今朝の「殺されない権利」の続きです。
死刑になるくらいの罪は話が重すぎるので、もうちょっと軽いところに持って行ってみましょう(といっても、昔は(今から見たら)「微罪」でも平気で死刑になっていましたけれどね。たとえば江戸時代の日本では「十両盗むと首がとぶ(死罪になる)」と俗に言われていましたし、スリだったら逮捕三度めで(十両に届かなくても)死罪でした(根拠は「公事方御定書」)。イギリスでは、かつては密輸や窃盗でも死刑が適用されていたし、ジャンヌ・ダルクが火あぶりになったのはなんと「男装の罪」です)。
昔は昔今は今、ともかく(現代的な視点で)軽いところで「言論」を例として権利と義務とを考えてみました。
「たとえあやしい内容でもそれを発言する権利」は誰でも持っています。「言論の自由」でその権利は保障されています。だけど「権利を持っていること」と「自分はその権利を持っていることを声高に主張する(=他人に押しつける)」こととはちょっと違います。“声高”な分“反響”が大きくなるのです。
まずは「他人も同じ権利を主張すること」を受容しなければなりません。「自分は権利を持っているが他人はそれと同じ権利を持っていない」と主張する自由は「言論の自由」には含まれませんから。さらに「自分の意見に反論されること」「自分の意見が黙殺されること」も受容する必要があります。「自分の意見をすべての人間が受け入れるべきである」と主張することはできないのですから。このへんはすべて「権利の主張に伴って発生する義務」です。
ということは「一つの権利を強く主張する」ことによって「複数の義務を負う」ことになってしまって、“損得”で言ったら“損”をしているように私には思えます。
さてさて、どうしたもんですかねえ。“損”をしないためには、「自分の権利を強く主張しない」「自分の主張はなるべくあやしくない(賛同者が集まってくれる)ものにする」くらいしか私は思いつかないのですが。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
トラックバック
この記事のトラックバック URL
http://blog.m3.com/ishi-atama/20100223/2/trackback
コメント
コメントはまだありません。
コメントを書く