菅内閣はもうちょっとシン(芯、心、真……)の通った仕事をしろよ、と文字通りの門外漢(政治には素人で政権の外側に位置する者)としては無責任に思います。ただ、では誰が現在トップとして最適なのかと言ったら私は考え込んでしまいます。「個人」だけではなくて、その周囲を固めているであろう、口では「毅然とした対応を」「リーダーシップの発揮を」と言いつつ、実際の行動では「民主主義国家だから皆が賛成しなくちゃダメ」「おれはあんな人の指示には従いたくない」「首相こそ俺の言うことをきけ」とさっき口で言ったことを無視する人たちのことも考えると、誰をトップに据えてもなんだか似た結果になりそうな気もするのです。(だからと言って、「強力なリーダー」であるヒトラーもどき、というのも歓迎できませんし)
とりあえず、もし前首相や前々首相が今もその地位にいたらどうなっていたかな、ということを考えてしまいました。「前」だったら、もっとスゴイことになっていたかもしれない、なんてこともぼんやり思います(本人とファンの人たちにはごめんなさい、ですが)。「前々」だったら意外に(と言ったらこれまた失礼ですが)もっと堅実だったかもしれない、なんてことも思います。実験してみるわけにはいきませんから、ただの空想ですが。
しかし、阪神淡路の時には社会党の村山さん、そして今回。自民党が首相を出さないことと、まさかなにか関係があります? “次”は富士山噴火、なんて嫌ですよ。
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タイトルは「医者の嫁」ではありません。
前世紀に田舎の病院でいわゆる「長男の嫁」がひどい目に遭わされている例(「長男の嫁だから、義父・義母の“面倒”は見るべきだ」「里帰りをしてきた自分たち(「やっぱり育った家が一番だ〜」と言っている、家から出た(その多くは都会に出ている)子供たち一家)の里帰り中の世話を嫁がするのは当然だ」「嫁だから、遺産相続権はない」)を私はたくさん見てきました。で、その頃から「田舎に嫁がこない」と大問題になってきていましたっけ。
私は目をぱちくりしました。あれだけ露骨に「嫁」を安くこき使おうとしてきたら、それで「田舎への嫁入り忌避」が起きるのは当然ではないか、と。今はさすがに田舎の雰囲気も変わったでしょうが、というか、現在では「長男」自体がもう田舎から出て行っているんじゃないかな。だからへき地では高齢化がずんずん進行しているし、だからますますそういったところに都会で育った女性が「嫁」として行くのは難しくなっているんじゃないかしら。
で、「医者不足」でも同じようなことを感じます。あれだけ無神経に医者をこき使ってきて、それで「逃散」が起きてから慌てて「何とかしなくちゃ」では遅いんじゃないかな、と。それとも、医者も嫁も強制配置をしたら“解決”ですか?
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「建屋、特殊布で覆う案 内閣、放射性物質の飛散防止に」(朝日新聞)
「特殊な布で原発建屋を覆う」から私が連想したのは「臭いものに蓋をする」と「サーカスのテント」でした。「「汚染水はタンカーに」から連想したのは、「右の物を左へ動かすだけ」と「原子力船むつ」です。
原子炉周辺を写真で見る限り、巨大タンカーを横付けできる環境ではなさそうですが、それでももし首尾良くタンカーを満杯にできたとしても、つぎの問題、「それ」をどう“処理”するのでしょうねえ。「積荷満載の巨大タンカー一隻丸ごとの放射性廃棄物」……しかもおそらく高レベルでしょ? かつての「むつ」のように「こっちの港には来るな、しっしっ」になるのではないか、と思うのは、心配のしすぎでしょうか。
「一手ではなくて、せめて三手先を読んでくれ」と言っておきます。50手とか100手までは望みませんから。
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3月18日「製薬工場の損害」で書きましたが、その後もさらに各所の損害がわかってきました。東北関東大震災の影響で、いろいろ大切な薬が当面不足しそうです。
ここで私は不思議に思います。あれだけ誰かが後発品普及運動をしていたのですから、どの薬にも“バックアップ”があってしかるべきだったのではないか、と。後発品に「先発品工場が被災したときの危機管理」機能を求めるのは最初から間違っているのでしょうが、でも「とりあえずのつなぎ」さえやってもらえないというのには、がっかりです。
