昔は車を買うとまず「慣らし運転」をするものでした。私は30年くらい前には「走行距離百キロごとに、エンジン回転数を少しずつあげていく」という面倒くさいやり方を教わりましたが、結局「急発進・急ブレーキをしない。最初の半月は高速道路に乗らない。最初のオイル交換は早めに」程度のいい加減なやり方で済ませてしまいました。
最近は車の工作精度が上がったせいで、慣らし運転はあまりしなくて良くなったそうですがそれでも「買うなりエンジン全開」はしない方が良いのは同じことでしょう。エンジンや車体のパーツの細かいアタリがとれてスムーズに動くようになる、と私は考えています。
スピーカーでは慣らし運転とは言わずに「エージング」と言うそうです。でも、意味は同じですよね。少しずつ慣らして(鳴らして)いくと音が良くなっていくのだそうです。スピーカーの可動部が少しずつしなやかになり、各部品の連携がうまく取れるようになるのでしょう。
これがワインだとなぜか表記が「エイジング」になるようです。意味は「熟成」。ただ、樽と瓶とでエイジングが同等に起きるのかは、私にはわかりません。
で、これが人間だと「エイジング」よりも「アンチ・エイジング」の方がもてはやされます。不思議です。せっかく時間をかけて熟成させたのに、未熟な状態に若返らせちゃうの?
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何の本だったかは忘れましたがずっと以前に「15世紀スペインとポルトガルの焚書について、ハインリヒ・ハイネは『アルマンゾル』で『書物が焼かれるところでは、結局、人間が焼かれる』と書いた」とあるのを読んで、それがとても印象に強く残りました。
医者の“職業病”の一つに「なるべく原典に当たる」があります。そこでふと思い立って実際にハイネの詩集を開いてみると「アルマンゾル」にはそんなことは全然書いてありませんでした。内容は、レコンキスタ(キリスト教徒のスペイン国土回復運動)後のコルドヴァを舞台とした、かつてはイスラムに支配され今はキリスト教に従う“スペイン文化”の複雑な思いを、騎士アルマンゾルの行動に仮託した深い詩でしたが、焚書は登場しません。
で、ついでですから読み続けていると『ドイツ 冬物語』の第4章に「ここ(ケルン)で、火あぶりの炎が、/本や人間をのみ込んだのだ。/そのとき鐘がならされ/そして「神よあわれみ給え(キリエ・エレイソン)」が歌われたのだ」(井上正蔵 訳)とあるのを見つけました。
※『世界名詩集大成(6)ドイツ篇1』平凡社、1960年
ただやっぱり「書物が焼かれるところでは、結局、人間が焼かれる」の方が、インパクトがありますよねえ。
これを飛躍した言いぐさだと思う人がおられるかもしれませんが、歴史を見たらすぐ目につく、秦の始皇帝による焚書坑儒や西洋の異端審問、数々の宗教戦争、ナチスドイツの行為(焚書と大量殺人)などを見ていたら、ハイネの意見を簡単に否定することはできないように思えます。
紙に書かれた思想を焼ける人は、脳に書かれた思想を焼くこともできるのです。「思想を焼く」点で結局差はありませんから。「焼く」という手段もそしてその結果も同じなのです。
私見ですが、「違う意見を持つ人を殺して黙らせる」は「金が欲しいから殺して盗る」と同じに見えます。
まず「欲望」(「違う意見は聞きたくない」「金が欲しい」)が存在します。その欲望をかなえるための手段として「相手を殺す」が選択されます。そして最後に「欲望の充足」(「自分と異なる意見を持つ相手が黙る」「金が手に入る」)が達成されます。ほら、まったく同じ構造でしょ。
そして「焚書まではいかないが、気に入らない意見に発禁処分を喰らわしておくのはOK」「人を焼くことまではしないが、その人を抑圧したり社会的に抹殺することで黙らせるのはOK」と思う人は「金が欲しいから殺さないまでも殴ったり脅して奪うのはOK」の人たちの親しいお仲間でしょう。
参考図書:
レコンキスタについては、『イスラーム治下のヨーロッパ ──衝突と共存の歴史』
Ch-E・デュフルク著、芝修身/芝紘子訳、藤原書店、1997年、3300円(税別) が強くお勧めです。中世スペインの複雑な歴史が一気に概観できますし、「スペインはイスラムに支配されたことはなかった」史観の紹介のところでは笑えます。
焚書については、フィクションですが……
『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ、早川書房) 副題は「本のページに火がつき、燃え上がる温度……」となってます。FireMan(消防士)が文字通り「火をつける人(焚書官)」として登場する、コワイ作品です。
『ヴォイス ──西のはての年代記2』ル=グウィン 著、 谷垣曉美 訳、 河出書房新社、2007年、1600円(税別)
この本でも「書物の破壊」と同時に「自分に従わない人に対する殺人」が扱われます。ただ、本書を読むのでしたらその前に『ギフト ──西のはての年代記1』ル=グウィン 著を読んでおかれることをお勧めします。それと『パワー ──西のはての年代記3』もそのあとで。
ノンフィクションは、異端審問とかナチス関連で山ほどありますが、私の好みは“変化球”なので……
『諸子百家〈再発見〉 ──掘り起こされる古代中国思想』浅野裕一・湯浅邦弘編、岩波書店、2004年、2600円(税別)
『図書館の興亡 ──古代アレクサンドリアから現代まで』マシュー・バトルズ 著、 白須英子 訳、 草思社、2004年、2625円
『ケストナー ──ナチスに抵抗し続けた作家』原題:DIE ZEIT IST KAPUTT(壊された時代) クラウス・コードン著、那須田淳・大本栄訳、偕成社、1999年、2800円(税別) (ナチスによって『エミールと探偵たち』以外はすべて焚書または禁書となり、さらに執筆活動の禁止処分をくらい、それでも亡命せずにドイツにとどまり続けた作家の絶望と勇気の物語)
を挙げておきましょう。
おまけ
焚書どころか「言語そのものの破壊」による思想統制が登場するのは『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)です。スターリンもどきの「ビッグ・ブラザー」や「テレスクリーン(による監視)」は注目されることが多いのですが、この「言語の破壊」にももっと注目が集まって良いように私は思っています(注目はされていて私がそれを知らないだけかもしれませんが)。さらに主人公のウィンストンの仕事は「真理省」での歴史の捏造なのですが……すると「スペインはイスラムに支配されたことはなかった」史観で笑っていてはいけなかったのかな。
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