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 アメリカ大統領選挙も終盤となりました。投票日は今年はたしか11月4日でしたね。実は、F1グランプリの最終戦(そして今年のワールドチャンピオンが決定されるの)はその直前、11月2日です。

 昨年のF1、シーズン序盤にはマクラーレンの新人ルイス・ハミルトンが「初の黒人ドライバー」と呼ばれていましたが、周回を重ねるにつれて実力が明らかになるとともにその“肩書き”は取れてしまい、そのかわり「デビューしたばかりなのにベテランたちを押しのけて史上初のルーキーチャンピオンとなるか」の方が話題の中心となっていきました(で、新人としては驚異の成績を積み重ねていったのに、最後の最後に大逆転で、ハミルトンは惜しくもワールド・チャンピオンを逃してしまいました)。今年も彼は大活躍をしていますから、黒人に対する特殊な意識を持っている人以外には、今現在ハミルトンのことをわざわざ「黒人ドライバー」と呼ぶ人はいないはずです。彼は肌の色ではなくて「またポールポジション(予選トップ)を取った」「今年こそワールドチャンピオンだろう」という文脈で扱われるべきドライバーなのです。
 ところがアメリカ大統領選挙では、今になっても「黒人が初の大統領になるか」が話題の中心に座っています。

 アメリカの選挙でびっくりするのは、ネガティブ・キャンペーンです。私の感覚では相手の悪口を言いたい放題で、すごく下品に感じます。自分の主張を通す早道は、「正しさ」で勝つよりも対立する相手の“信用度”を下げることの方が手っ取り早い、という古くからの戦略はわかりますが、両方がそれをやっちゃうと結局自分にもダメージがあるわけです。さらに「あいつは自分の自慢と他人の悪口しか言わない」というネガティブなイメージが染みついてしまいます。ネガティブ・キャンペーンをやるのだったら、それと同時に自分自身に対するポジティブなキャンペーンもやっておかないと、かえって逆効果になる(あるいは勝っても自分のダメージもでかい)のではないか、と私には思えるのです。
 アメリカ人にはまた違った感覚があるのかもしれませんが。(ただ、「黒人差別」(や女性蔑視)をネガティブ・キャンペーンに用いてはならない、という暗黙の決まりというかしばりがあるのが、日本人としては面白く感じます。タテマエとホンネって、日本文化だけじゃないのね、と)

 そう言えば、日本のマスコミや政府は今まで熱心に「日本の医師に対するネガティブ・キャンペーン」をやって来ました(現在完了進行形)。それは一定の成果を上げて、「医者は悪者」を頭から信じ込んでいる人がたくさん存在してます。だけどその“反動”かな、マスコミや政府の医療に対する姿勢に関してネガティブなイメージも強くなっているようです。結局あの「医者たたきのネガティブ・キャンペーン」は、戦略的には何の目的で行われてきて、宣伝対象は誰で、結果としてどんな利益を誰にもたらしたのでしょうねえ。


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 診断書を書くのは気を遣うものですが、私がいろいろ書いてきた中で大変なものの横綱格が脳卒中後の運転免許の診断書です。たとえば障害認定の診断書はお金(患者さんの人生そのもの)がからむので大変緊張しますが、運転免許に関しては日本語解読で苦労するのです。

 参考までに、運転免許証のことで公安委員会に提出する診断書(脳卒中・脳腫瘍関係のもの)の「3 現時点での病状(改善の見込み等)についての意見」を引用してみます。(医者はこの中のどれかに○をつけたり( )に数字を入れたり□にチェックを入れなければなりません)

(ア)脳梗塞等の発作により、次の障害のいずれかが繰り返し生じている
   (意識障害、見当識障害、記憶障害、判断障害、注意障害、視覚障害(視力・視野障害))
(イ)発作のおそれの観点から、運転を控えるべきである。
(ウ)運転を控えるべきであるが、6か月以内に「運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(エ)運転を控えるべきであるが、6か月より短期間(  か月)で「運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(オ)6か月以内に「今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(カ)6か月より短期間(  か月)で「今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(キ)今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控えるべきとはいえない。
(ク)上記ア〜キのいずれにも該当しない
   □回復して脳梗塞等にかかっているとはいえない。
   □脳梗塞等にかかっているが、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない等。


