私が高校時代に不思議に思ったことは多々ありますが、その一つが応援団の存在意義です。私の学校では、体育祭とか運動部の体外試合の時にはずいぶん大きな態度で目立っていましたが、ふだんのグラウンドではどこにいるのかわからない存在でしたから。“本番”の時だけ目立つ行動をして注目を浴びるとは、ふだんから黙々と練習をして試合に備えている運動部員の立場は?と思ったのです。日常の練習の時から練習をサポートすること、それが「応援」の本質ではないかなあ。そういった日常的な努力をせずにいるのは、他人が努力してしつらえた“舞台”の良いところ取りでしかないと思っていたし、今も思っています。
つまり、“本番”だけではなくて、日常的な目立たない部分への実質的な“応援”をする「応援団」があっても良いのではないか、というのが私の感覚です。
で、学校の運動部ではなくて病院でも「応援団」は必要ではないかと私は感じています。現在の病院はどこもほとんどはぎりぎりかつかつの状態で運営をしています。するともしかしたらこれからの数十年の間の“生存競争”で、そういった「応援団」がついているかどうかが、病院の生死を分けることになるかもしれません。
「病院の応援団」と言っても、たとえば手術室で「手術、がんばれ」とチアリーダーが踊っているとか、外来待合室で「おっす」と言いながら太鼓を叩いているとか、そんなことを期待しているわけではありません。
病院に必要なものは(というか、ほとんどの企業に必要なものは)人・もの・金・時間・情報です。すると「この地域にはこんな病院が欲しい」という地域のNPOやボランティア団体がそういった方向になるように病院を支援するとか、スポンサー企業が金を出して病院で広告活動をするとか、そんなことが始まると本当の意味での「地域の中での病院」が誕生するかもしれない、と私は思っています。もちろん「こんな病院は要らない」という意見表明でもいいです。だったら他のところに資源を集約できて助かりますから。
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病院や医者を相手の医療民事訴訟での“勝率”がどんどん下がっているそうです。勝っても負けても弁護士には最低限の収入は保証されているわけですから、勝率が下がることはそれほど問題にはならないのかもしれませんが、“無駄な努力”を続けることは(「着手金はもらえるから、“無益”ではない」と言えるかもしれませんが)、たとえば魂には悪影響があるのではないか、なんていらぬ心配をしてしまいます。
それでも「悪い医者を罰する(少なくとも訴訟で不愉快な思いをさせてやる)」ことに人生を賭けている弁護士は好きにすればいいと思いますが、「社会正義を実現する」ことに興味がある弁護士に朗報です。勝率100%の医療関連民事訴訟があります。
「勤務医が誤魔化された時間外手当を取り返す訴訟」です。
この前のトヨタの病院での例を見ると、一人数百万円は確実。しかもあれは「付加金」はなしでの計算ですから、付加金がつけば「数百万円×2」。少ない金額のようですが、集団訴訟で同じ病院の医者をまとめたら、一挙に1億円の訴訟にすることが可能です。(机上の試算をしてみましょうか。365日×10万円から実際に支給された「当直手当」分を差し引いた金額が1年分の時間外の未払いです。とりあえず2500万としましょう。同額の付加金をつけたら5000万円。時効が2年だから2をかけて1億円。ただしこれは「医者一人が“当直”」の場合で、医者が複数の場合はさらに人数分をかけることになります)
弁護士の皆さん、いかがです?(医者を罰したい専門の人は除く)
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労働基準監督署があちこちで指摘しているようですが、三六協定を結ばずに夜勤の医者を「当直」と称して労働基準法に違反して安くつかっている(正当な時間外手当を払っていない)病院が日本には多いそうです。昨年は奈良県で「産科医当直は違法な時間外労働 奈良県を書類送検 労基署」があり、今年は「時間外賃金訴訟で和解 刈谷の病院」(中日新聞)なんて訴訟が起きる時代になっているわけです。
さて、その賃金の不払い(というか、ごまかし分)が日本中の病院一年分で大体どのくらいになるか、どなたか試算してみられません? マスコミの皆さんは、ネタが枯れているときには「とんでもない数字の大きさ」で読者をびっくりさせる、という効果が得られるかもしれませんよ。(ちなみに「1回の夜勤で10万円の人件費」という試算があるそうです。
「休日・夜間の救急診療を宿日直ではなく時間外勤務とした場合,当直料はいくらになるのか」(江原朗、日本医師会雑誌 2009年第138巻・第4号 )
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「うつ」と「そううつ」は別の病気です。漢字で書いたら「鬱」と「躁鬱」で「躁」がくっついているだけですけどね。
私自身、目の前に「鬱の患者」が現われたら、場合によっては自分で治療をすることも考えますが、「躁鬱」の場合にはためらわずに即座に精神科へ紹介します。躁鬱病(双極性障害)は統合失調症と東西の横綱を張る二大精神病の一つです。統合失調症が治療できる医者(施設)だったら躁鬱病の治療に手を出すこともできるでしょうが、内科医の私は統合失調症に手を出さないのと同様、双極性障害にも手を出さないことにしているのです。
