1911年に発表された古典SF『ラルフ124C41+』(ヒューゴー・ガーンズバック)には、食品工場や大西洋横断鉄道(海底トンネルでなんとリニアモーターカー)、テレビ電話が活用された“未来世界”が描写されていますが、その中に「一度殺した犬を3年後に復活させる実験」が登場します。
犬の血液を全部抜いて殺し、血管の中に特殊な溶液(ここでは「臭化ラジウムK」ですが、おそらく当時の“驚異の物質”ラジウムにあやかっての命名でしょう)を満たして保存。3年後に血管からその溶液を抜いて血液を満たしてから特殊な光線を当てると……あ〜ら不思議、犬は何ごともなかったかのように生き返るのです。
ここで面白いのは、当時の欧米の「倫理観」も透けて見えることです。犬に輸血されるのは「仔山羊の血」です。つまり、犬を復活させるために別の犬を殺すのは忍びないが、仔山羊だったらOK、というわけ。
もう一つ見えるのは、「血液」は種を越えて共通、という「科学概念」です。犯罪捜査などで用いられるルミノール反応が「人」に限定せずに「血痕」の存在を示すように、当時の「輸血」では「人」に限定せずに「血液」という概念が使われていたのでしょうか(ABO式血液型は1900年にラントシュタイナーによって発見され、1910年には「A、B、O、AB」の命名が確定していたのですが)。
「輸血」の歴史は意外に古く、記録に残るのは1667年のイギリスとフランスの例です。どちらも人間に羊の血液が輸血されています。わお、羊の血ですか。ところが幸いなことに、どちらも死者は出ていないそうです(輸血量が少なかったのかもしれません)。でも、それがまずかった。人間は「成功例」を見るとすぐに拡大解釈を始めます。「若返りのために、若者の血を」「乱暴者を改心させるために、(従順な)仔羊の血を」などという“応用実験治療”が次々行なわれ、こんどは死者が続々と。
血液型不適合や異種蛋白の直接注入とは無茶な話ですが、もう一つ、凝血が生じていてもむりやり注入したらそれは肺塞栓になるだけです。フィルターなんかラインのどこにもないわけですから。「枕元輸血」(供血者から採血 → その場ですぐ輸血)ということばを文字通りに解釈して、供血者を患者の隣に寝かせてラインで直結、という表現を使った漫画がかつていくつもありましたが、圧較差をどうやって得ているんだとかフィルターは?とか、ツッコミどころはいくらでもあります。「人間は無茶な話が好きなんだ(歴史を見たらやってきているんだ)」と話を一般化して逃げる手もありますが。
※『ラルフ124C41+』ヒューゴー・ガーンズバック 著、 中上守 訳、 早川書房
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子どもの頃に夢中になって見ていたテレビのディズニーランド(*)では時々アニメも登場しましたが、その中で今でも覚えている印象的なシーンの一つに、プルートだったかな、片耳には天使が「良いことをしろ」とささやき、もう片耳からは悪魔が「悪いことをしろ」とささやくのでその間に挟まって迷いまくる、というものがあります。
*)私の記憶の中では、プロレス好きの父親と私とのチャンネル権争いの結果隔週でプロレスとディズニーランドとをかわりばんこに見ることになった、となっているのですが、今Wikipediaを見ると、1958年から10年間は最初から隔週編成になっていたんですね。なーんだ、だったらいくら私が頑張っても毎週は見られなかったんだ。
先日病棟を走り回っていたら、見覚えのある顔を見つけました。数ヶ月前に退院された患者さんの家族の方です。去る者は日々に疎しと言いますが、病気の状態はどうだったっけとかもしかして忘れ物かなとかちょっと遠方だったので紹介状をもたしてあげたんだったなどと記憶を掘りながら話を伺うと、ご本人が数日前に急に亡くなったとのこと。私の記憶では、決して元気いっぱいというわけではないけれど心臓などに“爆弾”を抱えたような状態ではなかったはずなので、一体何が起きたのか、とショックを感じて身体がよろめいてしまいました。
その場に居合わせたわけではありませんし、又聞きですから確実な診断はできませんが、どうも急な不整脈発作のような感じだった様子です。
挨拶をすませて家族の方が帰られてからカルテを引っ張り出して見直してみましたが、やはりデータ上はそんなあやしいものは見えません。何が起きたんだろう、何か入院中に私にできることはなかったのか、と研修医に戻ったような気分で見直しを続けます。
これだけ書いて終りにしたら「天使が医者の片耳に良心の声を囁いている姿」です。でも……もう片耳からは悪魔も囁いていました。「その発作が、ここに入院中に起きなかったのは、自分にとってはよかったな」と。
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