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 「THE判例 訴訟リスクから見る日常診療の落とし穴 CASE 5 説明義務」(メディカル・トリビューン)

 ネタバレになるので、「クイズ」の問題と選択肢を見ていない人はそちらを先にどうぞ。

 しかしまあ非道い判決です。「結果が悪いのだから、とにかく医者を罰してやる」という決意だけは漲っていて、選択できる方法と合併症について説明しているのに、結果が悪かったら「結果に納得できないのだから、何かあらを探してやる。あ、これこれ、説明が悪かったに違いない」という裁判官の認定。医学や論理よりも感情を優先するトンデモ医療裁判がいかに有害か、については、この記事にも「結局患者の不利益に通じる」とありますが、本当にとほほな気分になってしまいます。
 ただ、この記事で、私は首を傾げてしまいました。「医者は厚労省だけではなくて、司法も批判しろ」と田邉弁護医師には煽られているのですが、司法を矯正するのも医者の仕事だったんでしょうか。いやまあ「上医は社会を治す」なんて言葉もありますが、まさか司法システムの“治療”も医学の一部だったとは。
 ところで、医者が“それ”をしなければならないということは、司法には(司法にも)「自浄」なんてものは存在しない、ということなんですね?


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2010.02.20 06:56 |  映画 / 音楽 / 読書  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

閉じ込め

 脳死の問題を論じるときに、よく「植物状態」が混入することがあります。表面的には脳死も植物状態も似ています。どちらも自分の肉体の意識的制御ができず、コミュニケーションもほとんどできません。ただ、脳死と植物状態で大きく違うのは、生命維持に必要な「脳幹機能」が存続しているか否か、です。非常に簡単に言えば、自力で呼吸できるかどうか。
 それと表面的にやや似た状態に「昏迷」があります。これは精神科の専門用語でして、国語辞典の「混迷」で理解しないで下さい。これまた「身体を動かさず、コミュニケーションは困難、大小便は失禁状態」となっていますが、本当の意味での意識障害ではありません。筋肉もしっかりしていて(一つの姿勢を取るとそれをずっと維持できます)植物状態と明らかに違うのは一目でわかります。

 「locked-in症候群」も思い出しました。これもまた「植物状態」と一見よく似ています。ぐったりと寝ていてほとんど反応がありません。ただ脳死や植物状態と違うのは、本人の意識が「生きている」ことです。話しかければ理解できます。しかし脳の中の情報を外に出すところが破壊されていてことばを発することも手や足を動かすこともできず、「本人の意識」は「本人の脳の中に閉じ込められている」状態となっています。だから「locked-in(閉じ込め)」。ただ、まばたきをすることは可能です。ですから「イエスはまばたき1回/ノーは2回」などと約束することで「会話」が成立可能で、ここが植物状態などとの決定的な違いとなります。もし患者さんがモールス信号を知っていれば、まばたきでモールス信号を送ることで、「何が言いたいか」を外部に伝えることも可能……は映画「ジョニーは戦場へ行った」ですね。こちらは病気ではなくて、戦場での負傷とその後の無茶な扱いによって「閉じ込め」られたわけですが。
 『モンテ・クリスト伯』(アレクサンドル・デュマ)で、エドモン・ダンテスを牢獄にたたき込んだ検事代理ヴィルフォール(王党派)の父ノワルティエ氏(ボナパルト派)がまさにこのLocked-in症候群(別名「モンテ・クリスト伯症候群」)となってしまいます。病気のために全身が麻痺して目の動きだけでコミュニケーションを取ることができる状態ですが、このノワルティエ氏、元気なときには王党派が支配するパリでも平気でボナパルト派の立場を捨てず、ナポレオンがエルバ島からパリに凱旋して「百日政治」となっても、王党派の息子を庇護して「今度また政界の跳び板が変わって、お前が上、わしが下になったとき、もう一度お前に助けてもらえることになるから」なんて平気で言う強者です。いろいろ強烈なキャラが立っている小説ですが、私にとって“一押し”はこのノワルティエ老人かな。
 「強烈」で「閉じ込め」と言えば、私は『ドウエル教授の首』(アレクサンドル・ベリャーエフ著)も思い出します。こちらでは、胴体から切り離された首が、それだけで生かされている状態。圧搾空気を気管に通してもらうと発声ができますが、もしその栓を閉められたら表情を動かしたりまばたきをする以外に外に何かを伝える手段がありません。これは大変哀しい「閉じ込め」状態です。
 ただし、ドウエル教授のように首から下の総てを失った状態で人が正気を保つことができるかどうかは疑問です。『左足をとりもどすまで』(オリヴァー・サックス)には、固有知覚を失った著者がアイデンティティの危機まで感じることが書いてあったのですが、全身の固有知覚を失ったら「自分(の肉体)が存在することの感覚的保障」が失われるわけですから、それは人間には耐えられるものではないでしょう。ただドウエル教授は、希望は捨てませんでした。

 そういえば、エドモン・ダンテスも、暗牢に閉じ込められ社会から見捨てられた状態でも、「希望」だけは忘れませんでした。どんな状態でも何らかの希望を持ち続けること、それが「閉じ込め」に対する数少ない有効な対抗策なのかもしれません。


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