躁鬱でものすごく分かりやすいのは、サインカーブのように躁と鬱が代わる代わるやって来る人ですが、世の中はそんな典型例だけで成立しているわけではありません。特にわかりにくいのが、鬱がメインで気分が上がってきたところがほんのちょっとだけの躁(軽躁状態)の人。これ、本人も回りも「落ち込んでいたけれど、やっと元気になったね」という認識になってしまうことがままあるのです。もちろん元気になるのは良いことなんですけどね。
こわいのは「躁転」という、急に鬱から躁状態に突入してしまうことです。で、鬱だと思ってうっかり抗うつ薬を無造作に使っちゃうとこの躁転が起きることがある。だから「鬱」と「躁鬱」はきちんと区別した方が良いのですが、それがなかなか難しい。(実際に、何度も躁転を繰り返してはじめて診断がつく、という例がけっこう多いそうです)
なお、本人が嫌がると精神病院への入院は基本的に難しいのですが、医療保護入院とか措置入院といった強制的な入院手続きもあります。身近の人で躁鬱病ではないかという人がいた場合、本人と周囲の苦痛を軽くするためにも、精神科へ相談されることをお勧めします。
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「国立がん研究センターがハイリスク手術手当を創設」(CBニュース)
「医者にこれ以上金をやるのか」とお怒りの向きもあるでしょうが、嘉山理事長がリスキーな手術を担当する医者に対して「これでもっと高額の医療事故保険に入れ」というメッセージを発しているように、私はこのニュースを読みました。深読みしすぎかもしれませんが。
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最近読み始めた、医療系痛いニュースを集めたブログ「ssd's Diary」の記事「紀南初」は痛いというか笑ってしまうニュースでした。
「ICD植え込み手術成功 地域で初、紀南病院が発表 和歌山」(産経ニュース)
なんだ、ソースは産経かアテになるのかな、と思って検索をかけてみたら、あら、他の新聞にも。
「除細動器埋め込み成功/紀南病院」(朝日)
「除細動器植え込み成功」(読売)
心室頻拍や心室細動には治療に電気ショック(昔だったら病院にしかないカウンター・ショック、最近だったらあちこちにあるAED)が必要です。ところが心臓が発作を起こすたびにAEDを探し回るのは大変なので、リスクが高い人には最初から小型のAEDを胸に埋め込んでおこう、というのがこのニュースで扱われている「ICD」。
いや、すごいことができるもんだな自分専用のAEDを埋め込んで持ち歩けるのか、と思いますが(棒読みモード)、(例によって)引っかかることが二つ。
1)一体新聞のこの記事のどこが“ニュース”なんだろうか? それと各紙が一斉に報道する目的はなに?
2)なんで病院はわざわざ「埋め込み成功」を発表したのだろうか?
1)……私が初めてICDのことを聞いたのは地方の医師会の講演会で、約25年前のことです。某大学の胸部外科の教授から、不整脈の種類とそれに対応する各種の埋め込み型ペースメーカーについて説明があった後話題がICDになり、これはアメリカではすでに使われている、という内容の講演でした。で、日本での臨床試験が始まったのはそれから数年後のことです。それにしてももう20年の“歴史”が日本にはあるわけです。医者は論文の審査では「この論文のノイエス(英語だとnewness、新しさ・それまでの論文にない独自性)は何だ?」とぎゅうぎゅう責められますが、上記の「新聞ニュース」の「ノイエス」は一体何なんでしょう? それに各社横並びで報道しなければならないほどの報道価値がどこにあるのか、私には見えません(私の目が節穴のせいかもしれませんが)。
2)……病院としては初めて成功した、ことは価値があるでしょう。その病院にとっては、ですが。だけどわざわざいくつもの全国紙に発表することなんだろうか、とか、ICDの「成功」とは「埋め込み手術が上手くいったこと」よりも「埋め込まれたICDが“いざ鎌倉”のときにきちんと機能して救命できた」の方ではないか、と私には思えます(もちろん埋め込み直後にテストをしてちゃんとICDが稼働するかどうかは見ますが、あくまで医師の管理下でのテストと不測の事態とでは“重み”が違うはずです)。まあ、よその病院の事情は私には見えませんが。
実は私が勤務する病院でも以前にこのICDを埋め込まれた方が入院していて、入院中に心臓発作が起きてちゃんとICDが稼働した様子でした。もしかしてこれにも“報道の価値”があります?日本中に発表するべき? 私から見たら「わざわざ新聞発表すること」というよりむしろ「日常」に近い話題という感覚なんですが。
私自身が一番今回の「ニュース」で報道価値があると思えたのは、読売の記事中「県立医科大付属病院(和歌山市)は同手術ができる認定を受けた県内唯一の医療機関だったが、昨年8月、資格を持つ久保隆史医師が転勤、手術ができなくなった。代わって、久保医師が現在勤務している紀南病院が今年1月、認定を受けた。」の部分でした。「日本の医師数は不足していない(偏在しているだけ)」論者の人たちは、この“ニュース”をどう評価するのかな、と思いましてね。で、「強制配置」論者の人たちは、この久保医師をまたどこかよそに強制配置したくなりました?
