おかだ
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2010/04 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

< 前のページ
2010.04.30 18:09 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

四月の嵐

 人為による地球温暖化の影響なのか、それとも間氷期にはよくあることなのか、あるいは単なる天候不順なのかは知りませんが、この4月は夏になったり冬になったりとなかなかすごいものでした。
 で、それに合わせるかのように、4月半ばになってから私も妙に忙しい思いをしています。
 まずは病棟。次々と自分の受け持ち入院患者で調子の悪くなる人が。慢性肺気腫の急性増悪/発作性上室性頻拍症/非ケトン性高浸透圧昏睡/転倒/一過性脳虚血発作/脳梗塞……なかなかバラエティに富んでいますが、これだけ色々起きると、頭の中がごちゃごちゃになって、指示の出し間違い(混線)がこわくなります。
 ついでプライベート。家族・親戚で、血族に、心臓の冠血管へのステントと転倒による大腿骨骨折で手術、が各一名ずつ、近いけれど血のつながりのない親戚に脳出血が一人。おかげで休日には見舞いのハシゴです。
 約2週間でこれだけあったら、さすがに私も少し疲れました。早く嵐が吹き終えますように。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)

 看護雑誌「エキスパートナース」に掲載された記事をまとめたものです。
目次
「管理者としてのナイチンゲール」金井一薫(ナイチンゲール研究家)
「思想家としてのナイチンゲール」綿貫礼子(環境問題研究家)
「世界初の病院建築家」長澤泰(東京大学助教授)
「ナイチンゲールとその時代」長島伸一(長野大学講師)
「階級社会とナイチンゲール」長島伸一
「ナイチンゲール像の再検討」石田純郎(日本医史学会評議員)
「ナイチンゲール誓詞の謎」石田純郎
「ナイチンゲールって、すごい」山田真(八王子中央診療所長)
「ナイチンゲールが新しい」長谷川敏彦(厚生省老人保健課課長補佐)
「『看護覚え書き』の新しさ」西田晃(藍野学院短期大学教授)
「『看護覚え書き』──その深さと限界」田川建三(西洋思想史・宗教学者)
「看護婦になりたかった私」群ようこ(作家)
「ナイチンゲール──その毅然とした姿勢」宮迫千鶴(画家)

