子どもの頃に大人が「あれだよ、あれ。わかんないかなあ、あれ」などと言っているのを私は不思議に思っていました。ところが最近私も順調に年を取り、単語の想起力がみごとに落ちてきています。まだなんとか「あれ」の連呼ではなくて言い方を変えることでなんとか相手にわかってもらうように努力ができていますが、さて、この“迂回回路”もいつまで使えるかはわかりません。
で、そのことを家内に言うと、喜んでいます。家内は「自分は頭が悪い、亭主(説明は不要でしょうが、私のこと)は頭が良い」と思いこんでいます。で、亭主の頭が悪くなったら釣り合いが取れてコミュニケーションが良くなる、と言うのです。
山の神(説明は不要でしょうが、家内のこと)に逆らうようですが(というか、逆らいますが)、私はそうは思いません。頭が悪いもの同士だと話は通じませんもの。観察したらわかりますが、あれは「会話」ではなくて「独り言の交換」です。話が通じるのは片方あるいは両方が「頭がよい者」の場合です。頭が良ければ相手のレベルに合わせて言葉の調整ができるのですから。もし頭が悪いもの同士で話がかみ合っているとしたら、それは両方(あるいは片方)の性格が非常によい場合です。ですから私と家内のコミュニケートは、危機にあります。だって、私の性格はとても良いとは言えないものですから。家内もそのことには深く肯いています。
おやぁ、珍しく二人のコミュニケーションが成立しているよ。
固定リンク
|
コメント (3)
|
トラックバック (0)
日本語は柔軟な言語で、外国語もどんどん取り込んで「日本語」にしてしまいます。最初は違和感があっても、そのうちに誰もがその新しい単語を平気で使うようになり、さらに略語が定着したらその言葉は「日本語になった」と言えるようですが、逆にきちんと日本語にならずにいつまで経っても「横文字」のままで使われる言葉もあります。もちろん「リストラ」のように、略語で使われ完全に日本語として定着しているけれど本来とは違った意味で使われる単語も珍しくはありませんが、私は「日本語」になったんだから本来とは違う意味になるのも仕方なかろう、と考えています。
私が住んでいる日本の医療界にも英語の単語がほとんど生のままでどんどん取り入れられています。もともと日本の近代医学が『解体新書』で西洋の医学用語をそのまま取り入れることで始まったわけですから、西洋の言葉を取り入れることは日本医学の「伝統」と言っても良いでしょう。ただしそこでも、日本語になるものとならないものとがあります。たとえば「インフェクション」は「感染」という日本語で問題なく使われていますが、「インフォームド・コンセント」「セカンド・オピニオン」「チーム医療」などは、きちんと日本語化されているようには私には見えません。それらの言葉はもちろん広く使われていますが、略語もできず人によってまったく違った意味で使われているように私には見えるのです。その大きな原因は、言葉そのものの問題ではなくて、言葉が示す概念が日本にこれまで存在していなかったためにそのことばが日本語として定着しないのだろう、と私は考えています。問題は「言葉」ではなくて「概念(言葉の中身)」なのです。
では前記のそういった新しい概念がなぜ定着しないのか。私は「医師ー患者の人間関係」に注目したらそのへんが読み解けるのではないか、と考えてみました。
私が医者になって違和感を感じた言葉の一つは、患者や家族からの「おまかせします」という一言です。外来の診察室で、病棟のベッドサイドで、私はこれまでの医者としての人生で幾度となくこの言葉に出会いました。「細かい要望は言いません。すべてドクターの裁量で動いてください」という意味だと私は「おまかせします」を解釈します。つまり、医者が独裁者となることを求められる、と。これは私としては困るのです。私は情報の共有を好みます。自分が最善を尽くすのは当然ですが、その最善の方向について最大限に患者側の要望を入れて自分が独走しない(自分の好みを他人に押しつけない)ようにしておきたいのです。それがインフォームド・コンセントの基本でしょう。しかし一度「おまかせします」と言われたら、その瞬間にインフォームド・コンセントは消滅します。
また、口では「おまかせします」と言っておいて、陰では「ちっともこちらの思うとおりの治療をしてくれない」なんて言われるのも堪りません。だって、私にはテレパシー能力はないのですから、口に出して言ってくれないことは聞こえないのですよ。
しかし、そういったタイプの医療を好む医者も、もちろん多くいます。「主治医である自分の方針にごちゃごちゃよそ者が口をはさむな」「『自分の患者』が自分に黙って他の医者にかかっただと? わかった、俺はもう知らん」「俺の言葉が信じられないのか」……なんだかとっても独占的で排他的、かつ「主治医が患者より上」という封建的な匂いがぷんぷんします。