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先日のある集まりで、様々な地方の小さな公的病院が変動の波に洗われている実情をいろいろ知りました。
たとえば……病院が民間に売られて職員が一挙に総入れ替えになった/病院が来年度から無床診療所になる/病院が19床の有床診療所になった(診療所だから当直の義務はないのだが、入院(入所?)患者がいるので放置できない、と、医師二人が交互に隔日で当直をしている)/常勤医師が半分に減ってしまったため残った医師が疲労困憊/医師ががくんと減ってしまったため個人的ツテを頼って診療の応援を要請したら行政が行政区画を越えての応援はいかがなものかなどと難癖をつけた……各地で病院のダメージは確実に増加し続けています。
総務省をはじめとする行政はとにかく自分の目の前から「赤字病院」が消えればそれで機嫌がよいのでしょうが、それで日本の医療は本当に大丈夫? 地方の医療を危機的状況に陥れるよりも、きちんとした整備を考えるのが行政の仕事だと思えるのですが。
私の個人的感覚では、「郡」というのは生活圏としてはちょうど良い規模に感じられます。ですから一つの「郡」に一つの一次救急病院、いくつかの郡(や小さな市)を集めて二次救急、三次救急は県に数箇所、というのが適当なビジョンではないかと感じられるのですが、行政からそんな「計画」が示されていましたっけ?(特に「郡」のところ) ついでですが、上記の二次救急では、県境は無視して良いと思っています。飛地もあるし歴史的に県境を越えての交流が深い地域もありますから(行政官でそういった「境界」に異様に拘る人がいますけれどね)。となるといっそ県境にこだわらせないために道州制の導入を、と言いたくなりました。
※上を書いていたら「常勤医師」が突然「常勤医死」に変換されてしまい、ぎょっとしました。ATOKもなにかいろいろ感じているようです。単に“疲れ”が貯まっているだけかもしれませんが。
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書誌情報:『図集 日本の病院建築』日本病院建築協会 編、1976年(80年2刷)、11000円
今は良い時代で、私が住む地域では、国立・市立・私立の特定の大学の図書館から、その大学に無縁の一般市民でも本を借りることができます。この本も、ある大学図書館の「建築」の書棚で眠っていたのを借りだしてきたものです。
本書は定期的に出版されているもののようで、前の図集との違いがいくつも指摘されていますが……「個室が増えた」「将来の増改築を見込んだ設計が増えた」「防災の配慮が見られるようになった」「患者の療養環境や職員の勤務条件を良くしようとする動きが見える(例:談話室、看護婦休憩室)」「便所が男女別になってきている」……いやあ、時代を感じることばです、特に「便所」のところなんか。76年と言ったら昭和51年。すると昭和50年より前の病院ではけっこう男女共同トイレがあったということなんでしょうか。ふ〜む。
本書には北は青森の弘前市立病院から南は沖縄の琉球大学保健学部付属病院まで42の病院が、地形図や配置図、内部や概観の写真、設計図(平面図)などで紹介されています。実は私が内部を昔うろうろしたことがある病院も複数あって、ちょっと懐かしく見つめてしまいました。
同じ設計の病院はありません。それは当然です。そもそも地形が違うし、病院の機能・規模、そして予算によって制限がいろいろ加わりますから。さらに病院独自の“哲学”もあります。どのように病院の機能をグルーピングして切り分けるか、分離したものをこんどはいかにまとめるか、それに従って患者と職員の動線をどのように配するか、そういった“ソフト”を建物という“ハード”で表現するわけですから(なんだかややこしいことを言ってしまいましたが、自分が外来または入院患者、あるいは面会に来た人間やそこの職員となったらどのようにそこを動けるか、と想像してみたら良いだけのことです)。
ただ、やはり時代は強く感じます。たとえば6人部屋がまだまだ主力であることや、廊下の狭さ。それから「カクカクしている」こと。外観もですが内部もまっすぐな線だらけです。地面に打ち込んだ支柱のスパンをいかに有効利用するかばかり考えてあるようで、定規で引いた線だらけ。人の動きやすさとか事故の予防のためとか、あるいは単なるデザイン上の理由とかでの曲線の採用がほとんど見られません。兵庫県立こども病院や北里大学病院にちょっと角度の遊びが見られる程度。センスが良いなと思ったのは倉敷市児島市民病院です。支柱の配置にも工夫があり、設計者が相当頑張ったな、と思える設計図です。