 ナイチンゲールが活躍したのは19世紀後半ですが、話をその少し前から始めてみましょう。
 1815年ワーテルローの戦いは、ブリュッセル近くで行なわれました。ブリュッセルは当時オランダに属していたのでオランダ軍医団は「野戦病院→銃後の病院→基幹病院」のシステムを作りました。これで3000人の負傷兵の処置が可能です。ところが狭い戦場で両軍合わせて30万人以上が近代装備で戦ったため、ブリュッセルには2万7000人の負傷兵が。急を聞いたオランダ国王の勅命を受けた軍医総監ブルーフマンスは周辺の民間医師に非常呼集をかけて臨時軍医とし、患者の過密解消のために移送に耐えうる人はすべて他の町に移し、大テントやバラックの仮設病院を多数建てました。機敏な処置で伝染病の発生は抑えられ、ブリュッセル(と負傷兵たち)は救われました。
 クリミア戦争(1854〜1856)のスクタリ。イギリス軍は最初に2000人の傷病兵を出しましたが、彼らは過密で不潔な病院に詰め込まれ、院内感染で40%の死亡率となりました。そこで陸軍大臣は妻の親友で看護の仕事に就いていたナイチンゲールに依頼、彼女は30余人のスタッフを引き連れてスクタリへ乗り込みました。
 「これは異常なことだ」と石田さんは述べます。まず軍の医療システムの破綻。そして情報伝達システムの破綻(本来なら「現地の情報を上奏された国王から職階を順々に下へたどって現地の軍医」に到達するべき命令が、「新聞(タイムズ)→陸軍大臣→外部の人間であるナイチンゲール」になってしまっているのです)。ついでに、フランスも英国と一緒に戦いましたが、負傷兵はイギリスほど悲惨な状況にはなっていません。
 要するに、大英帝国軍の医療システムはめためただったのです。
 で、そこに乗り込んだナイチンゲールたちが行なったのは、病室内の清潔・ベッドの間隔を広げる・良い食事・きれいな水、でした。2000人に30人では、医療的には大したことはできませんが、環境改善によって院内感染が激減し、それで死亡率は2%までに下がったそうです。石田さんは「要するに、上流階級出身のわがまま娘が、自分の食住の習慣の強行を、戦地で権力とマスコミとお金を背景に行なったのである」と皮肉っぽく表現しています。
 本邦では「ナイチンゲール精神」を「白衣の天使」とか「奉仕の精神」と“翻訳”しますが、それは明白な“誤訳”です。ナイチンゲールが理想とした看護婦は、「一流のプロ」で単なる善意の慈善運動家ではありません。高度な教育と厳しい訓練(宗教色の薄いもの)を受け、高い理想を持ち、鋭くしかも暖かい観察眼を駆使し、確かな看護技術と患者への思いやりを持つ看護婦、それがナイチンゲールの理想とする「(プロ)看護婦」なのです。理想の実現のためにナイチンゲールは、ナイチンゲール学校を創設、また聖トーマス病院(ナイチンゲール病棟)の設計を行ないます。
 アメリカでは、南北戦争で陸軍看護婦が素人レベルであったことの反省から、戦後各地に看護学校が作られ近代看護教育が行なわれるようになりましたが、その指導者はナイチンゲール学校の卒業生たちでした。つまり、ナイチンゲールの理想が、世界の看護を近代化していったのです。
 ……ところで、クリミア戦争後、48年間90歳で死ぬまでナイチンゲールは寝室にこもり、人にも会わずただひたすら著作活動に専念しました。この行動に精神疾患のにおいはしないか?と石田さんは疑問を投げかけますが、そういった観点からの論文は存在しないそうです。
 なお石田さんは「ナイチンゲール誓詞」にも疑念を呈します。“曲訳”ではないか、と。実際に原文と並べて読むと、文章が古くさいだけではなくて、誤訳がいくつもあります。さらに誓詞の“精神”は、欧文は「専門職としての高らかな誓い」なのに和文の方は「奉仕の精神の強調」となっています。おやおや。さらについでですが、「ナイチンゲール誓詞」は1892年(または93年)にアメリカのファランド看護学校で作られたもので、「ナイチンゲール」は名前を使われただけです。石田さんはご自分の指摘を「オチョクリ」と自称していますが、これはけっこう深いところに“問題”がありそうです。「高度な専門職」を目指したはずの看護婦が、日本では看護学生を現場で“戦力”として使ったり、看護婦と准看護婦の二重制度を作ったり、なにか「看護婦の地位」について歯切れの悪いところが歴史的に見えるものですから。日本には、専門職をなるべく尊敬しないか尊敬しても安く使おうとする傾向がありますが、「ナイチンゲール誓詞」にもその“伝統”がにじみ出ているのかもしれません。

 「ナイチンゲール」という“ことば”の前で立ち止まるのではなく、そこから一歩(あるいは二歩も三歩も)奥に入って批判的吟味を行ない、そこからまた“今”に戻ってから「現実」の批判的吟味を行ない、その上で「ナイチンゲール」をどのように解釈しそして今の医療を改善するのにどのように生かすかを考えること、その重要性を本書は示しているように思います。「ナイチンゲール」は、まだ“使え”ます。逆に言えば、「ナイチンゲールはもう時代遅れ」と言えるほど、医学はまだ進歩していません。残念なことですけれどね。

書誌情報:『ナイチンゲールって、すごい』群ようこ・宮迫千鶴 他 著、 エキスパートナース編集部 編、小学館、1989年、777円(税別)


人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。



 

固定リンク | コメント (1) | トラックバック (4)

2010.04.29 18:08 |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

ネットで暴走する医者考

 リアル世界やネットで暴走する自身についてはまったく自省せずに「ネットで暴走する医者」論を展開する一部マスコミ(マスゴミ?)の態度にはげんなりしますが、おかげでこうしてブログのネタにできるのですから感謝するべきなのかもしれません。

