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「19世紀はじめまだ今日のように病院が制度的に確立していなかった頃、臨床講座の教授は学生と一緒に患者を求めて市井に出かけたものである。創生期のベルリン大学のフーフェランド教授などはそうであった。そこで患者をその環境の中で観察し、診断する。その対象は生きて職業も意思も持っている生きモノであり、その環境と切り離して診断は成り立たないのだ。」(『20・21世紀科学史』中山茂、 NTT出版)
この印象的な文章は、科学における「機械論」と「有機体論」を論じる中で、「20世紀の医学」に対して「今日の医療は、まったく機械論に属するといえよう。医者は皆病院内に閉じ込められている。医者はあらゆる検査データをもって診断を下すが、患者そのものは見ないし、対話もしない。患者の個体認識をしない。漢方の診断で言う『望聞問切』の中の何一つとしてしない。その点では個体認識を強調する有機体論のサル学に劣るかもしれない。」と“悪口”を言った直後に登場します。
現実はそこまで極端ではない(総ての医者がそういった医療をしているわけではない)でしょうが、しかしこの文は現代医学の一つの側面(科学を強調しすぎる面)が内包するある種の危険性をデフォルメすることで言い当てているとは思います。私は耳が痛い思いです。たしかに「患者をその環境から切り離す行為」は、正直言って、その方が「病気の診断と治療」に関しては正確で楽です。あくまで「患者個人の」ではなくて「病気の」ですが。一人一人を環境込みで評価するのは、よほど“ゆとり”がないと大変なのです。
ただ、医療の世界が「患者の環境」を無視しているか、と言えば、そんなことはありません。個人の努力以外で「環境」をちゃんと記載しているものとして私が思い出すのは……たとえば「MPQC」です。ここではある患者個人の倫理問題を考えるときに「C」(Contextual Features 患者の周りの状況)も考慮に入れるべき因子としています。
あるいは「ICF」(国際生活機能分類)。これはある人の健康状態を「心身機能」「身体構造」「活動と参加」「環境因子」それぞれの分野でそれぞれの因子をコードによって記述・表現しようとするものです。
※『ICF 国際生活機能分類 ──国際障害分類改訂版』世界保健機関(WHO)編、中央法規、2002年、3500円(税別)
私は現在このICFをちょっと使っていますが、なかなか苦戦しています。いや、心身機能や身体構造についてはいくらでも書くことがありますが、「活動と参加」「環境因子」については病院の中からは見えにくいのです。特に一人暮らしで家族と疎遠で意識レベルが低かったりコミュニケーション障害がある患者さんの場合、全然情報が得られず一体何を書こうかと呆然としてしまいます。もうこうなったら家を見に行くしかないか、とまで思ってしまいます。(独居老人の家族の方に「あなたのお父さんの最近の趣味や生きがいは?友人は?」などと尋ねたら言葉に詰まる人が多いので、「情報が得られない」のは私だけのせいではない、と“責任逃れ”をしたくもなりますが……みなさん、別々に暮らしている家族の人たちの“環境”について、きちんと把握されていますか?)
ただこのICF、上手く書いていくと、その紙の上に「その人個人」が見事に浮かび上がります。現在だけではなくて過去から未来がそれはもう鮮やかに。さらに、それぞれの問題点を主に誰が担当したら「チーム医療」がうまくいくかも(見る目さえあれば)見えてきます。
もちろん「患者の環境」という観点からはやはり、往診をする開業ドクターの方が「患者を環境込みで見る(診る)」点では有利ですね。それとも病院からもどしどし往診や出張診療をしましょうか。
なお、『20・21世紀科学史』には、上記の二つの文章からしばらく後にこうあります。「学問にはクライアントがある。中世の大学の学問、神学・医学・法学にはみなクライアントがあった。近代科学にはそれがない。医学の場合、近代科学の方法を適用すると、とかくクライアントの痛みを忘れがちになる。」
……ああ、やはり、耳が痛い。
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