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2009.12.25 19:07 |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

柳を囓る

 私は子供時代に歯磨きが好きではありませんでした。一応小学校で習ったローリング法という方法で歯を磨いていましたが次々虫歯ができて歯医者によくかかっていました。私が成長するにつれて、バス法スクラッピング法ツマヨウジ法など新しい歯磨き法が次々登場し、私はそれを渡り歩きました。結局現在は電動歯ブラシに歯間ブラシを併用する方法に落ち着いています。これまでは歯医者で歯石を落としてもらっても歯の裏側の溝が歯垢や歯石ですぐに埋まってしまっていたのですが、現在の方式では歯医者から帰って数カ月経っても歯の裏がつるつるで快適です。
 今日も私はのんびりと歯を磨いていましたが、ふと使っている歯ブラシを見て気になりました。歯ブラシがなかった時代、人は口の中をどうやってきれいにしていたのでしょうか。どんな時代でも、人は口の中が気持ちよい方が良いに決まっていますが、歯ブラシ抜きでどんなことができるのか、私にはすぐには良い手が思いつきません。(そういえば『インテグラル・ツリー』(ラリイ・ニーヴン)というとんでもなくスケールのでかいお話には、歯ブラシを知らずに育った人が歯ブラシを使っている社会と出会ってびっくりするシーンが生き生きと書かれていましたっけ。別の意味で「未知との遭遇」だったわけです)
 

 江戸時代には、もちろん現在の歯ブラシはありませんが、そのかわり房楊子というものが歯を磨くために使われていました。柳の枝を持ちやすいように削って端を砕いて繊維をブラシ状にしたものです。なぜ柳の枝かと言うと、柔らかくて繊維が豊富で砕きやすかったこともあるでしょうが、もう一つ、痛い歯や歯茎に対して柳が鎮痛効果を持っていたから、という説もあります。

 柳の樹皮に鎮痛効果があることは、中国でもギリシアでも古くから知られていました。(『東西生薬考』大塚恭男著、創元社、1993年) ヨーロッパでもアジアでも、昔から人は頭痛や歯痛を感じたとき、柳の樹皮を囓ったり酒に漬けた樹皮を歯茎に当てたりして痛みを軽くしていたのです。
 柳の樹皮にはサリシンという物質が含まれていて、それが鎮痛効果を発揮します。ヨーロッパでは1827年にセイヨウナツユキソウの葉からサリシンが結晶として得られましたが苦すぎてとても飲める代物ではありませんでした(私は囓った経験がありませんが、柳の樹皮も結構苦いそうです)。サリシンの分解物からサリチル酸が得られ抗リウマチ作用があることがわかり十九世紀後半にはフェノールからサリチル酸が安価に合成されるようになりましたが(食品添加物(防腐剤)としての需要が多かったそうです)、やはり苦さとそれから胃に対する副作用から気軽に薬として飲むことはできませんでした。1897年ドイツのホフマンがサリチル酸をアセチル化して抗リウマチの新薬アセチルサリチル酸の合成に成功しました(化学物質としては1853年にフランスのジェラールが合成に成功しているそうなので、薬品としての再合成に成功した、と言う方が正確かもしれません)。これが現在でも使われているアスピリンです。
 少なくなったと言ってもやはり胃腸障害の副作用があるため、胃粘膜の保護目的でダイアルミネートがアスピリンと一緒に配合されたのが商品名バファリンです。余談ですが、世間では「バッファリン」と言う人がけっこういますが、正式には「バファリン」です。また、「バファリン」の主成分はアスピリンですが「小児用バファリン」の主成分はアスピリンではなくてアセトアミノフェンです。ライ症候群やインフルエンザ脳症にアセトアミノフェンは現在無関係とされているのでアスピリンのかわりに使われているのでしょうか。
 余談終了。
 ともかくこうして、西洋では柳の樹皮は立派な医薬品になりました。

