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2011.05.31 18:54 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

リアルタイムで連絡

 東電に限らず、しばらく経ってから「実は……」と“真相”を白状する、はこれまでにもいろいろな不祥事の場面で目撃してきました。で、マスコミは記者会見の場で「情報を隠した」と責めたり、記事で「一箇月も隠蔽していた」「公表が半日遅れた」などと報じますが……もし逆に「真相を隠さないために、“リアルタイム”ですべてを知らせます」と言われたら、記者の方も困りません?  睡眠中だろうがトイレ中だろうが食事中だろうがセックス中だろうが、電話がかかってくるわけです。「……の数字が3になりました」「……の数字が4になりました」「……の数字が3に戻りました」と、もしかしたら数分おきに。
 ……あ、医者としては別に驚く状況では、ありません。ただの日常の風景でした。


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2011.05.31 06:25 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

前と同じ日常

 大震災などの被災者も、いつかは日常生活に帰っていく日が来ます。ただしそれは「震災“前”とまったく同じ日常」ではないでしょう。家や職場や家族などを失い、あるいは自分自身に何らかの後遺症を負った状態での生活ですから、外形的にも内面的にも「同じ」わけがありません。
 では、家や職場や家族や友人を失わず、身体に何の後遺症も負っていなければ、以前と同じ生活ができるでしょうか。それも無理でしょう。周囲の環境があまりに変化し、心に傷を負うことで自分自身も変化してしまっているのですから。もしもそういった人たちに「以前とまったく同じ生活を送ること」を単純に求める人間がいるとしたら、それは無神経な態度と言えるでしょう。「あなたたちがなるべく以前の生活に近い状態で生きていけるように、私たちも協力する」だったら、正しい言葉づかいと言えるかもしれませんが。

 もちろん「以前と同じ生活」ということばが、生きていく励みになる場合もあるでしょう。「目標」となりますから。しかし、それが“復興”への邪魔になる場合もあります。

 ある大きな疾病で重大な後遺症を抱えることになったαさんのことを私は思い出します。
 退院の日が近づくにつれて、αさんの表情はだんだん険しくなってきました。「何が今一番心配です?」と尋ねると「このままでは、退院しても仕事が前のようにできそうにない」と。それはそうでしょう。復職以前に、家庭での日常生活が以前と同じようにはできない、というか、介助がまだ必要な状態なのですから。まずは「生活」が自力でできるようになって、それから「仕事」のことを考える順番にした方が、と私が言うとαさんはこう言いました。「そういうわけにはいきません。入院が決まった時、職場のみんなは『はやく元気になって戻ってきて下さい。みんな待ってるから』と言ってくれたんです。だからはやく元気になって職場に戻らなければならないんです」と。
 職場の同僚たちも、他に言いようがなかったでしょう。ただ、その「あたたかい励ましのことば」が、そこまでαさんの心を“縛る”ことになるとは予想してはいなかったはず。ともかくαさんは「職場の皆の期待通りに、はやく元通りになって、以前と同じように仕事ができなければならない」とそのことばかりを考えているのです。そうですねえ、まるで、「工場を稼働させる」ことばかり考えていて、「周囲の道路に瓦礫が散乱している」ことや「まだ広域停電中」であることを無視している人のように、と言ったらわかりやすい例になるでしょうか。
 ですから、職場に出す診断書に「○○の後遺症で、退院後もなお×箇月の自宅療養を要する」と私が書いたのがαさんの逆鱗に触れました。あらかじめ口で「こう書きますよ」と予告をしていて、その時には本人も「仕方ないな」と言っていたのですが、やはり実物を見たら頭に血が昇ってしまったようです。だからといって、本人の言い分を通して「明日から復職は可能である」と書くわけにはいきません。それは大嘘だし本人と職場の不利益になりますから、私はその点は譲れませんでした。αさんには気の毒なことですが。
 病院は疾病を治療するところで、“その後”に対応するのは得意ではありません。だから「日常生活への再適応」や「社会生活への再適応」の訓練(あるいは日常生活そのものの再構築)が、施設や在宅でできる社会制度がもっと充実していたら(あるいは社会そのものの再構築さえ可能なら)、私も安心して「さあ、退院後も大変ですよ。頑張って下さい」と言って送り出してあげられるんですけれどねえ。


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2011.05.30 18:41 |  医療制度 / 行政  |  おかだ  | 推薦数 : 2

