おかだ
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2012/02 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

< 前のページ
2012.02.13 18:52 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

速効

 基本的に薬は早く効いてくれる方が嬉しいものです。「3年殺し」なんてことばがありますが、その逆で「飲んで3年経ってから効き始めます」はあまりに気が長すぎる。薬剤が“効く”ためには、体内に入って血液に乗っかり標的とする臓器に到達してそこで仕事を始めなければなりません。だったら「体内に入る」「血液に乗っかる」「到達する」「仕事をする」のどれかあるいはすべてのステージで“時間短縮”が行なわれたら、「薬が早く効く」ことになります。
 そういえば「注射の方が飲み薬よりも強い」と信じている人がいますが、これは「薬そのもの(分子構造)の差」ではなくて、「血管注射だったら最初から薬効成分がまるまる血液の中に存在できるが、飲み薬は消化吸収の効率が100%ではない」と「効き始めまでの時間が注射の方が早い(飲み薬は一度胃や腸を経由してから血液に入ってこなければならない)」と「消化吸収されたら一度肝臓を通ってそこで多くのものが解毒(破壊)されてしまう」という要素が大きく影響しているのではないか、と私は思っています。
 注射と言えば、インスリンの注射もかつては「即効型」が一番早いものでしたが、最近は「超速効型」というのが出てくれて血糖のコントロールがやりやすくなりました。
 しかしあまりに早いと「あれ?」と思うことがあります。「まだ薬が効く時間じゃないだろ?」と。

 たとえば狭心症。ニトログリセリン舌下錠を口に入れた瞬間胸の苦しさが消失。まだ錠剤の成分は血管に入っていないはず。
 たとえば腹痛。薬をごっくんと飲んだ瞬間痛みが消失。薬はまだ食道、あるいは胃の中に入っていてもまだ溶けていないはず。
 たとえば低血糖。ブドウ糖を口に入れた瞬間症状がすーっと楽になる。糖はまだ口の中で血糖はまだ動いていないはず。

 たぶんプラセボ効果で説明はできるとは思うのですが、もう一つ、心身症のようなもので「肉体」ではなくて「心」の方で症状が出ている場合にもこんな現象が起きるのではないか、と私は感じています。
 そんな人の場合、薬を飲む“前”に効果が出るくらいの超々速効型の薬があると嬉しいんですけどね。どんな薬でも副作用はつきものなので、できたら「肉体」に不要な副作用は出したくないのです。


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.11 07:12 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

気胸だぶる

 別の病名で入院してきた人が、胸のレントゲンを撮ったら気胸でびっくり、という話題は以前書きましたが(「正しい訴え」http://blog.m3.com/ishi-atama/20110521/1)、先日その逆の立場になりました。こちらから別の病院に転院した患者さん(μ1さん)が、そちらで胸のレントゲンを撮影したら気胸だった、と。で、そちらの医者が「前の医者は何をしていたんだ」と言ったのを聞いた家族の人がおかだに対してご立腹、とのことでした。
 私が何をしていたかと言えば、もちろん日々の診療です。特に胸の訴えはなかったし、胸部に関連する症状も全然なかった、ということは思い出せます。胸のレントゲンはたまたま1箇月前に撮影していましたが、そちらではもちろん気胸はありませんでした。ですから、転院直前に胸の精査をする必要性を感じていませんでした。
 もちろん「気胸があった」以上、私が見逃した可能性があります(移送途中に肺のどこかが破裂したのでない限り)。ならば「見逃さない」ためには何をすればよかったのか、と考えても結論は出ませんでした。強いて言うなら「毎日レントゲン撮影」ですが、それは非常識な解決法にしか思えないのです(不必要な被曝ですし、それだって、撮影直後に気胸を起こしたら24時間放置したことになります)。見苦しい自己弁護、と言われても仕方はありませんが。
 その話を聞いた直後に、入院患者のμ2さんの胸のレントゲンができあがりました。μ2さんはこの1箇月で2回目の尿路感染症で、尿路系の精密検査が必要だと思っているのですがなかなか条件が合わず延び延びになっていて、今回はなぜか咳や痰もあったため、「ふだんからむせも軽くあるし、まさか誤嚥性肺炎も?」と思って血液や尿検査と一緒に胸写もオーダーしたのでした。見ると、肺炎はありませんが、軽い気胸が。一瞬めまいがしましたが気を取り直します。刮目して名前を見直しますが「μ2さん」で「μ1さん」ではありません。これはもう合わせ技で肺と尿路系とをいっぺんに診てもらうしかないでしょう。気胸そのものはまだ軽いので安静で改善する可能性もありますが、もし悪化したら私の病院では管理が困難なので、悪化してから慌てるよりも軽いうちから濃厚治療が可能なところで診てもらっている方が安心です。
 で、話がややこしくなりました。実は「μ1さん」と「μ2さん」、同姓同名ではありませんがちょっと似た名前なのです。しかも「気胸」という共通のキーワード。おかげで、話を途中から聞いた人たちは両者を混同してしまって病棟に軽い混乱が。私はそういったのは一切無視して最善の選択肢と思われる病院を手配し本人と家族に説明することに専念していましたけれどね。
 しかし、今回は「見逃し」をせずに済んでよかった、と思います。もちろんこんどは別の病気を見逃しているかもしれませんが。

