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2011.09.30 18:38 |  医療事故  |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

後出し

 日航ジャンボ機墜落事故の記憶は、私の中ではまだ色あせていません。アナウンサーが興奮した口調で「生存者が見つかったようです」と言ったときには、本当に驚きましたっけ。ただ、その直後のヘリコプターでの釣り上げは、いかにも不慣れで装具も専用のものではなさそうで、「ヘリでホバリングしながらの救出」を日本ではこれまで想定していなかったんだな、と思いましたっけ(あの複雑な気流が起きそうな危険な地形でエンジンに負担がかかるホバリングをやっていたヘリパイロットの腕には感服しますが)。
 あのとき、現場(御巣鷹の尾根)は本当に悲惨な状況だったそうですが、遺体や散乱した部品などが山から降ろされたところも、悲惨だったそうです(*1)。

 事故原因は、尻もち事故での修理が不十分だったために後部隔壁が破壊されて機体尾部と垂直尾翼が破壊され、さらに4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたために操縦不能になったため、と事故報告書にはまとめられました。
 ただ、操縦不能のために123便はダッチロールをしていましたが、実は、油圧装置が効かなくても左右エンジンの推力を変えて機体を安定させることは理論的にはできたのだそうです。ただし、そのことを、当該機のパイロットは知らなかった……というか、日航の誰もそのようなことは訓練されていませんでした(*2)。そもそも「“複線化”してあるすべての系統の油圧制御装置が破壊される」ということ自体が“想定外”ですから、その原因とそのことへの対応法が即座に頭に浮かぶことを期待するのは、人に「神の視点」を期待するのと同じことでしょう。

 で、医療裁判で医療者に無茶な要求や判断をする人たちの同類が、もしもこの「油圧装置が効かなくても左右エンジンの推力を変えて機体を安定させることはできた」ことを墜落事故直後に知っていたら、「飛行機の挙動や全油圧装置の破壊という“症状”から、後部隔壁が破壊されたという“診断”を即座につけるべきだった」「たとえ現存する一番強烈なジェットコースターをしのぐ上下左右への揺さぶりがあったにしても、エンジンの推力を調節すれば飛行機の微妙なコントロールは可能だったはずなのだから、安全な着陸または着水も可能だったはずだ」と平気で主張するんじゃないか、と思いました。少なくともリクツは通っているでしょ?
 私の反応にも、医療事故や医療裁判と同じスジを通しておきます。「机上の空論を弄んで喜んでいるのではなくて、現実的に可能かどうかをきちんと判断してよね」「できるのだったら、シミュレーターでやってみせて。ただし、後出しできないようにパラメーターはあらかじめいくつか変えておくけど、即座にきちんと判断してね」。

*1)『墜落遺体 ──御巣鷹山の日航機123便』飯塚 訓 著、講談社、1998年、1500円(税別)
*2)『ブラック・ボックス ──航空機事故はなぜ起きるのか』ニコラス・フェイス 著、 小路浩史 訳、 原書房、1998年、1800円(税別)


※蛇足
 「左右エンジンの推力を変えて機体を安定させることは理論的にはできた」で私が思い出すのは、戦艦ビスマルクです。大西洋の通商路破壊のために出撃したドイツ海軍の最新鋭艦ですが、英海軍の巡洋戦艦フッドを撃沈したものの英空母アーク・ロイヤルから発進したソードフィッシュ雷撃機の魚雷に舵を破壊されて進路変更ができなくなってしまいました。そこでも「理論的」には、左右のエンジンの出力を変えることで進路変更はできるはずでしたが、破壊されてねじくれた状態で固着した舵が抵抗となって結局思うようにいきませんでした。ビスマルク艦上では様々なアイデアが検討されましたが(潜水夫を使って舵を取り除く、艦上から爆薬を落として舵を爆破する、など)、当時は荒天、しかも英海軍の艦艇や飛行機と戦闘をしながらの状況で、さらにフッドとの交戦で損傷を受けて前部燃料タンクが使えない状態、という“悪条件”がいくつも重なったために、結局何もできませんでした。「理論的には可能」でも「現実」が“邪魔”をすることはよくあるのです。