 素直に読んで「悪文だなあ」が最初の私の感想です。官僚の文書の特徴ですが、構文はもたもたぐにゃぐにゃしており、「相手と何かをきちんとコミュニケートしたい」という願望をみごとに欠いた機械的で形式的な文章です。
 また、「発作」の定義がありません。(ア)で「脳梗塞等の発作により」とあるし「脳卒中の診断書だから『脳卒中の発作』に決まっているだろう」と言いたいのかもしれませんが、脳卒中後遺症としてあるいは頭の手術後によく出現するけいれんなども「発作」です。それはどう扱うのでしょうか?
 「6か月」というのも変な日本語です。私の感覚では「6箇月」または「6ヶ月」の方が自然な日本語です(さらに言うなら「6」よりは「六」の方が好ましいでしょう)。わざわざ「箇」「ヶ」をひらがなに開く感覚が私にはわかりません。(「ヶ」はカタカナの「ケ」を「か」と読んでいるわけではありませんよ。「箇」の略字である「个」(上向きの矢印に似ていますが、「竹」の半分です。もともと「竹」はこの「个」が横に二つ並んで「个个」と書かれていました)が崩されて変形した文字が「ヶ」です。まあ、なにをひらがなにひらくかはそのひとのにほんごせんすにまかされる、といえるのかもしれませんが、なんでもてきとうにひらがなにひらけばいいというものでもないでしょう)

 悪文という「形式」の次は「内容」について。
 (ア)では「脳卒中後遺症は繰り返し生じるもの」と扱われています。自分が使った「発作」ということばに引きずられているのでしょうが、ああいった後遺障害は波状攻撃のように出現するものでしたっけ?
 (イ)は、運転中に「発作」がおきるから運転をしてはならない、ということでしょう。脳卒中に再発はつきものですが、それがちょうど運転中に起きるかどうか、誰にわかります?(疑問ではなくて反語)
 それが正確にわかるのなら、私は医者ではなくて予言者になります。でも、予言者が書くのは、診断書ではなくて予言書です。

 (ウ)〜(カ)の「(6か月ではなくて)六ヶ月」への異常なこだわりも、理解不能です。さらに(エ)とか(カ)に至っては、公安委員会は医者に何を求めているのでしょうか。やっぱり、予言? さらに「(ウ)と(エ)」「(オ)と(カ)」の区別の必要性がさっぱりわかりません。「六ヶ月以内」と「六ヶ月より短期間」とを区別する理由って、なに?
 (キ)も(  )年後にはまた危うくなるよ、と予言しろ、との要求です。「キーッ」と言いたくなります。
 (ク)も不思議です。「脳梗塞等にかかっているとはいえない」とはどんな状態を想定しているのでしょう? 一過性脳虚血発作など後遺症が残らない脳卒中のことに読めますが、そんな人は最初からこんな診断書を求めはしません。さっさと免許センターに行ってふつうに列に並んでいるはずです。目に見える後遺症が残っているからこんな診断書が必要になるのですが、『後遺症がある」=「全快した」とは普通の日本語では言いませんよね?(労災では「症状が固定してそれ以上治らない状態」を「治癒した」と定義していますが、それと同類の官僚の独善日本語かな?)

 もちろん医者は病気に関しては専門家ですから、病気とその後遺症に関しての現状についてはきちんと述べることができます。しかし「いつ再発作を起こすか」の予言や「その人が運転適格者か」の職業的判定は医者の仕事とは思っていません。それは予言者や「運転の専門家」の仕事です。(そもそも病院には運転シミュレーターなどはありませんから、実際の運転状況に本人が対応可能かどうかの判定には「想像力」しか使えないのですが、それはつまりエビデンスを欠いた判断ということになります)
 たとえば半身麻痺だったら、どの程度の半身麻痺かは医者が言えますが、それに対してどのように車を改造したら健常な上下肢だけで安全に運転が可能かのアドバイスと判定・視野狭窄だったらどのくらいの視力や視野が残存していたら安全な運転が可能かの基準設定、それらは医者よりも交通関係者の方が詳しいはずです。というか、そういったエビデンスを知らないで運転免許をあんなにたくさん交付しているわけではありませんよね。当然、健常者であろうが障害者であろうが老齢者であろうが「運転免許を取得するためにクリアするべき心身の基準」が厳として存在しているはずです。

