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「日本の鉄道が正確である」ことは、世界的に有名です。ヨーロッパでは「10分の遅れ」はOKとされていますが(「定時運転」の「定時」の定義が、イギリスは「10分未満」、フランスは「14分未満」、イタリアは「15分未満」)、日本だと「1分未満」でないと「定時運転」と呼んでもらえないのです。
では、なぜ「日本」でそこまで正確な定時運転が行なわれるのか、が著者の“出発点”でした。その
“旅”で見えてきたのは、「定時運転」を実現しているのは、もちろん鉄道の機材・鉄道員の努力・時刻表の工夫、などですが、もう一つ、「社会」も大きな要素だったのです。
「日本では、鉄道員も乗客も、誰もが、鉄道は正確に運行して当たり前と思っている。行政もマスコミも同じように考えている。誰もが思えば、ものごとはそのように動く」と本書では述べられます。つまり、社会が求めるから鉄道は正確な運行を提供する、提供されたものを当たり前だと社会は思うからそこからの“逸脱(列車の遅延)”を許さない、だから鉄道はますます正確な運行を提供するように努力する、という“サイクル”がそこには存在していたのです。
さらに「社会」の側は、自ら“協力”もします。たとえばラッシュ時のプラットホームでは、客は列を作り、降りる客がすんでから整然と乗り込みます。階段では降りる客と昇る客がきれいにすれ違い、プラットホームを(乗る客が列を作りやすいように)少しでも早く空っぽにしようとします。これがすべての駅で行なわれることによって、正確なダイヤが守られやすくなるのです。
本書では、ではそういった「定時運転を要求しそれを当然とする社会」はどうして成立したのか、と疑問を持ち、その“ルーツ”を江戸時代に求めます。「時鐘」によって「時刻の感覚」を持ち、さらにそれが全国共通であることを認識していた人々。旅行は徒歩が主だったため、宿場町が「人が一日で歩ける距離」で設定されていたため、駅間距離が短いこと。それらによって、すでに大正年間にはラッシュ時には東京では「3分間隔の運転、各駅の停車時間は20秒」というダイヤが組まれ(山手線も当時すでに一周72分だったはずです)、それによって大量輸送が可能となり、だから人口は東京に集中し、それによってますます正確な鉄道運行(大量輸送)が必要となり……今に至るわけです。
ただ、擾乱要素があります。自然現象もありますし人為的なものもあります。後者の代表が「人身事故」(よく思うのですが、いつもこう呼んでいたら、飛込み自殺ではない本当の事故の場合が区別できなくなっちゃいません?)。あるいは、目立ちませんが「駆込み乗車」。前者はわかりやすいのですが、後者もじわじわと正確運行にダメージを与えます。やる人は駆け込んで電車を10秒遅らせることで自分が3分を“損”せずにすむ、という計算なのでしょうが、その「10秒」損をするのは、電車に満員になっている約4000人です。「1×180(人秒)」と「4000×10(人秒)」とどちらが社会的に重いか、ちょっと計算してみてください。そして、一つの列車のわずかな遅れがつぎつぎ後続の列車に波及する効果も。もちろんおおごとにならないように鉄道員が努力をして(運転者ができるところで微妙にスピードアップをしたり、管制員が運行管理の工夫をしたり)その遅れをどこかに吸収させることを日常的に行なっています。だけど「1×180」のために他人にそれだけの努力を強いる権利って、「おれは客だ」の一言で得られるんでしたっけ?
書誌情報:『定刻発車 ──日本社会に刷り込まれた鉄道のリズム』三戸祐子 著、 交通新聞社、2001年、1848円(税別)
で、ここからもちろん話は「医療」へ。
「定時運行」を求めるのと同様、日本社会は「完璧な医療」を求めます。医療者はそのリクエストに応えようと努力し、ある程度のものは提供できていました。で、社会はそれを「当然」のものとして、それからの“逸脱”を許しません。“当然”からの“逸脱”は“怠慢”あるいは“犯罪”なのですから(だから「列車が遅れたら駅員を殴る乗客」が出現するのでしょうね)。だけど、それは本当に「当然」なのでしょうか。現代医療はそこまでのレベル(技術と努力でぎりぎりのところに設定された時刻表を守るレベル)に到達しています? というか「完璧であるべき医療」の現時点での実際のレベルを、皆さん正当に認識・評価でき、「社会」としての共通認識を得ていますか? 思い込みと幻想の中に生きて、「これが当然」と主張する人はいないでしょうか。(私は現代医学を「時刻表を見たらすべて先が予測できるレベルのもの」とは思っていません。医学そのものはまだ不確定要素をたっぷり含んだものです)
さらにそこに“時刻表を乱す要素”が人為的に追加されます。もちろん多くの医療利用者は、技術の発展と医療者の努力をきちんに評価した上で、「もっと完璧に近い医療」を求めるわけでしょうが、中には擾乱要素が出現するのです。代表的なのは、救急車利用のリピーター、軽傷での救急車利用、モンスター患者などでしょう。いわば“飛込み”や“駆込み”をやって、それでさらに「ダイヤを正確に守れ」と要求するユーザーです。
さて、それらに対応するべきは、医療者だけ?
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