最初から注:タイトルの意味は、先月14日の「中京」に書いてあります。
今日は東京で講習を受けなければなりません。昼から夕方までの講習会なので、「朝出て昼前に到着、夕に出発して夜に帰宅」で日帰りが可能です。で、可能だとそれをしなければならない、が私が勤務する病院の規定です。いつもより早起きして空港に行って、夜の最終便の一つ前で帰ってくる強行軍となりますが。
「出張パック使えば前泊つけてしかも安くなりますよん。私もその方が体が楽なんだけど」と言っても、規定により却下。ただ、当直明けの翌日に早起きはこちらもしんどいものですから、自費でホテルを取って前の日に仕事が済んだらすぐに空港に駆けつけることにスケジュールを変更しました。届けは出したし少なくとも病院に一円も損はかけていませんから、問題はないはずです。
おかげで今朝はゆっくり朝寝坊。さて、午前中がゆったり空いているのでどうしようかな。昼まで東京ならではの買い物か見物をしてみるか、それともチェックアウトまでだらだらしてゆったり本でも読もうかな。最初の予定だったら今この瞬間に私は空港目指して動いているはずの時間です。ゆったり過ごせるのは、ありがたやありがたや。
ちなみに昼は、前回会えなかった息子とランチの予定です。どちらも昼からのお勉強の予定を気にしながらですが。ただ、昼から雨ですって? それも雷を伴う激しい雨とか。……しまった、傘を持ってきていない。どこかで仕入れておくべきか、講習会の会場から最寄りの駅までの5分間だけ我慢して濡れるか……これは悩ましい。
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パチンコのプリペイドカード、煙草のタスポカード、昔の(アナログ)ハイビジョン放送と今の地上デジタル放送……高速道路のETCも、料金所の人手の削減や料金所での渋滞の緩和という意味はわかりますが、今与党が言っている高速の休日割引がETC専用と聞くと、なんでそこまでETCを優遇して普及させたいのか、その意図がいぶかしく思えてきます。
そうそう、天下りの人たちの給料や退職金を税金で面倒見なければならない必然性。
もう一つそうそう、労働行政も厚生行政もまともにできない現役の厚労省官僚。食品行政が(それも食品表示レベルのことでさえ)まともにできない農水省の官僚。日本の学力を落としている文科省の官僚。
「医療不信」の人には「医者の必要性がわからない」と思われているかもしれませんが。
頭がくらくらしてきたので、今日はこれまで。礼。
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私の時代とは医学部の入試もいろいろと変わってきています。学士入学とかAO入試のことは聞いていましたが、最近は推薦入学で地域枠とかふるさと枠が設けられるようになったんですね。先週、某所の忘年会でその話を聞き、ちょっと書いてみる気になりました。
まず、あるブログの記事の紹介。「広大医学部に「ふるさと枠」。地域枠を設ける医学部は20大学超!」
そのもとになった毎日新聞のニュース「広島大医学部:推薦入試に「ふるさと枠」 地域医療推進へ--09年度から /広島」
これまでにも「在学中(6年間)奨学金(月に数万円、だったかな)を支給するから、卒業後は何年間か地元で医師として仕事しろ」という県による奨学金制度はありましたが、私が聞いた範囲ではほとんどは卒業後には金を返してしまって自分が思うところに入局してしまう、ということでした。そもそも卒業したての医者に県が「金を出したのだからどこそこにただちに赴任せよ」と言ってもその前に研修が必要ですからどちらにしても大学にはいるしかなかったのですが。で、そこで働いていたら回りと同じ“人並みの将来”が欲しくなるのも無理はなかったでしょう。それが現在の研修医制度が始まって、マッチングによって卒後は市中病院で研修を始めることでできるようになって相対的に大学の「力」が落ちて県の思うようになったか、と言えば、たぶんそうではないでしょう。市中病院で研修した後「では県の意向通り動きます」という人が都合良くそれほど多く出てくるとは私には思えません。
そこで「推薦入試に地域枠」となるわけですね。ここでキモは「推薦入試」です。推薦で入学したら、おそらくはそうでない学生よりは“スポンサーの意向”に敏感でしょう。入試の時点で厳重なフィルターがかけられますし、もし変なことをしたら後輩の入学にも影響が出るかもしれないことを考えてしまいます。
ただ、こんどは「県庁」と「大学」の間で綱引きが行われるのではないかな。金を出すのは県でもそれを教育し鍛えるのは大学です。どちらも“じぶんのもの”として“人事権”を行使したいはず。学生がその間で引き裂かれなければいいのですが。
ただ、少なくとも別枠で「5人の増員」ができるだけでも、医師不足には(ささやかな)朗報です。しかもその人材が「物理と数学の点が良いから医学部を受けました」ではなくて最初から「(地域で)医療をやりたい」なのですから。
突然ですが話を変えます。
「ふるさと枠」に私の心の一部が励起されましたが、みなさんは「ふるさと」と言われたら、どんなものを思い出しますか?