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.07 06:59 |  診療  |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

音楽療法

 音楽には不思議な力があります。人を落ち着かせたり、逆に鼓舞したり、気分や感情や雰囲気にダイレクトに作用する力が。
 古代から人類は音楽を様々な目的で使ってきました。たとえば宗教や儀式の場で音楽は重要です。キリスト教教会でのミサ曲とかバリ島のケチャなどのレコードを聴いていると「現場にいたら魂が洗われるんだろうな」と思うことがありますし、仏教の声明でも似たことを感じます。録音を聞くだけで軽いトリップ感覚が味わえますから。

 世の中にはいろいろ変った(世間にはあまり知られていない)職業がありますが、「音楽療法士」もその一つと言えるでしょう。音楽の効果を“治療”に使う人たちです。

参考サイト:「音楽療法WEBガイド

 このサイトを読むと、本当に様々な領域で音楽療法が用いられていることがわかります。私は精神科や心理学の領域での芸術療法の一環としての音楽療法は知っていましたが、それ以外にもけっこうあることには驚きました。
 音楽療法について述べた本はいろいろありますが、『音楽と感情の心理学』(P・N・ジュスリン&J・A・スロボダ 編、大串健吾・星野悦子・山田真司 監訳、誠信書房、2008年(10年2刷)、5600円(税別))
の第4章「音楽と感情──音楽療法からの展望」はなかなかスリリングなものでした。そもそもこの本はタイトルの通り「感情」と「心理学」を扱ったものですが、「音楽心理学で最も権威ある『音楽の心理学』には感情に関する章がなく、最も広範に感情を扱った『感情のハンドブック』には音楽の章がない」なんて挑発的な文章から始まる刺激的な本なのです。
 もうちょっと“穏やか”な入門書、たとえば『音楽療法のすすめ ──実践現場からのヒント』(小坂哲也・立石宏昭 編著、 ミネルヴァ書房、2006年、2200円(税別))なんてのもあります。実践している人の本だからか、わかりやすいものでした。

 そうそう、「がん生検時の疼痛緩和に音楽や外部音遮断は有効?」(MTPro)という面白い記事もありました。残念ながら音楽が不安や疼痛を軽減する、とは言えなかったようですが、生検時の収縮期血圧の上昇を抑える作用はあるようです。それと、この記事を読むことで「生検時に患者さんは不安や疼痛を感じている」ということに改めて気がつく医療者もいるかもしれません。だとしたらこの研究で使われた音楽も無駄ではなかった、と言えそうです。

 先日、μさんという患者さんと話していたらご自分の音楽体験を教えてくれました。μさんは脳卒中後遺症で重度の右片麻痺になっています。それでもアクティブにいろいろな活動をされているのですが、好きだった楽器演奏は片手では難しくて「私がピアニストだったら、左手一本でも弾ける曲があるのになあ」などと言われていました(たしかに「左手のためのピアノ協奏曲」(ラヴェル)、「ピアノ協奏曲第4番/左手のための」(プロコフィエフ)、「パレルゴン」(リヒャルト・シュトラウス)、「ディヴァージョンズ」(ベンジャミン・ブリテン)、「ピアノ協奏曲」(コルンゴルト)、「左手のための2つの小品(前奏曲、夜想曲)」(スクリャーピン)などがあります。日本では舘野泉というピアニストがその分野では有名だそうです)。それでもμさんは音楽を楽しもうと、ある日好きな交響曲を大音量で聴きながらその総譜を目の前に広げて読んでいたのだそうです。で、譜面をめくろうとしたら、動かないはずの麻痺側の右上肢が音楽に合わせてぴくぴくと動いているのに気づいた。これまで何年も動こうとしていなかったのに。これまでもその曲は何度も聴いていましたが、右腕は動きませんでした。ただ、総譜を集中して見ていたのはその時が初めてだったのだそうです。耳と目を同じ音楽に没入させることで、脳内に何か新しい回路が開通したのかもしれません。