蛇足の参考図書
巨大戦艦ビスマルク ──独・英艦隊、最後の大海戦』ブルカント・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク 著、 佐和誠 訳、早川書房、1994年、2200円(税別)
戦艦ビスマルク発見』ロバート・D・バラード 著、 高橋健次 訳、 文藝春秋、1993年、5825円(税別)
孤独の海』アリステア・マクリーン 著、 高津幸枝・高岬沙世・戸塚洋子 訳、 早川書房、1987年、1500円



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2011.09.30 06:25 |  生活 / くらし  |  おかだ  | 推薦数 : 0

お手本

 「小学校で、学級委員に立候補する子がいなくなってきた」と聞いたのは、今から15年くらい前だったでしょうか。私が小学生の時には自薦他薦で優等生とか勉強は苦手でもクラスのリーダー格とかが常に数人候補になって選挙をしていましたが、事情は変ったものだ、と思いましたっけ。子供に事情を聞くといろいろ言っていましたが、つまりは「面倒、責任を負わされる、自分の時間が減る、メリットがない」。
 ただ、子供のことだけは言えません。当時のPTAでもやりたくない人ばかりになって役員選びが大変でしたから(こちらは20年以上前からその傾向が顕著でした)。大人も結局同じことを言っていたのです。もしかしたら子供は「親の背中を見て育」っていただけかもしれません。
 私は今も(小学校ではありませんが)まだPTAと縁がありますが、学級委員にしてもPTA役員にしても、事情は悪くはなっても良くはなっていないようです。

 PTA役員はボランティアですが、考えてみたら、学級委員はたしかに「損な役目」ではありますよね。昔はそれでも「名誉」というものが“対価”として存在していましたが、今は学級委員だからと言って特に何の実績になるわけでもないし尊敬されるわけでもなくて、責任だけ負わされることになりかねないのですから。

 この前民主党の党首選を見ていて、「候補者が複数いるだけ、学級委員よりはマシか」と思いました。ただ「党首候補」よりも「オザワさん」とか「マスコミ」の方がよほど偉そうにしているのが不可解でしたが。「院政」とか「外戚」という“日本の伝統”に乗って、「エライ人」を選択する決定権を持つ人が一番エライ、ということなのかもしれませんが。
 ただ、そうやって「責任ある地位」に誰かを祭り上げて、そのメリットは自分が享受し、ことが上手く行かないようなら公然と足を引っ張って喜ぶ、という政治家やマスコミの態度は、小学校の教室以下と言えます。おっと、そういった人たちの「背中を見て育つ」子供たちはこれから教室でそれとそっくりの行動をし始めるのかもしれません。


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2011.09.29 19:10 |  車 / バイク/ 船  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

