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2010.06.28 18:38 |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

ぱにぱにぱにっく

 明治のはじめ、日本でコレラが流行りました。そのとき、「煙がくさい → 臭いものは体に悪いはず」という「理屈」から「火葬場の煙がコレラの原因」という噂が立ちました。人々はパニックになります。うっかり葬礼(野辺の送り)に出たらコレラをうつされるかもしれないというのですから。そこで明治10年に政府は東京府病院雇教師ブーケマに火葬場の調査を行なわせ、火葬はむしろ伝染病対策に有効である(焼いたら消毒される)、という結論が出されました。

 1960年(昭和35年)イギリスで、輸入した飼料中のコウジカビのカビ毒(マイコトキシン)で七面鳥がばたばた死亡しました(最初「七面鳥X病」と呼ばれました)。このカビ「アスペルギルス・フラバス」が、日本で清酒・味噌・醤油に普通に使われるアスペルギルス・オリーゼと近縁だったため、「発酵食品を摂ったら、カビ毒で死ぬ」「日本に胃癌が多いのはカビ毒のせいだ」などと情緒的に煽る人間が現われました。例によって、日本中大騒ぎとなりました。
 そこで調査が行なわれました。日本で用いられるコウジカビ632株についてはどれもカビ毒を産生していないこと、さらには食物も検査してカビ毒がまったく検出されないことを確認して、騒ぎは収まったのです。(ところで、それまでに日本酒を飲んで醤油や味噌を食って「うっ」と言いながらばたばた死んでいく日本人がどのくらいいましたっけ?)

 で、根拠無く不安を煽って騒いで喜んでいた人間は、騒動の後は口を拭って知らんぷりでしたとさ。

参考図書:
火葬場の立地』(火葬研究叢書1)火葬研究協会立地部会編、日本経済評論社、2004年、2800円(税別)
日本の醤油』川田正夫 著、 三水社、1991年、1456円(税別)


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2010.06.28 06:48 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

最小不幸社会

 管さんの「最小不幸社会」ということばを最初に聞いたとき、私は軽く衝撃を受けました。この人は政治家としては珍しいタイプだ、と。
 選挙演説や後援会などでの政治家(あるいは政治屋)の演説には「薔薇色の世界」が溢れています。皆が豊かで幸福な世界が未来に確実に待っているかのように思えてきます。しかし、現実の世界から「不幸を絶滅させる(=すべての人間がハッピーな社会を構築する)」ことは、私には不可能に思えます。もし人間にできることがあるとしたら「余分な不幸を増やさないこと」そして「現在ある不幸を少しでも減らすこと」でしょう。
 もちろん「不幸を減らす」よりも「幸福を増やす(皆が幸福になる)」方が、言葉の響きも勢いも感じよいものですが、でもその姿勢に“無理”があったら、その無理は社会の歪みとなって「誰かほかの人の不幸の原因」となります。つまり「無理に幸福を増やす」では「幸福と不幸」が下手するとゼロサムゲーム(誰かが取っただけ誰かが取られる)になってしまうのです。しかし、誰かの不幸を減らすために誰かの幸福を削るのではなくて、“無駄な部分や贅沢の部分”をちょいと削ることは、可能でしょう。これだったらたぶん“ゼロサムゲーム”にはならずにすみます。
 「不幸を最小にする」とはつまりは「不幸を根絶しない」と宣言することに等しくことばが響きます。したがって「それは敗北主義だ(「不幸を残す」と宣言するとは何ごとだ!)」という非難も出るでしょう。ただ、私は医者の立場で「不幸を最小にする」を肯定します。
 医学も医師も万能ではなく、この世のすべての傷病や障害が「すべて治る」わけではありません。そこで「医学は万能ではない」「すべての病気が完璧に治るわけではない」と言うことが敗北主義だというのなら、どうぞ、いくらでも言ってください。ただ、私は“それ”が現実の出発点だと思っています。「では、そこでどうするか」を考えるのがプロの医療者の仕事だ、と。本人の動きを工夫する/これまでの仕事ができないのなら職場を改造するあるいはできる仕事を探す/できないことが減るように補助具を工夫する/社会の方を改造する/社会の構成員の対応を改善する……「病気が治らなかった」時点から始められる工夫がさまざまあるはずなのです。特に、本人だけではなくて「社会」の側にね。
 「医者は万能であるべきだ」「病気はすべて完璧に治るはず」で思考停止して「厳しい現実」に出会ったときに立ちすくむよりも、「治らない場合もある」という覚悟を持って少しずつでも前に進む(“不幸”を軽減していく)方が、私の好みに合っています。そしてそれと同じ姿勢を、(社会に対する医者の役割をすることもある)政治家にも見つけたい、と私は思っているから「医者の立場で「不幸を最小にする」を肯定します」という言葉が出てくるのです。

 「この世に不幸が存在すること」を認めるのは不愉快なことです。できることならそういったものからは目を逸らしていたい。だけどそういった“否認の態度”から生まれるものの多くは、現実離れした夢想社会の提示です(これが個人レベルだったら、現実の自分を否認して、妄想や夢想(「白馬に乗った王子様」とか「突然遺産が転がり込む」とか「突然有名になる」とか)に基づいた未来を脳内に構築している人、となります)。菅さんは少なくとも「不幸」という不愉快なキーワードを提示することで「自分は現実を出発点とする」と態度表明をしました。私はそれを高く評価します(少なくとも「ダム」「空港」「グローバル」「友愛」よりはマシに思えます)。ただし高く評価するのは「現実を認識する態度」だけですが。政治評論者としてはそれで良いかもしれませんが、政治家としてはその次のステップがあります。具体的に何を目標とし(変な言葉ですが「不幸の定義」「不幸の量の測定法の提示)が必要でしょう)、その目標を達成するために具体的にどのような政策を提示し、それを実行するためにどう官僚を動かし、どんな仕事が達成されたか、をそれぞれ個別に評価する必要があります。それについては、菅さんがこれからどのような言動をするか、政策決定をするか、を見て評価していくことになるでしょう。ただ、本年度の予算はもう決まっているんですよね。すると評価できるのは来年か再来年?  そのときまで菅さんは首相をやっているのだろうか……


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