ここからこんな“教訓”を得てもいいですか? 「経済しか頭にない人が作った社会システムは、危機には役に立たない」。
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20年以上前のことですが、ある郡部の小さな医師会の会合では「○○医専の出身」とか「軍医上がり」なんてことばが盛んに飛び交っていました。私は昭和末期の医者ですからそういった席では平のぺーぺーでひたすら過去のお話拝聴モードでしたが。
そういった人たちのうちの何人かは、手の皮膚にケロイドのようなひどいひきつれがありました。話を聞いているとそれは放射線皮膚炎。
昭和半ばの医療を知らない人には解説が必要でしょう。
現在胃透視の検査を受けると、検査技師は(鉛入りの)ガラスの向こうで「右を向いて」「左を向いて」などとマイクを通して指示をします。そのとき「ゲップをするな」としつこく言いますね。そして最後に「お腹を押さえます。もうゲップをしてもいいですよ」と言われるとお腹の前にプラスチックのゲンコツが出てきてぐいぐいと押さえてくれます。間違えて肋骨を押さえられると骨折の恐れもありますから「痛い痛い」と言わないといけません。
昭和の半ばにはそういった“ハイテク”はありませんでした。検査をする医者は別室ではなくて患者さんのすぐ傍にいる必要があり、お腹を押さえるときには自分の「手」を使っていました。もちろん鉛入りの手袋がありますが、これが重たくて使いにくい(台所用のミトンの綿を全部鉛に入れ替えたものを想像してみてください)。いきおい「えーい、面倒じゃ」と素手でやる人が続出したのです。
患者さんが放射線を浴びるのはその日だけですが、検査をする医者は毎日です。少しずつ放射線障害が蓄積していって、皮膚が赤くなり火傷のようになりそしてケロイドのように、ということだったのでした。
今回「放射能を含んだ貯まり水に長靴なしで入った(入らされた)作業員が足に被曝」事件を見ていて思い出したのが、あの時拝見した古強者たちの手のことです。
「被曝した3作業員、放医研を退院 皮膚に異常なし」(朝日新聞)
この記事には書いてありませんが、テレビでは「ベータ線障害」だと言っていましたね。
局所被曝でベータ線だったら(とんでもない量でない限り)とりあえず軽く済むのは当然、と私は理解しました(もちろん散乱線もたっぷり浴びているでしょうし、予想外の障害がこれから出現する可能性はゼロではありませんが)。ここで重要なのは「どのくらい浴びたか」だけではなくて、「何を浴びたか」と、「全身被曝」か「局所被曝」か、です。手足の末端という「局所」だったら、「全身」に比較して命にかかわる確率はすごく少なくなるのですから。
「何を浴びたか」が重要な理由は以下の通りです。
放射線の代表は、α線・β線・γ線・中性子線などです。で、それを遮蔽するために必要なものが全然違います。
α線(α粒子)は紙や数cmの空気層で止めることが可能ですが、電離作用が強いので内部被曝には注意が必要です。
β線(β粒子)は厚さ数mmのアルミ板や1cm程度のプラスチック板で遮蔽できます。ただし遮蔽時にX線が発生することに注意が必要です。
γ線の遮蔽には10cmの厚みの鉛が必要です。ただ、電離作用が弱く、(人体に当たったときの影響度を示す)放射線荷重係数はα線の20分の1です。(X線はとりあえずγ線の仲間、と扱って良いでしょう。厳密には違う、と言う人は、厳密にしかしわかりやすくご自分のブログにでも書いてください。良いものだったらここでも紹介します)
中性子線は、コンクリート・パラフィン・ポリエチレン・水などが遮蔽剤として用いられます。
さらに放射性物質の「物」の違いも重要です。内部被曝の場合、生体内での動態が違いますから。有名なヨウ素は甲状腺に集積される傾向がありますが、セシウムは体内をぐるぐる回って結局排出されます(セシウムに関して私がネットで調べた限りでは、2〜3週間で、というのと2〜3箇月で、というのがありました。まさか実験をするわけにはいきませんから確認は困難でしょうが、少なくとも体内に取り込んだら永続的に放射線障害が続く、というわけではなさそうです)。この「体内から“そのもの”が消えるまでにかかる時間」を「生物学的半減期」で表現します。
