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2010.07.24 22:20 |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

文字通り(19)鼻を

「鼻を鳴らす」……本当にやると、ちょっと恥ずかしい
「鼻をつままれても分からない」……顔面の感覚障害
「鼻を欠く」……江戸時代の梅毒の症状の一つ
「鼻をつき合わせる」……イヌイット流のご挨拶
「鼻を突くにおい」……においによる正拳突き
「鼻を折る」……痛い
「木で鼻を括る」……どうやら柔軟な木らしい
「楊枝に目鼻をつけたよう」……コケシの孫、達磨の曾孫


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書誌情報:『空飛ぶガチョウはなぜ太らないか ──ヒトと動物の進化戦略』E・P・ウィドマイアー 著、 今福道夫 訳、 化学同人、2000年、1600円(税別)

 本書は生理学の本です。動物の話題が満載ですが、著者が学生の時にたたき込まれた原則「自然の法則が生命科学の基本であることを決して忘れるな」をベースとし、単に「こんな面白い動物がいる」ではなくて、動物の様々な特質から人体の生理学を理解できるように書かれています。さらに人間の文化や文明にまで嗜好の翼が飛ぶように工夫されていて、単なる雑学辞典ではなくて、スケールの大きな読み方ができる本だと思いました。
 「高血圧」や「肥満」は文明社会では目の敵にされています。しかし、キリンはとんでもない高血圧ですが元気に長生きします。ガンは渡りの前には体重を1.5倍にまで増やしますが冠動脈はきれいです。トガリネズミの心拍数は1分600回、シロナガスクジラは10回以下。それぞれ元気に生きています。
 ウェッデルアザラシは75分間も潜水ができます。別に異常にでかい肺を持っているわけではありませんし、もし持っていても肺の中の酸素はせいぜい2分間の分量しかありません。しかもこのアザラシは潜水直前に肺の空気をできるだけ吐き出してしまいます(血液への窒素の移行を減らして潜水病の予防の効果もあると考えられているそうです)。呼吸といえば、インドガンはエベレストを軽々と飛び越えます。そんな高空の薄い空気からどうやって運動に必要な酸素を得ているのでしょうか。それは肺と気嚢を使った呼吸システムに秘密があります。
 こんな極端な例が次々挙げられ、その意味とそういった生理を実現させるメカニズムの解説が行なわれます。
 肥満のような不健康な状態は、野生動物ではありません。しかし家畜化(あるいはペット化)したらそのような不健康が生じます。ということは、文明社会でメタボなどに苦しむ人間もまた、家畜やペットと同じ原因で似た病気を抱えている、ということになるのでしょう。ならば、「メタボ」をなくすためには原始時代に帰りますか?  ルソーの「自然に還れ」とはまた意味が違ってきますが。