医道審議会

 「厚生労働省設置法
 「医道審議会令

によると、医道審議会は、「医療法 、医師法 (昭和二十三年法律第二百一号)、歯科医師法 (昭和二十三年法律第二百二号)、保健師助産師看護師法 (昭和二十三年法律第二百三号)、理学療法士及び作業療法士法 (昭和四十年法律第百三十七号)、看護師等の人材確保の促進に関する法律 、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律 (昭和二十二年法律第二百十七号)、柔道整復師法 (昭和四十五年法律第十九号)、薬剤師法 (昭和三十五年法律第百四十六号)、死体解剖保存法 (昭和二十四年法律第二百四号)及び精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 の規定によりその権限に属させられた事項を処理する。」組織だそうです。
 ちょっと不思議に思うのは、政治家や厚労省の官僚があきらかな失政・失策・失敗で日本の医療に損害を与えた場合に、医道審議会にかける根拠がないことです(「議員」「官僚」が法律の対象に入っていませんから法的根拠がございません)。失策を失策として公的にきちんと評価せずに黙認するのは、日本の医療を再生させるための最短ルートを最初から潰しておくことに匹敵する失政だと私には思えるんですけどねえ。


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2011.05.30 06:34 |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

文字通り(2-5)「畜」

「犬畜生」……犬は畜生である
「畜生」……畜の生命・生活・一生
「鬼畜」……鬼が飼う畜
「家畜」……家が飼う畜
「家畜化」……最初は羊・山羊で、9000年くらい前
「牧畜」……家畜を牧場に移してみる
「此畜生」……見たままを言っているらしい
「人畜」……人は畜生ではないらしい
「人畜無害」……病原体ではないらしい
「五畜」「六畜」……数えられる程度では大した規模ではない


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2011.05.29 18:44 |  グルメ / お酒  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

納豆

 先に白状しておきますが、今回の記事は以前(2009年9月29日)に書いた「ビタミンK」とけっこう重なっています。もちろん新しい部分もありますし、かぶるところも違う書き方をしますので、ご安心を。え、誰もそんな前の記事は覚えてない?

 本文の前に一つ質問。納豆がスーパーの棚からどっと消えたことがありましたね。それは何年前で、その理由は何でしたっけ?

 私が納豆でまず想起するのはビタミンKです。納豆にはビタミンKが大量に含まれているのです。
 世間には「ビタミンKは血液を凝固させる」と信じている人がいるそうです。それは不正確な言い方で、ビタミンKが血液を凝固させるのではなくて、ビタミンKが存在することで血液の凝固因子が合成されるのです(ついでに言うと、普通の状態では凝固因子はふだんは「待機」をしていて、必要になったとき(血管が破れたときなど)に働き始めます)。逆に言えば、ビタミンKが不足したら血液は凝固因子が不足することで凝固しにくくなります。だからちょっとした出血が止まらなくなってえらいことになります。(その典型例が、ホメオパシーの信者の助産師が新生児にビタミンKシロップ(ケーツーシロップ)のかわりにレメディを与えて、結局頭蓋内出血で死亡したとして訴訟沙汰、の山口の例でしょう。ついでですが、新生児全員にケーツーシロップが必要なわけではありません。母乳には最初からビタミンKが足りないから母乳オンリーの新生児だけです)
 よく血栓症の人などに投与されるワーファリン(ワルファリン)は、そのビタミンKの働きを体内で妨害することで血液を固まりにくくしています。逆に言えば、ワーファリンの量以上にビタミンKが体内に存在したらワーファリンは効かなくなります。そして、上記したように納豆にはビタミンKが大量に含まれています。だから「ワーファリンを服用している人に、納豆は禁止」となるわけです。
 納豆にはナットウキナーゼも含まれています。これは俗に「血液をさらさらにする酵素」です。ですから、「納豆を食べたら血液がさらさらに!」。
 ちょっと待って。
 そもそも「酵素」って、何でしたっけ?  基本的に「タンパク質」です。つまり、食べたら消化管で消化吸収される対象で、タンパク質は消化されるとペプチドやアミノ酸になってから吸収されます。食べたタンパク質がそのままの形で血液の中に出現することは、「可能性がゼロとは言わないけれど」と言うにとどめておきましょう。
 さらに「量」の問題があります。薬の場合「過量投与」は副作用の面で大問題ですよね。逆に効かない量を飲んでも意味ありません。で、質問です。「ナットウキナーゼが消化管の粘膜をそのまま通過して血液の中にはいるとして、その至適血中濃度はどのくらいで、それを維持するためにはどのくらいの納豆をどのくらいの頻度で食べればいいのでしょうか?」。さらに言うなら、それを決定するための人体実験は、けっこう大変です。まず二重盲検ができませんし(「納豆と区別ができない臭いと食感とねばねばで、納豆ではない(ナットウキナーゼを含まない)もの」を準備できるでしょうか?)、毎日毎食納豆を食べされられるのは勘弁して欲しい(ナットウキナーゼの半減期が数十時間あれば話は別ですが)。
 私にとって「納豆」は「健康のために食べるもの」ではなくて「好きだからときどき食べるもの」です。それ以上の存在になって欲しいとは思っていません。


