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律令制度で、奴婢は「所有物」でした。(官が所有する公奴婢(くぬひ)と私人が所有する私奴婢) 「良民」は日本史の授業で自由農民と習った覚えはありますが、人間を「物」として平気で所有できる社会で「自由」が近代社会と同じ意味で取り扱われていたとは私には思えません。
自由がない状態で人はどのように振舞うでしょう。我慢する・合理化する・満足する・他人の足を引っ張る・抵抗する……などが考えられますが、古代に行なわれた「抵抗」の一つは、逃亡や欠落でした。これは個人的な行動です。それらが組織的に行なわれるようになったのは中世以降のことで「逃散」と呼ばれます。百姓がまとめて逃げ出しちゃうわけ(この「逃散」も、中世の「村の男だけが耕作を拒否して他所に籠る」タイプ(逃げても戻ってくることが前提)と、近世前期の「一家丸ごと他領に逃げる」タイプ(戻ってこないことが前提)に区分されます)。
現在の医療崩壊の状況下で「医師が逃散している」という表現を見ることがありますが、厳密には「医師が逃亡(欠落)している」と言う方が現実に近いように思います。まだ個人的行動ですから。「歴史用語としての正しさ」よりも「意味が伝わればいい」とも思うので、言葉づかいに必要以上に拘泥する必要もないとも思いますが。
さて、江戸時代には「抵抗」の一手段として有名な「百姓一揆」があります。世間一般のイメージでは「竹槍や鎌を持ちむしろ旗をかかげた村の一同が、死を覚悟して代官所に押し寄せる」というものになるかもしれませんが、もともと「一揆」は「一致団結」の意味で(だから毛利元就は「国人一揆」の盟主となっていますし、伊賀は国人領主の国ではなくて「惣国」と呼ばれる一揆体制(地域共同体自治体制)を(天正九年(1581)織田信長による伊賀侵攻(天正伊賀の乱)まで)とっていました(*1))、江戸時代の百姓一揆もその「目的」は「待遇改善(たとえば「年貢をまけてくれ」)のための示威と交渉」。反乱とか革命ではありません。ただ、集団示威行動は容易に“暴発”につながります。だから一揆を主導する者はいかに平和的に行動するかに心を砕きました(*2)。1749年(寛延二年)陸奥国で大規模な百姓一揆が起きましたがその記録「伊信騒動記」には「此度の騒動、天草四郎や由井正雪等の類一揆にハあらで強訴のことに候得ば、手道具を不持ハ勿論のこと」とあります。つまり当時の“常識”では「手道具(武器)を所持していたら一揆」「所持していなければ強訴」です(だから江戸時代の“常識”では「島原の乱」ではなくて「島原天草一揆」でした(*2)(*3))。そして手道具の竹槍で死者が出たのは江戸時代の記録では2件だけだそうです(明治維新後の一揆(騒動)では竹槍による死者が多数出ています)。また、火縄銃も持ち出されましたが、これは「武器」ではなくて「号砲」でした(そもそも村にある火縄銃は「武器」ではなくて「農具」(畑を荒らす獣を殺す・追い払う、ための道具)だからこそ刀狩り後も村に存在を許されていたのです)(*4)(*5)(*6)。で、「暴発してしまった大規模一揆」の代表例が「島原の乱(「島原天草一揆」)」でした。だけど「暴発」は両者に損です。血が流れるし、領主は幕府ににらまれるし、百姓は本来の目的(処遇改善)が果たされませんから。
こうして歴史を眺めてみると、過去の「保険医総辞退」は「強訴」だったのかなあ、と私には思えます。
日本が近代化するにつれ、「百姓」の数は減り「労働者」が増えました。そこでの「抵抗」手段は、ストライキやロックアウト。それに対して警官隊や軍隊が導入され、というのはたとえば『蟹工船』で読むことができます。で、労働組合が作られてかつての「一揆衆」のような役割を平和的に果たすようになった、ということでしょうか。
すると、日本の医者も「労働組合」を作れば良いのかな、と思います。「医者なんかに権利はない」と断言する人も「労働者には権利はない」とは言わないでしょうから。それとも医者は労働者ではなくて公奴婢でしたっけ?
