップだ」くらいの認識でしょうから、逆にこの詐欺には引っかからないかもしれません(ついでですが、私は職員への「スキンシップ」もやりません)。
受験シーズンに「医学部の裏口入学の枠が余っているからご紹介」という手紙が届いたこともありました。これまた見た瞬間「わはは」です。そんなものを不特定多数に紹介したら「秘密の裏口」にならないじゃないですか。金だけ取って逃げるつもりであることは明々白々です(しかもこの場合、警察に「詐欺にあいました」と言いに行きにくい)。紙面にはなんとも頭の悪い日本語が並んでいて「こんな文章を書く奴に自分の子どもの将来を託したいなんて絶対思わないぞ」と内容を吟味する前にまず拒絶感を感じましたが。また、「医者の子どもは医者になりたがっている」という決めつけも気に入りません。
どちらも速攻で警察の生活安全課に手紙の現物を届け、県医師会の事務局にも知らせておきました。
そうそう、セクハラをしない私の子どもは、文系です。詐欺師の皆さん、悪しからず。(私は親の意向には無頓着に自分がなりたいものになりましたから、私の子どもも親がなりたいものではなくて自分がなりたいものになればいいのです)
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石川県で認知症グループホームにカメラを設置して入居者を監視するシステムを開発しようとしていたら、グループホームの全国組織が反対を唱えて、研究は中止になった、というニュースが朝日新聞(20日の夕刊、あるいは21日の朝刊)にありました。
http://www.asahi.com/national/update/0920/TKY200809200081.html
研究そのものはこれのようです。
http://www.jaist.ac.jp/~fuji/papers/sugihara/41thWIT_sugihara.pdf
話は単純に見えます。「人を機械で監視するとはなにごとだ。プライバシーの侵害ではないか」でおしまい。あるいは「機械を使わなければならないくらい介護保険の現場は追い詰められているのだ」でも良いでしょう。
それでもいいのですが、敢えてちょっと突っこんで考えてみます。
私が想定しているのは「あなたはグループホームに一人で夜勤をしています。××さんがトイレで失敗をしてそのお世話と後始末をしていて、ふっと気がつくと夜になると徘徊をするくせのある○○さんが部屋にいないことに気がつきました。さて、どうしましょう」といった状況です。
グループホームでの監視システムの目的は、人手不足を補うこと、でしょう。「ちょっと目を離したすきに」をなくすために、徘徊をする人にそれでなくても数が少ない職員が集中していたら他の入居者への対応やサービスがおろそかになってしまいます。入居者へのサービス向上がプライバシー保護とのバーターになってしまうのは、他の入居者の立場から考えたら、本当に望ましいことなのでしょうか。となると、解決策は、本当はカメラではなくて人を増やすこと、ですが、政府は金をけちっていますからねえ。
ただ、「カメラ」を毛嫌いする必要はこの場合にはないように思います。肉眼による見守りとカメラによる監視に本質的な違いはありません。どちらも「監視」なのですから。で、本当の問題は、監視のあとに(徘徊で外に出ようとする人を止める)行動制限が控えていることです。行動の制限が存在しないのなら、監視していてもそれこそ「見てるだけ〜」ですからそれは大した問題ではありません。もしプライバシーが大きな問題だとしたら、そのあとにつづく徘徊の抑制(=行動制限)はもっと重大な人権侵害と言わなきゃいけません。さらに「肉眼による見守り」を24時間べったりやるのは、これまた重大な人権侵害になりません? もし私が24時間べったり誰かに見張られていたら、いくらそれを「温かく見守っているからOK」と主張されても、苦痛です。それとも認知症の老人にはそんな主張をする権利はないのかな。
カメラの利点もあります。たとえば「○○さんの姿が見えない」となったとき、カメラがあれば私はまず玄関のカメラの録画をチェックします。HDDレコーダーだったらその場で録画しながら過去の再生ができるはずですから。最後に○○さんが目撃されてから現在までの玄関の画像に○○さんの姿が映っていなければ、探すべき場所は屋内、と限定できます。しかしもしも○○さんの出て行く姿が映っていたら、屋内を探すことは無意味です。職員が外を探す、ボランティアに頼む、警察に届けを出す……本人の状態とそのときの状況次第ですが、そのとき重要なのは「映像情報」です。プリンターで打ち出した画像は、本人のそのときの服装やヘアスタイルが一目瞭然です。これは捜索の時に大きなメリットになります。本人を知らない人も捜索の戦力として使えます。(まさかとは思いますが「捜索の時にも個人情報は明かしてはならない」なんて主張をする人はいませんよね)