病院というのはただの建物で、その中で患者が幸せになれるかどうかは“ソフト”の力が非常に大きいとは思いますが、その“ソフト”が力を発揮できるかどうかには“ハード”の影響も大きいわけで、ですからこういった設計図の公表は、テロ対策など何らかの支障がない限り全病院でやっても良いんじゃないかなあ。
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私が医者になった頃、ある銀行関係者がこんなことばを教えてくれました。「内科一億外科二億」。
医者が開業するときに必要な資金のことでした。
「もし私が開業するとしても、一億なんてないですよ」と言うと「だから銀行から借りて、ローンで返すんですよ。がっぽり稼げば一億なんてすぐです」。とても気軽に言われましたっけ。
土地を買うのか借りるのか自前か、場所は都会か田舎か、建物は新築か居抜きか、医療機器は購入かリースか、人を何人雇うか、などで条件はガラガラ変わりますから、数字そのものに厳密な正確性はないでしょう。ただ、「医院開業には億単位の金を覚悟する必要がある」「外科は内科より開業に金がかかる」が銀行内部での“常識”(だからビジネスチャンス)だったということはわかりました。今は医療機関は「儲かるところ」ではなくなっているので、銀行の態度も違うでしょうが。
そういえば、最近の医師不足に関連して「病院で医師を一人雇えたら、1年で一億円稼いでくれる計算が立つ(逆に言えば、医者が逃散したらその分減収になる)」ということばも聞きました。もちろんチーム医療の時代ですから「医師個人」が直接そのすべてを稼ぐわけではないでしょうが、それでも勤務医は相当“稼いでいる(病院に貢献している)”ことは確かなようです。
あちらも一億こちらも一億。私はなんだか複雑な気分です。どちらにしても、私の懐とは無関係なので、ますます複雑。
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「出産一時金:10月開始の新制度に産科開業医ら悲鳴」(毎日)
>>厚労省保険局総務課は「現時点で制度導入に変更はない。低利で融資する同省所管の福祉医療機構を紹介している」と説明する。
10月と11月に収入が激減するところは、福祉医療機構から借金しろというわけです。それでつないで12月にめでたく収入(本当だったら10月に入るべきだったもの)が復活。でもそれは10月の借金返済に充てなきゃ。あら、すると12月はどうやって乗り切ります? また借金。1月。この月の収入は11月の借金返済に……あら、また借金です。厚労省が、産科医への支払いをわざと遅らせること(モラトリアム?)によって、自分の所管する機構の利息収入を増やすわけ。ところで「所管」ということは、天下りも当然うようよいますよね。すると、役人と元役人が結託して産科からピンハネ……いやあ、阿漕な商売ですなあ。
で、一般国民の反応は……ちらちら読んでみたら「2ヶ月くらい我慢しろ」「それくらいで悲鳴を上げるところは潰れてしまえ」「いやならやめろ」というのがけっこう多いですねえ。「自分は2ヶ月くらい給料が遅配しても良いから他人もそうでしょ」と言えるくらい豊かな人が多いのか、「資金繰り(ショートさせないため)の苦労」の存在を知らないのか(私も経営者ではないから本当のところはわかりませんが、すくなくともその存在は知っています)、医者がひどい目に遭うのがとにかく嬉しくてたまらないのか(ただこの記事は、毎日にしては珍しく「医者敵視」の論調を相当抑制しています。「多少潰れてもかまわない」くらいは思っている雰囲気がにおいますが)。
以前住んでいた町内(わが家のホンの目と鼻の先)の産婦人科、一人の医者で(手術の時には麻酔科などの応援を頼む)一ヶ月に15人くらいの出産を扱っている零細でしたが(私の次男もそこで生まれました)、そこも普段の生活ぶりから類推すると金庫に余裕資金が現金でうなっているような雰囲気ではありません。だとすると、あそこも来月は融資を受けるか定期を解約するか、はたまた廃業するか…… こういった真面目にやっている零細をどんどん潰して儲かっているところだけを残したい、という厚労省の意図は、日本の産科医療崩壊に吉凶のどちらを生み出すのでしょう? いや、「集約したい」ならそれで良いです。ただその意図を明示して欲しい。お金をこちょこちょいじってこそこそ“誘導”するのではなくて、ね。
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