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「テレビでこう言っていたが、知っているか?」と聞かれたり「テレビで見た治療法をやってくれ」とか外来などで患者さんから求められることはけっこうあります。
私は腹の中で思います。「テレビがあなたを診察してくれたの?」「もし悪いことが起きた場合、テレビが責任をとってくれるの? せめて責任を感じてくれるの?」
一時期はみのもんた人気がすごかったですが、最近私が肌で感じているのはNHKの影響です。特に「ためしてガッテン」。
面白いのは「みの」派の人のことばは「○○は××に良い、と聞いた」と文構造がシンプルなのに対して、「ためしてガッテン」派の人は「○○の原因は△△だからそれに対して××が良い、と聞いた」と文の構造がやや複雑になっていることが比較的多いこと。これは番組のツクリが違うからでしょう。(もちろん「ためしてガッテン」派できわめてシンプルなとらえ方をしている人も多くいますが)
「ためしてガッテン」にはたしかに「科学」がベースとなっている雰囲気を感じます。ただ、やはりテレビ、どうしても「イメージ操作」と「煽りの要素」が鼻につきます(民放の番組での健康情報ほどではありませんが)。先日は「夜間高血圧は、腎臓の働きが弱ったことで体内にナトリウムが貯留してその排泄が間に合わないことがわかったんです」とまるで「最新知見を知らせる」感じの言い方をしていましたが、それは「高血圧ガイドライン2009」で触れられていた記憶が私にはあります。別に「昨日わかったばかりの最新知見」ではないでしょう。もちろん番組中にことばで「昨日わかったばかり」なんてことは言わずに、巧妙にそのイメージだけは伝えようとしていたから、もしその点を突かれても“言い訳”はきっちりできるわけですけれど。
これはテレビに対してではなくてその視聴者の方に向いて言いますが、「テレビがあなたを診察してくれたわけではない」「もし悪いことが起きた場合、テレビが責任をとってくれるわけではない」「テレビで伝わるのは基本的に“イメージ”である」ことは前世紀から変わっていませんし、来世紀になっても変わらないでしょう。私が健康情報を扱う番組を制作する側だったら、やはり何があっても自分(や局)の責任が問われないように作るでしょう。だから視聴する側も「イメージ操作」と「正確な情報の提供」は意識して分別した方が良いです。
そういえばテレビで「一見痴呆に見えたが、脳外科で簡単な手術をしたら劇的に改善した」というのをやった直後、やはり来られました。「テレビで見たのだが……」と。内科医に脳外科手術の相談をされても困るのですが、とりあえず私は間口は広く来るものは拒まずですので、話を伺うことにしました。「外からは認知症に見えるが、脳外科で簡単な手術をしたら劇的に改善」と言って私が思いつくのは、慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症です(余談ですが、もし私が脳外科に転身したら、しばらく修行したあと最初にやらせてもらえる手術はこの二つのどちらかになる確率が非常に高いはずです)。普通は頭のCTを撮りたくなりますが、この場合には話を聞いただけで見当がつきました。事故でひどい頭部打撲をした直後から、まるで認知症になったようになってしまった、と言うのです。それは脳挫傷かびまん性軸索損傷でしょう。そもそもひどい頭部打撲で脳外科に入院しているのですから、「簡単な手術」どころか「難しい手術」だって簡単に受けられるはず。それをしないということは……相談に来た人が思っている「脳外科医はテレビで言っているような最新知見を知らない」ではなくて「手術をする必要がない(しても無駄、するべき病気ではない)」可能性の方が高い、が私の判断です。
もちろん頭部打撲のあとにじわりじわりと血腫が、とか、じわりじわりと水頭症が、はありますが、その場合だったらその「認知症」もじわりじわりと進行するはず。頭部打撲後の急激な変化の「責任」は頭部打撲そのものである、と考える方が自然です。「今の姿」がテレビで言ったものに合致しているかどうか、だけではなくて、その「経過」についても注目したら、それだけでいろんなことがわかります(「内科では問診だけでほとんどの診断がつく」と言いますが、それは「症状」だけではなくて「経過」に注目して論理を組み立てるからです)。
結局私の説明では納得されず、紹介状を持って他の総合病院の脳外科に受診されて、結局また同じことを言われたそうですが、つまり私はテレビに“負けた”わけです。やれやれ。
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二言目には「おれは患者だぞ」とか「お前は医者のくせに」と言う人がいます。こういう人に出会うと私は不思議な気持ちになります。この人にとっては自分の状態(「自分が病気を持っている」ということ)よりも、立場(「おれは患者だ」「お前は医者をやっている」こと)の方が重大事なんだろうか、と。
もちろん、「おれは医者だぞ」「お前は患者のくせに」なんてことを口走る人にも、まったく同じことが言えます。
