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2010.04.30 18:09 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

四月の嵐

 人為による地球温暖化の影響なのか、それとも間氷期にはよくあることなのか、あるいは単なる天候不順なのかは知りませんが、この4月は夏になったり冬になったりとなかなかすごいものでした。
 で、それに合わせるかのように、4月半ばになってから私も妙に忙しい思いをしています。
 まずは病棟。次々と自分の受け持ち入院患者で調子の悪くなる人が。慢性肺気腫の急性増悪/発作性上室性頻拍症/非ケトン性高浸透圧昏睡/転倒/一過性脳虚血発作/脳梗塞……なかなかバラエティに富んでいますが、これだけ色々起きると、頭の中がごちゃごちゃになって、指示の出し間違い(混線)がこわくなります。
 ついでプライベート。家族・親戚で、血族に、心臓の冠血管へのステントと転倒による大腿骨骨折で手術、が各一名ずつ、近いけれど血のつながりのない親戚に脳出血が一人。おかげで休日には見舞いのハシゴです。
 約2週間でこれだけあったら、さすがに私も少し疲れました。早く嵐が吹き終えますように。

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 看護雑誌「エキスパートナース」に掲載された記事をまとめたものです。
目次
「管理者としてのナイチンゲール」金井一薫(ナイチンゲール研究家)
「思想家としてのナイチンゲール」綿貫礼子(環境問題研究家)
「世界初の病院建築家」長澤泰(東京大学助教授)
「ナイチンゲールとその時代」長島伸一(長野大学講師)
「階級社会とナイチンゲール」長島伸一
「ナイチンゲール像の再検討」石田純郎(日本医史学会評議員)
「ナイチンゲール誓詞の謎」石田純郎
「ナイチンゲールって、すごい」山田真(八王子中央診療所長)
「ナイチンゲールが新しい」長谷川敏彦(厚生省老人保健課課長補佐)
「『看護覚え書き』の新しさ」西田晃(藍野学院短期大学教授)
「『看護覚え書き』──その深さと限界」田川建三(西洋思想史・宗教学者)
「看護婦になりたかった私」群ようこ(作家)
「ナイチンゲール──その毅然とした姿勢」宮迫千鶴(画家)

