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医療に関する小泉改革に対して、私はアンチの立場を取っていますが、だからと言って、隅から隅まで全否定をする気はありません。たとえば「施設より自宅へ」。たしかに私個人としては病院よりは家で死にたいとは思います。ただし、それは自分が「自宅で死ねる状態」で、自宅が「自分が死ねる環境」である場合、に限定です。そのどちらかが条件を満たさない場合は施設や病院での死を選びたい。
このことに関して、小泉改革の問題点は二つ。
一つは、先ほど書いた「選びたい」を認めようとしなかったこと。私は当時老人の療養病棟も担当していたのでこの身で実感していますが、とにかく「お上の言うことを黙って聞けば良いんだ」という強圧的な態度で、次々理不尽で不合理な政策が打ち出されていました。
もう一つの問題は、「家庭」を「資本主義の論理」で語ろうとしたことです。小泉医療改革は明らかに(強欲)資本主義の論理をベースとしていました。日本の健康保険もアメリカ式の民間保険制度にするつもりか?といいたくなる様相でした。
でもねえ……資本主義社会での構成員の「理想モデル」は「納税者」です。お上に逆らわず元気で黙々と働いてきちんと納税する人(さらにその納税額が多ければ多いほどお上の覚えはめでたくなります)。すると「納税者ではない人間」はすべて「社会的な失敗モデル」です。もちろん間接税を払うという点ではすべての国民は「納税者」であると主張できる資格を持っていますが、「直接税を払っていない」点ですでに「理想的な納税者」ではありません。そういった観点からは、「失敗モデル」に金を使うのは「無駄金」となります。だから納税者ではない、あるは納税者になれる可能性があまりない存在(ホームレス、障害者、病人、老人)には露骨な冷遇をし、さらに社会からは“退場”させて家庭に押し込んでそこで“面倒”を見させたい、というのが小泉改革の根底の流れだったのでしょう。きわめてわかりやすいんだけど、冷酷ですな(「“冷遇”されたくなかったら、その環境から脱出しろ」という主張ともとれますが、その“脱出”が簡単にできるのなら多くの人はやってます)。
しかし、「家庭」を納税者の集まりにしようとし(専業主婦に対する資本主義日本社会の冷たいもの言いを見たらわかります。専業主婦の存在自体が気に入らない・さっさとお前らも仕事をして納税しろ、と言っていません?)、さらに家庭に「納税者ではない人を押し込もうとした」時点で、この政策は失敗を運命づけられています。だって「家庭は納税者の集まりであるべき」と「納税者でない人は納税者と家庭で同居しろ」は、両立しませんもの。
つまり、小泉医療改革は最初から、論理的に成立し得ない失敗モデル構築路線だったのです。
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