通過時間

 私の子供時代には、蒸気機関車がまだ現役で走っていました。本線から地方線に乗り換えるときに、こちらが向かっているプラットホームで煙と蒸気を吐いている蒸気機関車の姿には迫力がありました。今でも鮮やかに私の心に残っています。ただ、煙は困りものです。特にトンネルだと逃げ場がないため、トンネル直前で窓をばたばた閉めて回る、というのが当時の“お作法”でした。それでもどこかの隙間から入ってくるので、早くトンネルを通過して欲しかったなあ。もっとも、トンネル以外でも油断すると煙が窓からどんと入ってくることがあります。せっかく美味しく食べていた天ぷらウドンが煤煙まみれになってしまった、は今でも悲しく私の心に残っています。
 トンネルと言えば、人体もまた一つのトンネルにたとえることができます。口が入り口、肛門が出口、のトンネルに(たまに嘔吐や坐薬やアナルセックスで入り口出口が混乱することはありますが)。で、その「トンネル」をぐるりとめくってひっくり返したら、胃腸管粘膜が外に出て、全宇宙が内側に入ってしまう、と言うのがトポロジーでしたっけ?
 人体トンネルの中を、しゅっしゅっぽっぽと走っているのは飲食物(またはそのなれの果て)です。その速度は、鈍行もあれば超特急もあるでしょう。毎日ちゃんと排便しているからといって、その人のトンネル通過時間が短い、という保証はありません。中でぎっちり渋滞している(上から入った分だけ下から押し出されているだけ、という)こともありますから。
 乳児だと、たとえば離乳食に入っている人参なんかがまったく未消化で出てくる場合に、食べた時間から逆算してその通過時間を知ることはできます。(排便直後におむつを替えた場合ですが)  大人の場合にはちょっとむずかしい。食品がほとんど原形を留めていませんからね。そうだ、胃透視でのバリウムは使えそうです。白色の便というのは普段はなかなかありませんから(白色下痢症とか胆汁が出なくなったときとかはあり得ますが)、バリウムを飲んで検査をしてから何時間後に白い大便が出たかで自分の「通過時間」の大体の見当はつくでしょう。ただ、検査の前に絶食をしたとかバリウムは重いとか通じ薬を併用しているとか、普段とは違う条件がいろいろ重なるので、普段の食品でも同じ“トンネル”通過時間である保証はありませんが。ちなみに私の場合は、今年はじめの検査では、約4時間でした。ちょっと早すぎます?


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2011.09.29 06:37 |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

文字通り(2-21)「青」

「青春」……ブルーな春
「青信号」……青ペンキで塗りたくられた信号
「青二才」……この青は二才になったばかりです
「青は藍より出でて藍より青し」……単なる化学反応
「青菜に塩」……青白くなるかもしれない
「青息吐息」……呼吸器の奇病
「青葉」……ブルーになっている葉っぱ
「青首大根」……胴体や手足の色は?
「青写真」……青いものの写真
「青物市場」……端から端まで真っ青なマーケット
「万年青」……常緑樹の主張
「青函トンネル」……青函連絡船の敵
「小青竜湯」……小さな青竜がつかったことのある温泉
「青鬼」……赤鬼を泣かせる悪いやつ

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2011.09.28 18:51 |  生活 / くらし  |  おかだ  | 推薦数 : 4

「マンションを……」の勧誘電話

 東北大震災後はしばらく勧誘電話ががくんと減っていましたが、最近復活してきたようです。というか、以前より熱心な感じ。で、不思議に思うのは、あの口調の粗野さです。表面上は丁寧語こそ使っていますが、恫喝すれすれの押しつけがましさがぷんぷん匂い立ちます。「もし取り引きをするにしても、絶対こんな無礼な口の利き方をする人間とは付き合いたくないぞ」と言いたくなる口調でぺらぺらまくし立てる人が多いのですが、あれはもしかしたら、気質が粗野で下品なだけではなくて、「戦術」ではないか、と私は思うようになっています。
 連日連夜責め立てられて「これにサインをしたら解放される」と不本意ながら供述調書にサインをしてしまう人の心理と同じように、「ここで『うん』と言ったら、こういう人を相手することから“解放”してもらえる」と相手に思わせるように、断っても断っても「もうかけないでくれ」と言ってもわざと不快な口調でべらべらべらべらしつこくしつこく何回でも電話をかけてくるのではないか、と。
 こんどそういった電話がかかってきたら(おそらく次の休日には同じ業者からまたかかってくるはず)、業者名・担当者名・連絡先・会社の所在地、などをしっかり聞き出しておこうかな。自宅で平穏に過ごす権利の侵害は許せない、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、“対抗手段”として何かに使えるかもしれませんから。口からでまかせを言われたかどうかの確認はどうしたらよいかは、今から考えます。会話の録音はどうするのだったかなあ。電話機のマニュアルはどこだったっけ?  ああ、面倒くさい。