私は、市街地で育ちましたが、小学校時代までだったら「町内」(自宅とか小学校とかの周囲)です。中学高校だと、自転車で走り回った(合併前の)旧市街一帯。でもそれ以上の範囲(合併後の新市街とかもっと大きな県全域とか)を「自分のふるさと」とは認識しません。
では、もし田舎に住んでいたら? おそらく、小学までは村とか町。中高だと郡(の一部または大部分)くらいまで広がるかな(あくまで想像ですが)。
ただし、私が思い浮かべるのは、心に残る昔の風景の旧市街です。私にとっての『ふるさと」は、「ある特定の座標の地点のこと」ではないのです。ですから、古い風景をせっせと破壊する人は「私のふるさと」に対する“敵”です。郡部では街ほどの風景の変化はないでしょうが、それでも開発によって変わっていっているでしょうね。田舎出身の人はそれをどう思っているのでしょう。
そういえば「郡」って不思議な単位です。町村を幾つか束ねた行政単位ですが、別に「郡長」がいるわけではありません。何の機能を果たしているのだろう、と昔から不思議でしたが、地図を見ていると、この「郡」が自然の境界(山の連なりなど)に素直に区切られていることが多いのに気がつきます(ものすごく不自然(人為的)なものもありますけれど)。もしかしたら「郡」は人が「ここが私のふるさと」と認識できる限界を表現していたものなのかもしれません(確証は示せませんが)。
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昨年の今月今夜(22時04分)、「医療崩壊?」を書き込むことでこのブログは転がり始めました。厳密には現時点では「満」で数えたらまだ「1年」には十数時間足りませんが、「数え」だと1年と1日目ということになります。何はともあれ“誕生日”を迎えられて、私は単純に喜んでいます。
気ままに好き勝手なことばかりを書きつづり、コメントには答えない(答えられない)ことがけっこうあるという、きわめて“愛想の悪いブログ”ですが、幸い、気ままでも少々無愛想でもOKという寛大な方々に恵まれて、アクセスは順調に伸び現時点では一日に千数百となってm3のブログではアクセスランキングで18位にごろごろしています。1年間で書いた記事は440を越えましたが、書けば書くほどネタが見つかって、まだまだ脳内とネタ帳には出番を待っているものがぎゅうぎゅうと。彼らがすべて放出されたら静かになりますから、読んでくださる皆さんにはそれまでもう少しお付き合い願えたら幸いです。
本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
あいさつだけで終わってはナンですので、平常の記事もこの直後に上げます。
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前世紀の思い出です。
今はよく知られているある病気××が、まだ世間では医者にもあまり詳しくは知られていない時代。なぜか私の外来に「大学病院で××と言われたんだけど、あそこは混むから、普段はこちらで診てくれ。あっちに行くのは数ヶ月に1回にしたい」という患者さんが初診で来られました。「私は専門家じゃないから、大学病院の“リモコン”で動く(検査データなどを大学に知らせて、状態に応じて薬などは細かく指示してもらう)、だったらできますが」と言うとそれでいい、と。で、大学と診療情報のやり取りをして、時々大学病院を受診するが普段はこちらで外来受診、と分担して外来診療をすることにしました。