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書誌情報:『大音楽家の病歴(1) ──秘められた伝記』ディーター・ケルナー 著、 石山昱夫 訳、 音楽之友社、1974年、1000円
 歴史的に有名な音楽家の人生を「病気」の観点から眺めよう、という趣向の本です。精神科の立場から見るのは「病跡学」と言ったはずですが、肉体的な場合にはさて、何と言うんでしたっけ?
 本書に登場するのは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、レーガー、ドビュッシー、マーラー、ベルク、シェーンベルクの10人。ちなみにこの10人の寿命の平均は48歳!  反射的に「短い(短すぎる)」と思ってしまいますが、それでも当時の「平均寿命」は上回っていたかもしれません。
 たとえばモーツァルトの時代、新生児はばたばた死んでいました。ヴォルフガング・モーツァルトは7人兄弟ですが、その内乳児期に死なずに生き残ったのは姉ナンネルとヴォルフガングの二人だけです。(ちなみに、モーツァルト自身の4人の子どもは全員乳児期に死亡しています) そして、売り出しのための「神童ツアー」。当時の旅は大人にとっても過酷なものだったのに、それを小児に強いるのですから、健康に良いわけがありません。次々病魔がモーツァルトたちを襲います。さらに、わざわざ天然痘が流行っているウィーンに旅行して、そこでモーツァルトと姉は天然痘に罹患してしまいます(1767年秋)。幸いなことに二人とも回復しましたが。(そういえば、ベートーヴェンも天然痘にかかっているそうです。残されたライフマスクに天然痘に特徴的な瘢痕がしっかり残されているそうで)
 「人は死すべき存在である」とわざわざ言う必要もないくらい、「死」は人々の身近に存在しているものでした。右を向いても左を向いても、そして自分自身を見つめても、そこには「死」があるのです。そんな時代に生きている人たちの人生観(死生観)は、「身近な死」から遠ざかってしまった現代社会の人とはずいぶん違ったものだったことでしょう。ただ、慣れているからと言って、愛するものを失う悲しみや自分が死なねばならない苦しみが軽くなるわけではなかったでしょうが。
 就職活動の不出来や父親が望まない結婚をすることで父親と不仲になったヴォルフガングですが、病気になった父親への手紙には「ただ今、父上が本当に病気だということをはじめてうかがいました。……(中略)…… 私は何時も一番悪いことを想像する癖があるのですが、それよりも早く回復されることを希望しています。死は(正しくご理解下さい)われわれの生涯の真の最終目的でありますし、また私は数年前から人間の本当の最良なこの友(死)と知り合いになったためか、私にとっては死の姿は恐ろしいものではなく、むしろ安堵やなぐさめともなっております。そして神様が私に死こそ本当の安寧の鍵であることをお示しになる機会を幸運にも(おわかりいただけると存じます)与えて下さったことに感謝いたしております。私はおそらく(まだ若いのに)他日必ず死ぬであろうということを毎晩寝る時に必ず考えています。」と書いています(1787年)。現代社会の「人が死ぬのはおかしい」と言わんばかりの風潮の世界とは、ずいぶん違った世界観(死生観)だった様子です。だとすると「レクイエム」の“意味”も、現代の我々が「聴いて感動しました」とはずいぶん違っていた可能性があります。
 ベートーヴェンやシューベルトの性病、ショパンの肺結核、マーラーは敗血症でシェーンベルグは心臓衰弱。著者は乏しい史料を駆使し、あるいは資料の欠落から「意図的に隠された可能性がある。それは不名誉な病気を隠すためではないか」と推定したりして、「大音楽家たちの病気」に迫ります。歴史の中に沈んでしまっている事柄ですから、「これこそ決定版」とは簡単に断言できずもどかしくも思えますが、できの良い推理小説を読んでいるようなわくわく感も味わえます。

 病気と音楽と人間関係との相関がそれぞれの人で興味深いものですが、治療として「瀉血」や「ホメオパシー」がしばしば登場するのも目につきます。おそらくそれが「その時代の常識」だったのでしょう。
 こういった本を読んでいて私が特に感じるのは、「カルテ」の重要性です。別に「正しい診断」が書いてある必要はありません。とにかく記録として「事実」(時系列で症状が並べられ、それに対してどんな治療をしたらどんな反応があったか)が列挙してあるだけでも、後世の人間の判断にはずいぶん役立つはずです。それを「世間ではこの病気をロイマチ性○○と呼んでいる」とか書かれても、それが一体何なのかはすでに「事実」ではなくて「判断」の領域の話になってしまっていますから、もうすべてがあやふやなのです。「イギリスのヒポクラテス」と呼ばれたトマス・シデナムが「きちんと記載されたカルテの重要性」を強調したのは17世紀のことですが、その主張の価値が世界に浸透するには時間がずいぶん必要だった様子です。本書でも「記録の欠如」を著者が嘆く場面が何回もあります。もっとも、医者の守秘義務が絡むから、あまり露骨に公開資料とするわけにはいかないかもしれませんが。公開史料だったら大丈夫かな?


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