なお「物理学的な半減期」に関しても扱いはけっこうややこしい。たとえば同じ量の放射性物質が2種類あって、片方は半減期が数日・もう片方は100年、とします。で、「どちらの放射線の方が危険か?」と言われたらどう考えます? 私は、「体外に置くのだったら、半減期が長い方が危険(いつまでもだらだらと浴びることになりますから。ただし、短い方にも近寄らない方が良いですが)」「体内に入れるのだったら、半減期が短い方が危険」と考えます。だって「半減期が短い」ということは、同じ短い時間(たとえば数時間とか数日)の間に出てくる放射線の量は「半減期が長いもの」よりも多いのですから。
これだけ違うものがすべて「放射線」「放射能」でくくられ、それがどこにどれだけあるかで話が違ってくるのですから、単に「○シーベルト」とか「○ベクレル」とだけ言ってそれで何かがわかったつもりにはならない方が良いです。
※ネットではわかりませんが、新聞の紙面を見て私はあきれました。この作業員たちが入院したときにはでかでかと扇情的に報じたくせに、無事退院となると本当に小さなベタ記事です。「ちぇっ、無事だったのか」と誰かが舌打ちしているのが聞こえるような気がします(幻聴かな?)。どちらも大切な情報だから同じくらいの扱いにしてもらいたいと思うんですけどね。正しい情報やポジティブな情報を伝えることよりも、不安や恐怖を煽ることに熱中するメディアって、大丈夫?
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日本の健康保険には「高額療養費」という制度があります。これは一言で言うと「月々に一定以上の自己負担はしなくて良い」制度です。こう書くと簡単ですが、実際にはけっこうややこしい制度です。ただ、これがあるのを知っているのと知っていないのとではずいぶん自己負担が変わってしまうので、知っておいた方がよいです。(私の記憶では平成20年度までは、自分で申告しに行かないとこの制度は適用してもらえませんでした。つまり、一度医療機関で自己負担分を払いますが、その後、自分でお役所に申告して“払いすぎた分”を返してもらうわけです。今は最初に申告しておけば、医療機関での支払い時に「○○円まで」の支払いとなって“お得”です)
では「○○円」の「○○」にどんな数字が入るかと言えば……これがややこしい。
「7.どのような給付があるのか(保険給付)」(社会保険庁)
読んでいて頭が痛くなりますが「同一世帯」の医療費であることが基本で、さらに「同一月」「同一医療機関」である必要があります。たとえばある疾病に対して同じ「自己負担限度額 + 10万円」の自己負担額だったとしても、その疾病発生日が月初めで月末に治療が終了だったら高額療養費の適応が受けられるが、月の途中から翌月にかけてだったら受けられなくなる、ということがあります。「同一医療機関」の定義もややこしくて、同じ病院でも入院と外来は区別されますし、総合病院だと各診療科で別々の医療機関扱いです。
さらに、年齢によって計算方法が異なるし、さらにさらに、所得によって自己負担限度額に差があります。いかにも日本の官僚が好むタイプの、不必要に複雑な制度です。要するに一般ピーポーには使ってほしくないから、使いにくいように制度設計をしたのでしょう。本当に使ってほしいのだったら、ユーザーがわかりやすく使いやすいように設計しどんどん使うように広報するはずですから。
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テレビの画面で自衛隊や米軍が活動している姿を見たり、戦災や大震災からも日本は復興してきたということばを聞いたりしていると、この際、戦争をしたと思ってその巨額の費用を復興に注ぎ込んだらいいのではないか、と思うようになりました。近代戦争は、勝っても負けてもとんでもない費用がかかります。だから、たとえとしては剣呑ですが「戦争をしたと思ってどんと思いきった金額を一挙に」です。
ある意味「戦争」とも言えますね。自然の猛威と人災と、両方に対する挑戦です。ただ、くれぐれも「戦力とお金の逐次投入」なんて愚策になりませんように。
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私は病院でプロポーズされたことが何回もあります。
一番最初は学生の時。精神科の病棟実習で近くの精神病院に行って、病棟に入った瞬間若い女性がつかつかと近づいてきて「先生! 結婚して!」。私はどぎまぎしちゃいましたよ。まだその頃は初心な好青年だったもので(自分で言うか? だって誰も言ってくれないんだもの)。