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今回のニュージーランドの地震で、遺体確認が難航している、というニュースがありました。現地では関係者も遺族も大変だろうな、と思えます。歯科の治療録や指紋やDNAを使うにしても、対照に使える記録がうまく存在していればいいのですが、すべての人がそういった記録を持って歩いているわけではありませんし、だからといって適当にやって間違いを犯すわけにもいきませんし。
原形を保たないくらいの遺体の場合はもちろん確認が困難ですが、原形を保った遺体であっても、こんどは別の困難が生じます。面変わりをしてしまって、遺族が確認をミスする可能性が大いにあるのです。あるいは、感情が高まった遺族が、別の死体を自分の家族と勘違いすることも。
前世紀の思い出話をしましょう(例によって、フィクション化してあります)。
深夜のバイク同士の交通事故で、両方のライダーが救急室に担ぎ込まれました。一人は足の骨折と全身の打撲傷や擦り傷程度で、命の危険とか緊急手術の必要性はなさそうなのでとりあえず病室に入れて夜が明けるまで経過観察としました。だけどもう一人が……ヘルメットのおかげで首から上はきれいでしたが、首から下はぐじゃぐじゃで即死状態です。若いのに気の毒なことだと思いますが、もう手の施しようがありません。
そこに、血相を変えた数人が集団で飛び込んできました。警察からの電話で取るものも取りあえず駆けつけたご家族でしょう。遺体は救急室のベッドに寝かせてシーツをかけていたのですが、そのシーツを一挙動で払いのけて顔を見るなり「こんな姿になってしまって!」と全員がすがりついて愁嘆場です。ちょっと声をかけられる雰囲気ではありません。
その時、どこか(トイレか、入院させた人の病室)に行っていた警察官が顔を出して「えっと、どちらのご家族ですか?」と。「○○です。太郎が、太郎が……」。
警察官と私と看護婦(当時の呼び名)は一瞬顔を見合わせました。だって、事故の相手、生きていて入院した方が「○○太郎」さんだったのですから。
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別に盗み聞きをしようとしたわけではありませんが、列車の中で病気のことで大きな声で会話しているのが聞こえました。なんだか繰り返しが不必要に多くてだらだらしたしゃべり方だったので勝手に頭の中で編集すると、「糖尿病で通院している。医者が“顔が腫れる薬”を出した。顔が腫れたらこわいから最初から飲まなかった。すると血糖値が悪くなった。“顔が腫れる薬”を出した上に、血糖値まで悪くするとは、ヤブ医者だ」。
たぶんその薬はアクトスのことでしょうね。これは最初から30mgを出すと(特に女性や高齢者で)浮腫が出やすいので、最初は15mgでスタートして、それで問題(浮腫の出現)がなければ30mgに増量、がスタンダードとなっています。で、そういった説明を聞いたその人は「浮腫が出ることがある」を「浮腫が必ず出る」と理解したわけ。で「そんな危険な薬が飲めるか!」。
さらに数分後、さらに興味深い話題が登場しました。その人は焼酎が大好きで毎日ぐびぐびやっているのだそうです。血糖が上がったのは、薬を飲まないで焼酎を飲んでいるからではないか、と思った私はやはり彼女が言うところの「ヤブ医者」の仲間なのかな?
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「心を奪う」……ルパン三世(カリオストロ)
「心を傾ける」……どこかに接近している
「心を入れ替える」……どこから新しい心を調達したのだろう
「心を動かす」……「感動」の正体
「心を合わせる」……合心!
「心を寄せる」……寒天・ゼラチン・葛のどれにしましょう?
「心を尽くす」……もうすっからかん
「心を引く」……心身−心=身
「心を以って心に伝う」
「心を打つ」……なぜか痛くない
「心を痛める」……打たれた心
「心を汲む」……心は井戸にある
「心を置く」……心は床の間にある
「心を砕く」……心は金敷の上にある
「心を躍らせる」……無理に踊らせるとストレスになる
「心を配る」……略すると「心配」になる
「心を許す」……まあ今度だけは心を勘弁してやろう
「心を鬼にする」……心を甘やかした結果
「心を開く」……特別な鍵が必要
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医学では「EBM」が重要ですが、医学以外でも何かを判断したり主張するのに、「根拠あり」と「根拠無し」の場合、説得力があるのは当然前者です。
ところで、寒の戻りはまだあるでしょうが、空を満たす光の質は少しずつ春に近づいているように私には見えます。
では、「今日は温かいなあ」と感じたとき、温度計を見て「ああ、昨日より2度も高い」と言わないと、その“感覚による判断”には「説得力」がない(温度計を見ないと判断できない、数字を示さないと誰も納得しない)のでしょうか。
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