ところで「薔薇って、漢字で書ける?」はいつの時代のコマーシャルでしたっけ? 書けなかった私は「ほっといてくれ」とテレビ画面に返事をしていましたが。(ちなみに今でも書けません)
Niftyの会議室やmixiのコミュニティなどで、明らかな違法行為等までは行かない細かいトラブルなどで流れがぎくしゃくすることがありました(あります)。で、そういった場合、必ず、「トラブルが起きないように、きちんとしたルールを作ることを提案する」と言い出す人がいます(現在完了進行形)。
私から見たらそれは「提案」ではありません。ただの「願望の表明」。「ユートピアがやって来て欲しい」と言っているだけ。
「願望の表明」はご自由にどうぞ、ですが、少なくとも「提案」の名に値するものだったら具体的な「ルールの原案」を示さなきゃ。さらにその原案が守られた場合と守られなかった場合、それぞれの場合で生じるメリットとデメリットに関する簡単な考察くらいつけておいてほしいものです(考察抜きでただ「(現実には実行不可能な)原案」だけを「提案」されても、それは思いつきの垂れ流しでしかありません)
さらに「ルールが守られなかった場合、どう対処するか」も。どんなルールであっても、(無知・うっかり・故意・過失で)ルールを守らない人間は必ず出現します。で、「誰かがきちんとルールを作れ。みんなそれを守れ。守らないやつは、誰かが処分しろ」とだけ言い募る人間は、口だけぱくぱく動かして、自分は何も貢献せず、責任はすべて他人に押しつけようとしているわけです。つまり口先だけのただの無責任野郎。
小学校のクラスでなにか問題が起きたときに「みんな、きちんとするべきだと思います」と賢しい口調で“提案”する子が必ずいますが、「きちんとしろ」と言うだけで「きちんとなる」のだったら、誰も苦労はしません。問題は「きちんと」が可能かどうか、できない場合にどう対処するか、の「現実」です。
自分の発言の「正しさ」に酔って、「自分は正しいことを言っているのだから、みなの者、それに従え」と言わんばかりの態度の人は、きっとその頭の中には「正しさだけで人は動く」という薔薇色の雲が詰まっているのだろうと私には思えます。
そうそう、「きちんとしたルールを作ることを提案する」と言い出す人って、なぜか普段の発言が面白くないことが非常に高率で見られます。せっかく頭の中に薔薇色の雲が詰まっているんだから、それをそのまま他人に了解可能な形の言語に翻訳したら、きっと人気者になれるでしょうにね。
※ついでですが「ユートピア」とは、トマス・モアの定義では「どこにもない場所」です。
『ユートピア』トマス・モア 著、 平井正穂 訳、 岩波書店(ワイド版岩波文庫147)、1994年、874円(税別)
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物事の判断はいつも100対0ではなく、まあ51対49ぐらいで決着することが多くあります。薔薇色どころか、グレーです。
正論に反対するのはむずかしいです。で、正論じゃないからと、人の言動を非難するのは簡単です。正論を吐く人は、そこから外れた行動をしないで社会生活を送れるのか? 答えは否です。戦時中、ヤミ米を食するのを拒んだ裁判官が、餓死しちゃいましたね。彼の家族は食し、死ななかったようですけど(苦笑)。
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