入院中のεさんが病棟から病院の代表番号に電話をしました。「入院中のεだが、主治医のおかだ先生にコレコレシカジカを頼むと伝言して欲しいのだが」。電話を受けた事務員は一瞬きょとんとします(回診の時になんで自分で言わないのだろう?)、が、「わかりました、伝えます」と返事します。たまたまそのとき私は病棟を定例の朝の回診中でたまたまその電話が済んだ直後にεさんの病室に入りました(εさんは携帯のスイッチを切っている最中でした)。私の顔を見るなりεさんは開口一番「できましたか?」。私は「は?」。εさん「だからあ、コレコレシカジカができましたか?と言ってるんです」(もう口調が怒っています)。私「今初めて聞きましたが……コレコレシカジカですか、今から外来だから午前中には無理です。昼過ぎからだったらなんとかなると思いますよ」。εさん「なんですとぉ!」。
そこで私の院内PHSがぷるぷる鳴ります。用件はもちろんさきほどの“伝言”です。
εさんはしゅんしゅん沸騰しています。
ここでεさんの怒りの原因は二つです。
1)「わかりました、伝えておきます」と言ったのに、伝わっていなかった。
2)「わかりました」と“承諾”したのにあとになってから「それはすぐには……」と断られた。
εさんからあとから話を聞いた人は「ひどい医者だ」「ひどい病院だ」と判断します。だってεさんは1)2)だけを言うのですから。私でもそれだけ聞いたらひどいなあと思うでしょう。
だけど私から見たら、1)は「事務に電話をしたら0.1秒以内にその内容をおかだが承知しておくべき」という要求、という点で物理的に無理筋です。2)は「“わかりました”と言ったのは“話の内容を伝えることを承知した”と事務員が言ったわけで、おかだがコレコレシカジカを承知した、と返事をしたわけではない」点でこちらは言語学的に無理筋です。
だけど怒っているεさんは納得しません。
ただ……一見「無理を通そうとする行為」に見えますが、私は思います。これは私に「ノー」と言わせないための戦略的行動だったのではないか、と。そう考えたら、行動や論理の不自然さや強引さにも一定の意味づけができるのです。さらに「怒り続ける」ことは「自分は論理には納得しないぞ、絶対説得されないぞ、絶対非を認めないぞ」という決意表明で、これまた「おかだに“ノー”は言わせないぞ」です。
院内に伝達が回りました。εさんからの依頼に対しては、本当に承諾する場合以外では軽々しく「わかりました」と言わずに、単に「伝えておきます」「検討します」とだけ言うように、と。
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宇宙は広大です。地球から比較的近い恒星として私がすぐ思いつくのは、たとえば、太陽系に一番近いケンタウルス座のアルファ恒星系、有名どころでわし座のアルタイルやこと座のベガがありますが、アルファ恒星系(3連星です)は地球(太陽)から約4.3光年、アルタイルは16.7光年、ベガは25.3光年も離れています。
アルタイルは別名「彦星」、ベガは「織り姫」、ちなみにこの二つの恒星の距離は約15光年ですので、年に一度のデートをしようと思ったら連絡が大変です。会うのはもっと大変ですけれど。
ところが銀河は直系10万光年、お隣の銀河(アンドロメダ大星雲)は230万光年向こう、宇宙にはそういった「銀河」が千億個以上存在しているのだそうです。人間の感覚ではちょっと捉えきれない大きさです。
古来、人は空を眺めてその不思議を解こうとしていました。毎日位置を変え季節に合わせて高さを変え一年経つと元の所に戻る太陽。満ち欠けを繰り返す月。太陽が姿を隠すと空に現われる無数の光点。毎夜少しずつその位置をずらし、1年経つとまた元の位置に戻る夜空の星座たち。時に星が流れほうき星が現われ、日蝕や月蝕が起きては戻り、さらに稀には新星の出現。そこに人々はなんらかの「物語」を読み取り、さらには星と人間との間になにか「関係」があるものと信じました。こうして星占いが誕生しました。安定と周期的な変化と突発的な変動とがほどよくミックスされた「星々」は、人生や社会を投影する占いの対象としてふさわしいものだったのです。
星占いでは「遠くの星が人間の運命に影響している」ことが前提です。その力が「光」なのか「重力」なのか「ニュートリノ」なのか「それ以外のナニカ(波動とか?)」はともかく、「何か」が地球、そしてそこに住む私たちに影響を与えているわけです。
ところで、星々が地球に影響を及ぼせるのだったら、地球も他の星々に影響を与えていることでしょう。そして、はるかかなたの他の星に影響を与えられるくらいその力が強いものなのだったら、その影響を一番強く受けるのは地球に密着している私たちのはずです。つまり、もしも本当に「星」によって人の運命が決まるのなら、遠くの他の星よりも、私たちは「地球という星」によって自分の運命を決められているはず。では星占いはなぜ「地球」を除外するのでしょう?