 音楽には不思議な力があります。

 

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.02 06:53 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

死語(150)カキリコ

 前世紀の末頃、経管栄養を行なっているといろいろな問題がありましたが、その一つが「微量元素の欠乏」でした。特別濃厚流動食は工場で生産されますが、あまりに“きれい”に生産されるものですから“不純物”がないため、ずっとこの“食事”に頼っていると亜鉛や銅などの微量元素が足りなくなってしまうのです。そこでそういった食事に追加するサプリメント(栄養補助食品)が別に売られていました。カキリコはその一つです(というか、私はそれ以外を知りません。記憶から消滅しただけかもしれませんが)。
 名前を見たらわかりますが「牡蠣」から抽出されたものが主成分だそうです。当然亜鉛はリッチでしょうね。
 「わざわざ“不純物”を混ぜるのか」と私はぶつぶつ言いながら使っていましたが、最近の特別濃厚流動食はずいぶん進歩して、最初からそういった微量元素もちゃんと含まれているために、カキリコのようなサプリを追加する必要はなくなったそうです。企業のサイトを見ると、どうもすでに製造していない雰囲気です。私の記憶から「カキリコ」という名前までもが消滅する前に、ここに記録だけは残しておきます。

 

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

 「人工栄養」の続編です。

胃ろう中止も選択肢に 終末期医療の原則、学会が改定」(朝日新聞)

 「口から食えない」→「胃瘻造設」、と“自動的”に話を進めるのではなくて「ちょっと待て、本当にその処置は最適なのか?  最適だとして、それは“誰”にとって?」と立ち止まって考えよう、という趣旨には賛成です。頭を使わずに、なんでもかんでもとにかく医療行為をすれば良いんだ、というのには、そもそも「頭を使わず」の部分に疑問を覚えますので。
 ところでこの記事の冒頭「胃に管で栄養を送る胃ろうなどの人工栄養や人工呼吸器の装着は慎重に検討し、差し控えや中止も選択肢として考慮する」とまるでついでのように「人工呼吸器の装着」があるところに私はまず注目します。このキーワードで私が想起するのは当然「カレン裁判」です。この裁判では、紆余曲折の結果人工呼吸器を外すことを認める、という画期的な判決が出ました。で、人工呼吸器のスイッチを切ったら即死するのではないか、という一部の予想を裏切ってカレンさんはそれから9年間植物状態のまま生き続けて結局肺炎で亡くなったのでした。
 「QOL」の観点からは、カレンさんの“肉体(生命)”に人工呼吸器があった方が良かったのか悪かったのか、どちらだったんだろう、と私は思っています。カレンさんの“人生”に人工呼吸器があった方が良かったのか悪かったのか、どちらだったんだろう、とも私は思っています。そしてその「決断」をする立場でなかったことを、ひそかに喜んでいます。その決断とそれに伴う責任があまりに重すぎますもの(というか、その責任を負う覚悟のない人間がいろいろ偉そうに直接口を出すことは少し控えた方がよいと思います)。
 ただ……カレンさんの場合「人工栄養」はどうだったのでしょう。当時はまだ胃瘻はポピュラーではなかったけれど、人工呼吸器と同時に栄養もストップしていたら「9年間」はあり得ないように思うのですが。

参考サイト:「カレン事件」(Jinkawiki)


 記事に戻ります。
 次に私が気になるのは(例によって)「主語」です。この記事には
>>「胃ろう造設を含む経管栄養や気管切開、人工呼吸器装着などの適用は慎重に検討されるべきだ」と指摘した。
とあります。で、なぜか受身形で書かれている「検討されるべきだ」を能動形に直したら「検討するべきだ」になりますが、その「主語」は?  誰が(どこで)検討するんです?  さらに、「誰が検討するべきか」は誰がどこでいつ決定するんです?