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2011.09.28 06:27 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

合剤

 薬局から「現在○○さんに処方中の柴苓湯の在庫が切れました」と連絡がありました。問屋に頼むにしても、すぐの分がない、とのこと。
 頭の中で何かがひっかかるのでじっくり思い出してみたら、出てきたのは20年くらい前に講演会で聞いた話でした。「柴苓湯がない場合には小柴胡湯と五苓散を合わせて飲めば、ほとんど同じになる」と講師が言っていたのです。そこでツムラからもらった手帳をめくってみたら、たしかにほとんど同じになりますね。
 ツムラの製剤の場合、「柴苓湯」なら1回に3グラム飲めばいいのが、「小柴胡湯と五苓散」だったら2.5グラムが二つなので5グラムになってしまうのが難点ですが、非常時には使える知識……って、一生でそんなに使うことはないでしょう。なんでこんな知識を後生大事に持ち続けていたのでしょうねえ。我が身ながら、自分の脳みその働きが本当に不思議です。まあ今回は役に立ったので、ヨシとしますか。


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2011.09.27 18:33 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

病院で死にたい

 「「入院から在宅へ」という考え方について」(ロハスメディカル)の記事中に「自宅で死にたい国民は1割だけ」というアンケート資料が載せられていました。政府の方針(とにかく「施設から在宅へ」)に真っ向から国民が歯向かっているかのようです。
 実際、老健施設での私の見聞では、急変の場合は当然救急車ということになりますが、そうではなくてだんだん体が弱ってきて(あるいは持病が悪くなってきて)もう施設では限界、というときに「ならば自宅に引き取って看取ります」という家族は例外的で、まずほとんどの人は「病院へ紹介してくれ」となります。そこでほとんどの家族が「では自宅へ」と言うようになったら「国策」が国民に浸透した、と言えるのでしょう。
 だけど「悪くなったから自宅へ引き取る」と言う人は、ご本人が元気な時から「自宅で過ごしてもらいたい」と言うのではないかなあ。それが言えない理由をナントカしないと、根本的解決の日は遠いように思えます。


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2011.09.27 06:21 |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

黒い汗

 汗腺はほぼ全身の皮膚に分布しています。汗の目的は、体温調節。それから「手に汗握る」という表現があるとおり、掌やそれから足底にも汗腺がありますが、こちらの目的はおそらく転落防止。私の遠い祖先が樹上生活をしていた頃に、グリップが滑って落っこちないように枝を掴む掌と足の裏に適度な湿り気を与えていたのではないでしょうか。
 人体の汗腺には二種類ある、と私は学校で習いました。一つは、液だけを分泌するエクリン腺。もう一つは、汗腺の細胞が自分の一部をちぎって分泌するアポクリン腺。全身に分布しているのはエクリン腺で、ものすごく単純に言うと、エクリン腺からの汗は、血液の液体成分を濾過して成分を調整したもの、と言えます。アポクリン腺は脇の下など分布が限られています(ついでですが、細胞成分が混じっているから“栄養”が豊かなので細菌が喜ぶんですよね。それで発生するのが腋臭です)。

