おかだ
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2010/02 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

2010.02.28 22:22 |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

津波警報

 本読みの私が「津波」ですぐ思い出すのは、『つなみ』(パール・バック)です。そう言えば、この作品が映画化されたとき(タイトルは「大津波」)、原作者自らが日本にやってきて映画の撮影現場でずっと見学(見物?)をしていたのは、よく知られた話でしょうか。(*1)

 今回の津波警報では、特に三陸の「大津波警報」が目立っていましたが、この地域は古くから繰り返し大津波に襲われています。歴史に残っているのは、貞観の大津波(869年)・慶長の大津波(1611年)です。安政三年(1856)にも津波がありましたがこのときの損害は軽微でした。ところがこの「損害が軽微」が次の津波への備えをおろそかにすることになります。
 明治三陸大津波は、明治29年(1896)6月15日(旧暦では5月5日端午の節句)夜8時頃に襲ってきました。陸で感じた地震は軽いものでしたが津波は巨大で、最大波高38.2m。死者は、北海道6人青森340人宮城3400人岩手18000人(概数)。被害戸数は約10000戸でした。
 昭和8年(1933)3月3日朝3時前後、「昭和の大津波」が三陸を襲います。最大波高28.7m、死者は約3000人でした。明治の教訓があり、地震後海を見張っていた人が多かったことが前回と比較して死者の減少を生みました。
 昭和35年(1960)5月24日には、チリの大地震による大津波が日本を襲います。実は1952年に三好寿(津波の専門家)が「チリからの津波を警戒するべき」とすでに述べており、当日もハワイから気象庁に津波の情報が電報で届いていたのですが気象庁は「チリから日本に津波が届くことはあり得ない」と無視したため警報が遅れ、142人が死亡しています。専門家の当てにならない(とお役人が判断した)予測は無視するにしても、ハワイからの電報を無視しなければ、この死者は出ませんでした。(*2)

 で、「前回の教訓」が今回は生かされたわけです。
 結果を見て「今回は騒ぎすぎ」という感想を持つ人もおられるでしょうが、その逆よりはるかにマシです。それに少なくとも「チリから津波が日本に来る」ことは当たったわけですし。よく「警報を軽々に出すとパニックを招く」と嫌う人がいますが、たとえば今回パニックはどのくらい起きましたっけ?  めったに起きないパニックをそこまで怖れなければならないのは、なぜなんでしょう?(*3)

 ところで、「チリからの津波が日本に到達する」ということは、“逆もまた真なり”で「日本からの津波も太平洋の向こうまで到達する」ことを意味します。日本では近い将来(今世紀中?)、東海・東南海・南海などの大地震が起きることが高い確率で予測されていますが、それが起きたときに、太平洋の反対側(北・東・南)へも「津波警報」を出せる体制はきちんと作ってあるのでしょうか?



*0)『つなみ』パール・バック 著、 黒井健 訳、 径書房、2005年、1500円(税別)

*1)『潜る人 ──ジャック・マイヨールと大崎映晋』佐藤嘉尚 著、文藝春秋、2006年、1571円(税別)
*2)『津波と防災 ──三陸津波始末』山下文男 著、 古今書院、2008年、2500円(税別)
*3)『人は皆「自分だけは死なない」と思っている ──防災オンチの日本人』山村武彦 著、宝島社、2005年、1200円(税別)



固定リンク | コメント (0) | トラックバック (7)