そして、それに続く部分
>>具体的には「本人の尊厳を損ねたり、苦痛が増えたりする可能性があるときは、差し控えや撤退を考慮する必要がある」
で「考慮する」の「主語」は?  誰が(どこで)考慮するんです?  「誰が考慮するべきか」の決定は誰がどこでするんです?

 非常時(大災害でのトリアージなど)を除いて、医者が勝手に「この人は死ぬべきだ」なんて決定をしてはいけませんよね。ですから、ベッドサイドで「お前らはおれの言うことを黙って聞けば良いんだ」と医者がスイッチや管に手をかける、は“却下”でしょう。
 では本人?  でも本人が認知症や失語症や植物状態になっていたら? 
 では家族?  その「家族」の範囲は?  「決定」をしたあとになって突然「遠くにいた近親者」とか「どこかにいた遠い親戚」とかが出てきて「そんなことは認められない」と言い出したら、どうします?(一般的な処置でもそんなことはよくあります。ましてこの問題では生死が絡む(ものすごく即物的ですが、遺産相続も絡んでくる)のですから、必ず「家族間」でも(家族間だからこその)トラブル頻出が簡単に予想できます)
 もちろん法的な問題もあります。私は「殺人、または殺人幇助、あるいは職務怠慢で医者を訴えてやる」気満々の人の好餌になる気はありません。

 で、繰り返しますが、素朴な質問です。「主語」は?  そして、その「主語」を決定する「主語」とその根拠は?


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.01.24 06:49 |  診療  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

思春期外来

 私が学んだ大学の付属病院には、おそらく当時としてはまだ珍しかった思春期外来がありました。担当していたドクター(婦人科の教授)の授業も一コマありましたが、講義の内容はきれいに忘れました(出来の悪い学生(のなれの果て)で申し訳ない)。たしか、思春期特有の身体変化と精神の成熟のアンバランスから生じる様々な問題に対応する、だったかな。
 今「思春期外来 ○○(各地域の名前)」で検索をかけてみると、日本には本当にたくさん思春期外来が存在していることがわかります。担当しているのも、婦人科だけではなくて、小児科・小児精神科・精神科・泌尿器科・心療内科……およそ「思春期の問題」に関係しそうな科は大体網羅されているのではないか、と思えるくらいバラエティに富んでいます。
 ただ……ここで私は「仮面うつ病」を思います。この病気の人は、最初からストレートに精神科を受診することが非常に少なくて、他の科を転々とすることで不幸が拡大することが多くあります。それと同様に「思春期外来を受けるべき人」が最初からストレートに思春期外来を受診することは、実はとても少ないのではないか、と私には思えるのです(私の勘違いだったら、それはそれで嬉しいのですが)。最初から受診しないか、あるいは受診しても小児科とか内科……おっと、その前に、保健室を忘れてはいけませんね。すると、もしそういった人が気軽に保健室に来ることができて、そしてそこで養護教諭やスクールカウンセラーが“その目”で生徒・学生をみることができて、さらにそういった人が適確な紹介ができるだけのネットワークを持っていたら……思春期外来で少しは不幸が軽減できる人を(他の科を受診することと比較すれば)増やすことができそうに思います。


人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.01.23 06:39 |  診療  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

●死語(149)ソルコセリル40本

 「抗ヒスタミン剤」といえば「鼻水の薬」と言いたくなりますが、ヒスタミンのレセプターは胃にもあってそこにヒスタミンが結合すると胃酸が分泌されます。ということは、そのレセプター(H2レセプターと呼ばれます)を遮蔽してしまえば胃酸が出にくくなる、ということで登場したのがH2ブロッカーであるシメチジン(商品名タガメット)でした。現在この薬は大日本住友製薬から販売されていますが、私の記憶では日本に初登場時には藤沢薬品が扱っていた、となっています。当時は200mg錠を一日4回服用するのが結構大変でしたが(現在は400mgずつ一日二回服用です)、とにかく「胃潰瘍が飲み薬で治る」ということ自体が「衝撃体験」でしたっけ。
 で、そのあおりを食ったのが、それまでの「潰瘍治療薬」、特にソルコセリルでした。詳しい使い方はもう忘れてしまいましたが、一日1回静脈注射で、1回が1アンプルならトータル40回、1回が2アンプルなら20回、がワンクールだったはずです。
 当時の消化性潰瘍治療では「胃内での攻撃と防御のバランス」が重視され、「攻撃因子」である胃酸を効果的に押さえられないから「防御」を上げることで対応しよう、と、粘膜保護剤(いわゆる「胃薬」)や肉芽形成が強いソルコセリルが医者には愛用されていました。しかし、タガメットの登場で医者が「ソルコセリル!」と言う機会は激減しました。飲み薬で治るのだったら、毎日注射に通いたい人はあまりいません。
 タガメットは一時我が世の春でしたが、生者必滅栄枯盛衰、後から出てきたザンタックやガスターにその座を奪われてしまいました。だって、服用する回数が一日に二回で効果はタガメットと同等あるいはそれ以上なのですから、飲みやすい方に飛びつくのが人としては自然です。
 やがてH2ブロッカー自体がもっと制酸効果の強いPPIと呼ばれるグループの薬に、その地位を追われることになります。
 べべんべんべん(琵琶の音のつもり)。

