「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」
"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. "
『プレイバック』(レイモンド・チャンドラー)で私立探偵フィリップ・マーロウが言う有名なセリフです。「強さ」だけではダメ、「優しさ」だけでもダメ、その共存とバランスが大切とは、まこと「生きる」とは一筋縄ではいかない難儀なものだ、と思わされます。
「誇り」についても同じようなことを私は感じます。誇りがない人生は人としては抜け殻の人生でしょう。逆に誇りが強すぎるのは鼻持ちならない人間です。これまた誇りのバランスが人生には大切です。単に持てばいいと言うものではありません。
さらに「誇りの悪用」がありますから話はやっかいです。しつけや教育、あるいは心をくすぐる甘言で「誇りを持っているという錯覚」を持たされ、その錯覚に頼って自分の人生を生きる場合があります。「自分は素晴らしいことをしている」と思いこんで、実は他人の思うがままの人生を送らされているわけ。これは惨めです。それが誇らしいと思って自分がその惨めさに気づいていない分、二重に惨めな人生です。
もちろんどんな誇りでも、無いよりはマシかもしれません。人は何らかの“幻想”を頼りに生きる存在ですから。だから、私はたとえどんなものであっても「誇り」を持つこと自体は否定しません。ただ私が胡散臭く思うのは、他人に対して「こういった誇りを持つべきだ」と細目を指定して誇りを持たせようとする人々の存在です。そういった人は他人に対して、「本当の意味の誇りを持たせる」ことではなくて「自分が特定の意図を持ってそこをつつけば、他人が言いなりに動く弱点としての誇り」を刷り込むことを目的として行動しているように見えるのです。他人を操作したいという意欲満々のそういった人の心にはきっと「誇り」ではなくて「埃」がいっぱい詰まっているのでしょうが。
『深夜プラス1』『もっとも危険なゲーム』などで知られるギャビン・ライアルが、20世紀初頭の英国情報部創生期を舞台として、そこでスパイになったランクリン大尉を主人公にした連作の第1作『スパイの誇り』には、老いた港湾労働者のこんなぼやきが登場します。
「仕事に対する誇り、おれたちはそのおかげでこの惨めな状態から抜け出せないんだ」
今の日本の医者、もしかして「自分の職業に対して持っている誇り」に、こういった「他人によって刷り込まれた誇り」が混じっているかもしれません。なぜ自分は医者であることに誇りを持っているのか、明確に言語化できます? もしかしてそのことばに「他人の視点」が混じり込んでいたら、その「誇り」は「埃」に“汚染”されている可能性が大です。
これはやっかいです。なまじっか「誇り」があるから頑張りますが、それに対しての「正当な評価」や「正統な報酬」はケチられて当然となってしまうのですから。(こちらの評価は簡単です。その人の境遇が惨めか、言いなりで動かされているかどうかですぐわかります)
医者に限定せず、もう一回聞きますよ。あなたは自分の職業に誇りを持っていますか? 誇りを持っているのなら、その理由は?
ところで、みながみな「誇りを持っている」場合、その「誇り」同士が衝突して(だって誇りは「薄汚い妥協」を許しませんから)世界はめちゃくちゃになってしまうこともあります。そこでギャビン・ライアルは上述の連作シリーズ第3作『誇り高き男たち』ではランクリンにこう言わせます。
「神よ、我等、誇り高き男たちより、世界を救いたまえ。」
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総合病院や大学病院の「科名」の多さを見て、現在の医者を“守備範囲”によって分類したら一体どのくらいの種類になるのだろう、と感じたことがあります。ただしきちんと数えようとは思いませんでした。私は基本的に怠け者なのです。
大宝律令の医疾令では「医学教育」は、大療(内科)/創腫(外科)/少小(小児科)/耳目口歯/針/按摩/呪禁/女医/薬園、に分類されています。
中世の西洋では、正規の医学は大学での内科(と少数の外科)だけで、それにプラスして徒弟制度で育つ床屋外科と薬種商が補助員として機能していました。(フィレンツェでは13世紀半ばに現在の医師会のご先祖様となる最初の職業組合が結成されましたが、そのメンバーは医師/薬種商/小間物屋でした(*1))
ずいぶんシンプルな「医学」だと思います。ただ利点もあります。「どの医者にかかって良いかわからない」ということがなさそうなこと。
今はけっこう大変です。どんな医者にかかるかではなくて、最初にどの科の医者にかかるか、で患者の運命が変わることさえあり得ますから。
どの科にかかったらよいのか迷うものとして、たとえば「舌の外傷」なんてどうでしょう。何科にかかるのがベスト? 私が最初に思いつくのは口腔外科です。しかし口腔外科はそうそうあちこちにオフィスを開いていません。だったら次は(口腔外科の素養を持つ)歯科。ただ、私は歯科との付き合いはほとんど無いため、歯科医のすべてが口腔外科の素養を持っているのかどうかは存じません。歯科ではなくて医科の領域なら耳鼻科をお勧めしましょう。耳鼻科は正式には耳鼻咽喉科でのどについても守備範囲ですから、舌も診てくれる可能性が大です(ただ、一応確認の電話を入れておくことをお勧めしますが)。
のどといえば、のどぼとけの左右にある甲状腺、ここの手術は耳鼻科ではなくて外科が担当します。もともと甲状腺は血管が豊富で手術が困難と言われていたのですが、その安全な術式を確立したのが外科医のコッヘル(Kocherコッハー、1909年ノーベル医学生理学賞受賞)だったためか、ずっと「外科の担当」となってます。(ちなみにテレビの手術場面で執刀医が「メス……コッヘル……ガーゼ」などと言っている「コッヘル」はこのコッヘルさんが開発した止血鉗子の名前です)
外科といえば、乳癌の手術も外科の担当です。これを「婦人科が担当」と誤解している一般人がずいぶん多いのは不思議です。もちろん婦人特有の臓器と言えばそうではあるのですが。
手首を痛めたらどうしましょう。もちろん整形外科です。でもちょっと待って。同じ整形外科でも中は実は細分化があって、手と腰(脊椎)と脚でそれぞれ“専門家”がいるのはご存じでしょうか。親切にも「手の外科」と看板が出ていたらそこを受診してください。看板が出ていなかったら「そちらに手の外科はありますか」と問い合わせをしておいた方が吉です。
参考図書*1)『「病気」の誕生—近代医療の起源 』平凡社選書 (児玉善仁 著)
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