 さて、たしかに「医者専用掲示板」や「医者を自称する人のブログ」でとんでもない「暴走発言」や「ゴミ発言」を見ることはあります。そこで私は問題を二つに切り分けます。

1)「ネットで暴走する医者」は、本当に「医者」なのか。
2)「ネットで暴走する医者」がいることは「ネットで活動する医者全体」を否定する根拠になるのか。

 1)について。匿名掲示板やブログでの「職業認証」は非常に難しいことは素人でもすぐわかります。なりすましで入ることは極めて簡単なのです。(実際に「ネットで暴走する医者」について論じる医者以外の人たちが、その“材料”を(特に医者専用掲示板から)どうやって入手しているのか、私は知りたいと思います。医者を通して? それともなりすましで直に?)  あんな「認証」は、エロサイトの年齢認証よりはすこしハードルが高くしてありますが、抜け穴を探せばすぐ見つかります。だから「医者を自称する人のネットでの暴走発言はすべて真生の医者による」と確信を持って発言する人には、その確信の根拠を示してもらいたいと思うのです。
 2)については1)とはまた別の話になります。1)が否定されても肯定されても成立しますから。「ネットで活動する医者全体を否定する」とは、言い換えれば「医者がネットで活動することを全否定する」になります。どうしてそんな全否定をしたいのでしょう。(もしも「全否定などしていない」と主張するのなら「ネットで暴走する医者は否定するが、ネットでまともなことを言っている多くの医者のことは肯定する」と言ってくださいね。「ネットで暴走する医者」と十把一絡げに言わないで)

 で、ここからが論考です。
 一部マスコミはどうして「医者のネット活動」を「ネットで暴走する医者」ということばで否定しようとするのでしょうか。そこで私はまた問題を二つに切り分けます。

甲)内容
乙)感情

 まず甲)について。
 もし「暴走発言」の内容が間違っているのなら、その内容の誤りを指摘すれば良いことです。それをせずにただ「暴走」というレッテルを貼ろうとする態度からは、「もしかしたら内容の誤りを指摘できない = 内容は正しい」から苛立っているだけなのではないかと勘ぐりたくなります。まあ、下衆の勘ぐりレベルの話ですが。
 で、「苛立ち」という単語から乙)に移行します。
 マスコミは情報発信に関してはこれまで「上位」にいました。「私、発信する人。あんたたちは受信する人」だったのです。
 「言い返せない立場の人に対しては、強い言葉が言える」(オカダの強い言葉の法則:『続・マーフィーの法則』(アスキー))ということばがあります(ちなみにこれは(若い頃の)私の投稿です)。マスコミから見たら「あんたたち」は「言い返せない人」でした。だからいくらでも好き放題を言ってきたわけです。ところが時代が変わります。ネットではマスコミも(重要ではありますが)「情報ソースの一つ」でしかありません。それどころか「好き放題を言ってきた(あちこちで恨みや不満をかった)」伝統の重みがここではネガティブに作用したのか、容赦ない「批判」「ミスの指摘」が行なわれるようになっています。それはマスコミ人の感情を傷つけることでしょう。「言い返せない立場」のはずの人間が生意気にも自分たちに「言い返す」ようになったのですから。
 さらにその行為(「言い返せない立場」のはずの人間が生意気にも自分たちに「言い返す」)だけでも苛立たしいのに、その「言い返してきた内容」が正しかったらどうでしょう。「苛立たしさ」は二乗になります。その結果がぐるりと回って「ネットに対する攻撃的な態度」として発露している(で、その一部が「ネットで暴走する医者」という言葉に結実した)、というのが私の考察です。
 ただ、上述の2)を私はここでも使わなければなりません。あくまでそんな「ゴミ」的態度を取るマスコミ人は一部にすぎないだろう、ということにしておきましょう。
 それと、ネットで活動している本物の医者でゴミ発言を次々ばらまいている人には、自分の評判を落とすのは勝手だが、医者の評判を落とすのはやめてくれ、と意見を表明しておきます。


固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)

2010.04.29 06:54 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

高次脳機能障害者

 高次脳機能障害について以前述べましたが(「高次脳機能障害」)、ふと「高次脳機能障害を全然持たない人間は、この世に存在しているのだろうか?」という妙な疑問を持ってしまいました。
 たとえば完璧な記憶力を持った人間から見たら「ものを忘れる人」はみな記憶力の障害者でしょう。だけど、みんな「もの忘れ」はありますよね?(まさか、ものを忘れるのは、私だけ?) 
 注意力を集中させることの障害が「注意障害」です。集中力はみな持っているでしょうが、でもふと気が散ることはありませんか?(集中しているつもりでも楽しそうなことに気が散るのは、まさか、私だけ?)
 「道に迷う」のは空間に関する見当識障害と言えます。私は幸いあまり道に迷うことはありませんが、決して皆無でもありません。

