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2010.09.30 18:31 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

医師不足の解消法

医師不足:分娩医の不足深刻 現状の1.15倍必要--厚労省調査」(毎日)

 厚労省にどこから突っこもうか、と言いたくなるニュースですが、とりあえず二点。
1)これが「初めて」の調査、という点。
 これまでどおり「医師は不足していない」と言い張り続けるよりはマシな態度ではありますが、「足りないと言っている病院がある」とはまるで他人事のような態度ですな。それとも、「昨日までは足りていたけれど、今日から足りなくなった」とでも?(しかし、“あの毎日”でさえ「都市部さえ充足しておらず、医師不足が深刻な実態が改めて裏付けられた」と書かなくてはならないとはねえ。やっと改心したのか、あるいはよほど切羽詰まって惑乱しているのかな?)
2)「不足」の“実態”から目を逸らしている点。
 ここでの数字はあくまで「足りないと言っている病院」の“求人数”を総計しただけです。たとえば「財源がないから『足りない』と声を上げる気にもならない」「経営陣や病院事務は『足りている』と判断しているが、現場では『足りない』と判断している」病院は最初からこの統計では落ちている。ところが一度「数字」が出ると、この数字が一人歩きを始めるんですよねえ。たとえ実態から大きく解離した数字でも。だけどお役所が大好きなのは「この数字をどのように評価するか」「これからこの数字がどう変化するか」であって「実態はどうか」「実態がどう変わるか」ではありません。そのことはお忘れなく。

 そういえば、この調査は病院だけですが、開業医でも「人手不足」の所があるとは思いませんか?  たとえば流行っているところや老人への訪問診療を手広くやっているところなど、夜間や休日や学会出張のためにたとえば「一人は要らないが、もう0.5人分医者がいたら」などと思っているところなどはけっこうあるように思うのですが。
 そうそう、“目くらまし”でしょうね、都道府県別の数字が上げられていて、思わず「わが県は」「よその県は」とそちらに注目したくなりますが、ことの本質は「日本の医療」であることをお忘れなく。大英帝国の分断統治よろしく、各地域がいがみあっても「解決」にはなりません。それで喜ぶのは厚労省とマスゴミだけ。
 ところで……ものすごく手っ取り早い「解決法」を思いつきました。来年また同じ調査をするとして、それまでの1年間の間に「人手不足だ〜」という数字を出した病院を数字の大きいところから重点的に潰してしまうのです。そうしたら、あ〜ら不思議、来年の調査では「人手不足」の数字は激減しますよ。書類上はめでたく一件(一見)落着〜ぅ。


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書誌情報:『ミラーニューロンの発見 ──「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学』マルコ・イアコボーニ 著、 塩原通緒 訳、 ハヤカワ新書juice、2009年、1300円(税別)

