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2010.09.24 18:34 |  スポーツ  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

ふつうの多数派

 私が子供の頃には「巨人大鵬玉子(卵)焼き」という言葉がまだ現役でした。昔の日本の子どもたちには大人気だったものを列挙した言葉です。ところが何にでも例外というものはあるもので、例えば私は巨人ではなくて広島カープのファンでしたから、そういった言葉には一定の距離を置いていました。なんというか「これが多数派だ(普通だ)」と言われてもピンとこなかったのです。逆にそういった言葉の「内側」の人間からはそういった「普通ではない」人間は奇異の眼で見られることもありました。「日本人のくせに変わり者だ」と。

 ですが、少数派には少数派の異論もあるわけです。たとえば「巨人大鵬玉子焼き」は本当に多数派なのか、と数学的(笑)に検証してみましょう。
 仮に「巨人」「大鵬」「玉子焼き」それぞれのファンが全日本人の70%も占めている、とします。すると確率的には3つすべてのファンである人は0.7×0.7×0.7=0.343……あら、「巨人大鵬玉子焼きすべて好き」派は日本では約1/3の「少数派」ということになってしまいます。もちろん「巨人」が好きな人は全員「大鵬」が好きでしかもその全員が「玉子焼き」も好きなら「巨人大鵬玉子焼きすべて好き」派は70%という数字を維持できます。でも、巨人と大鵬は好きだが玉子焼きより目玉焼きが好き、という人もいるでしょう? あるいは巨人柏戸ゆで卵派の人がいるかもしれません。しかし、「巨人大鵬玉子焼き」が多数派であるためにはそんな好き勝手は認めるわけにはいきません。だからといって「三つのパラメーターの好みはすべて連動するべし」という主張をするわけにはいかないでしょう。日本では個人の嗜好の自由は憲法で保証されているのですから。

 常識とはその時代その社会で多数派に採用されている判断/行動基準です。その常識に従って生きている人たちは普通の人であり、非常識に生きている人は特別な人です。しかし、考えてみると「普通」「常識」という言葉を我々はつい「普通」に使ってしまいますが、実はあやふやなものです。前述の「巨人大鵬玉子焼き」も当時の日本人の思考としては「普通」のものであり、実際それぞれの愛好者は多数派であったといって良かったのですが、それでもそれ以外を愛する人も「普通」に生きていたのでした。私のように。

 ところで「どんな場合でも自分は多数派に安住できる」と言える人って、この世では“多数派”なんですかね?


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