ただ、それだけではつまらないものですから文献を集めてみたのですが、当時はまだ英語のものがメインで、私のイシ頭ではどうもついていけません。そこで文献のコピーを患者さんに示して「読んでみます?」。すると幸い英語が得意な方で、しかも「自分のことだから勉強したい」ということで、そこから二人三脚が始まりました。実際には、患者さんが読んでわからないところをこちらに質問、それをこちらが説明……説明できない時には“宿題”として私が持ち帰って調べて次の外来で、と、二人三脚というよりも私の方がおんぶされているような感じでした。
あのときつくづく思いました。医者は「一般的な体」や「病気全般」については“専門家”です。しかし患者は「自分の体」と「自分の病気」については誰よりも詳しい“専門家”になれるんだ、と。
私の診療スタイルがちょっと変わったのは、あの時の経験による、と私は考え、彼には感謝しています。
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昨日の各紙に載っているニュースです。みごとにどこも横並びの記事です(その中で産経がコールセンターをきちんと取材して、コストが1億1000万円、なんてデータなどを乗せているのは“お手柄”です)が、それら金太郎飴の中から適当に読売の記事。
「「裁判員」来た、候補者通知に戸惑いや意欲」
来年度の裁判員候補の通知が始まったそうで、早くもでかい封筒が届けられた人は、わけがわからなかったりわからないけれど意欲を燃やしていたりとにかく逃げたかったり、人によって様々な反応を示しているそうです。
私の所にはまだ通知が届いていませんが、実はやってみたいとは思っています。裁判所どころか裁判そのものの内側に入れるなんてめったにないチャンスですし、このブログのネタにもできる。もちろん裁判の中身については書けませんが、守秘義務がカバーしていない部分(たとえば、裁判所の掃除が行き届いていたかどうか、とか医療的な観察)については書いてかまわないはずですから、気分的には手ぐすね引いて待っている、といったところです。(特に、インフォームド・コンセントを是とする立場からは、法律用語も徹底的にわかるまで説明してもらいたいものですね。そこも手ぐすね引いて……)
問題は、職場を不在にする予定がきちんと立つのかどうか、です。外来や病棟でのとりあえずの対応は短期間なら誰かに代理を頼むことも可能ですが、予定が明確でなければ頼みようがありません。さらに私でなければできない仕事がいくらでもあります。それも私“だけ”ではなくて、チームで取り組むべきことが。となると、チームのメンバー全員の予定も私が抜けることで影響を受けるので、あらかじめ何日から何日までときちんと予定ができないと、病院のある部分の業務が止まります。それは困ります。大いに困る。私だけではなくて、たくさんの人が。だって一部が止まれば連鎖反応が起きるのですから。(これが、それでなくても医師が不足して困っている領域の人だったらどうするんでしょう。救急室とか手術室とか診療所を閉鎖して裁判に参加?)
国民の義務だからもちろんそれは果たしますが、その結果、大げさに言うなら、医療崩壊に手を貸すのは願い下げにしたいなあ。
逆から見たら、たとえばすでに面談や検査や手術の予定を次々組んでしまったところに突然「明後日から裁判だから出てこい」なんて言われても困ります。その場合には“先着順”にするしかないでしょう。プロなんだから顧客に迷惑はかけられません。ついでですが現時点で私の予定、3週間以上先までもう予約が容赦なく入ってます。
我が身でなくても身近でおきる可能性もありますね。あなたの主治医が「明日からちょっと裁判に行ってくる。いつ帰れるかわからないけれど、それまでは元気でいてね」と言ったら、あなたは快く送り出せますか? あなたの子どもの学級担任だったらどうでしょう。あなたの仕事場の同僚だったら? バイト君だったら?