もちろん「需要」があれば「供給」もあるわけで、患者の側にもそういった独占的・封建的な人間関係を好む人もいます。
そこに存在しているのは、患者から医者に対しては「私はあなた一筋。すべてをあなたに賭けるからあなたもそれに応えて欲しい」、医者はそれに対して「わかった。自分にすべてまかせなさい」。これはいわば一対一の「恋人型」の人間関係と言うことができるでしょう(医者から見たら一対多ですが)。
その結果、他の医師にかかるということは「浮気」となり、患者は後ろめたい気持ちを持ちながら他の医療機関の門をくぐり、それを知った主治医は「俺の顔を潰した」と怒ることになるのです。日本でセカンド・オピニオンという制度も言葉もきちんと定着しにくいのは、この「恋人」意識が強いせいではないか、と私は感じています。そして、主治医の患者独占意識があまりに強いと、当然のことですが、他の職種のメンバーが治療に関与するチーム医療も成立しません。
二十世紀末の「高機動幻想 ガンパレード・マーチ」という非常に面白いゲームに登場する、一見プレイボーイタイプの瀬戸口というゲームキャラクターがよく口にするセリフは「恋人は一人しか持てないが親友なら何人でもOK」です。プレイボーイがこんなセリフを言うとはなかなか意味深ですがそれはともかく、そろそろ日本の「主治医ー患者」も「恋人タイプ」から「親友タイプ」に脱皮しても良いのではないか、と私は思います。つまり、一対一の独占的封建的排他的な人間関係から、多対多の濃密だが独占的ではないある程度開かれた人間関係に基づく医師—患者関係です。こういった人間関係を作る覚悟を多くの患者も医師も持つことができたら、その時日本の医療は新しい局面を迎えることができるのではないか、と私は期待しています。そうしたら、「インフォームド・コンセント」「セカンド・オピニオン」「チーム医療」などは、今よりもっともっとポピュラーなことばになることができそうです。
固定リンク
|
コメント (1)
|
トラックバック (0)
昭和の頃の思い出です。いくつかの事例をまとめ、フィクションと記憶の変質が入っています。
「ご臨終です」
私は静かに頭を下げました。人の生き方は様々、そして人の死に方も様々です。そしてその死を迎える家族の態度も……
「お姉さん、早速だけどあの珊瑚の帯留め、私がもらうわよ」
病室にけたたましい声が響きます。
「ええ〜、だったら帯は私のよ」
「駄目よ、帯がなかったら帯留めだけあっても仕方ないじゃないの」
「だったら指輪で我慢しなさいよ」
「お前ら、臨終の枕元だぞ。そんな形見分けの相談は後にしろよ」
「何言ってんのよ、お兄ちゃん。昨夜はちゃっかり遺産の計算してニコニコしていたくせに」
私はさっさと部屋から退散することにしました。入院したときにこの患者αさんがハンドバッグを大切そうに抱えて誰にも触らせなかったわけが分かるような気がします。そのバッグも今開けられて中から貯金通帳が取り出されています。「ちぇっ、8桁なかったか。でもやっぱりしっかり貯めてたな」そんなせりふも耳に入ってしまいました。聞きたくもなかったのですが。
生者に対してというより死者に対する礼儀として部屋の出口で黙礼をした私は、喧噪の外側、病室の隅にぐったりと坐っている人を見つけました。αさんの長男のお嫁さんです。本当に疲れ切った風です。それはそうでしょう。入院以来毎日病室に通って本当に熱心にαさんの世話をしていたのは彼女だけです。他の、今あさましく枕元で形見分けの争奪戦を行なっている実子たちが何度も病院から電話をした結果やっと顔を見せたのは、αさんが亡くなる前日になってからで、それでも「まだ生きているじゃないか。なんで死ぬ五分前に呼んでくれないんだ。それだったら死に目にもあえるしこちらの時間も無駄にならずにすむ」と不平タラタラでした。長男は病院に来るなり「死ぬのは病院の責任なんだから、ちゃんと責任取って葬式を出してくれるんだろうな!」と要求していました。「ガンの末期がどうしようもないのは病院の責任ではありません」と断られると「それならせめて火葬して骨にしろ。それくらいはできるだろう」と要求をダウンしてそれでも食い下がっていました。
この有様を見たらαさんは死んでも死にきれないだろうな、と私は思いましたが、同時にそのように子供たちを躾けたのもαさんなのだから、仕方ないのか、とも思いました。どちらにしても他人の親子関係ですから、私にはどうしようもありません。
そして、私はもう一つのことにも気がつきました。この部屋で涙ぐんでいるのは、お嫁さんだけです。実子たちは体力を温存していて元気いっぱいです。