 それが、(ア)(イ)に医者がマルをしたら、誰も何も考えずに即刻運転免許は取り消しです。
 ちょっと待って。
 (ア)には高次脳機能障害が並んでいますが、問題は「あるかないか」だけではなくて「その程度(運転が可能か/安全運転が可能か)」です。その判断を一切せずに「医者が言ったから」とそのまま免許を取り消すのが、公安委員会の仕事? そのための最終判断は、医者に丸投げするのではなくて、免許を交付する人が責任を持って行うべきではありません? 例えば、運転シミュレーターの活用とか、机上での道路交通法のテストとか、できること/やるべきことはあると私は思います。さらに、脳卒中後遺症の高次脳機能障害は少しずつ回復します(しない人もいますが)。そのことについてのフォロー(「敗者復活」の可能性)はしない気ですか。
 さらに、安定していて「繰り返し生じ」ない高次脳機能障害やここに書いてない障害(たとえば失行や失調や半側空間無視など)がある場合、医者はどこにマルをつければいいのでしょうねえ。

 こんな悪文の診断書を書くことを医者に強制して、「その人の現状が実際に運転に適しているか」の判断努力は一切しないで(さらにその明確なエビデンスも示さず)、「医者が言ったから免許は取り消しね。恨むんだったら医者を恨め」と逃げる態度を見せつけられるのは、医者としては非常に不愉快です。

 「自分が仕事をせずにすむこと(やるとしても机上だけ)」と「自分が責任を取らずにすむこと」に熱心になることと、ことばに関して重箱の隅の整合性だけを整えるのではなくて、診断書の文案をつくる時に、臨床経験のない官僚だけで文章をひねくり回す前に臨床経験が豊富な人間と協議すれば良いのになあ、とつくづく思います。

 現実を見て批判するだけなら、診断をつけただけで患者を放り出す無責任医者と同じになりますから、「ならばそこからどうするか」もちょっと考えてみましょう。(それでも「診断さえつけられないヤブ医者」よりはマシ、かもしれませんが……)
 もし私がこういった診断書をつくるとしたら……運転に必要な心身の能力の最低基準を明示した上で
1)運転は可能(病気はあっても、その人の運動能力や判断力などに悪影響なし)
2)条件付きで可能(車の改造、安全教育とその確認の筆記テスト、シミュレーターで危機管理能力のテスト、公道での実地運転テストなどを優秀な成績でパスすること)
3)運転は不可、ただし保留にして後日再判定(これが不満なら、本人の申し立てで2へ)
4)運転は不可(免許取り消し)

を医者に判断させることを基本骨格にして、その上で日本語にもう少し枝葉をつけたものにするでしょうね。大切なのは「病名の有無」ではなくて、「その人が安全に車の運転ができるかどうか」(回りに危害や損害をなるべく及ぼさないこと)なのですから。ついでに言うなら、この診断書は脳卒中後遺症を持つ人専用ではなくて、健常者にもそのまま使える汎用性を持っているべきだと私は考えます。

 こんなことを言っても、その結果自分の仕事が増えしかも責任まで負わされる官僚には、鼻であしらわれるだけでしょう。でも、仕事の丸投げや無責任体制が嫌いな人には、頷いてもらえるかも。


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2008.08.09 07:15 |  医療制度 / 行政  |  車 / バイク/ 船  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

