新聞に「駒野選手に関するデマ」がツィッターであっと言う間に広がり、しかしあっという間に“正しい情報”が流れることでその騒ぎが収束したことが記事として載っていました。「駒野選手の母に謝らせた…誤情報炎上、批判殺到すぐ修正」(朝日新聞)
インターネットに対するこれまでのマスコミの基本態度から類推すると、この記事のキモは「ツィッターはデマの温床だ、むやみに信用するな」なのかな?、と思えますが、私はむしろ「“正しい情報”が流れることで騒ぎがあっという間に収束したこと」の方に注目します。マスコミとはずいぶん違う流れだなあ、と。
マスコミもよくチョンボをしますが「誤報をしたことに対して即座に間違いを認めて修正をし、さらに嘘を信じている(自分たちが信じさせた)人たちにそのことを周知広報する努力をした」という例を、私は寡聞にして知りません。訂正するにしてもしばらく時間が経って誤報が浸透するのを待ってから、しぶしぶと。訂正記事を載せるのも、“誤報”を大々的にやったのと比較するとあまりにしょぼいスケールで紙面の片隅にこっそりと、というのが、私がマスコミ(特に新聞)に対して持っているイメージです。そもそも「誤報をしたこと」をなかなか認めようとしない、あるいは詭弁を弄して自己弁護をするのが“原則”、と強く言って良いかもしれません(その好例が「医療崩壊」に関してマスコミが積極的あるいは消極的に果たした役割についての自己評価でしょう。毎日なんか自社の態度を絶賛ですからねえ)。
私自身はツィッターには手を出していません。理由は単純で「時間がない」と「140字では足りない」。だけど、今回の記事で朝日の目論見とは違ってツィッターに対する信頼感は増しました。結局「何」だけが問題なのではなくて「誰」が「どう」使うか(動かすか)、が問題なんですよね。
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