 1996年にイタリアのパルマ大学のジャコモ・リゾラッティらは「ミラーニューロン」の存在を発表しました。UCLAで脳の研究をしていた著者(名前からわかるように、イタリア系)もその研究を始めます。パルマ大学はサルの脳に電極を刺して直接神経細胞を見ていましたが、著者は非侵襲的な検査(PET、fMRI、脳磁図など)を駆使する、という手法の違いがあり、お互い協力や刺激をし合いながら研究を進めていきます。著者はリゾラッティらとも個人的に親交があるらしく、パルマ大学のチームの描写は具体的で暖かいものです。
 ただし、二人の考え方は異なっています。リゾラッティはミラーニューロンを「行動を認識するだけ」と捉えているそうです(あくまで、著者の見解であってリゾラッティの本当の言い分は彼の著作『ミラーニューロン』(紀伊國屋書店)を読まなくちゃいけないのでしょう)。著者は、大胆に“その先”にまで踏み込んでいきます。ミラーニューロンが存在する部位がブローカ野(運動性の言語中枢)であることと、「視認した行動」だけではなくて「音」にも活発に反応することから「言語活動」にもミラーニューロンが重要な役割を果たしているはず、と考えます。TMSと呼ばれる磁気刺激で脳の小さな範囲を一時的に麻痺させる手法でブローカ野を麻痺させると言語理解能力が低下する、という実験結果もあり、ここまではついてくる研究者は多いのですが、そこからさらにまた一歩。「意図」の類推にもミラーニューロンを使っている、と著者は主張します。「意図」の結果「行動」があります。ミラーニューロンはその「行動」を脳内でシミュレートしてその結果「私」は「他人の意図」を推定可能になるのだ、と。さらにもう一歩。「共感」にもミラーニューロンが、と。他人の表情を見ることでミラーニューロンは脳内でその表情をシミュレート(脳内模倣)します。その結果は「島」に送られそこから大脳辺縁系の感情中枢へ。感情中枢はそのデータに基づいてふさわしい感情を発動。それを認識した「私」は「ああ、あの人はこんな気持ちなんだ」と“わかる”わけです。このとき実際に同じ表情をすると相手の気持ちがよくわかるようになる、という実験があるそうです。
(「島」については「橋と島」でちょこっと触れたばかりですね)
 さらにまた一歩。こんどは自閉症です。自閉症児には模倣障害が多いことは知られていましたが、著者はそれも「ミラーニューロンの障害ではないか」と考えます。さすがに「まだ仮説だが」と一歩引いていますが、それでもけっこう自信を持っているらしいことはことばの端々にうかがえます。この仮説が正しければ、早期診断や早期治療が「ミラーニューロン」によって可能になるかもしれません。

 ミラーニューロンは「社会生活」のために存在しているわけではないでしょう。もともとは群れを作る動物の生存確率を高めるのに有用なツールとして存在していたはずです。模倣によって子どもが群れと同じ行動ができるようになったら種の保存に有利ですから。ところが人間は群れではなくて「社会」を作ってしまいました。そのとき活用されたのがミラーニューロンだった(というか、まともに使えるツールがこれくらいしかなかった)、その結果ミラーニューロンは運動だけではなくて感覚や感情、さらには言語にまで重要な役割を果たすようになった、というのが進化論的にはあり得る説明のように私には思えます。
 お遊び的要素のようですが、いかにもアメリカらしく、スーパーボウルの広告や大統領選挙でのネガティブキャンペーンとミラーニューロン、なんてお話も登場します。ただ著者はネガティブキャンペーンはあきらかに社会を傷つけるので(そういう研究結果が紹介されています)好みではないようです。ミラーニューロンは健全な社会を構築するために使って欲しそうです。
 さらに話はもう一歩。実存主義とか間主観性という哲学系のことばが登場するようになると読者から脱落者はさらに増えることでしょう。私もここで脱落しそうになってしまいました。ヤスパースやサルトルやカフカくらいならちらっと読んでいますがフッサールはかすったこともありませんもの。ただ、「私」というものが孤立しているのではなくて「社会(他者の中)」で生きているとき、ミラーニューロンの中で「私」と「他人」が混交されて存在しているのかもしれない、と思うとちょっと不思議な気分にはなります。徹底した「個人主義」の文化圏の人より、「他者との関り」どころか「自然との一体感」まで大切にしてきた日本文化の継承者の方が、「ミラーニューロンと社会的存在としての人間」について容易に受け入れ考察を勧めることができやすいのではないか、なんて思いまして。


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2010.09.29 18:52 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

文字通り(50)顔が

「顔が合わせられない」……鏡が違う方を向いている
「顔が広い」……何平方メートルからかの基準は公表されていない
「顔が利く」……名医だ
「顔が曇る」……顔に雨が降る前触れ
「顔が潰れる」……戻すのは大変
「顔が売れる」……別の顔を仕入れる必要がある
「顔が花」……花にもいろいろあるのだが……
「親の顔が見たい」……モンスターペアレントが出てくる


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2010.09.29 06:41 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

薬で解決

 今日の話も、20世紀の体験をベースにしていますがだいぶ脚色しています。デフォルメしているので「こんな話があるわけない」と思われるかもしれませんが、あくまでベースは実話です。