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子どもの頃の小説で時々「すでに死相があらわれていた」なんて表現があり、そんなものが本当にあるのかと思っていましたが、医者になってしばらくして“経験”を積んでくると“それ”がたしかに存在することに気づきました(といっても、街を歩く人の顔を見て「あ」と言うわけではなくて、病院のベッドに寝ている人で認めるだけです。また、全員に出るわけではありません。単に私が見逃しているだけかもしれませんが)。医学的には、顔面の局所的な循環不全、などと表現できるのかもしれませんが、やはり死相は死相です。(漫画で、落ち込んだ顔の一部に平行線をたくさん引いて影のような効果を出す手法がありますね。強いて言うならあれに似ています)
ただ、私としては、できるだけそういったものを見たくはありません。そのことについて誰かと話し合ってもしかたありませんから「あ、死相が出てる」なんてことも言いません。日常的には「そんなの、知らないもんね」といった感じで振る舞っています。ただ、そういったものに気づいてしまったり日常的に身近な人がこの世にいる、ということだけは「医者と話すと波長が合わない。医者が他の人間とは違うのはおかしい。もっと普通であるべきだ」なんて言う(見たいものしか見ない)人たちに知っておいてもらいたいと願います。
もちろん死相に気づくのは医者限定ではないでしょうが。
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「「議員、官僚、大企業、警察等の信頼感」調査」によると、日本では国会議員よりはマスコミの方がまだ信頼感は高いそうですが……それでも医者の習性が働いて、マスコミのことばを信じ込む前にまずは「事実」の確認からです。
「平成20年第25回経済財政諮問会議議事要旨」から引用します(11ページの部分)。
(麻生議長)67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやた
らにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になると
こちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているか
らである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の
分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれる
とか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。
病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、「今日ここに
来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタ
クシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけで
ある。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間し
たら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思
議に思ったことであった。
それからかれこれ 30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじ
めにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何
かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。
非常に単純化して言うなら「不養生・不摂生をするから体が弱り病気がちになるんだ。そういった人は生活を改めることで“健康”になれる、あるいは病気が予防できる。自分が良い例だ。それで医療費が抑制できる」となるでしょう。(だったらそう言えばいいのに、同窓会だのよぼよぼだの枝葉をつけて言うからマスコミに適当に刈り込まれて“整形”されてしまうのです。
ただ、病気の原因は不摂生だけではありません。たとえば、先天的なもの・遺伝・外因の病原(インフルエンザ・ノロウイルスなどの病原体や、森永ヒ素ミルクやサリドマイドや水俣病など)・事故・加齢など、個人としてはどうしようもないものはいくらでもあります。さらに、一見個人の不摂生に見えても社会的な強制(過重労働による過労死など)も。それらを除いた「個人としてなんとかできるもの(生活習慣病)」については個人で(生活習慣を)ナントカできないのか、とことばを惜しまず言えばいいのにそれをしないから、「首相は『病気は個人の責任なのにその金をなんで私が払うんだ』と言った」となってしまう。
ということで、たまには首相の“弁護”をしてみました。
私は、中曽根さんの原爆病院での「病は気から」発言を思い出しました。あれも「病気があっても元気を出し て」が真意だったはずですが、言った場所と選んだことばのマッチングが最悪でしたっけ。政治家だったら、「自分が言いたいこと」だけを言う(「真意」を押 しつける)のではなくて、最初から幾つかの異なる立場の人を聴衆として想定してから発言した方が良いんじゃないかしら。もちろん「究極の八方美人」が理想 の政治家かと言えば、必ずしもそうは言えませんが、この場合はわざわざ「敵」を作らなければならない状況ではないでしょう? 「敵」を作るには、作るべき 場所と状況は選ぶべきです。
た・だ・し、ことばを惜しんだのか事実を知らないのかの区別もつきませんが、もし惜しんだのだとしても、あれでは、政治家としては失敗というか失格と言われても仕方ないとは思います。社会保障の理念(健康保険制度の原則)は、相互扶助であって“投資”(“払った金”の分に見合うだけの“利得”を期待する)ではないのに、上で引用した発言を素直に取ると首相は30年間それを理解せずに政治家を続けている、ということになりますから。公的な場での政治家の発言ではなくて「酒場でTV見ながらの無責任な放言」だったらOKなレベルですけどね。