 新聞に「足の裏にぺたんと貼ると、“悪いもの”を汗と一緒に排出することで人を健康にする」という“健康アイテム”の広告がありました。その証拠として、足の裏に一晩貼っていたシートがどす黒く汚れている写真が載せられていて「ほら、こんなにキタナイモノが出てきている」と。
 有史以来人類は「体内の有害なものを排出することで病気を治す」発想とともに生きてきました(他に「悪いものをやっつける」「良いものを補う」という発想による医療もあります)。吐剤・下剤・発汗・瀉血が排出するための主な手段ですが(吐剤・下剤は厳密には「消化管の中身」を出すのでまだ“体外”のものです(消化管の内側はまだ“体外”扱いできます)が、発汗・瀉血は間違いなく“体内”のものを体外に排出させています)、面白いことに、これ、洋の東西を問わないんです。医学史を見ると、古代ローマでも古代中国でも似たことをやっています。ただ、漢方医学に瀉血はありません。古代中国では瀉血はやってみたもののすぐに廃れてしまい、そのためのメスがとても細くなって鍼になった、ということらしいです(だから江戸の長崎屋でオランダ人医師が瀉血をしてみせたら日本人は皆感銘を受けています(『蘭方事始』)。ただ、昔の“毒物”は重金属やダイオキシンなどではなくて、昔のギリシアあるいはローマ医学では「悪い体液(あるいは体液のバランスの失調)」、昔の中国で「悪い気」だったはずですが。
 「そもそも「汗の排出」は有効な治療法なのか?」はとりあえず脇に置いておいておきましょう。汗腺細胞を説得して「人体に有害な成分だけ分泌させる」ことができるかどうか、私には説得力の点で自信がありませんが、それは私の個人的な問題でしょうから。
 私がこの“健康アイテム”で疑問に思ったことは以下の3つです。

(1)私は黒い汗をかいたことがあったっけ?
(2)「排出されているモノ」の正体は一体何?
(3)コントロール・スタディは?

 私がこれまでの人生で何リットル(キロリットル……あるいはもっと?)汗をかいたか測定をしてはいませんが、相当量の汗をかいていることは間違いありません。しかしこれまでに「黒い汗」をかいた覚えはありません(私が経験した一番過酷な環境での発汗だと、大学時代の真夏に2時間以上全力で走って体重が数kg減少した、というのがありますが、その時もシャツや靴下は黒くはなりませんでした)。もちろん、肌が埃や垢で汚れている時にそれが汗に混じってタオルが真っ黒、ということは経験がありますが、それは皮膚の汚れのせいで基本的に汗はほぼ無色透明のはずです(それともこれは私だけの特殊事情なのかなあ。下着や靴下の内側、シーツが毎日どす黒くなっている、と言う人は、どのくらいおられます?  あ、取り替えないから汚れる、はダメです)。つまり私は「黒色」は「体内」ではなくて「体外」由来(皮膚の窪みや毛根部、汗腺・皮脂腺の微小な窪みに存在する汚れ)ではないか、という疑いを持っているのです。
 「いや、だからこそ体内から“黒い汗”をかかせることに意義があるのだ」という主張に出会いそうなので、それに対する素朴な疑問が(2)です。その場合、その「どす黒いモノ」は、汗に混じって体内から分泌されているわけです。足裏の汗腺はたしかエクリン腺ですから、その汗は血液由来。すると「それ」はもともとは血液の中を流れていたはず。で、それは、何?(そもそも「人体内の有害物質」は「黒い」んですか?)
 そこまで科学的に追究しなくても、「そのどす黒いモノが体内由来か体外のものか」は(3)のデータである程度のことはわかりそうです。たとえばこんなやり方です。「まず足の片方だけを徹底的にきれいに洗って、件のシートを両足に貼り付けてから左右の汚れ具合を確認する(「汚れ」が体内由来なら左右差はありませんが、体外(汗腺の窪みや毛根部)のものであれば洗わない足の方が汚れがひどいはず)」「毎日貼り付ける体の部位を変更してその汚れ具合の変化を観察する(「体内」が浄化されたのだったら、毎回貼る部位を変更してもその汚れはどんどん薄くなっていくはず。で、最後にまた(こんどは洗っていない)足裏に貼ってみたいですね)」
 それで「やはり体内からだ」ということになれば、そこでまた話を(2)に戻しましょう。
 どなたか、自腹で(3)の実験をやってみてその結果を報告してくださる方、おられません?