 外来に小学生をつれてきた親が、ずいぶん熱心に話し始めました。
「この子は算数も国語も苦手で、逆上がりもできません。先生、勉強ができるようになって運動もできるようになる薬はありませんか」
「そんな都合の良いものはありませんよ」
「だったら、算数だけでも良いです」
「だからそれは無理です」
「算数は無理ですか。だったら国語は?」
「それも無理です」
「だったら仕方ない。せめて逆上がりだけでも」
「だから、それは薬では何ともなりません」
「なんだって?  薬で治すのが医者の仕事だろうに、それができないというのか?」
「算数も逆上がりも、ついでですが、算盤も自転車も水泳も、薬を飲んだら突然できるようになる、というものではありませんよ」
「もういい!  あんたには頼まん」

 ……あのう、最初からこの人は「頼」んではいないと思うのですが。無理難題はまくし立てていましたが。
 でも、もしそんな類の「奇跡の薬」があるとしたら、私としてはこの“親”の方に「人をもっと尊重する態度が身につく薬」「子育てができるようになる薬」を処方したいな。子ども本人の目の前で「こいつは無能だ」と他人に堂々と言う親って、人を侮辱する能力は豊かですが子どもの未来を開花させる能力には欠けているように思えるものですから。


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2010.09.28 18:34 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

文字通り(49)苦

「堅苦しい」……服にノリをつけすぎた
「暑苦しい」……不快指数か不快感が高い
「聞き苦しい」……もっと小さな声で
「重苦しい」……拷問の一種
「胸苦しい」……心臓か肺
「狭苦しい」……ふとりすぎかも
「ほろ苦い」……ほろは苦い
「赤苦津」……赤い靴ではない
「艱難辛苦」……山中鹿之助の人生にはまだ不足していたもの(だからもっと与えてほしかった)
「苦しいときの神頼み」……残念ながら神は人とは別の論理と倫理で動いている
「苦にする」……楽しみも苦しみと捉える悲観主義
「苦は楽の種」……苦しみも楽しみと捉える楽観主義
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」……蜂が来る風が吹く牛に踏まれる人に摘まれる
「苦手」……かじってしっかり味わったか?
「苦学」……学問に王道なし!
「苦肉の策」……敵を欺かんとすればまず味方から
「苦況」……不況の親戚
「苦界」……マグネシウムが析出した世界
「苦笑」……苦しくても笑って生きよう
「微苦笑」……微妙に苦しいときの笑い
「無茶苦茶」……苦い茶があるのかそれとも無いのか、ちっともわからない
「苦労」……「ご苦労」「ご苦労様」と出世する出世ことば
「七難八苦」……苦難が七つで苦が一つ余り
「苦情処理係」……苦しい感情を処理する係
「苦汁をなめる」……蓼食う虫も好き好き
「若いときの苦労は買ってもせよ」……売ってあげよう



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2010.09.28 06:37 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

お忙しい菅首相

 「貧困解消に7200億円 首相 開発目標サミットで(09/24 08:38)」(北海道新聞)
首相は飢餓・貧困問題の解消に向けた保健、教育分野での途上国支援策「菅コミットメント」を発表した。2011年からの5年間で合計85億ドル(約7200億円)を拠出し、感染症予防や妊産婦や幼児の死亡率低下などへの取り組みを支援する。

 「教育」と「医療」が国の静的な安定に不可欠であることは古代ローマの時代から明らかなわけですから(ユリウス・カエサルは奴隷の教師と医師を解放しました)、菅首相の考えそのものを否定する気はありません。ただ、そういったお金が余っているのなら、できたら困っている国内へも支出してもらいたいものだ、とも思いますが。

 「首相、たん吸引で法整備指示 介護の人材難受け」(東奥日報)
「介護、看護職員が長期に働けるよう改善していく。制度的にもフォローしなければいけない」

 病院視察後の談話ですからどうしても「介護・看護」に注目してしまうのは仕方ないでしょうが、高齢者が安心して暮らせるためにはそういった医療分野だけではなくて「年金」や「福祉」や「社会環境」も重要なのをどうかどうかお忘れなく。高齢者のために医療が存在するのであって、医療のために高齢者がいるのではないのですから(もちろん高齢者のためだけに医療が存在するわけではありませんが)。そして、高齢者が生きるためには、医療だけでは不十分なのです。
 

