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貯まっていたメールを整理していて、ついさっきこんなものに気がつきました。
「年末年始、生活にお困りの方へ」というメッセージを厚労省がYouTubeで発しています。総理、副総理、厚労相、政務官がそれぞれ登場していますが、昨年「年末年越村の村長」で有名になった湯浅さんも政府参与として登場しています。
湯浅さんのパートは「【政府】湯浅参与メッセージ 年末年始、生活にお困りの方へ(12月29日)」
これは良いことだと思います。年末年始をなんとか過ごす手だてを政府が考えていること。国民に「見捨てない」とメッセージを発していること。
ただ気になるのはそのメッセージがちゃんとそれを必要としている人に届くのかどうか、です。せめてその一助になれば、と思ってここでも発信しておきます。
アメリカの小説にはときどき「シェルター」という表現が登場します。そこに行ったら、とりあえず寝る場所とあたたかいスープや食料が無料でもらえる、という感じで書いてあったと記憶していますが、日本でも、年始年末に限定せずに常設のシェルターを充実させた方が良いんじゃないかなあ、なんて思います(もしすでにそんなものが機能しているのなら、無知をお詫びします)。
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「「再びボールは医療界に投げ返された」、川崎協同病院事件の最高裁決定 ──医療界の不作為がもたらした有罪、安楽死の社会的合意形成が必要」(m3)
事件そのものについてはWikipediaに「川崎協同病院事件」もありますので、m3が読めない方はそちらあたりで概要を掴んでください。
法律の話以前に、脳死かどうかも確認せずに抜管したら苦しんだからあわてて鎮静剤と筋弛緩剤を注射して息を止めた、という話、と私は医学的に捉えています。消極的安楽死に私は反対の立場ではありませんが、それにしても準備不足で乱暴な話の進め方だ、と。
で、m3の記事で大磯義一郎さんは「これは最高裁からの「法理上自分たちは現行法の下では何もできないから、医療界がなんとかしろ」という強いメッセージである」と主張されています。
おことばですが、なぜ「医療界」に「ボール」を投げ返すのでしょう。「最高裁は法の番人」と私は学校の社会科で習いましたが、「自分は法律には逆らえないし何も決められないから、医者が法律を何とかしろ」(大磯義一郎さんの解釈)とはずいぶん無責任で横着な言いぐさだと私には思えます。それだと「番人」ではなくてただの「解釈屋」です。
大磯義一郎さんは「ガイドラインを整備すればよい」というご意見のようですが、どんなガイドラインだろうといざ裁判で「違法」と判断されたらお終いです。したがって法の整備が必要です。で、「法の整備」は現場の医者ではなくて行政と立法のお仕事ではありません? それとも、誰をどう安楽死や尊厳死をさせるか、の全国システムを医者が勝手に決めて良いんですかねえ。
というか、「医者は勝手をするな」が最近の風潮だったと思うのですが。
・患者の承諾無く医者が勝手に治療法を選択してはならない。
・医者が勝手に「薬はメーカー品に限る」なんてことを言ってはならない。
・たとえ家族の強い要請があろうと、医者が勝手に患者を死なせてはならない。
・おまけとして、医者は住居地や科を勝手に選んではいけない(これはまだ“未遂”ですが)。
それなのに大磯義一郎さんは「医者が勝手に安楽死や尊厳死の要件を決めろ」と。まあ、やってもいいですけど、まず間違いなく「社会」(特にマスコミ)には“却下”されると思いますよ。「ネット外でも暴走する医師たち」とか言われて。
方法論(どのような手段で安楽死や尊厳死を行なうか)は医者が決めても良いんじゃないかと思います。安楽死や尊厳死の基準に合致しているかどうかの判定も、医者が責任を持って行なうべきでしょう。
で、特に医者以外の読者の方に質問です。そもそも「(積極的あるいは消極的)安楽死や尊厳死を日本の社会で行なうべきか」やその次の段階の「どのような人に安楽死や尊厳死を行なうか」について、医者だけで勝手に決めて、本当に良いんです?
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