そうそう、グループホームに侵入する泥棒に対する抑止力としても監視カメラはある程度は期待できるでしょう。
なお「勝手に出て行かないように、玄関に簡単に開かない鍵をかけておけば良いんだよ」という主張は却下します。監視でさえ人権侵害なのでしょう? 鍵をかけて人をその意思に反して監禁するのはもっと重大な人権侵害ですよ。
とまあ、ここまでは「監視システム容認」の立場で考えてみましたが、そこで思考の向きをぐるっと変えてみます。
文科省の研究費を使っていたそうですが、そもそも「システム」をわざわざ1000万円もかけて開発する必要があるのでしょうか。既存の監視システムの流用で十分だと思えるのですが。
それと、監視カメラがあっても事件は防げません(美術館での絵画盗難事件などを見ていてそれは強く感じます)。専任の警備員を配置していても、慣れや疲れや退屈からモニター画面をきちんと見ていない(重大なことがモニター画面に映っていても見逃している)例が実は非常に多いのです。ましてグループホームでは職員が業務をしながらモニターを見ることになります(24時間モニターの前に座らせておくような余分な人手はありません)。したがってどんな優秀な監視システムを開発しても、現場は十全な監視とはほど遠い状況になることが容易に予想できます。要するに「この監視システムを導入するにしても結局人を増やさないと意味がないかも」ということです。どうしてもシステムにするのだったら、複数のグループホームからの回線をまとめて一カ所の集中監視室で、というのだったら実用的かもしれません。モーションセンサーの画面だったら複数でも監視員のストレスは少ないでしょうし。
ネットで見る限り監視カメラのセットは安いものなら数十万円で買えそうですから(自分で工事したらもっと安くなるかも)、どうしてもカメラ監視をしたい施設は「グループホームセット」などの販売を待たずに自分で設置して、入居時に本人とその保護者にその説明をしてOKの人だけ入居、で良いんじゃないかなあ。すべての施設が同じサービスである必要もないでしょうから、いろんなポリシーの施設があっても良いでしょう。
ただ、「安全」か「プライバシー」か、という二者択一的な問題の立て方が窮屈には感じます(まして、「プライバシー」という“錦の御旗”を振り回してそこで思考停止になるのは、結局現場の疲弊を招くだけと私は考えます)。それよりも、その二つがどこかで妥協できる(できるなら両者を同時に満足させる)ポイントを探れませんかねえ。もっともそれが簡単に見つかるのなら、こんなにいろいろ考える必要はないのですが……
ただ一つのキーワードを振り回すことで思考停止になる“楽な道”は選択したくはないので、もうちょっと考えてみます。
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タイトルに「毎日」が入っているので、毎日新聞の記事を引っ張ってきました。
「子宮体がん:「毎日コーヒー」で減 1~2杯で効果、発症率4割低く--厚労省調査」
厚生労働省研究班の大規模調査(40~69歳の女性約5万4000人を約15年間追跡)で「コーヒーを毎日1~2杯飲むグループは、週2日以下しか飲まないグループに比べ、子宮体がんの発症率は4割少なかった。毎日3杯以上飲むグループは6割も少なかった」という結果が出た、とのことです。
「をを」とどよめく声があちこちに上がっているだろうと私は想像しますが、私にはいくつか気になることがあります。
まずは「伝言ゲーム」。
「コーヒーで子宮体癌予防」→「コーヒーで子宮癌予防」→「コーヒーで癌予防」→「コーヒーで癌が治る」なんて「伝言」の変遷が容易に想像できるのですが、これは私の想像力が豊かすぎますか?
さらに私が思い出すのは、上に書いた伝言ゲームとは少しニュアンスが違いますが、「お焦げやワラビ・ゼンマイに発癌性」というかつての大きな報道です(これを覚えている方は多いと期待します)。私の記憶ではこれは動物実験の結果で、しかも人間に換算したら毎日どんぶり一杯以上の量を食べさせたら、という結果だったはずです。さらに言うならお焦げに関しては「獣肉の焦げた部分」には発癌性が、というものだったはず。それがいつしか「ご飯のお焦げも危ない」とか「山菜を食べたら癌になる」とか言う人が登場することになりました。(そういえばこのことに関して、マスコミでは続報がありましたっけ?)