 私の“仲間”が多いのだったら、「この世は“高次脳機能障害者”で成立している」と言えます。だったらそういった多くの“障害者”が生きやすい世の中であることを望みます。
 ……もしも高次脳機能障害が私だけなのだったら、私が生きやすい世の中を高次脳機能に“恵まれた”人たちは構築してくださいね。平に切にお願いします。


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (3)

2010.04.28 18:48 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

合剤

 医学系の雑誌を読んでいて最近「合剤」(「合成洗剤の略」ではありません。二つの薬剤を一錠に合体させた薬のこと)が増えたなあ、と思いました。20世紀の最終2〜30年には厚生省は「合剤」を目の仇にしていて、とにかく単剤でないと認可しない、といった雰囲気を漂わせていましたが、いつのまにか方針を変えたようです。まさか自分が労働省と合体したから、じゃないですよね。
 そこで改めて最初から最後まで雑誌の広告に目を通して新しい合剤をピックアップしてみました。6種類ありました。商品名と何と何の合剤かと会社名を、広告から書き出してみます。

 カデュエット(持続性Ca拮抗薬/HMG-CoA還元酵素阻害剤) ファイザー/アステラス
     1)2.5/5  2)2.5/10  3)5/5  4)5/10 (単位 mg)
 プレミネント(持続性ARB/利尿薬) 万有
 エカード(持続性アンギオテンシンⅡ受容体拮抗薬/利尿薬) 武田
 レザルタス(高親和性ARB/持続性Ca拮抗薬) 第一三共
 コディオ(選択的AT1受容体ブロッカー/利尿薬) ノバルティス・ファーマ
 エクスフォージ(選択的AT1受容体ブロッカー/持続性Ca拮抗薬) ノバルティス・ファーマ

 この中ではカデュエットだけ毛色が変わっていて、高血圧と高コレステロール血症の合併に使いますが、他の薬は基本的に高血圧の薬です。
 最初から合剤になっていれば、二つの錠剤を飲まなければならないところが一つですむ(しかもお値段は二つ飲むよりふつうは安くなる)のですから、メリットはわかります。
 しかし、デメリットもあります。たとえば、多科を受診している人の薬が重複するリスクの確率が高くなりそうなこと。副作用が出たとき、合剤のどっちが悪いのかわかりにくいこと。そしてなにより、覚えきれないこと。「○○は何と何の合剤か」だけではなくて、カデュエットでは、含まれる成分量の違いで4つを覚える必要があります。
 そうそう、吸入の合剤でアドエア(気管支拡張剤とステロイドが混じっている)というのもありましたっけ。
 白状します。私の脳ではもう限界です。記憶力を増すお薬を所望します。合剤でなくて単剤で良いですから。


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (9)

2010.04.28 06:55 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

老人問題

 以前「死語(24)老人問題」で書きましたが、私は「老人問題」という「問題の立て方」が嫌いです。だってこれだとまるで「老人」が問題の元凶であるかのように見えてしまいますから。老人に向かって「あんたが長生きしたから、みなが困っている」と「老人問題」を個人レベルに還元して「解決」しようと努力するのは、間違っていると私は感じているのです。
 人が老人になることには自然の経過なのだからそれ自体には何の問題もありません。それをまず出発点として押さえておきたいと思います。OK?
 では、次。
 では、何が本当の「問題」なのか、です。
 「個人としての老人」には問題が無いが、「(大きすぎる)集団としての老人」には問題がある、ということにしましょうか。私はその見方に、半分だけ賛成します。問題の存在場所を「個人」ではなくて「社会」に移動させる点には賛成なのです。それによって「解決策」も「個人」から「社会」に持って行けますから。