そうそう、上記の首相の発言、議事要旨を最初から読んでいるとどうも直前までの流れとつながりが悪いのも気になります。もしかして「言いたい時に言いたいことを言う。他人の発言は無視」のタイプ? それとも、それまで続いた抽象的で観念的でふわふわした議員たちの議論に対して(中には少しでも現実的な話をしようとしている人もいますが)、もうちょっと“現場”に足をつけた話を出したかったのかな。
もう一歩踏み込んで考えてみます。11月22日に「読書感想『健康不安の社会学』」で書きましたが、「お上」が「個人の健康」に熱心に口をはさむのは結局社会の健康不安を助長させます。そこまで考えてから「政治家として」国民の健康に口を出さないと、良かれと思ってやったことが別の不幸を招くことになりかねません。政党の中のパワーゲームも複雑でしょうけれど、この世はもっと複雑なのです。
……あらら、弁護するはずが批判になってしまいました。だけど、ポジティブな批判だから、OKですよね?(と自己弁護)
※いつも思うのですが、政府の文書はどうしてやたらとPDFにするのでしょう。上で引用した中央調査社のページはグラフがあるので必要性が理解できますが、議事録のようにグラフやイラストが含まれない文字だけのファイルはふつうのテキストファイルで良いんじゃないかなあ。PDFは重くてかさばって扱いにくいのですが、なにか“事情”があるのかな。
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お役所から病院に書類が来ていました。読んでみると、「○○を××されたい」「□□を××されたい」といった文章がいくつも並んでいます(「××」のところは「周知」とか「明記」とかです)。大げさに言うと「されたい」のオンパレードです。
だけどこの文章の真意は「××をしろ」です。
私の国語力では「される」は「する」の尊敬・受け身形です。で「され+たい」は「される+希望・要求」。尊敬語を用いることで命令形の強さを少しでも和らげようとしているのかもしれませんが、しょせん「尊敬」はことばだけで、真意が「逆らったら怖いぞ」であることが透けて見えるから、読んでいて微妙に気持ち悪くてしかたありません。そもそも、尊敬と命令は相性が良いとは思えません。単なる形式的な敬意はかえって相手に失礼です(慇懃無礼)。あっさり「○○を××すること」「□□を××しなさい」で良いじゃないですか。どうしても「された」を使いたいのなら「○○を××されたし」だったら、“命令”がわりとストレートに感じられるので、私は「されたい」ほど気持ち悪くはありません。結局意味は同じですけれどね。
※もしかしてもしかして、「される」は尊敬じゃなくて受け身? お役所から「病院は役所の思うがままに“され”なさい」とあらためて通達されているのかも。
そもそも私の日本語感覚で「されたい」を使うとしたら……たとえば「あなたに優しく愛されたい」とか「あなたに優しく介抱されたい」といった用法となります。(しかしなんで「優しく」が並ぶかねえ。もしかして私は優しさに飢えている?)
ところで相手への希望・要求として「されたい」を使うのは一般社会常識ではごくふつうのことなんですか? たとえばこういった文章を普通に書く人は家に帰っても「晩酌は日本酒二合にされたい」「今夜の風呂のお湯は、摂氏42度にされたい」とか言うのかしら? あるいは「今夜のセックスは1時間はされたい」とか……あ、これはこれで意味が通ってる?
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介護保険に関して「来年度から報酬を増やすから頑張れ。人を増やせ、給料も増やせ」という厚労省のありがた〜いお触れに対して、民間業者の動きがとっても鈍いそうです。
さて、「収入が増える」と聞けば喜ぶのが“ふつう”です。今回なぜ民間業者は“喜”ばないのでしょう? 私と同じようにひねくれ者ばっかり? そんなことはありません。世間には素直な善人があふれているはずです(だからこそ詐欺事件が横行します)。
日本には「二階に上げてハシゴを外す(あるいは「ハシゴを外された」)という言い回しがあります。実は厚労省は、その前の厚生省の時代から、“その手”が大好きなのです。診療報酬を上げることで“経済誘導”をしておいて、それにつられて医療機関が集まった(施設を改装したり設備を揃えたり人を集めたりした)ところでどんと診療報酬を下げる、を何回やったことか。それどころか、現在の話題のフィールドとなっている介護保険では、介護保険適用の療養病床を(削減どころか)ばっさり廃止としたのは記憶に新しいところです。「設備投資」とか「減価償却」ということばを身をもって味わったことがない人が政府にはいるようです。
いくら“善人”でも、少しでも記憶力や判断力がある人間が経営者だったら「来年度から報酬アップ? ふーん。で、何年後にダウン?」と思っても不思議ではないでしょう。“恒久的”定率減税でさえあっさり廃止しちゃう政府が、こんどの政策(予定)には「恒久的」もつけていないのですから。選挙前に一時だけぶち上げてちょっとやってさっさとやめる気満々と見られてもしかたありません(ついでですが、ここの「一時」は「いちじ」よりも「いっとき」です)。
つまり、今回の介護報酬の件は、単なる「金の問題(経済)」だけではなくて「政治の問題」なのです。もうちょっと踏み込んで言うなら、「この国の政治が信用できるかどうかの問題」。で、ここで必要なのは「私を信用してください」と懇願したり「おれが信用できないのか」とすごむことではなくて、「国としてのグランドプラン」を(美辞麗句だけ並べ立てるのではなくて)理念とともに具体的な政策としてそのデータや金銭的な裏付けや人の手当などを明確にしてきちんと明示することです。それなしで行き当たりばったりにソロバンだけ振り回してうろうろするから、信用が落ちるのですよ。(あ、振り回しているのは今は電卓ですか。それは失礼)
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