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2011.05.29 06:55 |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

さらしもの

 恥辱刑というものがあります。要するに辱めることによる刑罰。
 日本だったら、たとえば江戸時代の心中。生き残ったら二人は非人に身分を落とされますが、その前に3日間のさらし刑を受けなければなりませんでした(死体もさらされます)。
 これは日本に特有の刑ではありません。欧米でもけっこうえぐいさらし刑が行なわれてきました。
一例として「刑罰の一覧」(wikipedhia)の「恥辱刑」をどうぞ。
 現代社会ではタテマエとして「恥辱刑」は禁止されています。それはそうでしょう。基本的人権をベースに組み立てられた社会では、人権問題ですから。だけどたとえばマスコミによる「さらし」は公然と行なわれています。犯罪を犯した人間は住所や氏名や顔写真をさらされます。「犯罪者はさらし刑」という決まりが日本にありましたっけ?  それどころか、犯罪を犯したわけではない者(無実の罪や冤罪)でさえ、同様に執拗にさらしものにされてしまいます。
 こういった「自分にはさらし刑を実行する権限がある」と信じている人たちの信念の根拠は一体なんでしょう?  少なくとも「社会的正義」や「社会的制裁」ではありません。だってマスコミは「私企業」なのですから。私企業や私人が行なう「制裁」は「私的制裁」です。近代社会では「私的制裁としてのさらし刑」が公認されていましたっけ?


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 1997年出版の育児書に関する本(*)を読んでいたら「フランスの2.1ショック(1975年に再生産率が2.1を切った)」などの懐かしいことばに出くわしました。
 で、この本によるとフランスの育児支援の手厚さは尋常ではありません。たとえば産休は出産前が6週間・出産後が10週間で有給です。さらに子どもの数で延長され、たとえば3児めだったら、出産前は10週間・出産後は16週間となります。妊娠中や出産の医療費は国家がカバーし、外国人も例外ではありません。育児休暇は1年(ただし無給)で、子どもが3歳になるまで2回の延長ができます(職場復帰が保証されていますので、そちらの心配をする必要はありません)。すごいのは、出産だけではなくて(3歳未満の)養子を迎えた場合も同じだということです。で、母親側の不満の声は「保育園の少なさ」。働く母親で保育園に子どもを預けられるのはわずかに12%。家庭保育や認可された家庭保育補助者を利用できる者が32%。残りは祖父母や認可されていないナニー(乳母)ということになります。日本の現状を見ると、「出生率を上げるために政策的にできることは、まだまだあるぞ」と言いたくなります。
 面白いのは、ジスカール・デスタン時代の「三児めを産んだら100万フラン」はまったくの不人気政策だった、ということです。「金を出せば女は子供を産む」という単純な話ではないそうで(これを「金のために女性は子供を産む」なんて言ったら大きな問題になるでしょうねえ)。
 さらに面白いのは、出生率は低下したのに(一人の女性が産む子供の数の平均は1995年で1.77)、母親になりたいというフランス人女性の数は増加していることです。そのため「妊婦は美しい」という風潮が生まれ、さらにその副産物と言っていいかな、それまでの「私生児」「未婚の母」は「婚外関係から生まれた子ども」「シングル・マザー」と呼ばれるようになったそうです。「多産社会」の崩壊に当たっては、それまでの道徳や用語も変更を迫られる、ということのようです。だとしたら日本でも、道徳を変更(バージョンアップ)してみます?  そうしたら、出生率が向上する一助になるかもしれませんよ。


*)『育児の国際比較 ──子どもと社会と親たち』恒吉僚子、S・ブーコック 編著、 NHKBooks808、1997年、970円(税別)


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2011.05.28 06:57 |  車 / バイク/ 船  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

自動修復

 私は自動車が汚れていてもそれほど気にしませんが、それでも塗装面に傷がつくと気になります。「小さな傷から錆が鉄板に拡がっていく」と脅かされたことがあるものですから。傷の表面に塗ったら光が乱反射して傷自体が目立たなくなる、なんてうたい文句のコーティング剤もありますが、試してみたら期待したほどの効果はありませんでした。
 そこにこんなものが。
 「スクラッチシールド」(日産)
 小さな傷・本当に軽い凹みだったら、元の状態に自動的に修復される、という優れものだそうです。さすが「技術の日産」と自称するだけのことはあります。元の状態に戻るという点で「形状記憶塗装」とでも命名したくなります。