参考図書
*1)『黒田悪党たちの中世史』新井孝重著、日本放送出版協会、2005年、1120円(税別)
*2)『百姓一揆とその作法』保坂智 著、 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー137)、2002年、1700円(税別)
*3)『検証 島原天草一揆』大橋幸泰 著、 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー259)、2008年、1700円(税別)
*4)『刀狩り ──武器を封印した民衆』藤木久志 著、 岩波新書、2005年、780円(税別)
*5)『鉄砲を手放さなかった百姓たち ──刀狩りから幕末まで』武井弘一 著、 朝日新聞出版、2010年、1300円(税別)
*6)『生類をめぐる政治 ──元禄のフォークロア』塚本学 著、 平凡社選書80、1983年、1700円
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大きな地震の後しばらく経つと必ず「動物が騒いだ」とか「地震雲が出ていた」という発言を聞くのですが、そういった地震「予知」はどうして地震“後”に発表されるのでしょう。確かな予知なら地震前に発表して欲しいものですが。
ただ、一日に何万件も「予知」が好き勝手に発表されたら収拾がつかなくなります。だから「発表するのは勝手」として、そのどれに注目するかは「実績主義」としたらどうでしょう。「当たり」の確率が、そうだなあ「7割以上」だったらその人の予知(の方法)には注目する価値がある、とするの。(「7割」というのは、適当です。学問的には95%以上とかなにか厳しい基準があるのかもしれませんし、そもそも「当たり」の定義(震源地、マグニチュード、震度、発生日時などの範囲をどの程度まで認めるか)でもめそうですが、素人談義ですからざっくりと言ってしまいました)
トンデモ医療裁判での後出し屁理屈も同様に扱えそうですね。後出しをするのはOK。ただ、後出しをした人が、“前”にいろいろ医学的な判断をした“当たりの確率”がざっくり7割を越えない場合には、その後出し屁理屈は却下される、とするのはどうでしょう。
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私は小学生の時に「自分は大学に行くだろう」と突然思いました。そこで指折り計算をしたら、小中高大で16年は学校に通わなければならないことがわかり、正直げんなり。子供時代の1年間はそれはそれは長いものでしたから。
ところが、結局私はそれよりも長く学生生活をやってしまいました。医学部が6年というのが誤算でしたし、オマケに大学院にまで行ってしまいましたし(子供の時の予定では、大学院はなかったのです)。まあ、勉強は嫌いではないので、それほど苦痛な年月ではありませんでしたが。
さて、自分の子供の関係でPTAが身近になってからの年数もそろそろその(正規の)学生生活の年数に近くなってきました。四捨五入したらどちらも20年ですからねえ。大体は家内に任せることができるので私はお気楽人生ではありますが、それでも彼女は高率に役員を引いてきてくれるので、そのお手伝いということでPTAは大変身近です(一度などは副会長役を引いてきてくれて、さすがにその時は一瞬ぼーぜんとしましたが)。
PTAの役員が集まると、最近の話題の中心はやはり「授業崩壊」。クラスの授業の進度が遅れているその原因がたった一人の生徒の問題行動、なんて話を聞くと、同級生たちも教師も大変だろうな、と同情してしまいます。
これまでにいろんなパターンの問題行動の話を聞いてきましたが、いくつかのタイプ“診断”ができそうに思います。たとえば、広汎性発達障害(自閉症はここに含まれます)・精神障害(特に幻覚妄想を伴うもの)・人格障害……私が具体的な問題行動を聞いて一番印象的だったのは「大人だったら、反社会性人格障害という診断がつけられそうだ」と思うものでした。ただ、「DSM-IV」では「反社会性人格障害は18歳以上」というしばりがかかっているんですよね。一応「発症自体は15歳以前から起き得る」ともありますが。思春期に自我が確立しそれと社会との関りが(健全にせよ不健全にせよ)できあがるのが18歳、というのがアメリカ人の認識なのかな。
そこまで“病的”ではなくて、たとえば単純に授業中に騒ぐのが面白おかしくてたまらない、という明るい悪戯坊主もいるでしょうが。
しかし、これだけいろいろなタイプの人がいたら、その対応も一筋縄ではいきません。対応に関して学校だけが頑張ればいい、というものでもないでしょう。だけど学校に人手が十分あるとは見えませんし、そもそも“そういった方面”に関しては学校は素人集団ではないかとも見えます。だから外部との連携も重要でしょう。たとえば、児童相談所とか児童青年精神科を思いつきますが、そちらも人手が足りていましたっけ?
