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「記者クラブ制度にあぐらをかいた記事」や「記者クラブ制度そのもの」に対してあちこちから批判がありますが、その批判に対する“反論”がありました。
「記者クラブについて書いておこう」(西島雄造/あらたにす)
「新聞批判はしばしば、ここに書かれているように「役所から大量に流れ出てくる当局情報に寄りかかってしまう」記者クラブという書き方に収斂しがちである。官報の垂れ流しといった表現も目につく。私はこうした批判に出くわすと、この人は新聞記者としての取材経験がないか、記者の仕事をよほど甘くとらえているに違いないと思うことにしている。」
と「1/3」に書かれているのを読んで、思わずわくわくと期待してしまいました。「記者クラブに属していても、記者は非常に熱心にきちんと現場の取材をしているんだぞ」という主張が「2/3」「3/3」で出てくるに違いない、と思いまして。もちろん私には「新聞記者としての取材経験」はありませんから、“記者の実像”をその経験者から教えてもらえるのは大歓迎なのです。そして、喜んで私の“思い込み”を訂正いたしましょう、と思います。
で、読んでみたら、肩すかし。なにしろここに登場するのは「武見太郎」が現役時代の「40年前の厚生省の記者クラブでの自分の体験談」なのですから。要約するなら「おれの若い頃には、汗水垂らして走り回ったものだ。どうだ、すごいだろう」のただの自慢話(というか、この程度で自慢話になると思う感覚に私はついて行けません。ち〜っともすごいとは思えない程度の行動に過ぎませんから)。
たとえば私が「おれの若い頃には病院ではこんな風に仕事をするものだった」と言い立てても、それはあくまで「おかだの若い頃の話」です。でも、今の医療に重要なのは私の思い出話(や自慢話)ではなくて、「今の医療現場で実際にどのように仕事がされているか」です。西島さんがいくら「おれの若い頃には」と言っても「現在の記者クラブ所属の人間がどのように仕事をしているか」「その結果どのような記事が生産されているか」「それが世界にどのような影響を与えているか」に対して言及がなければ、何の意味もない文字の羅列でしかありません。あ、訂正。「何の意味もない」は言い過ぎですね。少なくとも書いた人は「自己満足」はできるでしょうから。
しかし、ここで「問題」になっているのは「記者がちゃんと調査報道をしているかどうか」なのですから、その“主題”にふさわしく、思い出にふけっているのではなくて、“現実の現場”(現在の記者クラブでの記者たちの取材ぶり)をきちんと調査するか、さもなければ現在の多くの新聞記事を分析して「ほら、記者クラブ経由の記事も発表原稿ばかりではないだろう?」と証明してみせるか、どちらかをして欲しかったなあ。「おれの若い頃の話」は、先輩に言い返せない後輩相手にでも開陳していてください。何の義理もない赤の他人は、よほど面白い話でなければ、ただの時間の無駄、としか思いませんよ、というか、思いました。
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