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (8)

2012.01.20 06:53 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

死語(148)非定型抗酸菌症

 私は学校で「非定型抗酸菌症」と習いましたが、今では「非結核性抗酸菌症」と呼ばれています。一見すると、今の呼び方の方がわかりやすいですね。
 「抗酸菌」というのは「飲み込んでも胃酸に耐えて生き残る細菌」のことではなくて「塩酸酸性アルコールによる脱色に抵抗する細菌」のことです(実際には胃酸の中でも生きているので、昔は胃液を採取して結核菌培養、というテクニックもありました)。抗酸菌の代表が結核菌。で「結核菌以外の抗酸菌」が昔は「非定型抗酸菌症」、今は「非結核性抗酸菌症」というわけです(らい菌も抗酸菌の仲間ですが、「結核菌」にも「非結核性抗酸菌症」にも入れてもらえません)。
 「非結核性抗酸菌症」の代表は「Mycobacterium avium complex」略して「MAC」。そのへんの土や水の中、つまり「自然環境」に広く存在しています。一応「人→人」に感染はしないことになっていますが、治療が難しい。結核に使う薬剤やクラリスロマイシンという抗生物質を長期間使うので、副作用も出やすく、治療には難渋します。どうにも困った病気ですが、あまり広く知られていない、ということ自体も困ったことではありますね。たまにこの病気を持った人が入院してくることがあるのですが、そのたびに病気の説明をしないといけません。病棟のスタッフでも「非結核性抗酸菌症」の「結核」の部分に反応して「結核、コワイ」と言う人がいるのです。「非」がついてるでしょ、と言っても「たとえ結核でも排菌がなければコワクない」と言ってもなかなかわかってもらえないことがあるのは、私の説明が下手くそなせい?(泣)

人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.01.18 18:41 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

ペンは剣よりも強し(誤用)

 wikipedia「モンスターペイシェント」には3人の「具体例」があげられています。

・踵骨骨折で生命に別状はないので医師は3日後の手術を予定したが「新聞社で医療を担当している」と伝え受診当日の緊急手術を強要。
・医師から兄への治療法の説明の場に同席し執拗な質問を繰り返し、医師に無料で長時間の時間外労働を強要する。
・緊急性のない蓄膿症で夜間に救急外来を受診し、緊急CT検査と同日の結果説明を強要する。

 最初の記事を読もうと読売のサイトで「医療ルネサンス」をキーワードにして検索をかけてみましたが、記事は出てきませんでした。ただ、ありがたい時代で、ネットで検索をすればいろいろわかります。ふうむ、書いたのは渡辺勝敏さんという記者ですか。「救急車で来たのに、即日手術をしないとは何ごとだ」と言い、それでも渋る医者に「自分は新聞社で医療を担当している」と休日の緊急手術を強要しています。
 この態度は「ペンは剣よりも強し」を悪い意味で実践しているように私には見えます。「自分のご機嫌を損ねたら、新聞に何を書くかわからないぞ。それでもいいのか?」と。(本人はそれの何が問題かはちっともわかっていない(むしろそうするのが当然だと思っている)ようですが(当然だと思うからそのことについて平気で公表できるんですよね?))