 無差別

 かつてナチスは、ユダヤ人に黄色い星のマークをつけることを強制しました。いろんな「理屈」がたくさんついて正当化されていましたが、結局あれは人種差別思想に基づく人権侵害ですよね?  今の日本では一定の年齢以上の高齢者ドライバーは車にもみじマークをつけることを求められています。いろんな「理屈」がついて正当化されていますが、あれは人権侵害ではないのですか?  「理屈」の中で私の目を引くのは「高齢者になったら事故が増える」「周りの人間がもみじマークを見たら、いたわりの気持ちを」の部分です。そこでいくつか疑問が湧いてきます。 1)高齢者の方が老化で事故率は上がるでしょう。しかし、事故は高齢者だけのものではないはず。高齢者で安全運転をしている人・若い人でアブナイ運転をしている人への対応は? 2)もみじマークを見たまわりのドライバーが、いたわり(思いやり)の運転を実際にやっていますか?(「決まりだからやっているはずだ」は却下) 3)もみじマーク採用で、実際に高齢者が関係す事故はどのくらい減っていますか?(実はこれが一番重要。「論より証拠」です) 番外)もみじマークを狙っての犯罪は増えていないでしょうね? 私が小悪党だったらそれも自分が実行することの一つに考えるでしょう。(中悪党だったら襲う相手が金をたっぷり持っていることを確認してからにするでしょうし、大悪党だったら向こうからこっちに金を持ってこさせるでしょうが)  もしも「表示」をするとしたら、「このドライバーが何歳(以上)か」の表示ではなくて「このドライバーは運転が上手か下手か(事故が多いか少ないか)」の表示の方が、周りの人間にはよほど役に立つでしょう。その人が「高齢者のグループに属している」が真理だとしても、私の目の前の車を運転しているのは「高齢者のグループ」ではなくて「その人個人」なのですから。  「運転免許を使う(車を運転する)」のに絶対必要なのは「免許を保持している」ことではなくて「十分な運転能力を持っている。知識は更新し続けている。遵法意識を持っている」ことでしょう。そういったドライバーを合理的な免許更新制度を運用することできちんと選別せずに「年齢」で代用して、大丈夫?(「過去に事故をたくさん起こしているかどうか」をたとえば黒いどくろマークがいくつかで表示してくれる方が周りの人間には役に立ちそうです。事故が多い人や弁護士などからは「人権侵害だ」と非難されそうですが)  医者不足への対応として、現場から遠ざかっている女性の医者の出産後などの復帰策が論じられるようになりました。日医ニュースにも「女性医師バンク」の広告が載っています。それ自体は良いことだと思います。だけど、ここでも私は質問をしたくなります。 1)出産や子育てで現場から長期離れることで、力が落ちる・医学の進歩について行けなくなっていることが問題視されています。「それ」は確かな事実でしょう。しかし、「力が落ちる」のは女性だけだとしてその対策を女性向けにだけ立てて万事解決でしょうか?(換言したら「“それ”は女性だけの問題ですか?」)  ここで問題は二つに分岐します。 1ー1)男の医者でも怠け者だったりルーチンワークに堕していて力が維持できていない者はいます。それは放置して女性のことだけ言いつのる態度は、フェアですか? 1−2)出産は女性にしかできませんが、子育ては女性にしかできないことですか?  ここでも重要なのは「その医者が男か女か」ではなくて「その医者がふさわしい知識と実力を持っているか、それを更新しているか(更新するチャンスが公的にあるか)」でしょう。たとえば5年ごとの試験による医師資格更新がすべての解決になるとは私は思いませんが(「専門家」も「一般医」も同時に実力を判定できる試験問題を私は考えられません)、何らかの実効のある実力維持またはアップの目に見える機会を医師会が提示しそれを受けることをきちんと義務化するべきだとは思っています(今の日本医師会の制度が必要十分なものには思えません)。  さらに、合理的な医者の評価法を用いるとか、子育てしやすい医者の採用法(たとえば、ですが、夫婦が同じ科だったら二人をまとめて採用して交代に勤務してもらう(給料は一人分)、なんてのは駄目ですかね? 主治医のグループ化です)を検討しないと、結局「問題」を社会が個人に押しつけるだけで「真の解決」はほど遠いように思います。  ナチスがユダヤ人に星のマークをつけたのは、ある意味きわめて合理的な(そして冷徹な)判断です。「個人」を識別するためではなくて「グループ(人種)」を明確に識別するための手段ですから(そして「識別」のあとになにをしたか(「識別」が何を目的としていたか)多くの人はご存じのはず。私が重要視するのは、大きな声で語られる公的な理由ではなくて、実際に起きたことの方です)。  だけど、ドライバーも医者も、重要なのは「個人」です。「個人」を社会や制度の中で扱うやり方について、ナチスと違う人間と社会はナチスとは違う発想と手段を使った方が良いように私は思うのですが……