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2010.09.27 18:55 |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

極意

 ある剣術の師匠が弟子にこう教えました。(※)
 「心は嘘をつき、頭はわれわれをたぶらかす。だが、目は真実を見る。きみの目で見なさい。きみの耳で聞きなさい。きみの口で味わいなさい。きみの鼻で嗅ぎなさい。きみの肌で感じなさい。それから、思考がやってくる。後からだ。そして、そのようにして真実を知るのだ。」

 なるほど、と私は呟きます。医学だって同じじゃないか、と。

 もしも観察が理論に全面的に依拠したら(「自分は○○を見ているはずだ」と自分に言いきかせながら見つめていたら)、それは藪医者の循環論法(この患者は風邪に違いない。だから風邪だ)でしかありません。だけど「極意」を身につけるためには、「師匠」の正しい教えとともに“現実”の中での本人の長い長い努力が必要なのです(この弟子も、性悪な猫を捕まえさせられたりしています)。極意は、話を聞いたり本を読んだ程度で“身”につくようなものではないんですよねえ。

※)『七王国の玉座(下) 氷と炎の歌1』ジョージ・R・R・マーティン 著、 岡部宏之 訳、 早川書房



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2010.09.27 06:29 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 3

ナイチンゲールの“失敗”

 かつて日本の新生児死亡率は悲惨なものでした。厚労省の「新生児及び周産期死亡及び死亡率の推移(1920〜2008)」を見たら、目を覆いたくなります。新生児死亡率が1920年には6.9%もあるのです。(2008年は0.12%)
 クリミア戦争は悲惨な戦争でした。私が見たある本では、ナイチンゲールが行く前、野戦病院の死亡率は約40%だったそうです。ところがナイチンゲール到着後数ヶ月で1/10以下に死亡率は減少しました。

 現在の日本で産科医をつかまえて「出産時の死亡率がゼロにならない。それは産科医の責任だ」と責める人は、ナイチンゲールもつかまえて「死亡率が2%もある。それはお前の失敗だ」と責めるのでしょうか。


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 子どもの時、私は親にいろんな説教をされましたが、その一つがこれです。
 たしかに親になってみると、食後すぐに子どもがごろりと横になるのは目障りなものです。この子が他人の家に行ってもしも同じことをやったら無礼千万だ親の顔が見たいと言われたらどうしよう、とも思います。
 もちろんこれはあくまで行儀作法の話で、生理学の点からは胃腸の消化活動に十分に血液を回すためには筋肉の活動を抑える方が有利なはずです(食後すぐ激しい運動をしたら内蔵の血液不足でお腹が痛くなった、という経験はありませんか?)。それこそ「親は死んでも子は食休み」なのです。古代ギリシアや古代ローマの市民は最初から身体を横たえて食事をしていたそうで、非常に合理的な体勢に感じますし、これだったら「食べてすぐ寝ると」なんてことも言われずにすみそうです(ただ、右手を使うために身体の左側を下にするのは、胃から腸への食塊の流れが悪くはなりますが)。
 ところで、牛に限らず、反芻動物は好きでのんびりじっとして反芻をしているわけではないでしょう。彼らには彼らの事情(消化しにくい草をなんとか消化吸収できる形に持っていかなければならない)があるだけです。それをまるで「お行儀が悪い代表」みたいに言われるのは、彼らから見たら不本意なことでしょうね。そもそも彼らの礼儀作法の観点からは問題がない行為のはずなのですから。

 本当は、肉食動物こそが「食べてすぐ寝る」にふさわしいはずです。草食動物は満腹だろうが空腹だろうが、肉食動物が近寄ったら即座に逃げる準備をしなければなりませんが、肉食動物は自分が捕食される心配がほとんどないのですから満腹になったら安心して「寝る」ことができるのです(ライバルとか縄張りとかその他の要因もあって、まったく無警戒、というわけにはいかないでしょうが)。
 ということで、「食べてすぐ寝ると牛になる」は、「食べてすぐ寝るとは、ライオンだね」にしてみませんか?


