「病気をしたことがない医者には、患者の気持ちはわからない」ということばがあります。それをひっくり返して、医者が「病気になってはじめて患者の気持ちがわかった」と言う手もあります。
私も以前は「そうだろうな。だから病気をしたことがある医者はその分“有利”かな」などと単純に思っていましたが、最近はそれからもう一歩先を考えるようになっています。その「病人の気持ち」がわかる人って、誰だろう?と。逆に言うと、その病人の気持ちがわからない人は誰だろう?となります。
最初からの流れではもちろん「わからない人」は「その病気の経験を持たない医者」となります。だけど、前提条件の「その病気をしないとその病人の気持ちがわからない」が正しいのだったら、「わからない人」は医者だけでしょうか。家族とか世間一般の人たちも、条件は同じでは? 「病人の近くにいる」だけで「病人の気持ち」がわかります?(もしそばにいるだけでわかるのなら、ふだん“職場”で病人のそばにいる職業人はそれだけで十分だということになります)
さらにもう一歩。病人本人はどうでしょう。その人が病気になる“前”に、その「病人の気持ち」がわかっていたでしょうか。なったからこそわかるけれど、それ以前にはそういったことにはまったく無関心だったのではないです? あるいは、「その病気になった人の気持ち」はわかるにしても「他の病気になった人の気持ち」はわかるでしょうか。
もう一歩。「気持ちがわかる」ことは、治療に必須です? おっと、もちろん無いよりあった方が良いでしょうから、言い方を変えましょう。医者の治療の腕の良し悪しに「医者個人がその病気を経験しているかどうか」がダイレクトに影響を与える因子として働きますか?
個人の数だけ人間はいます。病気の数だけ病気は存在します。すると、国語辞典に載せることができるような一般論としての「病人の気持ち」を定義して「“それ”を持っているかどうか」の判定に夢中になるのはそれほど重要ではないと私は感じます。むしろ「自分は『病人の気持ち』がわからない」ことをまず認識すること、そして、「個々の人間」と「個々の病気」の組み合わせで生じた「この病人の気持ち(それもこの瞬間限定)」が今ここに存在することを認知すること、そしてそこから何をどうすればよいかを考えることをスタートすれば、病人を取り巻く“環境”は、少しは良い方向に変化するかもしれません。
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