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2008.07.14 18:52 |  車 / バイク/ 船  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

毎日新聞の印象操作 

 モトクロス競技の事故で一人亡くなったとの報道です。

 まずは読売新聞「オートバイレースで転倒、後続車にひかれ男性死亡」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080713-OYT1T00405.htm

 次は毎日新聞「モトクロス事故:レース中に転倒、平塚市職員死亡 福島」
http://mainichi.jp/select/today/news/20080713k0000e040034000c.html

 遺族の方にはご愁傷様としか言いようがありませんし、亡くなった本人もさぞ無念だろうと思いますが、これは私が勝手に思っているだけです。ただ、レースには事故がつきもので、だからこそ安全対策が様々に講じられるのですが、それでも残念ながら死亡事故は起きることがある、それはアマチュアでもプロでも同じこと、がこの話の前提にあります。

 で、毎日の記事に対するネット上での反応を見ていると、「やっぱりオートバイってこわいなあ」というあまりにシンプルな反応や、「公務員が遊びで死ぬなんて」といった、わざわざ「市の職員」をタイトルに入れた毎日新聞のねらい通りの反応もありますが、私が見たところで目立ったのは「毎日は何を考えてこんな記事を出したんだ?」です。「公務員だからと言って、休日に何をするかは自由だろう。それをわざわざ見出しに『公務員』と書く理由は?」「モトクロスが危ない競技であることは参加者は全員承知の上」など、毎日新聞が「公務員」「モトクロス」に対してなんらかのネガティブな印象操作をしようとしている点に反発を述べている意見がずいぶんあります。
 これは、「読む側」のマスコミ・リテラシーが上がっているのか、あるいは、「毎日」というブランド(これまでの“実績”)に対する自動的な反応なのか、私にはわかりませんが、少なくとも毎日新聞のねらいはあまり成功していないな、というのが私の印象です。(私も毎日新聞に印象操作はされなかった、ということなのでしょう)

 そうそう、「(警察調べではモトクロス会場は)起伏のある土のコース」という毎日の記述に対して噛みついている書き込みもありましたが(「平らな舗装路を走るモトクロスがあると思っているのか!})、記者も警察もモトクロスがどんな競技か知らなかったのかもしれませんし、「知らない読者」を想定してわざわざ解説を加えたのかもしれません。私はこのブログを医療関係ではない人も読んでいることを意識して、専門用語をむき出しでは極力使わない、使う場合には平易な言い換えや解説を加える、を心がけていますから、「解説」だったらOK、の立場を採ります。でも、もしも記者が「ねえねえみんな知らないと思うけど、モトクロスって不整地を走るんですよ。実は私も5分前に知ったばかりだけど教えてあ・げ・る」の「知ったかぶりが教えてやるモード」だったら、NG、です。これは記事の書き方がちゃんと「人にものを伝えたい」態度になっているかどうか、で判断できるでしょう。
 ……そうそう、「伝える」と言えば、この毎日の記事って「哀悼の意」が欠けていません? 伝わってこないんですけど。讀賣の方にはまだその“香り”が感じられます。

 で、私が何を伝えたいか? 単に毎日新聞の悪口を言いたいわけではなくて、私のこの投稿を読んだ人のマスコミ・リテラシーが少しでも上がると良いな、という願いを伝えたいのです。


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1)先発品から後発品に変更したらてきめん効き目がなかったことが数回ある。
2)採用したらあっさり製造中止になった経験が何回もある。(もちろん先発品が製造中止になった経験も持っていますが、それは市販後に重大な副作用がわかったとか「わかる理由」がくっついていました。後発品の場合、他のメーカーが発売していてもそのメーカーだけ突然中止、ということがけっこうありました)
3)MRからの迅速な薬剤情報(特に副作用情報)が期待できない。
4)(後発品が先発品と同等だとしても)医療行為の自由度が高まるわけではない。
5)大規模臨床試験が行われていない(薬が効くというエビデンスがない)。