αさんの入院生活は一年以上だったので、長男のお嫁さんとのつき合いもそれだけの長さだったことになります。義母の介護と家の仕事と子育てに本当に忙しそうでしたが、盆や正月に彼女はもっと忙しそうになっていました。「里帰りがありますから」と言い訳をしながらいつもより早く病院から帰っていく姿を目撃したことがあります。翌日も彼女は一人で介護に現れていましたから、自分が里帰りをするのではなくて、つまりあの実子たちが家族を連れて実家に帰ってくるのでその世話も大変だった、ということなのでしょう。
目に見えるようです。「やっぱり育った家が一番だわ」と盆や正月に実家に帰って、そこのお嫁さんに家事を全て押しつけてのんびりしている人たちの姿が。そして、忙しく働いているお嫁さんは「自分が育った家」に帰れないわけです。さらに義理の親の看護・介護をすべて行なったお嫁さんに、遺産相続権はありません。これではまるで「貧乏くじ」です。
民法では、実子すべてに親の面倒を見る義務があるはずです。「自分は嫁に行ってこの家を出たから」とか「次男だから」というのは、自分の親の面倒を長男の嫁に押しつける正当な理由ではありません。しかし、かつての家制度の残滓を自分にだけ都合よく使って、自分がするべき義務を断り切れない他人に押しつける人間が当時の日本にはたくさんいました(もしかしたら今もいるのかな)。いわば、人の好意につけこんでいるわけ。だけど、そうやって人の好意につけ込む人間は、いざこうした形見分けや遺産相続の場合には自分の「権利」だけはちゃっかり主張するものなんだなあ、と私はつくづく思います。
だけど、そういった人たちの子どもたちが「自分の親がその親をどう扱っているのか」を見て育ち、そしてそこから「自分は将来自分の親をどう扱えばいいか」を学んでいるのだろうな、と、私はちょっとだけ気になってます。
固定リンク
|
コメント (3)
|
トラックバック (0)
医者の世界は一応男女平等です。仕事や待遇や給料に男女差はありません。論文でも、その内容は評価されますが、書いた人間の性別はその評価には無関係です。
ならば医者の世界が、労働条件で男女平等に関してはユートピアかと言えば、それは違います。よく忘れられてしまいますが、医療は社会の中にあります。治外法権の世界ではありません。つまり、社会の問題はそのまま医療の世界にも投影されるのです。ですから社会の中の男女差別の問題もそういったものの一つとして、そのまま医療の世界に存在しています。
たとえば幼稚園や学校で「子どもが熱を出した」。このときまず呼ばれるのは、大半が女性です(例外もあるでしょうが、少なくとも私がこれまでの人生で見てきた「夫婦とも医師」の場合は圧倒的にそうでした)。「子育ては女性の仕事」という“社会のルール”が医療の世界にも存在しているからでしょう。で、「すみませんすみません」と謝りながら早く帰る女性医師はかげで(あるいは公然と)「だから女はあてにならないんだ」と言われます。
だけど、この場合には「子供を迎える」という“仕事”は、女性がいわば押し付けられているわけです。女に押しつけておいて、“それ”を女がやったら「ほら、だから女はあてにならない」と言うのは、ちょっと無理がありません? だったら男が子供を迎えに行って「だから男は」と言われたら、男はどう思うでしょう。(少なくとも私がそう言われたら「だったらお前がやれよ」と思います……下品な口調で、失礼_(._.)_)
そうそう、「社会」の側にはまた別の問題もありますよ。
私が若かった頃病棟回診をしていたら、私の受け持ち患者××さんの隣のベッドの患者□□さんが「いいなあ、××さんは毎日回診があって。おれなんか入院してから一回も主治医が見に来ないんだから」とぼやいていました。あれ?と私は思いました。だってそちらの主治医は私以上に熱心に病棟を回っているのを知っていましたから。で、廊下に出たらちょうどその医者が歩いていたので「○○先生、□□さんが回診を希望されてますよ」「え~? さっき話をしたばかりなのに」 で、好奇心旺盛な私はくっついて室内にUターン。「ちょうどそこで□□さんの主治医の○○先生に会ったから声をかけましたよ」と恩着せがましく□□さんに。で、□□さんは……「え~っ、この人が主治医だったの。おれは看護婦さんだとばかり思っていた。そういえば着ているものが違うなあ」……
相手が女というだけで、目にうろこが二~三十枚張り付いてしまって見えているものも見えなくなってしまう人も世の中にはおられるようです。
固定リンク
|
コメント (5)
|
トラックバック (0)
結婚したら……子どもはまだ?