 山また山の信州、その奥まったところに存在する名前がない山村。
 村に圧倒的に足りないのは、食料です。村でハレの行事は年に1回の「楢山祭り」で、その日だけは御馳走(といっても白米のご飯が中心)を村人は腹一杯食べることができます。しかしそれ以外の日は、たとえ盆正月や結婚の日であっても雑穀と野菜の汁程度の粗食が続きます。
 村に過剰に存在するのは、人と歌です。口減らしのために嬰児殺しも平然と行なわれている様子ですが、貧しさゆえに「労働力」も必要です。ところが「労働力」が充実したら「口」が増えて食料確保が苦しくなる……悪循環なのです。そして「歌」。盆踊り歌が次々替え歌となって歌い継がれていますが、その中には村人の生活と思い(多くはネガティブなもの)が込められているのです。本作では、来年七十歳になる主人公のおりんの人生の描写が淡々とされますが、同時に実に様々な「歌」が登場しその内容に対する考察が積み重ねられることで「村の生活と歴史」が読者にわかる、という仕掛けになっています。まるで民俗学のレポートのように。
 その手法、およびタイトルから、私は柳田國男の『蝸牛考』を連想しました。もしかしたら本作は、柳田國男に対するオマージュあるいはパロディなのかもしれません。「蝸牛」と「楢山節」とではずいぶん違いますから、この推定は大外れかもしれませんが、ともかく「あらすじ(棄老)を知っているから、この作品は読んだも同然」と思うことが大間違いであることは間違いありません。本書では「あらすじ」ではなくて「細部(の積み重ね)」が重要なのです(文学作品は基本的にそうですが)。特に村での「日常生活」と、おりんがなぜあのように淡々と自分の死を受け入れることができるのかの“歴史”と“環境”の描写に説得力があります。

 読み終えて、「老人を殺すとは人道的に許されない」とヒステリックに主張するとか、逆に「食べるものがないのだから、口減らしは仕方ない」で思考停止するとかに行けたら楽だろうな、と私は思いました。いや、もちろん、人を殺すのは「善くないこと」です。でも、食べるものがたりないのに皆が好き放題食べたら、村は全滅でしょう。それと、この村の生活習慣では、もし技術革新か何かで「食料が豊富にある状況」が一時的にもたらされたとしても、「これ幸いと人がどんどん増えて、その食料を食い尽くしてしまって、また皆が苦しくなる」になるのがオチであることは容易に想像できます。「単純な解決」はなさそうです。

 ここで私は「医療費亡国論」で思考停止している人々のことを思い出しています。「食料がないのだから口減らしをしなければならない」と「金がないのだから医療費は減らさなければならない」とは文法構造も思考形式も基本発想もきわめて近似した思考形態に見えるのです。
 それは一見正しい「理屈」ではありますが、でもその「理屈」は人としての「理(ことわり)」が何らかの力によって「屈」してはいませんか?  本当はもっといろいろ悩まなければならないのでは?


書誌情報:『楢山節考』深沢七郎 著、 新潮文庫、1964年(98年64刷)、362円(税別)



固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2)

2010.02.28 07:33 |  仕事 / 職場  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

紙のヤスリ

 私は小学校1年のときには眼鏡をかけていましたから、人生のほとんどを眼鏡とともに過ごしていることになります。眼鏡がなければ私は真っ当な人生を生きられません(今生きているのが「真っ当な人生」かどうかは別の議論でしょうが)。ところがしばらく使っていると眼鏡のレンズが傷だらけになります。これは要するに手入れが悪いのです。子どもの頃にはハンカチでレンズを拭いていましたし、もうちょっと大きくなったらティッシュで埃を拭っていました。しかしこれをレンズの側から見たら、表面の埃とその外側の紙とが協力して“紙ヤスリ”として働いてくれることになります。最近やっと反省しまして、まずは水洗いで埃を取った後、ティッシュで水分を吸い取り(ただし軽く抑える感じで、絶対こすりません)、そのあと必要なら眼鏡ふきのクロスでやさしく拭いています。それでも小さな傷がつくのはなぜなんだろう、とは思いますが。顕微鏡をしょっちゅう覗いていた頃には、顕微鏡の接眼レンズの枠と眼鏡のレンズがぶつかって、その一部だけ妙な模様がきざまれたりしたものですが、今は顕微鏡から10メートル以内には近寄っていないはずなのに。やっぱりまだ眼鏡の扱いが荒いのでしょうね。

 “紙ヤスリ”と言えば、病院での手洗いの時のペーパータオルも気になります。見ているとスタッフは皆流水で洗った後紙タオルでごしごしと手をこすっています。だけどあれだと、角質表面が傷んでしまうのではないか、と思うのです。私はペーパータオルでは手の表面をぽんぽんと叩くようにして水分を吸い取らせています。こするのと時間やあとの乾き具合にそれほど差があるとは思いません。ただ、エビデンスがあってやっていることではないので、ただの心配しすぎなのかもしれませんが。


人気ブログランキング(医学)に参加中です(励みになりますので、できましたらクリックをよろしく)


 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)