もう20年くらい前、土曜の夜に救急外来から応援要請の電話がかかってきました。駆けつけるともうわらわらと人が集まっています。何ごとかと思えば、交通事故で全身打撲の人。あちこちの骨折もあるが、一番の問題は喀血をしていること。何本も折れた肋骨のどれかが肺のどこかを傷つけたらしいのです。駆けつけた医師たちの協議の結果治療の優先順位が、まず喀血の原因に対して、ついで手足の骨折に対して、というところまで方針が絞り込まれていました。ところが気管支鏡ができる人間がたまたま院内にいなくて、それができて住んでいるのが病院に一番近いのが私(徒歩で数分)だった、ということでお声がかかったのでした。私に与えられたミッションは、出血の場所が肺のどこであるかを特定すること(開胸の場所がそれで決まります)、時間は数分(短ければ短いほどよい)。用意の良いことに気管支鏡はすでにセッティングしてありました。
緊張しましたよ。大学で専門的な訓練を受けたわけではなくて、現場で場数を踏んで覚えただけの人間には責任重大だもの。それでもその場にはできるのは私だけ。やるしかありません。私服の上にガウンや手袋をつけて気管支鏡を握ります。
気管の中は血まみれでした。右も左も真っ赤っか。それを吸引して視野を確保しながら気管支鏡の先を進めます。血が吹き出る気管支を見つければよいので、一本一本気管支の分岐部で、血液がこちらに向かって吹き出てくるかどうかを確認します。大量に流れ込んでいたらそれが逆流することもあるでしょうから、奥から流れ出しているのか流れ込んで貯まっているのが逆流しているのかを見極める必要もあります。「血液がある!」で終了ではないのです。
私はぶつぶつ独り言を言いながら仕事を進めました。これは周りの人間のためです。今だったらモニターでそこにいる全員が情報を共有できますが、あの頃はレクチャースコープをくっつけて、術者以外にもう一人だけしかファイバーの画像を見ることができなかったのです。「現在左の主気管支。右から流れ込んでくるけれど、奥から新鮮な出血はなさそう。では右に行きます」ごほんと咳。「おっと、現在位置がわかんなくなっちゃった。一度引いてやり直します。気管……気管分岐。右に行きます。右主気管支。明らかに奥から出血」じゅじゅじゅと吸引。「上への分岐。ここがあやしいな。まず中下を吸って……こちらからは新しい出血は無し。もう一回上葉入り口。新鮮な出血を認めます。傷は右の上葉です。123も特定しますか?」
そこまでは不要、とのことであっさり患者さんは手術室に運ばれていきました。
しかしあの時の血まみれになった気管支鏡、誰が洗ってくれたんだろう? 私は覚えていません。無責任でごめん。
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