 では中国では柳の扱いはどうだったのでしょうか。古代中国の本草書には下薬のところに「柳華一名柳絮 味苦寒生川澤治風水黄疸面熱黒葉治馬疥痂瘡實潰癰逐膿血子汁療渇」とあります。漢方の世界では薬は「上中下」に分けられ、「病気を治す効果を持っている・副作用がある」ものは「下薬」で、生命を癒す上薬・身体を癒す中薬に比較したら低く扱われます。柳も、鎮痛効果はあるが、副作用やその味の悪さから長期間摂取することはできないため、下薬とされたのでしょう。
 陰陽五行によって全宇宙のバランスを重視する中国思想からは当然の態度ですが、漢方薬での治療の目標は体のバランスを保つことであり、そのための方法である漢方薬自体も様々な生薬のバランスが重視されます。アスピリンの副作用を抑えるためにダイアルミネートを配合するのと表面は似ていますが根本的な発想は違うのです。「上中下」それぞれの薬のバランス、それとそれぞれの生薬が属する五行のバランスが重要です。結局柳は他の生薬とのベストマッチが得られなかったのか、日本に現存する主な漢方薬の中にはその姿を見ることができません。民間療法では生き残っていたでしょうが、少なくとも漢方医学の体系の中では活用されるべき場所を得ることはできなかったのです。

 柳は柳、東西でその薬理作用にまったく差はありません。しかし医学の世界では洋の東西でまったく扱いが違うことになってしまいました。薬そのものを純粋な形で取りだして人間の管理下でその効果を最大限に発揮させようとする西洋近代医学の発想から、優れた化学合成物としての薬品が次々産み出されています。切れ味が良すぎる薬は人体に却って有害なことがあるから使用は最小限にとどめて人間本来の治癒力や免疫力を生かそうとする東洋医学では、今でも二千年前とほぼ同じ薬の使い方です。西洋近代医学の立場から見たら東洋医学のやり方は不確実で迂遠でまどろっこしいものですし、東洋医学の立場から見たら西洋近代医学のやり方は、即効性があり病名がはっきりしている場合には大変有用なものですが、しかしそこに拾い上げられない(診断が確定しない、診断がついても治療法が無い)人たちはさっさと切り捨てる冷たいものに見えます。

 かつて私は、漢方の「上薬・中薬」と「下薬」の間に線が引けると考えていました。漢方の下薬で対応するべき病気(感染症とか手術が必要なもの)には西洋近代医学を用いた方が明らかに良いし、上薬・中薬で対応するべき病態(西洋医学的な病名がつけにくいもの、治療法が確定していないもの、体質が関係しているものなど)には漢方医学を用いた方がよい、と考えていたのです。しかし、近年西洋近代医学にもそれまでに無い新しい概念、たとえば「生活習慣病」という言葉が登場しました。これは漢方では本来は「中薬」が担当するべき領域です。つまりかつて私が漢方薬の「上薬・中薬」と「下薬」の間に引いていた漢方医学と西洋近代医学の境界線が身体の養生を担当する「中薬」の領域中に移っていたのです。
 実はこれは私にとっては望ましい変化です。患者を治すための選択肢は多い方が良い、と私は考えています。ですから、同じ病態を治療するのに「漢方だけ」「西洋近代医学だけ」「その両方の併用」という選択ができる状況は、患者にとっては利益が多いからです。
 昔の柳の皮を囓るべき状況なら現代ではアスピリンを使えばいいでしょう。しかし、柳の皮だけでは解決できない状況は、もっと別の身体や生活の領域まで視野を広げて治療する、それが常識である時代に私は医者をやっていたいと思います。


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 私が子供時代には、学校では肝油を飲まされ、家庭の「配給米」には「黄色い米粒」が最初から混じっていました(だから厳密には「白米」ではありませぬ)。その目的は、あまりに貧弱な食生活の国民にビタミン(*)補給。根本的な食生活を豊かにするという根本的な方法ではなくて、手っ取り早く不足している栄養素を部分的に補給しようという政策です。
 肝油の正体は、魚類(鱈、鮫、エイなど)の肝臓からの抽出物です。黄色い米粒は、ビタミン強化米。ビタミンをしみこませた米粒を少量米袋に混ぜ込むことで、精米過程で失われたビタミンを白米に“補給”して玄米と同等に戻そう、という作戦です。それだったら最初から玄米を食え、なんてことを言ってはいけません。貧乏なときには「プライド」が食生活(特に主食)に大きく機能します。「うちでは白米を食べている」は重要なことなのです。そういえば「貧乏人は麦を食え」と言って大非難された首相もいましたが、「麦飯」も貧乏人か刑務所で囚人が食べる“貧しい主食”でした。となると今の「雑穀ブーム」は社会が豊かになった証拠と言えますね。奇妙な豊かさかもしれませんが。
 まあこれは日本だけの話ではありません。欧米を見てみましょう。19世紀のロンドンで似たことがありました。当時の風潮では「白パンは金持ちの食べるもの」だったため、極貧の者までもが「黒っぽいパンなんか食べられるか」とわざわざ白パンを求めたのです。ただし入手できたのは、「精製された上等な小麦でできた本当の白パン(高価)」ではなくて安い黒っぽいパンを無理矢理(明礬などで)“漂白”した「(偽装)白パン」だったのですが。また、1940年代から小麦粉の製法が工業的に“進歩”して、そのせいで小麦粉に含まれるビタミンが激減しました。そのため、アメリカでは小麦粉にチアミン・鉄・ナイアシンが、英国でも同年代にビタミンBとカルシウムの添加が行なわれています。