統計処理をどのようにしたのかについても気にはなりますが、記事ではそのことは無視されているので何とも言えません。母数が多いからおそらくむちゃくちゃ変なことにはなっていないとは思いますが。ただ、多変量解析をしている気配が記事からは見えないのが、ちょっと気になります。
次は「コーヒー」。豆の産地によって効果に差はあるのか、とか、濃さは影響しないのか、とか、インスタントとレギュラーで差はあるのかないのか、とか、知りたいことはどんどん出てきます。
また、癌が単因子で発生する(あるいは阻止できる)ものならコーヒーにだけ注目すればいいのかもしれませんが、その場合でも「発生原因」を放置してから「予防」に熱心なのは片手落ちに感じます。「できるよう」にしてから「できないよう」にするよりも、最初から「できないよう」にした方がステップが少なくて楽でしょ?
次は「子宮体癌」。コーヒーで子宮体癌が予防できるのが真実だとして、では他の癌についてはどうなのでしょう。他の癌は減っているのか、変わらないのか、あるいは逆に増えている癌はないのか。(特に今回の研究対象は女性だけですが、どうせなら男性も入れておけば面白い結果が出たかもしれないのに、と感じます。研究が一方向にだけデザインされていた、ということなのでしょうか) 少なくとも「コーヒー」が“善玉”かどうかは、そこまで目配りしないと何とも言えません。さらに言うなら、癌以外の病気(たとえばメタボリック症候群)に対する影響はどうなのか、も気になります。
作用機序は記事中には「コーヒーでエストロゲンやインスリンの濃度が下がること」が可能性としてあげられています。これ、メリットの人もいるでしょうがデメリットになる人も多くありません? たとえば更年期障害とか糖尿病の人。さらに、コーヒーを一日1〜2杯飲むだけで、血中のエストロゲンやインスリン濃度が有意に低下するものなのでしょうか。もしそうだったら、人体の内分泌環境に大きな影響を与えるということで、コーヒーは「実はコワイ飲み物」になっちゃいそうです。ただ、もしも「生理的な変動以外に、1日に1回でも2回でもエストロゲンやインスリンの濃度がほんの少しでも下がることが、子宮体癌の発生を阻止する」のだったら、これはこれで癌研究に大きな一歩をもたらすことになります。研究者の皆様には頑張ってもらいたいな。合間にコーヒーでも飲みながら。
※非医療職の人には「子宮体癌」も「子宮癌」も区別がつきにくいでしょう。でも、記事の中にも書いてありますが、数が多く「子宮癌検診」の対象となっている「子宮頚癌」と、数が少なく発見が難しい「子宮体癌}とは「別の病気」と言って良いものです。そのことは押さえておいてください。
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もちろんこの病気自体は今でもあります。それどころか「リウマチ科」という、私が医者になった頃には存在しなかった標榜科まで登場しています。ただ、リウマチ科は、整形外科と内科とではちょっと病気に対するアプローチが違うんじゃないかな、なんて思いますが、そのへんはどうやって整合性をとっているのでしょう?
ま、知らないことについてごちゃごちゃ言わずに、本題の「慢性関節リウマチ」です。学生時代に私は「rheumatoid arthritis」という病気を「慢性関節リウマチ」と習いました。医者になってからもずっとそう言ってきました。(書く時には「RA」と略して書くことが多かったですが) ところが、
日本リウマチ学会のサイト「一般向け医療・医薬情報」を見ると、2002年に「慢性関節リウマチ」から「関節リウマチ」に病名が変更されているではないですか。(ここだけの話ですが、今回ここを見るまで私は知りませんでした) 詳しい経緯については不勉強な私の文章よりは学会の公式文書を読んでもらった方が確実ですが、要するに……
それなりの理由があって1962年に「慢性関節リウマチ」が学会が定める公式用語になりましたが、ラテン語のpolyarthritis chronica progressiva(直訳したら、進行性慢性多発関節炎、かな)にも英語のrheumatoid arthritisにも該当しないわが国独自の和語であり、かつ、「慢性」が実際の病態とは食い違っている、ということから、改名(「慢性」を取る)が行われた、ということのようです。2002年の第46回日本リウマチ学会総会で「関節リウマチ」を正式名称とする声明が発表され、これに伴って、2006年に厚生労働省による特定疾患の名称も「関節リウマチ」に変更されているそうです。
