「古事記」には、黄泉の国から逃げ帰った伊弉諾尊(イザナギ)に対して伊弉冉尊(イザナミ)が「私はこれから毎日、一日に千人ずつ人間を殺そう」と宣言し、それに対抗してイザナギが「それなら私は、一日に千五百人生ませよう」と宣言し返すシーンがあります。女が「殺」/男が「生」を宣言する意外性だけではなくて、「生と死のバランス」と「人類の繁栄」を“算術的”に示す面白さがあって、実に印象的です。
古代から現代に目を転じてみましょう。
科学には腕が二本あります。
片腕にはこんなモットーが貼り付けられています。「私はどんどん人を殺そう。昨日より今日、今日より明日の方がたくさん殺せるように科学は進歩するのだ」
もう片腕にはこんなモットーが貼り付けられています。「私は人を助けよう。昨日より今日、今日より明日の方がたくさん助けられるように科学は進歩するのだ」
人類はその両腕のバランスの上に生きています。
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「一面的な見方」は、日本では、言葉としてはどちらかというと悪口の部類に入りますが、実際には人気があります。(実例:「医者はワルモノ」で押し通そうとしている変態新聞(現在完了進行形))
だけど、医者としては一面的な見方は“敵”です。
たとえば胸の単純レントゲン写真、私は何か気になる場合必ず二方向(正面向きと側面)の写真をオーダーします。そうすることで患者さんの胸の中の情報が擬似的に立体視できるからです。たとえば正面向きの写真だけだと、何か右胸に異常影が見えてもそれが右胸の前の方なのか後ろの方なのかすぐにはわかりません。あるいは異常影が見えなくても、たとえば心臓のすぐ後ろの死角の部分に何もないのかはすぐにはわかりません。
たとえとしてスジを外しちゃうかもしれませんが、たとえば車の運転をするときでも、正面だけじっと見ていたら安全運転ができます? なるべくきょろきょろして情報を集め、できたら鳥瞰図で「大きな空間の中の自分の車」を想像してその中で移動するようにしたら、(自分だけではなくて他人の)安全度がぐんと向上するでしょう。
こうやっていろいろきょろきょろすることの難点は、時間とエネルギーがそれなりに必要なこと、情報処理に知的パワーがしこたま必要なこと、そしてその結果の自分の主張の強さが減じることです。だって、一面的な主張ができなくなりますから。時間を節約したいときや無理な主張を強引に通したいときには、一面的な方が楽なんですよねえ。うらやましい。
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