※)ビタミンは、水溶性ビタミンと脂溶性とに大別されます。肝油で補給されるのは当然脂溶性ビタミンです。
 ついでですが、脂溶性ビタミンは「ビタミンA、ビタミンD、ビタミンE、ビタミンK」で、私は学生時代に「脂溶はダケ(DAKE)、あとは水溶性」と唱えて覚えていました。今にして思うと「デカ(DEKA)」の方が格好良かったなあ。もう手遅れですが。


 これは常識でしょうが、ビタミンは不足すると病気を引きおこします。AからCに順番に「鳥目、脚気、壊血病」と覚えた人もおられるのではないでしょうか。(私はこれを小学校の家庭科で習ったと記憶しているのですが、ちょっと早すぎます?)  そもそもビタミンはその「不足による病気」で発見された歴史がありますから、皆さん「ビタミン不足」を恐れてその補給に努力をします。今でも「ビタミンなんちゃらが何ミリグラム配合」なんて宣伝はよく見ます。だけど、ビタミンの過剰が体に良くないことはあまり広くは知られていないように私は感じています。
 ちょっとGoogleで遊んでみましょう。
「ビタミンA 不足」 に一致する日本語のページ 約 2,320,000 件。「ビタミンA 過剰」 に一致する日本語のページ 約 546,000 件。
「ビタミンC 不足」 に一致する日本語のページ 約 1,010,000 件。「ビタミンC 過剰」 に一致する日本語のページ 約 379,000 件。
 これが厳密に何を証明しているわけではありませんが、一応の傾向は見える気がします。


 先日読書感想(「読書感想『食品偽装の歴史』/正直者が得をするか」)に書いた『食品偽装の歴史』(ビー・ウィルソン)にはこんなビタミン過剰症の例が紹介されていました。

・ビタミンDの過剰で1957年スコットランドで子どもたちが、発育不全・嘔吐・衰弱をおこし何人かは死亡した。
・ビタミンCやEを過剰に摂取すると、脱毛や内出血を起こす場合がある(2000年全米医学研究所の報告)。
・2001年ビタミンAの過剰摂取でインドのアッサムで3000人の子どもが病気になった。
・葉酸の過剰摂取はビタミンB12の不足をマスクし、老人の健康を害する(神経損傷)可能性がある。

 古くは16世紀にビタミンA過剰による死者の報告もされているそうです(動物の肝臓(ビタミンAが非常に豊富)を食べ過ぎて死んだ、という報告です)。
 そうそう、メディカル・トリビューンには「葉酸とビタミンB12を投与すると、肺癌発生リスクが高まった」という報告がありました。(「葉酸とビタミンB12投与によるがん死亡増加 ──安易なサプリメント摂取に警告」) メカニズムは知りませんが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」はビタミンの世界でも“真理”のようです。


 こんなことを書くと「じゃあ、何をどれだけ食べれば良いと言うんだ」と血相変えて怒る人がいるのですが、私が言いたいことは単純です。「何ごともほどほどに」。
 ついでですが、ビタミン以外にも「不足」「過剰」問題はついて回ります。たとえば「鉄」。これの不足は有名な「鉄欠乏性貧血」ですが、過剰になると鉄中毒やヘモクロマトーシス(全身の臓器に鉄が沈着して障害を起こす)です。くれぐれも、なにごともほどほどに。せっかく「ほどほど」ということが言えるだけの余裕と知識がある時代に生きていられるのですから。

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