子どもができたら……男はまだ?
子どもが育ったら……親のところにもっと連れて行かないのか?
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
結婚24年目に無事突入できたことを祝って、久しぶりに二人で映画に行きました。夫婦50割引(どちらかが50歳以上だったら、二人で2000円ぽっきり)を使ったのでずいぶんお得な気分です。年を取ることで何か良いこともありませんとね。
主演がジョニー・デップ、監督がティム・バートンときたら、私がまず思うのは「シザーハンズ」です。他の人は「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「チャーリーとチョコレート工場」や、もっと他の作品が好きと言われるかもしれませんが、どれも色合いや味わいがずいぶん違っているのがプロの技ですね。(もっとも、オープニングの血がどろどろどろと流れるところは「チャーリーとチョコレート工場」でチョコレートがとろとろとろと流れるところを思い起こさせますが
で、本作。帆船と馬車の時代のロンドンが舞台です。入港した帆船から、かつて腕の良い理髪師だったが、妻と生まれたばかりの娘を悪徳判事に奪われ無実の罪で終身刑を食らっていたはずのスウィニー・トッドが下りてきます(これで主人公がカミソリではなくてサーベルを振り回したら、「マスク・オブ・ゾロ」(主演アントニオ・バンデラス)ですね)。しかしこの港のシーンからしてすでにアヤシイ雰囲気です。あたりは妙に暗く(というか、この映画は、映画途中での一瞬の夢のシーン以外ずっと色彩が沈んで暗いのですが)、次々下りる乗組員の顔だけ妙に白く浮いて見えます。そしてスウィニー・トッドの顔も青白く、さらに両眼には隈取り様のメイクも。のちにトッドの協力者となるパイ屋のマダム、ミセス・ラベット(得意なのはミートパイ)もまた同様のメイクです。まるで死人……というか、本作でのロンドンは実は「死の街」なのでしょう。だから、トッドに首をかき切られる被害者たちは、まるで首を切られる前から死んでいるかのように無抵抗なのです。おそらく頸動脈から血が噴出した瞬間に自分が死人であることを思い出したのでしょうね(ちょっと強引な解釈)。
判事への絶好の復讐の機会を逃したトッドは絶望し狂乱します。トッドを愛するミセス・ラベットはなんとかその心を未来に向けようとし、成功します。かくしてトッドは、いつか来る復讐の日のために練習するかのようにせっせと死体を製造し、階下のミセス・ラベットはせっせとミートパイを作ります。誰か止めろよ、とか、誰かがすぐに気づくだろう、と思いますが、なかなか気づいてもらえません。そして最後、めでたく(?)復讐を遂げたトッドは同時に復讐の「目的」をも自分の手で破壊してしまったことに気がつきます。そのときトッドの背後に忍び寄ったのは……
で、この陰惨な物語はミュージカルなのです。ジョニー・デップも朗々と歌います。なかなか歌唱力があります(実際には、歌唱力よりは演技力で歌っているのかもしれませんが)。カミソリや包丁を持ったままダンスもします。アブナイです。トッドと判事が、それぞれ自分の思う女性のことを歌う二重唱もとっても危険な香りがします。そうそう、「Wait」というナンバーでは、ミセス・ラベットは所々で「ウワイト」と発音しているように聞こえました(単なる私の聞き間違いかもしれませんけれど)。もしかしたら、ロンドンの下町訛りを出しているのかな、とその歌を聴きながら私は映画「マイ・フェア・レディ」を思い出していました。もちろん「スペインでは雨は主に平野に……」の歌のシーンです。映画の雰囲気はまるっきり対照的なのに、どうしてこんな連想をするのか、私は自分の頭の中が不思議です。でも……舞台は昔のロンドン、英語の発音、自分の思い通りにならない若い娘、ハンサムで若くてでも恋に目がくらんだ愚かな若者(船乗りの若い衆が、トッドの娘をめぐってとんだ恋の騒ぎを引き起こします)、悲惨な生活をする下層民たち(でも食欲は旺盛)……ほら、やっぱり「マイ・フェア・レディ」です。ただし本作は「生と死のベールの向こう側の物語」ですけれどね。
この映画はそろそろ公開はおしまいで、当地ではあと2週間くらいで「ライラの冒険」に切り替わる予定のようです。血まみれで陰惨な、しかし、人間の心の深く暗い穴をちょっとのぞき込めるミュージカルに興味のある方は、劇場へぜひお急ぎを。(なお、私は映画界の回し者ではありません)
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)