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2010.09.26 07:24 |  医療制度 / 行政  |  映画 / 音楽 / 読書  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

理不尽

 第二次世界大戦前夜の1939年、ポーランドはドイツとソ連に分割されて占領されてしまいました。(「ポーランド侵攻」(wikipedhia))  まことに理不尽な“大国”の行ないですが、国際社会はそれまでの予兆を無視・静観していました。「理不尽」にも「静観」にも、それぞれの理由(大義名分)があったはずですが、その両者に押しつぶされたのはポーランド国民でした。結局その「理不尽」が正されるためには、第二次世界大戦とその後の冷戦の終結、が必要だったわけです。その長い期間、心あるポーランド国民はどんな思いをしていたのか、と思います。しかし、理不尽や不正義が平気でまかり通るのが国際社会なんですねえ。(実はポーランドがこうして周囲の強国に分割されてしまうのはこれが初めてではありませんでした。興味を持たれた方は「ポーランド分割」(wikipedhia)あたりから探索の旅を始められるといろいろ興味深い歴史が見つかると思います)

 当時のポーランド国民ほどではないでしょうが、現在の中華人民共和国の振る舞いを見ていると、理不尽(の押し付け)を感じてなりません。この理不尽の解消のために戦争や冷戦が必要とまでは思いませんが、このままずるずると理不尽の押し付けが続いていったら、日本国内での中華人民共和国の人気は落ちる一方になってしまうでしょう。まあ、他国民からの人気なんてあまり気にならないかもしれませんが(かつてのドイツやソ連は確実に気にしていませんでしたね)。
 で、中華人民共和国政府の振る舞いを見ていて私が想起したのは、日本の官僚です。なんだか似ているのです。強圧的なところ、相手の言い分に耳を貸さないところ、自分や自分の先輩たちの施策が間違っているとは絶対思わない(認めない)ところ、最終的には自分の方が「力」を持っているという自信をちらつかせるところ、などなど。
 ただし、「この施策は『理』や『義』の点からは間違っているかもしれない」と思ったとしても、中国の政治家がそれを言ったら、その人の国内での政治生命は即座に終了するでしょう。厚労省の官僚がそれを主張したら、出世の階段から外されるでしょう。だから言えませんよね。ただ救いは、官僚だったら「政治主導」で方針変更をする、という手があることです。だけどその肝心の政治家が「それ」だったら……あと残るのは……ガイアツ?  日本の政治家にそれを使いこなす器量があるかな?(あると期待したいのですが) もっともガイアツを使ったら使ったで、それに対しての“支払い”をしなくちゃいけなくなるでしょうが。まったく、理不尽な思いです。


※)ポーランド侵攻に関連した本を2冊紹介します。
脱出記 ──シベリアからインドまで歩いた男たち』スラヴォミール・ラウィッツ 著、 海津正彦 訳、 ソニー・マガジンズ、2005年、2200円(税別)  1939年ポーランド陸軍騎兵隊中尉だった著者が侵攻してきたドイツ軍戦車との戦いに敗れ(敗れるはずです。騎兵隊と戦車隊の対決なのですから)、ソ連の捕虜になってシベリアで強制労働をさせられ、収容所を脱走しインドまで(シベリア、ゴビ砂漠、ヒマラヤを越えて)徒歩で脱出した、というとんでもない話です。
戦場のピアニスト』ウワディスワフ・シュピルマン 著、 佐藤泰一 訳、 春秋社、2000年(03年新装初版)、1500円(税別)
 ポーランド侵攻“後”にワルシャワで何が起きたか、のこれまた実話です。この本でショッキングなのは、その内容(ワルシャワ・ゲットーで何が起きていたか)だけではなくて、1946年にポーランドで出版されるとすぐに発売禁止処分を受けたことです。当時のポーランド政府にとって「都合の悪い真実」がこの本には含まれていたのでしょう。


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