超音波検査機器がまだ普及する前、医者は今思うとおそろしいことをやっていました。たとえば腹水がぱんぱんに貯まっている人に対してその水を体外に排出するために腹腔穿刺をするとしたら、今だったら超音波をひょいとお腹に当てて一番安全なところ(針を刺してもその直下に水以外がないところ)を探して、画面を見ながら針を突き刺せば、針がその下をぷかぷかしている腸などを刺す心配はほとんどありません。ところが私が医者になった頃には、経験的に一番安全な左下腹部をえいやと刺していました。
胸腔穿刺も似たようなものです。まず胸部レントゲンを撮って胸水の水面が大体どのへんにあるかを確認します。次にそのデータを想像力で目の前の肉体に投射します。もちろん打診をして水面の大体の位置も確認しますが、おそろしいのは、呼吸のたびにその水面が上下することです。といって、あまり下を刺すと、右胸だと胸水のかわりに肝臓を、左胸だと脾臓を刺してしまうかもしれません。だからこれも「えいや」です。
ならば肝臓を刺す(肝臓生検(肝臓に針を刺して細胞を取ってくる)や黄疸の時に拡張した胆管に針を入れて胆汁を外に導く)のは簡単かと言えば、もちろん刺すだけなら簡単ですが、安全にしかも目的をきちんと達して刺すのは、困難でした。私は幸い“失敗”はせずにこれまでこれましたが、それでも半分は祈りながらやっていました。
今だったら、以上のどれも、超音波で短時間に(以前よりは)安全に操作が可能です。患者の苦痛だけではなくて、医者の魂の健康にもずいぶん超音波は貢献してくれています。
しかし、もっとはらはらどきどきする「穿刺」が昔はあったそうです。私が聞いたので一番どきりとしたのは、大動脈穿刺でした。お腹の中の背中側に大動脈が上から下に走っています。そこに針を入れて造影剤を流して臍より下のレントゲン写真を撮りたいとき、今だったらセルディンガー法(足の付け根の大腿動脈に細いチューブを入れてその先端を写したい部位の近くまで押し進めてから造影剤を流し込むやり方)が選択されるでしょうが、昔はどうしたと思います? 背中から畳針のようなぶっとい針を突き刺し、針先が当たって大動脈がどくどくいっているのを指先で感じたらそこでえいやと突き刺した、と言うのです。もしかしたら、新人をびびらせるためのほら話だったのかもしれません。しかし、セルディンガー法が無い時代に、たとえばどうしても腎臓を造影したい、となったら、たしかにそれ以外の方法は思いつけません。私はこれは実話だ、と感じています。
「眼光紙背に徹する」と言いますが、上記の場合はすべて、医者は人間の皮膚を通してその向こう側を見ようとしていたわけです。頼りになるのは、解剖の知識と指先の感触だけ。私もたしかに調子がよいときには、穿刺をしている針の先に自分の目がついているかのように感じることもありました。だけど、やはりあの恐ろしさは中途半端ではないので、またあの時代に生きたいとは思いません。ちょっとだけなつかしいとは思いますが。
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