 特に1)が、好まない理由としての比重が私にとっては大きいものです。安物買いで銭は節約できても他の大切なものを失うのでは本末転倒ですから。(もちろん「薬の効果より銭が大切」という主張が存在することは認めます。日本には言論の自由があるのですから)
 2)と3)はメーカーに対する信頼度を高める役に立ちません。薬の場合、そのモノと同時にそれに付随する情報がきわめて大切と私は考えています。その大切なものを省くことでコストカットして製品がお安いです、と言われてもねえ……
 4)は私個人の好みです。何かあったときの選択肢が多い方が患者の命を救う(あるいはQOLを上げる)役に立つと私は信じています(選択肢がなかったら一本道を進むしかありません)。で、後発品の方が先発品より優れているというのなら意味のある選択肢の一つになり得ますが、そうでないのだったら、その選択がどうのこうのと考えたり書類を書いたりすることは患者の命を救うのに役に立たないことでエネルギーと時間と私の残り少ない脳細胞を消費させられることです。そんなのは私は好みません。私は書類仕事よりは患者の命を救う方が好きです。


※添加物の違いによるアレルギー発症リスクについては、先発品と後発品は条件はイーブンだと思うので、そのことはここでは上げません。ただ、せっかく先発品で問題なかった人が後発品に変えたらその特有の添加物に対するアナフィラキシーショックを起して死んだ、というケースがもし出現したら、そのことについて誰がどのように責任を取るのかは、非常に興味があります。
 また、1)で致命的な(あるいは後遺症が残るような)不都合(急に血圧や血糖が上がって倒れる、など)は幸い私の場合は経験せずにすみましたが、もしそんなことが生じた場合「後発品を使うべきだ」と主張している人はそのことに対して責任を取る覚悟を持っているのでしょうか?(医者が「この薬を出そう。その結果については責任を持とう」と思っているところに脇から口を出して別の薬に変えさせてそれで不利益が生じたら「おれ、知らないもんね」と逃げるつもりの人間のことばに、重みはありませんぜ)
 忘れている人が多いと思いますが、薬は基本的に薄められた毒です。食い物でさえ食べ過ぎたりバランスを失していたら不健康になります。まして薬物です。へらへら笑いながら使えるような代物ではありません。


 今でこそ日本はオートバイに関しては“大国"ですが、かつてはその正反対だった時期があります。
 たとえば「陸王」というでかいオートバイが国内を走っていた時代が戦前から戦後にかけてあるのですが、それはハーレー・ダビッドソンのコピー、もとい、契約に基づいた正規のライセンス生産オートバイでした。作っていたのはなんと三共(現在の第一三共)製薬の発動機部門。
 で、正規のライセンス生産ですから「ハーレー・ダビッドソンと陸王は全く同じだ」と主張して良いでしょうか? 設計図も部品の材質も同じ(はず)です。ですからできあがるのは「同じバイク」のはずですが……同じ工場で生産される大量生産品であってさえ、品質にはある程度のばらつきがあります。(何かを買った後で「あ、今回は“外れ"だった」とつぶやいた経験を持っていませんか?) まして、工場どころかメーカーも国も違う場合、「設計図が同じならできあがりの製品が全く同じはず」と現物を見もせずに主張する人は、技術も工学もわかっていないか、よほど楽天的な人か、どちらかでしょう。図面のコピーは簡単ですが、製造上のノウハウはそう簡単に伝達できるものではないのですから。
 まして、正規のライセンスを得ないで勝手にコピーして作ったバイクがどんな性能だったか、詳しく述べる必要はないでしょう。もちろん黙ってそこに置いておけば、一見そっくりです。だけど走らせれば、特にマシンの限界ぎりぎりを攻めてみれば、その走行性能の限界の高さ(低さ)はすぐわかりますし、しばらく走らせていれば耐久性も露呈します。それとも、日本のバイクをコピーして作っている某国の製品が、たとえばレースをしたらホンダやヤマハと対等に戦い続けることができると思います?

 バイクの“戦場"がサーキットだとしたら、薬の場合は臨床現場です。さて、「“設計図"が同じだから、できあがった製品もオリジナルとまったく同じだ」とどなたかが盛んに主張しているお薬ですが、ちゃんと臨床場面で対等の戦いをしているのでしょうか? エビデンスがあります? それとも現在行われているのはそのエビデンスを得るための日本全体を舞台とする壮大な人体実験ですか?

