twitterをやってみると、それなりに面白いものですね。巨大な井戸端会議のような広がっていく感じが魅力ですし、自分の発言の“軽さ”(「どーせ、つぶやきだしぃ」)もあって、開放感を楽しめます。添削や修正などを一切せずに書いてすぐに発信、というのは、私にとっては新鮮でした。
ただ、政府がそれをやっちゃうのは……
為替変動への対策に「口先介入」というテクニックがあるのは承知していますが「大臣がこう言った」「こんどは首相がこう言った」とマスコミが段階を踏んで報道しているのを見ると「しょせん口先かよ」とこちらもつぶやきたくなります。市場にもそれは見透かされているのではないでしょうか。
熱中症“対策”も政府は「こまめに水分補給を」と“つぶやく”だけでした。
そういや沖縄の米軍基地の話も、いろいろ“つぶやいた”あげく、どうなったんでしたっけ?
行きすぎた格差社会、就職できない人、ワーキングプア、税の不平等感、「失われた10年」でも医療崩壊でも不景気対策でも、政府はいろいろ“つぶやく”だけ(そもそも「不景気対策」と言わずに「景気対策」とつぶやく時点で間違ったつぶやきになってますが)。
そういや「倫理倫理と鈴虫」発言での政治倫理(政治と金、政治家と暴力団などの関係)の話も結局政治家やマスコミの“つぶやき”で終わってますね。
これは民主党政府の問題、というより、それ以前の自民党政権時代から日本の政治が「つぶやき政治」になっていることの延長線上、と私には思えています。きちんと宣言するのではなくて、いろいろつぶやいてみて、その中でウケが良さそうなのを“採用”、と。文字通りの意味での「ポリシー」は二の次(ご本人は「ポリシーに基づく“観測気球”だ」とでも主張されるでしょうが、多種類の観測気球が上がる時点で、“ポリシー”は見えなくなってます。もちろん、ウケなど一切無視の頑固一徹は、別の意味で困りますけれど)。
で、私たちが「つぶやく」時にはパソコンなり携帯をつかってtwitter.comに接続しますが、政治家の場合は肉声でつぶやいたらあとはマスコミが「巨大なつぶやき」にしてくれるわけです。たしかにマスコミ自体も「聞く耳持たない」点で、単なる巨大つぶやき装置でしかないわけですが(「聞く耳持たない」のは、医療崩壊の過程で身に染みてよくわかりました。そのくせ“大本営発表”には喜んで飛びつく態度にはとほほな気分ですが、このままだとマスコミを“フォロー”する人はどんどん減っていくんじゃないか、なんて心配をしてあげたくもなります。余計なお世話ですが)。
しかし、軽さの政治、というのは、それはそれで魅力がありますが、政治の場での真剣な議論は不要なんでしょうかねえ。
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「治療は一応終了したので退院して良いですよ」と言われて、喜ぶ人と喜ばずに「もっと入院していたい」と抵抗する人がいます。前者は話がシンプルですが、後者は事情が色々。
単純に「自宅より病院の方が好き」という人はさすがにあまりいませんが(皆無ではありません)、「病院だったら食事が出るから(自宅だと食事の支度が大変)」という人もいれば「生命保険で入院費が出て“儲かる”から、もうちょっといたい」という人もいます(最近はあまり聞かなくなりましたが「入院期間が○○日以下だと入院保険の支払いはゼロ」という契約なので「最低○○日以上」入院したい、という要求は以前はけっこうありました)。すごいのは「家を新築したので、病人のにおいをつけたくないから、しばらく病院に置いてくれ」というのも。
この前は、私の同僚が経験したのですが、「もう退院ですよ。おめでとうございます」に対して、患者の家族が「それは認められない。あと1ヶ月入院を継続するべきだ」と強硬に主張したのだそうです。ところがその理由がよくわからない。どうもその家族本人が、患者の入院時に「入院は○○日」と思いこんだらしく、それをきちんと完遂するべきだ、との主張のようなのです。ところが面白いことに、その家族自身は生命保険会社に勤務しているとのこと。あれれ? “不必要な入院”に対して医者の所に押しかけて(あるいは調査会社の人間を差し向けて)「本当にこれだけの入院が必要だったのか?」「入院したときの状態と入院中の経過と退院したときの状態について詳しく述べよ」と診断書を書いているにもかかわらず重ねて要求する(そして医者の時間を奪いさる)のが“お仕事”の一つではありませんでしたっけ?
入院の必要性という医学的なことに関しても、「自分の判断の方が医者の判断より優越するべきだ」と主張する人が世間に多いのは、興味深い社会的現象に思えます。
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