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書誌情報:『ミラーニューロンの発見 ──「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学』マルコ・イアコボーニ 著、 塩原通緒 訳、 ハヤカワ新書juice、2009年、1300円(税別)
1996年にイタリアのパルマ大学のジャコモ・リゾラッティらは「ミラーニューロン」の存在を発表しました。UCLAで脳の研究をしていた著者(名前からわかるように、イタリア系)もその研究を始めます。パルマ大学はサルの脳に電極を刺して直接神経細胞を見ていましたが、著者は非侵襲的な検査(PET、fMRI、脳磁図など)を駆使する、という手法の違いがあり、お互い協力や刺激をし合いながら研究を進めていきます。著者はリゾラッティらとも個人的に親交があるらしく、パルマ大学のチームの描写は具体的で暖かいものです。
ただし、二人の考え方は異なっています。リゾラッティはミラーニューロンを「行動を認識するだけ」と捉えているそうです(あくまで、著者の見解であってリゾラッティの本当の言い分は彼の著作『ミラーニューロン』(紀伊國屋書店)を読まなくちゃいけないのでしょう)。著者は、大胆に“その先”にまで踏み込んでいきます。ミラーニューロンが存在する部位がブローカ野(運動性の言語中枢)であることと、「視認した行動」だけではなくて「音」にも活発に反応することから「言語活動」にもミラーニューロンが重要な役割を果たしているはず、と考えます。TMSと呼ばれる磁気刺激で脳の小さな範囲を一時的に麻痺させる手法でブローカ野を麻痺させると言語理解能力が低下する、という実験結果もあり、ここまではついてくる研究者は多いのですが、そこからさらにまた一歩。「意図」の類推にもミラーニューロンを使っている、と著者は主張します。「意図」の結果「行動」があります。ミラーニューロンはその「行動」を脳内でシミュレートしてその結果「私」は「他人の意図」を推定可能になるのだ、と。さらにもう一歩。「共感」にもミラーニューロンが、と。他人の表情を見ることでミラーニューロンは脳内でその表情をシミュレート(脳内模倣)します。その結果は「島」に送られそこから大脳辺縁系の感情中枢へ。感情中枢はそのデータに基づいてふさわしい感情を発動。それを認識した「私」は「ああ、あの人はこんな気持ちなんだ」と“わかる”わけです。このとき実際に同じ表情をすると相手の気持ちがよくわかるようになる、という実験があるそうです。
(「島」については「橋と島」でちょこっと触れたばかりですね)
さらにまた一歩。こんどは自閉症です。自閉症児には模倣障害が多いことは知られていましたが、著者はそれも「ミラーニューロンの障害ではないか」と考えます。さすがに「まだ仮説だが」と一歩引いていますが、それでもけっこう自信を持っているらしいことはことばの端々にうかがえます。この仮説が正しければ、早期診断や早期治療が「ミラーニューロン」によって可能になるかもしれません。
ミラーニューロンは「社会生活」のために存在しているわけではないでしょう。もともとは群れを作る動物の生存確率を高めるのに有用なツールとして存在していたはずです。模倣によって子どもが群れと同じ行動ができるようになったら種の保存に有利ですから。ところが人間は群れではなくて「社会」を作ってしまいました。そのとき活用されたのがミラーニューロンだった(というか、まともに使えるツールがこれくらいしかなかった)、その結果ミラーニューロンは運動だけではなくて感覚や感情、さらには言語にまで重要な役割を果たすようになった、というのが進化論的にはあり得る説明のように私には思えます。
お遊び的要素のようですが、いかにもアメリカらしく、スーパーボウルの広告や大統領選挙でのネガティブキャンペーンとミラーニューロン、なんてお話も登場します。ただ著者はネガティブキャンペーンはあきらかに社会を傷つけるので(そういう研究結果が紹介されています)好みではないようです。ミラーニューロンは健全な社会を構築するために使って欲しそうです。
さらに話はもう一歩。実存主義とか間主観性という哲学系のことばが登場するようになると読者から脱落者はさらに増えることでしょう。私もここで脱落しそうになってしまいました。ヤスパースやサルトルやカフカくらいならちらっと読んでいますがフッサールはかすったこともありませんもの。ただ、「私」というものが孤立しているのではなくて「社会(他者の中)」で生きているとき、ミラーニューロンの中で「私」と「他人」が混交されて存在しているのかもしれない、と思うとちょっと不思議な気分にはなります。徹底した「個人主義」の文化圏の人より、「他者との関り」どころか「自然との一体感」まで大切にしてきた日本文化の継承者の方が、「ミラーニューロンと社会的存在としての人間」について容易に受け入れ考察を勧めることができやすいのではないか、なんて思いまして。
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