 そう、キーワードは「社会」です。
 では、『老人の大集団」が問題?  私は首を傾げます。
 たとえ老人が多くても、それが安定・継続した社会構造なのだったら、そこに「問題」は生じません。いや、もちろんそれが「何の問題もない社会である」というわけではなくて「“あまりに多くの老人”を原因として不穏となる社会」ではない、と言いたいのです。それはたとえば江戸時代に、(今の私たちから見た“大問題”の)生まれた子どもの半数が5歳までに死んでしまうようなことが平気で継続されている社会でも、それで「安定」していたら社会はその人口構成で不穏にはならないのと、同様です。だって「社会は昔からそんなもの」なのですから。

 では何が真の問題か。「変化」です。それも「急激な変化」。
 人口そのものの急な増減あるいは人口構成の急な変化は、それだけで社会にストレスをかけます。「個人とストレス」の関係と同様、適度なストレスならそれは社会に活力をもたらすこともあるでしょうが、限度を超えたストレスの下では、社会は下手すると不健康さらには崩壊への道を辿り始めます。それが現在の日本で起きていることだと私は考えます。
 ならば対策は?  「個人としての老人」を一人一人とがめ立てすることが無意味なのは明らかです。「原因療法」として、老人を大量虐殺するのは手っ取り早い方法にも見えますが、それは「ストレス」に対して不適合の悲鳴を上げている社会に対する根本療法ではありませんし、さらにそれはそれで別の大問題を引きおこします(倫理的な問題はもちろんですが、数百万以上の死体の処理を物理的にどうするかも大問題です)。さらに「大量虐殺による人口構成の補正」は、これまた「人口構成の急激な変化」そのものですから、また新たな日本社会へのストレスとなります(今でも若年労働者に十分な雇用の場が提供できていないのに、そこでまた大きなストレスをこんどは逆方向にかけたら、雇用の危機はむしろさらに深化する(“パイ”を分けなければならない数は減少するが、“パイ”そのものがもっと小さくなる)のではないかと私は危惧します)。

 だからといって、あまりに「老人」に特化した社会を作るのに、私は賛成できません。そんなあまりに特殊な社会は、「進化の袋小路」になるのがオチですから。「どんな方向にでもとりあえず対応できてしまう社会」の方が、環境の変化に強くて望ましいのではないでしょうか。ちょうど個人で、基礎体力と生活に余裕があれば少々のストレスにはびくともしないのと同様に。ただこういうのは簡単ですが、では具体的にどのような社会システムにするか、どうやってそちらに社会を変化させていくか、そもそもそのことに社会の成員の合意をどうやってとりつけるか……難問は山積ですな。ただ、ネガティブな言い方はあまり好きではありませんが「老人を大量虐殺はしない社会」は目指しましょうよ。


人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。


 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.27 18:29 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

国家の事業仕分け

 たとえば国立病院機構を事業仕分けすることになったとして、そのときに病院機構の人に向かって「日本の医療戦略を誰が決めているか不明確」と仕分け人が言ったらどうでしょう。言われた方は目をぱちくりさせて「それはあなた方政府の仕事でしょう?」と返すのではないでしょうか。国家戦略を決めるのは国家の仕事なのですから。

 ところが「宇宙」では、国家戦略をJAXAが決めている(いや、決めていない)という“指摘”がありました。

※1)「事業仕分け、JAXA広報施設は「廃止」」(TBS News i)

 ニュースによれば、ここで「日本の宇宙戦略が誰が決めているか不明確」との指摘があったのだそうです。それって、JAXAを詰問する材料です?  「日本の宇宙戦略」を決めるのは「日本=政府」でしょう。政府の下部組織であるJAXAではなくて。そうそう、JAXAの事業仕分けをばりばりやったとしたら、その“仕分け”をやった人が「日本の宇宙戦略」を決定したことにもなります。ということで、ここで話は明確になりました。「日本の宇宙戦略を誰が決めているかはこれまでは不明確」だったとしてもこれからは「日本の宇宙戦略を決めるのは、事業仕分け人」なのです。
 うわぉ。私たちは、歴史の転回点の目撃者ですよ。

 茶化して言っていますが、私は事業仕分けという手法自体は肯定的に捉えています。癒着した政官財の既得権砦を崩すには、現時点ではこれ以上の策はないでしょうから。ただ、事業仕分けはあくまで「国家戦略」の下の“戦術”であるべきで、それ自体が“戦略”にまで拡大適用されてはいけないと思っているだけです。落ち目の企業でコストカッターが社長になったら、ほとんどの企業は縮小再生産の負のスパイラルに陥ってしまうのです。