 ナイチンゲールが活躍したのは19世紀後半ですが、話をその少し前から始めてみましょう。
 1815年ワーテルローの戦いは、ブリュッセル近くで行なわれました。ブリュッセルは当時オランダに属していたのでオランダ軍医団は「野戦病院→銃後の病院→基幹病院」のシステムを作りました。これで3000人の負傷兵の処置が可能です。ところが狭い戦場で両軍合わせて30万人以上が近代装備で戦ったため、ブリュッセルには2万7000人の負傷兵が。急を聞いたオランダ国王の勅命を受けた軍医総監ブルーフマンスは周辺の民間医師に非常呼集をかけて臨時軍医とし、患者の過密解消のために移送に耐えうる人はすべて他の町に移し、大テントやバラックの仮設病院を多数建てました。機敏な処置で伝染病の発生は抑えられ、ブリュッセル(と負傷兵たち)は救われました。
 クリミア戦争(1854〜1856)のスクタリ。イギリス軍は最初に2000人の傷病兵を出しましたが、彼らは過密で不潔な病院に詰め込まれ、院内感染で40%の死亡率となりました。そこで陸軍大臣は妻の親友で看護の仕事に就いていたナイチンゲールに依頼、彼女は30余人のスタッフを引き連れてスクタリへ乗り込みました。
 「これは異常なことだ」と石田さんは述べます。まず軍の医療システムの破綻。そして情報伝達システムの破綻(本来なら「現地の情報を上奏された国王から職階を順々に下へたどって現地の軍医」に到達するべき命令が、「新聞(タイムズ)→陸軍大臣→外部の人間であるナイチンゲール」になってしまっているのです)。ついでに、フランスも英国と一緒に戦いましたが、負傷兵はイギリスほど悲惨な状況にはなっていません。
 要するに、大英帝国軍の医療システムはめためただったのです。
 で、そこに乗り込んだナイチンゲールたちが行なったのは、病室内の清潔・ベッドの間隔を広げる・良い食事・きれいな水、でした。2000人に30人では、医療的には大したことはできませんが、環境改善によって院内感染が激減し、それで死亡率は2%までに下がったそうです。石田さんは「要するに、上流階級出身のわがまま娘が、自分の食住の習慣の強行を、戦地で権力とマスコミとお金を背景に行なったのである」と皮肉っぽく表現しています。
 本邦では「ナイチンゲール精神」を「白衣の天使」とか「奉仕の精神」と“翻訳”しますが、それは明白な“誤訳”です。ナイチンゲールが理想とした看護婦は、「一流のプロ」で単なる善意の慈善運動家ではありません。高度な教育と厳しい訓練(宗教色の薄いもの)を受け、高い理想を持ち、鋭くしかも暖かい観察眼を駆使し、確かな看護技術と患者への思いやりを持つ看護婦、それがナイチンゲールの理想とする「(プロ)看護婦」なのです。理想の実現のためにナイチンゲールは、ナイチンゲール学校を創設、また聖トーマス病院(ナイチンゲール病棟)の設計を行ないます。
 アメリカでは、南北戦争で陸軍看護婦が素人レベルであったことの反省から、戦後各地に看護学校が作られ近代看護教育が行なわれるようになりましたが、その指導者はナイチンゲール学校の卒業生たちでした。つまり、ナイチンゲールの理想が、世界の看護を近代化していったのです。
 ……ところで、クリミア戦争後、48年間90歳で死ぬまでナイチンゲールは寝室にこもり、人にも会わずただひたすら著作活動に専念しました。この行動に精神疾患のにおいはしないか?と石田さんは疑問を投げかけますが、そういった観点からの論文は存在しないそうです。
 なお石田さんは「ナイチンゲール誓詞」にも疑念を呈します。“曲訳”ではないか、と。実際に原文と並べて読むと、文章が古くさいだけではなくて、誤訳がいくつもあります。さらに誓詞の“精神”は、欧文は「専門職としての高らかな誓い」なのに和文の方は「奉仕の精神の強調」となっています。おやおや。さらについでですが、「ナイチンゲール誓詞」は1892年(または93年)にアメリカのファランド看護学校で作られたもので、「ナイチンゲール」は名前を使われただけです。石田さんはご自分の指摘を「オチョクリ」と自称していますが、これはけっこう深いところに“問題”がありそうです。「高度な専門職」を目指したはずの看護婦が、日本では看護学生を現場で“戦力”として使ったり、看護婦と准看護婦の二重制度を作ったり、なにか「看護婦の地位」について歯切れの悪いところが歴史的に見えるものですから。日本には、専門職をなるべく尊敬しないか尊敬しても安く使おうとする傾向がありますが、「ナイチンゲール誓詞」にもその“伝統”がにじみ出ているのかもしれません。

 「ナイチンゲール」という“ことば”の前で立ち止まるのではなく、そこから一歩(あるいは二歩も三歩も)奥に入って批判的吟味を行ない、そこからまた“今”に戻ってから「現実」の批判的吟味を行ない、その上で「ナイチンゲール」をどのように解釈しそして今の医療を改善するのにどのように生かすかを考えること、その重要性を本書は示しているように思います。「ナイチンゲール」は、まだ“使え”ます。逆に言えば、「ナイチンゲールはもう時代遅れ」と言えるほど、医学はまだ進歩していません。残念なことですけれどね。

書誌情報:『ナイチンゲールって、すごい』群ようこ・宮迫千鶴 他 著、 エキスパートナース編集部 編、小学館、1989年、777円(税別)


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