子どもの時に読んだ大名の伝記集に、徳川家康が幼少の時のエピソードがありました。河原で子どもたちが二つの集団に別れて、石つぶてを投げて“合戦”をやっている。で家康は「数が少ない方が勝つ」と予言をみごとに当てた、という話です。私の記憶ではその理由は、少数の方は必死にやっているが、多数の方は数を頼んで油断がある、ということだったはずです。
雪合戦ではなくて石合戦です。いくら子どもの力で投げられる小さな石とはいえ、当たり所が悪かったら大けがをします(たとえば目を直撃)。そんな荒っぽいものが「遊び」だったとは、さすが戦国時代、と思いますが……(ついでですが、これが100人対3人、とかだったらどうでしょうかねえ?)
もっと前の時代、楠木正成の戦いの記録にも石を使ったことが書かれていますが、戦国時代になっても石は現実的な武器でした。三方原の合戦で家康軍は武田軍に散々にやられてしまいますが、その損害の大きな部分は武田軍が投じた石礫です。戦国時代の戦傷研究(そんな研究があるのです。私がその論文を読んだのは「人類にとって戦いとは」シリーズ(国立歴史民俗博物館監修、東洋書林)のどこか)でも、鉄砲伝来前の戦場の傷の大多数は矢と石礫の「飛び道具」でつけられていました。(鉄砲伝来後は、鉄砲と矢になります)
もちろん戦場では、単に手で投げるのではなくて、投擲器(投石器)を用いていたはずです。おそらく両側に長い紐をつけた丈夫な皮か布で石を挟むようにして紐の端を持ってぐるぐる回して加速しタイミングを見て片方の紐を離して投擲、というテクニックが一番ありそうに私は考えています。
西洋でも、たしかアレクサンドロス大王の軍隊で軽装歩兵が石も武器に使っていたと読んだ覚えがあるのですが、これは記憶があいまいなので信用しないでください。ただ『イリアス』(ホメロス)にも石を投げて敵を打ち倒す、という記述が登場するので、古代でも投石は“公認”された戦法だったとは言えそうです。
ともかく、戦場では「武器」以外でも戦うために有効なものは活用していた、ということです。(近代戦でも、接近戦なら弾が切れたライフルでも銃剣をつける台にしたり銃そのものをこん棒がわりにも使えますよね)
医学でも「使えるものは何でも使い」ます。手術室がなかったら心臓手術などはできませんが、それでも極力「○○が無いから何にもできない」なんてことは言わないように粘ります。(緊急事態なら路上でも手術をすることがあります。さすがに人工心肺は回せないでしょうが)
それは医術の「道具」だけではありません。たとえば患者の消化管も使えたら使うのが原則です。
私が医者になってしばらくした頃、IVH(経静脈栄養)が盛んに行なわれるようになりました。これが便利で、口から食べることができない患者でもIVHを入れたら生き延びさせることができて、医者は大喜びでした。だけどしばらく経ったら反省期が来ました。
「使える消化管を使わないのは、なぜ?」
消化管が使えないのだったらそれは仕方ありません。だけど、口などに問題があって食べ物を消化管に送り込めないのだったら、クリアするべき問題は「口」です。手っ取り早く血液中に栄養分を送り込めばそれですべてが解決、ではありません。人間の体は、長く使わないと「廃用」が来ます。また、本来なら食べられる人に食べさせないのは、不自然です。
ですから現在は「消化管が使える人は、何らかの手段を講じてその消化管を使う」が原則となっています。「言うは易く行うは難し」で、これはこれでまた別の問題が生じるのですが。
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