 ところで、官僚や政治家そのものを対象とした事業仕分けはいつ行なわれるのでしょう?  ぜひ彼らの「費用対効果」(※1)の評価を聞きたいし、それを問われたときに「全部言い訳から入るんですよ。常に問題意識を持っていただかなければいけないのに、すべての質問にすべて言い訳で・・・」(※2)と仕分け人に言われずにすむ返答が聞けるのかどうか、私は楽しみです。


※2)「科学技術も仕分け、日本の将来とは」(TBS News i)

「全部言い訳から入るんですよ。常に問題意識を持っていただかなければいけないのに、すべての質問にすべて言い訳で・・・」(枝野幸男行政刷新相)

 オマケです。
 「詰問」すればそれに対する返答は「言い訳」になります。穏やかに説明を求める「質問」をすればそれに対する返答は「説明」になります(詰問の場合、対等の立場なら「反撃」もありえますが、「質問」の場合は立場の違いに無関係に普通は「説明」となります)。
 自分が聞いたらすべて言い訳が返ってくる、というのはつまり自分は常に詰問をしている、ということになるのではないでしょうか。


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.27 06:48 |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

 「人の本当の心を知りたい」と思う人は、嘘をつける人です。自分が他人に嘘をつくから他人も自分に嘘をつくに違いない、だから「本心」を知りたい、と願う。だって嘘に縁がない人は、自分が他人に嘘をつかれるとも思いませんから。
 ちなみに私も他人の本心を知りたくなることはありますし、自分の本心を悟られたくないと思うこともあります。でもなるべく嘘はつきたくありません。それだったら真実を語らないでいる方がマシです。


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.26 18:51 |  診療  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 3

予防手術

 たとえば「虫垂」なんてものは人間には基本的に不要なものです。極端な例ですが、だったらそんなもの取ってしまえ、と全員の腹をかっさばいて手術したらよいか、と言えば、そんな予防手術は人類には利益より不利益の方が多いでしょう。「盲腸(虫垂炎)の手術」は「100%安全なもの」ではないのですから。将来盲腸(虫垂炎)から腹膜炎になって死んでしまう人にとっては利益ですが。ただしごく少数の個人の利益のために人類全体が損害を被る(本来不必要な手術を受け、その中のある割合が失われる)こと……つまり「利益」と「不利益」を総体として比較したら、明らかに結論は出せる、ということです。

 ところがこれが「未破裂脳動脈瘤」だと、私の思考はキレを失います。脳ドックでこの未破裂脳動脈瘤がどんどん見つかっていますが、「見つけたら、すぐに手術をして潰しておくべきか」のところで話がややこしくなるのです。
 もし放置して将来もしもその動脈瘤が破裂したら、くも膜下出血となります。これは嬉しくありません。動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、それ自体が死亡率が非常に高いし、血管痙攣・水頭症などがつづいて起きると様々な障害(あるいは生命の危機)が生じます。
 ならば予防手術をするべきか、と言えば、こんどは手術そのものの危険性の話が出てきます。頭蓋骨を開けてのクリッピング(チタン製のクリップで動脈瘤をつまむ)にしても、コイル塞栓術(足の付け根から動脈の中を細いチューブ(マイクロカテーテル)を通して、動脈瘤の中にプラチナ製の細い針金をぎっしり詰め込んで固めてしまう)にしても、成功率が100%ではありません。その手術によって何らかの合併症(たとえば脳出血や脳梗塞など)が起きる可能性さえあります。麻酔事故の可能性もゼロではありません。(局所麻酔剤でさえアナフィラキシーショックを起こす可能性はあります)

 片方は最悪/もう片方は最善、なら話は簡単ですが、両者に最悪と最善があるわけで、そうなると次に考えるのは確率ですが、確率に圧倒的な差があったとしても、確率が扱うのはあくまで「集団」であって、「では自分はどうなるか」の個別の疑問に対して確率は何も語ってはくれません。
 さらにその「確率」の上に、その手技ごとあるいは主治医ごとにある程度の「経験数」を重ねなければなりません。
 このへんまで話が来ると、私は「医学」はちょっと脇に退いて、ほかの何かの出番になるのではないか、と思います。何かって何だ?ですか?  そうですねえ、たとえば「人生観」、あるいは「哲学」、あるいは「死生観」。あるいはすべてまとめて「覚悟」。