 2番目の記事は覚えています。「記者日記:医師の説明」というタイトルです。自分の体験を記事にしたのは平野幸治さんという毎日新聞の記者。記事の内容について見当がつかない人は、記者と医者をひっくり返した「医者日記:記者の説明」でも読んで想像してください。
 この態度も「ペンは剣よりも強し」を悪い意味で実践しているように私には見えます。「自分のご機嫌を損ねたら、書いちゃうぞ」と。

 3番目は、あら、毎日新聞の奈良支局の高瀬浩平さんという記者ですね。あの支局はたしか奈良の産科医療を崩壊へと追いつめるのに大変貢献したところのはずですが、それだけでは足りずに、インフルエンザ流行期にわざわざ夜になるのを待ってから記者を派遣して内科を受診させたようです。ただ、「説明を強要」と言えるかどうかは疑問。検査をして結果がすぐ出るのなら同日に結果説明をするのは当然でしょうから。
 だからといって、やったことを褒めるわけにはいきません。コンビニ受診のすばらしいお手本を示して医療資源の間違った使い方を広報することで救急医療の疲弊を増やす方向にぐいと押した、という点ではもちろん責められるべきでしょう。たぶん本人にはその自覚はないでしょうけれどね。救急医療を潰したい、という秘められた意志の表明かな(表明した時点で秘められてはいませんが)。(こういう書き方をしたら「しんどくても記者だったら受診してはいけないというのか!」という“反論”が予想されます。だから先に答えておきましょう。本当にしんどいのだったら正規の時間内に受診してください。どうしてもコンビニ受診をしたいというのならそれを阻止はできませんが、せめて「自分はコンビニ受診をしたぞ〜」と世界に吹聴するのは止めてください。真似する人間がどんどん出たら責任とれます?)

 明治時代だったかな、「羽織ゴロ」「羽織ヤクザ」という言葉がありました。羽織(昔の正装)を着るような良い身なりをしていながらゴロツキやヤクザ(正道を踏み外した連中)のような行為をする者、という意味ですが、笑っちゃったのはwikipedhiaの「羽織」のところにちゃんと「羽織ゴロ、羽織ヤクザ」の項目があって、そこに「草創期の零細新聞社は、社会的影響力をもって脅迫まがいの行為を働くこともあったことから、新聞記者に対して「羽織ヤクザ」という言葉も使われた」とあるところ。でも、読売新聞も毎日新聞も「草創期の零細新聞社」じゃないですよねえ。wikipedhiaの記述を訂正した方が良いのかな?  たとえば「羽織を着たら羽織ゴロ、羽織を脱いでもゴロはゴロ」とか。


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (10)

2012.01.12 18:43 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

ないがしろ

 入院患者さんの調子が悪くなりました。たぶん専門の内科ですむとは思うが最悪手術になることも前提に治療計画を考える必要がありそうだ、という判断で、まずは一番近くの総合病院にベッドの確認(打診)。幸い空きベッドがあったので、とりあえず仮押さえをしておきます(まだ一分一秒を争う段階ではないので、本人と家族が反対をしたら別の病院を考える予定です)。本人は「おまかせします」。そこで家族に電話をしましたが、あらかじめ届けてもらっている「緊急時の電話の順番リスト」の1番と2番の人が電話に出ません。留守番電話モードにもなりません。「さて困ったぞ。携帯電話の時代になってからこんなことが増えたなあ」とぼやきながら3番目の人に電話をしたらやっと通じました。これこれしかじかなので、と説明したら、転院は快諾、入院手続きにも同行してくれる、ということでとりあえずこちらは安心です。で「リストの1番と2番の人に連絡が取れなかったんですけど……」と言いますと「ああ、それもこちらでやっておきます」と。これでますます安心です。総合病院に再度電話。さっそく転院となりました。
 ところがこれがトラブルに。1番の人が「自分が1番なのに、ないがしろにされた」と苦情を申し立ててこられたのです。よくよく聞くと、「3番の人」は1番と2番には連絡をせずにいたとのこと。
 さて、こういった場合、私はどうすれば良かったのでしょう。
1)1番の人が電話に出るまで、ずっと電話番をする。
2)仲が悪い兄弟の仲が良くなるように努力する。
 今の日本では、「そういったこと」が「医者の仕事」になっているようです。でもそれって、患者のことに集中しているより家族の面子を優先しろ、と言われているような気もするのですが。

 しかし、「自分は一番だ」という“権利”を主張する人には、「病院から電話がかかったら必ず出る」という“義務”もあるんじゃないです?  少なくとも私は病院からの電話には時間も場所も無関係に必ず出ますから、「人間にできる範囲内の行動」ではありますよ。


固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)