それ以降も何回も似た状況になりましたが、いつの間にか私は初心ではなくなってしまったのか、軽く受け流すことができるようになってしまいました。せっかくの真剣な申し込みを軽く流して良いのか、とも思いましたけれどね。
ところで、「妄想」というものを「他人には了解困難かつ他人には訂正不能な根拠のない強い思いこみで、本人の行動と心身の状態に強い影響を与えるもの」と定義したら、「恋愛感情」はもろに「妄想」の定義を満たすことになってしまいません? 「どうしてその人を愛するのか」の理由や根拠を他人に論理的に説明することはできませんし、他人にいくら「あの子はやめろ」と言われても好きな感情を簡単に翻すことはできないでしょ? さらに恋愛をしたらその人の行動や考え方は(さらには容姿までも)見事に変化します。となると、「恋愛感情」に基づくものであろうと「妄想」に基づくものであろうと、そのプロポーズはどちらであるかの区別は難しい、ということになるのかな。
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昔、面白い裁判がありました。
「新聞見出し無断ネット利用に賠償命令 著作物性は再び否定」
著作権法では第十条に「この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。」と様々なものが例示されています。(「著作権法」) そしてその第2項に「2 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第一号に掲げる著作物に該当しない。」と「報道」は除外がされています。実際「首相が夕食を食った」とか「大本営発表」とかその類似のお役所の発表などの記事は、どう考えても「事実の伝達にすぎない」わけですから著作権法では保護されないことになるでしょう(そもそもお役所の文書は著作権がないはず)。だけどそれで困る人もいます。真面目に取材や執筆や編集作業をしている人たちとは全くの逆で、他人の書いた発表原稿を文字化するだけで飯を食っている知的怠け者。だから「この“文字化”という肉体作業にも大きな知的価値がある」と主張したいのかな。
で、判決がよくわかりません。「見出しに著作物性はない。だけどその利用には利用料が発生する」……著作物ではないけれど著作物みたいなもの、ということなんですかね。たしかに良い見出しには個性が感じられますから、それを商用に使うのだったら使用料を払え、という主張は理解できます。だけど、引用だったら著作権法の要件を満たせばOKのはずですが……
「ネットワーク上の著作権について」(日本新聞協会)では「ニュース記事には、著作権が働いています」(だから勝手に利用するな)と明確に書いてあります(日経オンラインが「個別記事へのリンク禁止」を謳ったのは、これが根拠かな? でも、引用どころか個別記事へのリンク禁止とは、これまた意味がわかりません)。
ここでは「引用」ではなくて「利用」と書いてありますが、それには当然意味があるでしょう。「著作権法では引用は認められているが、自分たちはそんなのは認めないぞ。だから法律にはない“利用”ということばを使うぞ」という意味が。ついでに「利用するなら金を払え」も。
私は自分のブログに新聞記事の見出しやその内容の一部を「引用」しています。それを新聞側が“違法”だと主張するのなら、それで裁判を起こしてもらって結果を出すしかないですね。私は自分が違法なことはしていない(著作権法で定められた要件は満たしている)と思っていますので、訴えられたらきちんと争うつもりです。
楽な道を選ぶのだったら「リンクフリー」のサイトから記事や見出しを引用する、という手もありますが。ネット上のブロガーなどがみなそうしたら、引用してもらえなくなったネット上の新聞はどうなるのかな。ガラパゴス化?
ということは、私も「リンク禁止」としたら、誰にも引用してもらえなくなって……それは嫌です。ネットに載せるということは、全世界に読んでもらいたいからなのですから。ただ、引用する人は、私の著作権は尊重してくださいね。
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家内に「最近綺麗になったね」と言ったら喜びました。
そこでちょっと間をおいて、「ということは、前は汚かったということ?」と尋ねると怒られました。
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