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 大海原での捜索は大変だと思います。科学的な捜索のために、人体とほぼ同じ形・比重のダミー人形をいくつか現場で海に入れて内部に仕込んだ発信機を追跡する、という手はどうでしょう。大きさや形や比重にバリエーションを持たせたら、その散らばり具合によってある程度「探すべき範囲」を絞り込めると思うのですが、素人の思いつきに過ぎないのかな。

 大臣は「連絡が遅い」とむくれていますが、連絡をする側の立場から想像すると、第一報が「イージス艦が何かにぶつかりました。何にぶつかったかはまだわかりません」だと、(規定があって大臣は外に向かっては「すぐ知らせろ、と言っている」でも、実体は)「なんでその程度のことでいちいち連絡してくるんだ! 今何時だと思っている!! もっと情報が集まって大臣として判断できるようなレベルになってから電話して来い」と怒鳴られるのではないか、と担当者が防衛的な態度をとっていた、なんて事がもしかしたらあるのではないかと私は想像しています。これは職場の雰囲気(大臣や次官の性格)にもよるでしょうが、実際がどうなのかは内部の人間でないとわかりませんね。


 赤と緑のライトについてもいろいろな想像ができます。写真ではLEDではなくて電球に見えますが、電球なら赤の方がたまたま出漁後に切れていた、ということもあるでしょう(“証拠”は失われていますけれど)。ただ、もしそうだとしても、「赤が見えない」は説明できますが船の角度から「緑が見えた」が変です。まさか見張り員が赤緑の色覚障害でした、なんてことではないでしょうね……なんてことをつらつら考えていたら、ニュースでは「実は赤を見ていました」……どうしてこういう“小出し”をしますかねえ。ただ、これが清徳丸のものかどうかはまだわかりませんけれど。

 そうそう、大臣だったか次官だったか、記者会見で「早くから光が見えたとしてもブイの可能性もあるし、動きを確認するまで漁船とはわからなかった」なんて言ってますが、発光ブイ(や音を出すブイ)が勝手に外洋でぷかぷかしているわけがありません。そういったものは何らかの目的(危険を知らせる、など)があって設置されるものですから、位置は公表されていてプロの船乗りだったら承知しているはずです。「妙なことを言っているなあ。なにかを隠そうとしている?」が私の感想です。で、結局何を隠そうとしていたかと言えば「水上レーダーに頼って、目視はサボっていました」だった、ということに結論を出しちゃって良いですか? でもそんな態度では、もしもテロリストが小型船に爆薬詰めて自爆テロを仕掛けてきたら、あっさり餌食になっちゃいますよ。軍艦は普通の船が衝突に気をつける以上に周りの船の動向に気を配るべきではないのかなあ。

 ……ただ、「深夜で4時間の肉眼による洋上監視は、人間の能力や疲労の限界を超えている」のだったら、勤務スケジュールについての検討が必要です。


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 疲労回復のためのマッサージ機とかアロマの器具を特定道路財源で買えたわけですよね。だったら同じものを、疲れ切った救急隊員のために購入してはいけませんか? “正しい使い道”のような気がするのですが。道ちがい? だったら医療費で……

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2008.01.21 07:09 |  生活 / くらし  |  車 / バイク/ 船  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

寒冷頭痛?

 昨年末から時々歯痛が出るようになりました。はじめは右下の第一大臼歯がずきんと。数十分で治まったので「むし歯かなあ、歯医者に行くのはイヤだなあ。再発しなかったら行かないことにしようか」などとのんびり思っていましたら、数日後に今度は左上の第一大臼歯周囲に痺れ感が出現。これまたすぐに治まって数日後にはこんどは右上の第一大臼歯。「あれれ、移動性歯痛か?」と思っていたのですが……自分自身をじっと観察して気がつきました。私は現在原付で通勤しているのですが、約二十数分の道程の間、寒さで歯を食いしばっていたのです。しかも寒風がぴゅうぴゅう顔面に吹きつけているのですから、これは筋肉や神経がかちんかちんになって痛みや痺れといった異常をきたしても不思議ではありません。
 寒い時期には緊張型頭痛が増えます。私自身はこれまで頭痛には縁がない人間だったのですが、まさかこんな形で頭痛とおつき合いが始まるとは思いませんでした(歯周辺の痛みも、一応“頭”の痛みですよね? え、違う?)