 プロ野球の木村さん(読売巨人のコーチですが、私にとっては(元)広島カープの選手)の急死で、最近脳外科の外来や脳ドックが大賑わいだという噂を聞きました。それは良いのですが、「もし未破裂の脳動脈瘤が見つかったとき、自分はそこからどんな人生を生きたいのか」についてきちんと考えてから受診した方が良いのではないか、なんてことを私は感じています。


人気ブログランキングに参加中です。励みになりますので、クリックをよろしく。


 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (139)

 本書の著者は先天性ミオパチーで不自由な生活を続け、さらに数年前には脳出血で右片麻痺となり電動車椅子生活となっています。社会からの温かさに支えられて生きてきた著者は、恩返しをしたいと、サラリーマンの仕事のかたわら赤十字語学奉仕団でボランティアをしていました。そういった生活の中、日本のお粗末なバリアフリーの現状をなんとかしようと思い立ち、脱サラをしてバリアフリーカンパニーという会社を作ります。障害者としての経歴とビジネスマンとしての経験が、「ビジネスとしてのバリアフリー推進」の原動力になったのでしょう。
 今の日本で障害者は大きなビジネスの対象にはなっていません。だから本書のタイトルがある種のインパクトを持ちます。逆に言うなら「福祉で扱うべきバリアフリーを商売のネタにするなんてけしからぬ」と言う勢力がいるわけ。だけどバリアフリーが“商売のネタ”になれば、“商売をしよう”とする人が集まることで今より社会に普及するでしょう。“とても儲かる商売のネタ”になれば激しい競争が起きてあっという間に社会全体に普及するでしょう。「バリアフリーにかかわる人間は、手弁当で報酬抜きでやっていろ」と主張するのは、日本にバリアフリーを普及させたくない、と主張しているのと同等だとも言えます。たとえば著者の生活をボランティアでサポートする学生たち。彼らも就職するときにバリアフリーが「儲かる商売」だったら、そのままの進路を歩むことが可能になります。それは日本の福祉にとって、望ましくないことでしょうか?
 ただ、「バリアフリー」という言葉を見てそこで「わかったわかった」とか「難しい」とか思考を停止させてはいけません。
 「万能のバリアフリー」は存在しないことをかつて私は「ユニヴァーサルデザイン」で書きましたが、本書でもそれに近いことが言われています。「バリアフリーって、要するに○○をすれば良いんでしょ」という簡単な“処方箋”は存在しない、と。でも、だからこそそれを求める努力が「ビジネスチャンスの拡大」につながるのです。本書では、著者が関係したプロジェクトから、みずほ銀行、チサンイン、ANA、沖縄県、JTBなど具体的な事例がいくつも紹介されています。ここに挙げられた例だけでも“障害者”の多様性とバリアフリーの現実的な多様性がよくわかります。

 そうそう、先日「お客様は神様」で私は「生産と消費」の奇妙な価値的ねじれを扱いましたが、本稿での「儲ける」についても日本では奇妙な価値的ねじれがありますね。「拝金主義」「儲け優先」「楽して儲けやがって」は悪口で使われますし高収入の人への(嫉妬に由来する私憤と公憤とが混じった)風当たりはとても強いものがあります(「高収入の医者」に対する批判もここに含まれるでしょう)。ところが、では日本人は皆“貧乏”を指向しているのかと言えば、絶対に確実にそうではありません。「自分は儲けたいと思っている」けれども「儲けようとする(儲けている)他人は軽蔑しようとする」ねじれがあるのです。本書はそのねじれを絶妙に突いている点で、着眼点が良い“ビジネス書”と言えます。切り口をちょっと変えれば、そのまま心理学の本になれたかもしれません。

書誌情報:『バリアフリーは儲かる!』中沢信 著、 PHP研究所、2009年、1100円(税別)


固定リンク | コメント (0) | トラックバック (143)