そうそう、スクールカウンセラーにすべて任せる、というのは非現実的対応です。スクールカウンセラー自身の数がまだ足りませんし、彼らは「心理学」の専門家ではありますが「精神医学」の専門家ではありませんから。
そういえば、「お宅のお子さんは授業中にこんな問題行動をしています」と言ったら「それを問題だという方が、おかしい」と言い返す親もいます。そんな場合には、「その子」と「その子の親」から納得を得ることは無理ですから、“それ以外の人”の納得を広く得られるような処置を取る必要があるでしょう。たとえば退学にしたとき親が教育委員会に不服申し立てをしたり裁判を起こしたときに、その主張に真っ向から対抗できるだけの材料を準備しておくのです。私は「いつ」「どこで」「何をした」「その結果何が生じた」のリストをきちんと記録して残しておけば、それが一番ものを言うのではないかと思います。そのうちに学校も顧問弁護士を雇わなければいけない時代になるかもしれませんが。
なお、幻視や幻聴といった病的な体験を持つ小児は意外に多いそうです。(調査によって、15〜20%)
参考サイト:「小児のサイコーシス」
実際に私も過去のクラスメイトを思い出してみると、たしかにそれらしい人は何人もいます。自分自身、「豊かな想像力」と「幻覚」の境目ぎりぎりのところまで行っていたかもしれません(「自分は大学に行くだろう」も根拠のない思い込み(妄想)と言うことが可能です)。
ともかく、この率の高さからは、精神病理による学級崩壊は、どなたも、他人事とは捉えない(自分(の子)は「被害者」になることはあっても「加害者」になることはない、とは思わない)方がよいと、私は思っています。
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年を取ると無理が段々利かなくなります。これは自然の摂理で仕方ありませんが、私の場合それを一番実感するのは、当直(夜勤)の“後”です。二十〜三十代には夜起こされまくっても翌日はふつうに仕事ができましたが、四十代には翌日にこたえるようになりました。そして五十代では、たとえ起こされなくても翌日に響くようになり、起こされると数日間その影響が残るようになっています。
前々回の当直では真夜中に2回起こされただけで、その後1週間、昼間にも生あくびがよく出て困りました。この場合には、その平日当直のあとの休日も出勤で休めなかった、というのが効いているのかもしれませんが。
前回の当直では、朝の4時に1回起こされただけでした。これで生あくびが何日続くか、で私の“傾向”が見えるのではないか、と思っています。傾向が見えても対策としては、栄養管理と(もしできたら)休養くらいしか思いつかないのですが。
おやぁ、また朝からあくびが……
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「厚労省、「金曜入院」などの割合が高い病院が受け取る入院基本料を減額する方針」(FNN)
「「金曜日」や「土曜日」に入院した患者の平均入院日数は16日を上回り、最も短い水曜日の入院患者より、3日余り長い」ことが問題で「「金曜入院」や「月曜退院」などの割合が高い病院について、病院側が受け取る入院基本料を減額する方針」、ということは、休日の前夜に救急車を多く受ける病院は“罰”をくらう、ということなんですね。おやおや。(ところで、金曜日と土曜日に救急車の出動回数が多いこと、みなさんご存じです?)
私が勤務する病院では、入院に関しては他の病院と紹介・逆紹介が多いのですが、病院からの入院を受ける場合「金曜入院だとこちらがワルイ病院になるから」と月曜に入院を受けることにしたら、今度は紹介元の病院が「ワルイ病院」とされてしまうんですね。その逆も真。おやおや。
なんというか、厚労省のお役人というのはお暇なんだなあ、というのが私の素直な感想です。障子の桟をすっと指で撫でて回って埃がつくかどうかを調べてお嫁さんを責める口実を必死に探しているお姑さんではあるまいに、細かい数字をちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこいじくり回して喜んでいる。そんなに暇なら、せめて現場の手伝いをしてくれません?
この「方針」が「現実」になったら、私の予想では、月曜退院ががくんと減ってそれが火曜にシフトする(つまりさらに入院日数が伸びる)ことになるでしょう。で、厚労省は来年度は「火曜退院」をターゲットにして、そうするとこんどは水曜退院が増えて……あら、最終的にはどの曜日に退院させても入院基本料は減額になっちゃうんですね。なるほど、それが厚労省の真の狙いか。おやおや。
私が思いつく「解決策」は単純です。人を増やして、土日も現在の平日と同じ診療体制が病院で組めるようにする。そうすれば厚労省が主張する「休日の無駄」なんかあっさり消滅です。どうせ厚労省が思いつくのは「診療の質量を上げて結果として入院日数が短縮される(コストを投入して、あとからその元を取る)」ではなくて「今と同じ人数で、休日にも平日と同じ診療体制を取らない病院は罰する(コストをケチって、罰で人を動かそうとする)」でしょうけれど。おやおや。
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