※昼休みに追加です。
「薬を飲んだら汗(や尿や唾液)が黒くなる」現象があったのを書き忘れていました。パーキンソンに使うドパミン前駆物質の薬剤でたまに起きることがあります。ただ、本日のお題とは無関係の話ですけれど……「薬は基本的に毒だ」とすればつながるかな?


 

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2011.09.26 18:34 |  仕事 / 職場  |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

暗証番号

 「秘密の番号を入力して……」を初めて体験したのは、中学校の時の自転車のチェーンキーでしょうか。ロックをするとき完全に番号を崩すのを面倒くさがって、一つだけ番号をずらすというズボラをやっていたので、盗む気のある人には簡単な獲物だったでしょうね。次が銀行のカード。1970年代だったか80年代に入っていたか、これはさすがにズボラをせずに、他人からは類推されにくい番号にしました(高校の時の自転車で使っていた4桁のチェーンキーの番号でした。結婚後はちがう暗証番号にしましたが、今でも当時の番号は覚えています)。
 1980年代末に私が勤務していた病院は、泥棒と夜間の不法侵入(アベックが入ってきて、人がいない隅っこの外来の待合室でイチャイチャしたり)に悩んでいました。そこで採られた対策が、夜間の施錠・夜間警備員の配置(出入り口の監視、夜間の院内パトロール)・職員通用口にテンキー錠設置、でした。こちらの番号は覚えていません。覚えていたとしても、さすがに今は違う番号になっているでしょう。
 今の病院では、いくつ暗証番号があるかな。職員の出入り口、屋内の職員専用階段入り口、医局の入り口、各部署のパソコン起動(部署ごとに違う暗証です)、起動したパソコンの医師専用部分に入るところ、画像サーバーの起動時、起動した画像サーバーへのログイン……これだけあると混乱することがあります。だからといって、ポストイットに書いてモニターに貼ったりはしません。連休とか出張とかのあと、暗証がわからなくなって「何だったっけ?」と隣の人に聞いたりしているのは、管理者には秘密です。


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2011.09.26 06:39 |  診療  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

同情

 医学に絶対的な正解はありません。「どれが最善の治療法か」以前に、そもそも「治療するかしないか」でさえもが選択肢として議論の対象になってしまいます(たとえば、医療者や家族から見たら「当然治療するべき」であっても、本人の価値観から「治療はしない」がベスト、ということがあります)。
 「治療をする」で全員が合意しても、そこでこんどは「どの治療法を選択するか」でもめることがあります。まあ「もめること」自体は(それに使える時間がある限り)大きな問題ではありません。合意形成の過程に時間をかけたとしても、それで関係者全員にきちんと合意ができればあとはスムーズに進みますから。そこを省略してぱぱっと方針を決定してしまうと、合意がない状態で物事が動き始めるわけで、結局まっすぐには進みません。行ったり来たりぎくしゃくぎくしゃくして、最初の話し合いを省略して節約したはずの時間以上に結局時間がかかることになります。しかも関係者全員の気分が悪くなる。
 では最初に合意形成をしたらそれですべてが上手く行くか、と言えばもちろんそうではありません。医学は不確実で想定外のことは常に起きます。また、合意を反古にする人や最初の話し合いの時には知らんぷりをしておいて話が進み始めてからそれをひっくり返そうとする人が、必ず登場します。で、そういった人たちの多くはなぜか医者をターゲットにします。「今の治療方針は気に入らない。だから変えろ。方針を変えることに関して、患者本人と他の家族の説得はお前がやれ」と。

 ここで、「被災地の松を燃やすな」「福島の花火を上げるな」という主張をぶつけられた主催者のことを私は思います。「やめろ」「やめるな」で板挟みになった彼らは本当はこう言いたいのではないでしょうか。「反対の意見をそれぞれ自分にぶつけてくるのではなくて、まず違う意見の持ち主同士で話し合いをしてくれないか」と。民主主義って、ふつうはそうするものでしょ?


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