私も「慢性」を取ることには賛同しますが、どうせ直すのでしたら「リウマチ」も直して欲しかったと思います。だって英語の原語は「Rheumatoid」。「-oid」は「〜に似ている」の接尾語です。つまり素直に訳したら「リウマチ様(さま、ではなくて、よう)」ですよ。「まるでリウマチのような関節炎 = リウマチそのものではない」が原語の主張なのです。だから「リウマチ様多発関節炎」が一番原語にも“実態”にも近いような気がするのですが、これは専門家じゃない素人だからそう思うだけなのかなあ。
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書誌情報:『メタボリックシンドロームと生活習慣病 ──内蔵肥満とインスリン抵抗性』編集:島本和明(札幌医科大学医学部第二内科教授)、診断と治療社、2007年、5500円(税別)
日本人男性の4人に1人はメタボリックシンドローム、と聞くとぎょっとして思わずお腹を触ってしまいます。私のウエストはまだ基準以下ですが、運動不足から内臓に脂肪がたまっていることは間違いないので、この話は他人事ではありません。
肥満・高血圧・高コレステロール血症・高中性脂肪血症・耐糖能異常・高インスリン血症など動脈硬化の危険因子は多く知られています。1988年Reavenはそれらの共通基盤としての「インスリン抵抗性(とそれに基づく高インスリン)」に注目し「シンドロームX」と名付けましたが、循環器領域に造影検査で所見が見られない狭心症の「シンドロームX」があったため、区別するために「metabolic syndrome X」としました。「メタボリックシンドローム」という呼称の誕生です。Kaplanはインスリン抵抗性に肥満(それも上半身肥満)が深く関連していることを指摘しました。その他「インスリン抵抗症候群」や「内臓脂肪症候群」などの概念が提唱されました。WHOがメタボリックシンドロームの診断基準を発表したのは1988年のことです。
日本では、疫学研究などから2005年に診断基準が公開されました(日本内科学会・日本動脈硬化学会・日本肥満学会・日本循環器学会・日本高血圧学会・日本糖尿病学会・日本腎臓病学会・日本止血線溶学会の合同委員会)。目的は日本人の心血管疾患予防。有名な「腹囲が男85センチ、女90センチ」ですが、これは実際に腹部断面検査から内臓脂肪量を割り出して決定された数字です。ですから本当は一人一人お腹のCTを取って内臓脂肪の面積を計測する方が正確なのですが、検診ではそれは無理ですから腹囲で代用しているわけです。だからこの数字自体は将来改訂される可能性があります
脂肪組織は単なるエネルギーの貯蔵庫ではなくて、アディポネクチンなどのアディポサイトカイン(血管に作用する活性物質)を分泌する“生きた臓器”です。かつて消化管がホルモン分泌臓器であることが明らかになったことは、当時の生理学者や医学者にはけっこうショッキングなできごとだったと大学で教わりましたが、「脂肪組織よ、お前もか」ですね。アディポネクチンは抗動脈硬化作用がありますが、高インスリンが来る前に低アディポネクチン血症が認められるそうです。もしかしたら高インスリンをきたすメカニズムにアディポネクチンが関与しているのかもしれません。
肥満とインスリン抵抗性の関係にはいくつかの仮説が紹介されています。内臓脂肪は皮下脂肪よりも血中遊離脂肪酸を増加させやすくその脂肪酸を筋肉が取り込んで脂肪酸化をすることで糖の取り込みが抑制されインスリン抵抗性が生じる「ランデルサイクル」。肥満者の肝臓ではグリコーゲンが蓄積し、それが逆行性にインスリン依存性の糖新生を抑制する。大型脂肪細胞から分泌される腫瘍壊死因子TNFーαがインスリン抵抗性を生じる。それからアディポネクチン。
インスリンは腎尿細管に働いてナトリウムを貯留する傾向があり、また、交感神経の活動を亢進させます。高インスリンはレニンーアンジオテンシン系を活性化しますが、アンジオテンシンIIはインスリン抵抗性を増悪させます。その結果高インスリンがもたらされそれがレニンーアンジオテンシン系を……みごとな悪循環です。さらにインスリンは、インスリン受容体を介して血管平滑筋細胞を増殖させ、アンジオテンシンI型受容体やエンドセリン受容体を発現させて動脈硬化を促進する可能性が報告されているそうです。
尿酸自体が心血管障害のリスクファクターですが、高尿酸血症(痛風予備軍)の合併もメタボリックシンドロームのリスクをさらに高めます。肥満者の調査では、皮下脂肪増加型では尿酸排泄が低下している人が大部分ですが、内臓脂肪型では尿酸産生亢進が過半数。門脈中の多量の遊離脂肪酸が肝臓での中性脂肪合成を高め、それに伴って尿酸産生も亢進しています。治療にはそのへんも勘案する必要がありそうです。
「メタボリックシンドロームを治す薬」は、ありません(もちろん使う場合に薬の作用機序を考慮する必要はありますが)。