もし「人に影響する星」が、「惑星」ではなくてなぜか「恒星」に限定なら、私は上記の「地球」を「太陽」に入れ替えるだけです。「光年」で測らなければならない他の恒星とは違って、地球と太陽の距離はわずかに1億4959万7870km(平均値)。その距離を「1天文単位」と呼びますが、光はその距離を8分19秒で通過します(ですから「ああ、気持ちのよい日の出だ」と言って見ているのは、実は8分くらい前の太陽の姿で、もし超光速で観測が可能なら、現実の太陽は既にそこより角度にして約2度「上」に存在しているはずです)。
※「地球は優れた星であって、この星は、光や熱やその他様々な影響を、すべて他の星々から相異なる仕方で受け取っている。」「地球はそれ自身一個の星であるかぎり、太陽とその領域に対し、おそらく先に述べたところと同様に影響しているであろう。」(ニコラウス・クザーヌス(15世紀、ルネサンスの先駆者)『知ある無知』)を焼き直してみました。
参考図書:『磁力と重力の発見 2 ルネサンス』山本義隆 著、 みすず書房、2003年、2800円(税別)
さらに、生まれたときの星座を星占いの「基準点」とするのに私は賛成できません。その理由はとりあえず2つあります。
1)「星が人生に影響」するのなら、それは出生時だけではなくて一生継続して影響は続くはずです。毎秒毎分毎時毎日「星からの影響」は私たちに及んでいるはずなのですから。つまり「時空間を貫く星々からの影響」を受け続けるのが人の一生、となります。
2)最初に書いたように、「星の光」は何光年も向こうから届いている「過去の光」です。アルタイルからは16.7年前、ベガからは25.3年前に発した光が地球に届いているわけ。そういった「過去の光」を基準にする(それも星によって違った過去を採用する)ことに私は危うさを感じます。(「光以外の星からの何ものか」が人生に影響するとしても「基準点」を決めるのは「目で見た星座の位置(過去の光)」ですよね?)
さらに「星座」は変わります。たとえばベガは少しずつ地球に近づいていて、「今から12,000年後には北極星になり、その頃にはベガまでの距離が24.7光年になると推算されている」(Wikipedia)のだそうです。北極星と自分を重ねることができたら、それは古代中国では「天子」ですから、実にめでたいことではあるのですが。
タルティウス(紀元前1世紀の数学者・占星術師)は「人間の誕生日を知ってその一生を予言できるのなら、その逆、一生のできごとを吟味したらその人の誕生日や記念日がわかるはず」と述べたそうですが(出典は『プルターク英雄伝(1)』(プルータルコス 著、 河野與一 訳、 岩波書店(岩波文庫)、1952年)。その“理論”に従って彼は「ローマ建国の父ロームルスの誕生日」を計算しています)、それに倣えば、一般の星占いの逆方向、ある人の人生の年譜を並べてそれを“占”えば、その人の誕生日(少なくとも「星座」)がわかるはずです。二重盲検でやってみる星占いの“勇者”はおられませんか?
宇宙のあちこちに散らばる星が、はるかかなたの地球とか呼ばれるちっぽけな星の上に住む特定個人の運命に興味を持っているとは、私には思えません。もしも興味を持ったとしても、その運命を左右するために超時空間的になんらかの影響力をわざわざ行使しようとするとも思えません。
ただし、「星が人に与える“非科学的”な影響」を私は全否定はしません。ある種のそういった存在を私は認めます。たとえば「星座の神話」「星の民話」が人の心性に与える影響です。今日は七夕。織り姫と彦星の伝説を心に置いて夜空を眺めるとき、人は「星からの影響」を受けていることは間違いありませんし、それによってその人の未来は少し変化しているはずです(その人が「その星の物語」をちゃんと知っていることが前提条件ではありますが。夜空を見ているようで実は「自分の心(=“過去”の物語)」だけを見つめているのだったら、たぶんなにも変わらないでしょう)。(そういえば、元禄の時代には、七夕の前夜に夫婦が和合するのが日本の風習だったそうです(出典は『江戸参府旅行日記』エンゲルベルト・ケンペル 著、 斎藤信 訳、 平凡社(東洋文庫303)、1977年、2800円(税別))。それはただの“風習”だったかもしれませんが、それによって二人の未来が変わった、たとえば“救われ”た夫婦もいたのではないかと私は想像しています)
非科学的な態度ですが、そういった未来の変化が好ましい方向へのものであることを、私は祈ります。そしてこの想いがまた、誰かの未来をまた好ましい方向に変化させますように。
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