 もっとも「自動修復」は、生物ではごくふつうの現象です。たとえば皮膚にできた傷は、化膿などの邪魔がなければふつうは自然に治ります。傷の深さや治り方によっては傷跡が残る場合がありますが、上手く治れば傷跡さえ残りません。
 「治ること」自体が素晴らしいことですが、「丁度良いところで細胞の増殖がストップすること」も素晴らしい。だって皮膚の細胞に“脳みそ”はついていないでしょ?  誰がどうやって判断しているんでしょうねえ。


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新潮社に賠償命令…新聞部数巡る記事で本社勝訴」(讀賣新聞)

 「週刊新潮の記事で、読売新聞が販売店に余分な部数の新聞を押し付けて不当な収入を得ているなど」は「虚偽の報道」で「記事は真実といえず、真実と信じる相当の理由もない」(村上正敏裁判長)のだそうです。
 しかし判決の「根拠」を見て私は大笑いをしてしまいました。「〈1〉日本ABC協会の公査でも読売新聞の残紙率は4~5・3%にとどまっていること〈2〉販売店との間の過去の裁判の判決でも、読売新聞による“押し紙”を認定した例はないこと」とありますが……公式記録に「押し紙」の項目があるわけはありませんし、〈2〉に到っては論理が腸捻転を起こしています。「過去の判決で押し紙を認定した例はないから、自分も押し紙は存在しないと認定する」という前例絶対主義からは絶対に「押し紙は存在する」という判決は生まれません。そういった判決が生まれないから「過去の判決」にはずっと「押し紙は存在しない」というものだけが蓄積されることになります。するとその「過去の判決」から次の判決も導き出されることになります。ご本人はスジが通っていることを言っているつもりなのでしょうが、私は自分の尻尾を追っかけて同じ木の回りをぐるぐる回っている蛇をイメージしてしまいました。あるいは、自分たちの足あとを追っかけて林を回り続けその間にいろいろ足あとに関する考察を積み重ねるくまのプーさんとコブタ。
 だけど、「前例」だけ見て「現実」を見ない裁判官は、仕事をさぼっています。検査データを編集したものだけ見て患者を診察しない医者、あるいは「私は悪いところはありません」と患者が言いつつ昔の診断書を出したら「はい、この人は健康です」と新しく診断書を書く医者、みたいなものですな。

 そうそう、こんな話もあります。
新聞の偽装部数問題 「押し紙」そのものの損害を司法が認定 岡山地裁、376万円賠償命じる」(MyNewsJapan)
 こちらの世界では「押し紙は存在する」ようです。なぜか大新聞は報道を自粛しているようですが。

 私が最初の記事を読んでいて連想したのは「大相撲の八百長」でした。たしかあれも話の始まりのころは、週刊誌の敗訴でしたよね。日本相撲協会と裁判官は「八百長など存在しない。存在するはずがない」と胸を張って言っていましたっけ。


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2011.05.27 06:46 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

コントラ・クー

 脳外科を学んだ人以外にはなじみが薄い言葉でしょう。「Contra-Coup」と書きます。「Contra」とは「反対」とか「逆」の意味ですから「反対のCoup」。では「Coup」とは何かと辞書を引くと「クーデター」「大当たり、大成功、大活躍」なんて意味が見つかります。おや「クーデター」というのは一語ではなくて「coup d'état」という二語のフランス語だったんですね。おっと、話が逸れました。もうちょっと詳しく調べると「a contusion caused by contact of the brain with the skull at the point of trauma.」(New Oxford American Dictionary)という意味が見つかりました。要するに「頭部外傷による脳挫傷」です。
 では「Coup」と「Contra-Coup」の関係は?
 たとえば凍りついた路面で派手に足を滑らせて転んで後頭部をがつんと打撲したとします。そのとき当然脳の後ろ側に傷がつく可能性が高いはず。少なくとも頭蓋骨骨折が起きるとしたら後ろ側です。ところが脳外科医は前の方にも注目します。脳の前の方に傷がついている可能性があるからです。で、打撲したのと反対側に脳挫傷がでるから「Contra」なのです。
 どうして反対側にでるのか?  私がこれまでに聞いた説は二つです。脳は頭蓋骨に囲まれた閉鎖空間に納まっています。で、打撲による衝撃波が反対側にも伝わっていき、カーブに沿って集中するのが打撲したのとちょうど反対側。そのために反対側の脳も衝撃を強く受ける、というのが授業で聞いた説。もう一つの説はもっとシンプルで、上記の例だったら、打撲で一度頭蓋骨の後ろ側に衝突した脳が反動で前に振られ、こんどは頭蓋骨の前の内側の部分に衝突して傷つく、というものです。
 そういえば子どもの虐待の一つに「乳児揺さぶり症候群」というのがありますが、これも「Coup」や「Contra-Coup」を熱心に起こそうとしている動作、と言うことができるかもしれません。頸椎や頸髄にもよろしくないことは言うまでもありませんが。


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