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2010.06.17 18:35 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

健康保険の怪(糖尿病)

 私が医者になった頃には、糖負荷試験(甘ったるい糖液を飲んで、三十分後・一時間後・二時間後の血糖値と空腹時血糖(糖液を飲む前の血糖値)を測定する検査)でその人が糖尿病かどうかを決定していました。それも「正常値」と「異常値」の両方を覚える必要がありました。その中間が「境界型」。飲む糖の量が五十グラムか百グラムで基準値が違い、さらに調べる血液が静脈血(静脈から採血)か毛細血管血(耳たぶにメスで傷をつけて採血)かでまた基準値が違う、というややこしさで、だから覚えるべき数字は全部で三十二。医師国家試験の前にはこの数字を覚えるのに泣いた覚えがあります。
 それがいつの間にか、糖負荷試験は七十五グラムだけに一本化され、さらに血液は静脈血だけと単純化されました。さらに10年くらい前には覚えるべき数字は三つだけに単純化されていました。
 10年くらい前の糖尿病の定義です。
1)随時血糖(適当な時期に調べた血糖)が200以上/早朝空腹時血糖が126以上/糖負荷試験の二時間値が200以上。
1)の三つのどれかを満たせば糖尿病の疑いと言ってもらえます。しかし、血糖は変動が激しく、正直言ってそれだけで糖尿病と決めつけることはできません。そこでもう一つ条件がつきます。
2)ヘモグロビンA1c(採血前2〜3ヶ月分の糖の平均値)が6.5以上か、別の日にもう一回測定してまた1)のどれかを満たす。
 1)と2)が揃ったらあなたは立派に糖尿病持ちと呼ばれるようになる、というわけ。
 実際の臨床では、先ほども書いたように血糖の変動が激しすぎるので(満腹と空腹でものすごく動きます)、「間違いない立派な糖尿病」ならともかく微妙なところ(昔「境界型の糖尿病」と呼んでいたようなもの)を見逃す恐れがあるため、ヘモグロビンA1cを測定することが重要視されています。こちらは長期間のデータを平均化してみることができるから信頼性が高いのです。もし私が患者の立場で、主治医が血糖だけで私を糖尿病であるとかないとか確定診断したら、その診断を私は完全には信頼しません。話半分が良いところでしょう。

 さて、世の中にはいろいろな薬がありまして、中には「血糖を上昇させるから糖尿病の人には使ってはならない」という薬もあります(ここでは仮にA薬とします)。では、ある人にこのA薬を使いたいとして、主治医はどうすればいいでしょう。もちろんその人が糖尿病ではないことを確認しなくてはいけません。本人が「私は糖尿病で治療中です」と言ってくれれば(そして糖尿病手帳でも見せてくれれば)もちろんA薬は使いません。では「糖尿病かどうかわかりません」の場合には? どうしてもA薬が必要な場合には、糖尿病かどうかの検査をしなくちゃいけません。つまり「糖尿病を疑い」検査をしてその結果その疑いが晴れるかその通りであったと確かめられるか、ということになります。それをしなくては安心してA薬の処方ができません。ここまでは当然のお話でしょう。
 ところが健康保険では、「A薬」と「糖尿病」とは両立してはいけないことになっています(糖尿病の人にA薬は使ってはならないのですから)。そこで、レセプト上A薬を処方している人に糖尿病の検査をしていたら、はい、また例の「査定」です。血糖検査一回くらいならお目こぼしが受けられますが、ヘモグロビンA1cはアウトです。「糖尿病の人にA薬を処方してはならない」「A薬が処方されている人は糖尿病ではない」「糖尿病でない人には糖尿病の検査をする必要がない」がすべて満たされなければならないのですから。でも検査しないで糖尿病かどうかわかるんでしょうか?  私より医学に詳しい人、ぜひご教示を。
 検査だけ健康保険をはずして自費でやりましょうか?  でも、自己負担が増えますしそもそも保険と自費の混合診療は禁止の原則があります。

 何と言いますか、現場を知らないで机上の理論を操る人は幸せだろうなあ、とつくづく思う臨床医の一経験談(思い出話)でした。
 もしかして、私が何を言っているかまったく理解できませんでした?  そんな人は、厚労省にぜひ「もうちょっとわかりやすい保険制度を」との働きかけをお願いします。私たちはそういったお役所の通達と日々つき合っているのです。


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2010.06.17 06:44 |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