注意)「寒冷頭痛」とか「移動性歯痛」という正式な病名は(たぶん)ございません。医者が書いたからといって、鵜呑みにしないで下さいね。歯痛の原因が歯を食いしばっていたから、というのは“診断”ではなくてまだ“推測”です。

 ……歯医者に行きたくないから、私は屁理屈をこねているだけかもしれません。

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 いろんな新聞で報道されていますから、ここでは朝日の記事だけ。
http://www.asahi.com/national/update/0102/TKY200801020067.html
 警察庁のサイトに交通事故死の統計がありますが現時点で最新の昭和26年~平成18年までの交通事故死者数グラフ
http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h19kou_haku/genkyou/h1/h1_01.html
をみると私の子ども~青春時代には死者が1万人を越えるのが普通だったのですから、それを思うとよいことと言えるでしょう。あの頃は「交通戦争」ということばも言われていましたっけ。

 でも、手放しで喜ぶわけにはいきません。
 まず「5千人台」と書かれるとうっかり「お、5,000人」と感じてしまいますが、あくまでも「台」です。スーパーなどの値札の「5,980円」じゃあるまいに、少しでも数字を少なく見せかけようとする“工夫”があざとく感じられます。
 また、あちこちのブログでも書かれているでしょうが、日本の定義で「交通事故死」は「受傷後24時間以内の死亡」となっています。24時間と1分で息絶えてもそれは「交通事故死」ではなくて統計上は「負傷者」にカウント。ちなみに欧米はたしか「30日以内」が標準のはずです(日本でも警察庁や厚生労働省の統計では交通事故後30日以内の死亡も数字が上げられていますが、大体24時間死の数割増し)。なんで何種類も数字を使い分けるんでしょうねえ。医師の立場からは、死亡診断書の「死亡の原因(直接または間接)」あるいは「直接死因には関係しないが上記の疾病経過に影響を及ぼした傷病名等」の欄に「交通事故」と書かれたものはまず“すべて”「交通事故死」としてその中から完全に交通事故とは無関係に亡くなったもの(交通事故の骨折で入院していたら大地震で病院が潰れて圧死した、とか)だけ除外する、でも良いと思います。(極端?)
 「飲酒運転の厳罰化が死者減少の原因の一つ」と警察は手柄顔ですが、それだと手柄は司法と立法のものになってしまいますよ。警察の“手柄”にするためには「飲酒運転の防止と摘発によって飲酒運転を未然に防止したことが原因の一つ」としなきゃね。
 ……ただ、死傷者数トータルや交通事故件数が「死亡者」と比例して減少していないことが気になります。本当に交通行政は“成功”していると占って良いんでしょうか?

 ずっと以前のことですが、田舎の病院にいたときに、救急で交通事故の患者さんを外科のドクターと診ていると警察官がずかずかと入ってきて「すぐ診断書を書いてくれ」と求められることが結構ありました。小外傷(ちょっと縫えばよいもの)とか単純な骨折だけならとりあえずすぐ書けますが、あちこち打撲している場合、それがただの打撲か内臓に損傷をきたしていないかしばらく経過を観察する必要があります(逆にしっかり重症の方がかえって話は楽です(処置は大変ですけれど)。「この状態の悪さは、絶対重大な障害(たとえば脳出血とか内臓破裂)があるぞ」とわかりますから。判断が難しいのは中間領域なのです)。で、「一見軽そうだけど、この人は入院してしばらく様子を見ないと確かなものが書けません」と言うと、みるみる警官の機嫌が悪くなりました。もう一つ、診断書を書いてその治癒見込み期間がある日数を超えているとまたみるみる機嫌が悪くなっていました。どうも診断書を警察に持ち帰ってすぐに処理したいという事情があったようで、さらに重症と軽症ではその処理過程での面倒くささが全然違っているという事情もあったようです。だけど、そんな事情に合わせて診断書を書くわけにはいきません。そのときの経験から、警察は書類処理を優先するお役所なのかな、という印象を持っています。そういえばあの町、事故好発地点の道路改修もなかなか進まなかったなあ。

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