まずは生活習慣の是正です。運動療法と食事療法で肥満(内臓脂肪)をなんとかしたら、インスリン抵抗性は改善します(運動をするだけでも改善します)。それは高血圧のコントロールにも有効です。「メタボ」とつぶやきながら腹を触ったりちょっと腹筋運動をして何かをした気になるのはやめた方が良さそうです。
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先週上京したとき、長男と山手線に乗ろうとキップを二枚買おうとしたら「あ、僕チャージしてるから」と言われてしまいました。はいはい、君は都民ですICカード(SUICAって言うんでしたっけ?)を持ってるのね、と由緒正しい田舎者としてひがみそうになりました。まあ、私が住む地域もこの前からJRではICカード(名前は忘れました)が使えるようにはなっているのですが、普段鉄道に乗らないから持つ必要を感じていないのです。
で、一昨日内科学会から会員証が送られてきました。脳外科学会だったか、クレジットカードとの一体型の学会会員証というのがありましたが、おお、こちらはICカードです。ついに私もICカードを持てる身分になりました。(ついでにまだ年会費を納めていないことを思い出して、郵便局に走りました)
これだとたとえば学会講演会などでの学会認定医の出席証明手続きが簡単にできるようになるのかな、と期待します。ただ、自分で表に写真を貼らなきゃいけません。はて、適当な大きさの写真があったっけ? 今の病院に就職するときに履歴書に張った写真が残っていたかも、と思いますが、探すのが面倒。デジカメで撮ってプリントアウトして、それを切り取って貼り付けようかしら。あ、同封されていた写真保護シールもその上から貼り付けるのですね。褥瘡に貼り付けるフィルム材を思い出してしまいます。
……こう書いていると、せっかくのハイテクICカードなのに、ローテクなにおいがするのは、なぜでしょう? カードの問題ではなくて、それを持つ人間(=私)の問題?(……書くんじゃなかった)。
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内科学会に参加するために上京しています。
11日(金)の早朝には小雨がぱらぱらでしたが、学会が始まる時間にはもうやんでいました。コートとカサが邪魔です。普段締めないネクタイで呼吸困難です。もしかしたら顔がむくんでいる?って、それは締めているのではなくて絞めているのかな。靴も、普段私が履いているウォーキングシューズではない革靴なので、なんだか足が窮屈です(ついでですが、私は病院内では早足にはなりますが走らないので、ジョギングシューズではなくてウォーキングシューズを愛用しています。いくら緊急事態でも、走ると、誰かにぶつかったり階段から落ちてかえって遅れるし、年のせいか走ったらすぐ息が切れるのでせっかく数秒早く駆けつけてもはあはあぜいぜいでは脳が酸欠で役に立たないからです)。
しかし上京するたびに思うのですが、東京の人はよく歩きますね。というか、歩かざるを得ない環境になっています。地下鉄の乗り換えなんか、ウォーキング大会ですか?とききたくなるくらい歩くことがあります。私の地元なら車でひょいのドアツードアなのに、と思います。で、半蔵門線と有楽町線との乗り換えを失敗して一駅乗り過ごしてしまったりしたせいか、発表が全然頭に入りません。東京の大気汚染のせいか、はたまた歩きすぎで脳に酸素が足りないのか、などと医学的な思考にふけります(現実逃避とも言います)。そもそも、「内容」以前に、使われる「ことば」が理解できないのです。若い発表者さん、せめて略号を使うのは(少なくとも他の科では別の意味で使っているものは)やめてください。お上りさんがお願いしますだ。ぺこぺこ。
さらに、学会会場に設けられた書籍売り場を物色していたら……『医師アタマ』という本を発見。あらら、厳密には違う文字列ですが、読みが私のブログ「いしあたま(医師頭)」と同じではありませんか。先人に敬意を表してこちらを改名することにしました。
第一候補は「転医師苔むさず」……「石」を「いし」と読むのならいいのですが、本当は「せき」ですから却下。第二候補は「医師の上にも30年」……厳密には30年ぴったりではないし「上」でもありません。却下。次に思いついたのは「医師も歩けば棒に当たる」……意味不明です。
で、最初に帰って「転がる石は苔むさず」の「石」を「イシ」にすることにしました。初志貫徹(?)です。タイトルは変わりましたが、中身は変わっていませんので、これからもご愛読のほど、お願い申し上げます。
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