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例によって、実話を元にしたフィクションです。
20世紀のある大学医学部で、教授選が行なわれました。前教授が定年退官したのでその後任選びです。前教授の専門は循環器内科。そこの助教授(当時の呼び名)はまだ器ではなかったため、全国に公募をすることになりました。集まった候補から事前審査で二人まで絞られ、教授会で決戦投票、という運びだったのですが……最終候補の一人は循環器内科、もう一人は神経内科だったのです。
私はその大学とは直接の関係はないので、内部の本当の話は得ていませんが、いろいろ漏れ聞くところでは、臨床医学系と基礎医学系の仲が悪くてそれぞれが推している候補が食い違ったりしたり、臨床系の中でも勢力争いがあって足の引っ張り合いがやったために、ややこしいことになったのだそうです。
部外者の私は不思議でした。「その大学」および「その地域」で“次に欲しい科”が「循環器内科か神経内科か」でまず議論を行なう、だったらわかります。でもその議論をせずに、「どちらの教授(候補)が選挙に勝つかで“次の科”を決めよう」って、どこか話がずれていません? まず「大学の全体像」から「どんな科が必要か」が決定され、その次に「その科の運営を託するにふさわしい人は誰か」を決定する、だったらわかるのですが。
教授選に通った人やそれを推した人たちはもちろん幸福でしょうが、大学全体や地域医療の幸福度はそれで上がる(最大化される)のでしょうか。それだとまるで「大学医学部は、教授選で勝ったグループのために存在する」になってしまいそうです。それと「次の教授が選ばれるまで、何科の教授を選んでいるのか(何科の教室ができるのか)がわからない」というのは、大学の運営上、予定が立たなくて困りません? 診察室とか診療や研究の設備とか、日本では年間予算制度なんですが、どうするんでしょう。
そういえば、かつての自民党の総裁選も似た匂いがしますね。猿山の序列争いよろしく「誰がボスか(おれの方がお前よりエライ)」を競っているだけで、ともかく「誰が勝つか(誰に皆がつくか)」でその後の日本全体の政策が決定されるという、ちょっと不思議な“民主主義”でした(私はある政治的志を同じくする人が集まったのが政党で、政党が政策を提示してそれに対して国民が投票することで国の進路が決まる、細かいやり方については政府(政治家と官僚)が決める、が民主主義的な政策の決め方だと思っているのです)。
結局「グランドプラン」の検討が後回しにされて、まず「船頭」を決めてからその「船」がどこに行くのかが決められる……なんだか背中が妙にこそばゆい気がします。
で、現在進行中の民主党の代表選挙。これも「日本の行き先」についての国民的議論、って、ありましたっけ? すべてはまずトップを決めてから? それも、ころころ変えられてしまう“トップ”を。
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