読書感想文

 私は、自分では覚えていませんが、いくらかユニークな子供だったらしく、時々母親が面白そうにそのエピソードを語ることがあります。
 その一つが読書感想文事件です。
 以前も何回か触れたと思いますが、私は活字中毒者で、毎日いくらかの活字を読まなければ禁断症状が出ます。子供の時から暇があれば本を読んでいましたし、小学六年生から高校三年生まで七年連続で図書部員または図書委員を務めた、という経歴も持っています(べつに何の自慢のタネにもなりませんけれど)。
 ところが小学校である日、こんな宿題が出たのだそうです。「本を一冊読む毎に読書感想文を提出しなさい」
 私は、本を読みたいから本を読むのであって、読書感想文を書きたいから本を読むわけではありません。大体一冊読了後にそんなものをごそごそ書いていたら、次の本を読み始めるのが遅れるではありませんか。
 そこで子供のおかだはストライキ宣言をしました。「読書感想なんか書くのはイヤだから本を読むのをやめる」と言ったのです。しかし活字中毒です。活字から離れたら禁断症状です。そこで私は新聞を読むことにしました。活字は小さく振り仮名もありませんが、ともかく活字は活字です。禁断症状は回避できます。
 毎日毎日、私は新聞を隅から隅まで読みました。TV欄や広告まで読みました。母親が「宿題は?」と促すと「新聞は本ではないから読書感想文を提出する必要はない」と突っぱねたそうです。子供ながら天晴れです。
 やがて読書感想文の宿題は撤廃されました。即座に私は本をむさぼり読む生活に戻りましたが、新聞を読むのも続けました。生活の中に読むものが多いのは良いことです。

 私の級友たちにも読書感想文は不評でした。「感想文なんか書かなくちゃいけないから本を読むのがイヤなんだ」という人までいたのですが、たぶん彼は読書感想文がなくても本を読むのはイヤだったかもしれません。でも、読書好きの人間でさえ本から遠ざける効果があるのですから、まして本嫌いをさらに嫌いにさせる口実を与えた、という点で読書感想文は有罪です。

 ところで、「読書感想文を書かせること」の目的はいったい何なんでしょう?  それとその実際の効果は?  ここでちょっと注意が必要なのは、「読書感想文」と「読書感想文を書かせる強制」とは、必ずしも一致しない、ということでしょう。たとえば「読書感想文」が素晴らしいものだと仮定したとしても(あるいは素晴らしくないものだと仮定したとしても)、だからといって「読書感想文を書かせる強制」が素晴らしい行為である(素晴らしくない行為である)とは規定できないことを忘れてはいけません。シュークリームが好きな人に美味しいシュークリームをプレゼントすることは(たぶん)良いことですが、糖尿病でシュークリームが好きな人を縛りつけて無理矢理口の中に美味しいシュークリームを五十個詰め込むのは明らかに悪いことです。この場合問題になるのは「美味しいシュークリーム」ではなくて「詰め込む行為」の方です。両者を混同してはいけません。読書感想文とそれを強制することとを混同してはいけないのはこれと同じです。(もちろん「不味いシュークリーム」だったらもっと悲劇ですが)
 「読書感想文の目的(または効用)」はもちろん私にもよくわかります。特に大量に本を読むと読んだ本のカタログ製作が記憶力だけではとても間に合いません。書誌情報などの記録をまめに残しておけば、少なくとも、いつ何を読んだか(それとどんな読み方をしたか)の記録が残ることで、記憶を再現する助けになったり同じ本を二度買いすることの予防に役立つことでしょう。もっとも、こういった効用は、当時の教師や親が私たちに求めていたものとは微妙に違うようですけれど。
 では「読書感想文を書かせること」の目的(効用)は?  先程述べたように、本嫌いの人間は読書感想文を口実に本を読むのを嫌がっていました。本好きのおかだは、それによって読書の時間が減ることが嫌でした。どうしても書きたくなるような動機があれば喜んで書いたかもしれませんが、少なくとも子ども時代の私にはそこまでの動機づけは見つけられなかったのです。
 「どうして黙って本を読んでいるだけでは駄目なの?」と本好きな子供に聞かれたとき、あなたはどのように読書感想文の必要性をはかつて子供だったおかだに対して訴えることができますか?   おっと、こいつはちょっとひねくれているので、もっと素直なそのへんのふつうの子供相手でもかまいません。

 私の提案です。読書感想文ではなくて、「お勧め本紹介文」はどうでしょうか。自分が友達に勧めたい本を紹介してもらうのです。
 本を全く読まない子はあまりいません。大人から見て‘有用’な本は読まずにゲームに夢中の子でもたとえば特定のゲームの攻略本は読んでいたりします。だったら、そういった本の中でどれが一体優れた攻略本かに関する分析を書いてもらうのです。コミックでも、クズもあれば心に届く優れたものもあります。だったら数あるコミックの中でどれがお勧めか、それを書いてもらいましょう。そして優れた紹介文があったらその紹介にしたがってその本を実際に読んでみるのです。読んでその感想を、紹介してくれた人と話し合いましょう。これだったら「読書感想文」を読んだ人の世界がグンと広がりそうですし、少なくとも読書が嫌いになる人間を増やさずにすみそうです。自分が書いた文章で人が影響を受けて「あれ、本当に良かったよ」なんて言われる経験を持った子どもの将来も明るくなりそうですし。


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