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 国が言う「医療費削減」は、結局「国の自己負担(国庫支出)」を減らしたいだけですね。「自分の得」が最優先で「国民の得」なんて二の次です。
 国がそういう基本態度であることは、「三方一両損」の時に国民はよく学んだはずです。(学べていない人には、もう何を言っても無駄かもしれませんが) それとも、障害者自立支援法や介護保険も例に出しましょうか?

 今回の「漢方薬・ビタミン剤・湿布」の健康保険外しもまた同様です。この20年でこの話題を政府が持ち出すのは何回目かもう忘れましたが、結局「国庫支出削減」しか狙っていない策です。だから何回でもしつこく同じ「主題」を持ち出してくるのでしょう。ただしちょっとずつ「変奏」(変装?)をするという工夫はありますが。しかし「主題と変奏」は、音楽だったら楽しめますが、こういった「銭の亡者の主題と変奏」には、私はげんなりするだけです。

 ところがネットで見ていると、その「変奏」に見事に乗せられて拍手喝采をしている人がいます。音楽じゃないってば。「主題」を忘れず、その背後の「欲望」(国は医療や福祉からは手を引きたい)を見抜いてから拍手するかブーイングをするかを決めた方が良いでっせ。演奏そのものがいくらお上手でも、大切なのは「観客の健康」じゃないです?
 それと「自分の負担さえ減れば良いんだ」という発想は「ゼロサムゲームの発想」です。「自分の得」と「他人の損」とが同じ意味を持っている人の発想。ただ、国の支出だけ減らすことに熱中して国全体の“健康度”が減っても良いのか、と指摘するのもある意味「ゼロサム」ですから……では必要なのは「win-win(両方が勝つ)の発想」でしょうね。「銭の亡者」を満足させ、かつ、安易な「医療費」削減も避けさせると言ったら……どこかで金を儲ける?  それとも得られた「健康」を金に換算する?
 ……なんで私はこんなことを考えているんだろう?


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2009.11.30 06:56 |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

天才の数

 「1万人に一人の英才」という言葉を聞くことがあります。私は素直なので「おおすごい、あやかりたいあやかりたい」と思いますが、ちょっと巨視的に眺めてみますと……「1万人に一人」だと日本の人口を1億2千万としたら、日本だけで同レベルの英才は1万2千人いるわけです。世界だと68万人。こう書くとあんまり大したレベルの英才に見えなくなってしまうから不思議です。

 「十年に一人の天才」「百年に一人の天才」ということばを聞くこともあります。私は素直なので「おおすごい、一度会ってみたい」なんて思いますが、ちょっと巨視的に眺めてみますと……現生人類の歴史は、「出アフリカ」以降でも約8万年ですから「全人類で『十年に一人の天才』」だとしても、人類の歴史でそのレベルの天才は8000人。(「原始人」でも「天才」は「天才」ですから除外しません)

 こういった天才や英才が自分の生涯をかけて毎日毎日とことんいろいろ考えてきているわけで、だとすると私レベルの凡人が何か新しく考える「余地」は世界のどこかに残っているのかしら?


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2009.11.29 17:06 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 3

後好き

 「後医は名医」と言います。難しい病気でもタイミングがちょっと遅ければ、診断が付けやすくなりますから“有利”なのです。
 もっと遅く、一部の医療裁判のように情報が全部出揃ってからの「後出しじゃんけん」を好む人もいます。あるいは、今年の新型インフルエンザでの防疫やワクチンでのように予防や対策が「後手後手」に回る人もいます。たぶんどちらも「後」が好きなのでしょう。
 ただし、こういった「後好き」の人は医療現場では困ります。医療の最前線では使い物にならなくて、後方からごちゃごちゃ役に立たないことを言うだけですから。言うだけなら良いのですが、だんだんその声が大きくなるのが、現場では迷惑です。
 なぜ声がだんだん大きくなるか、のメカニズムの一つはこうです。
 「言霊」を持ち出すまでもなく、人の言葉には力がありますが、その力は「言葉そのものの正しさ」だけではなくて「それを言う人」に依存しています。たとえば周囲から非常に信頼され尊敬されている人が「これはこうやった方が良いと思う」と言ったら、それがたとえ小さな声でも周囲は喜んで動くでしょう。ところが信頼も尊敬もされていない人間が「これはこうやった方がよい」と言っても周囲は喜んでは動きません。しかたなくことばに強制力(命令とか処罰とか)をくっつけるか、声を大きくすることになります。
 「回りが自分の言うとおりに動かない」場合、問題があるのは「周りの人間」だと決めつけるのではなくて、「自分は信頼も尊敬もされていないのかもしれない」としみじみ考えた方が良いかもしれません。後悔する前に。それとも「後」悔もお好きですか?


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 「集約化」で日本と世界の一部での火葬について書きましたが、124の国別「おくり方」をまとめて紹介した本を先日読んだので紹介します。
 葬送の方法は世界で種々様々ですが、それはそれぞれの文化の死生観を反映しているからです。「復活」など「遺体」を重要視する文化では、遺体がそのまま保存できるミイラ葬や土葬が基本となります。ただし、「復活」が重要なキリスト教でも、合理性を重んじるプロテスタントでは火葬率がけっこう高くなっています。(本書ではその例として「英国では火葬率が70%」と紹介されていますが、さて、英国教会はプロテスタントでしたっけ?)  カトリックでは土葬が基本です。ただし、物理的な制限(極端な話、墓地の場所がない、など)のことも考えてか、1963年第二バチカン公会議では火葬は解禁されているそうです。
 イスラムも「最後の審判」があるので土葬です。葬列で棺を担ぐのは縁起がよいとされ、通りすがりの人でも飛び入りで棺を担ぐことがあるそうです(最低7歩が決まりだそうです)。日本の「霊柩車を見たら親指を隠せ」とはずいぶん違います。私たちから見たらキリスト教やイスラムと同根のユダヤ教も土葬です。
 「復活」では肉体が“リユース”をされますが、輪廻転生を信じる宗教・文化では話が違ってきます。霊魂は生まれ変わって他のものに生まれ変わるのですから死体はただの抜け殻、ですから川に流そうと燃やそうと魂にはもう関係ありません。墓も無用です。魂が安らかに天に昇るための儀式は重要ですが。なお、インドでガンジス川が聖なる川であるのは、ガンジスの流れが天国に通じていると信じられているからです。
 儒教では先祖崇拝が重要です。儒教と言ったら孔子くらいしか思いませんが、実は日本の葬祭に儒教の影響が非常に強いことが『儒教とは何か』(加地伸行)で指摘されています。インドから中国に伝来した仏教が儒教(と道教)の影響を受けて変化し、それが日本に伝来して日本の神道や先祖崇拝とミックスされたものが、現在の日本の「葬式仏教」になった、というのです。実際『世界の葬送』で紹介されている儒教の葬送儀式は、現在の日本のお葬式によく似ています。ただし儒教では、墓は「陰宅」と呼ばれ(現世の家は陽宅)、魂魄の魂は天へ・魄は地へ行くので、魂のために位牌を/魄のために遺体を土葬したお墓、を準備します。日本では魂魄の概念がないので、土葬を火葬に改めるのはけっこう抵抗なくやってしまいました(昔は日本も土葬が主流でした)。もしかしたら、魂魄のかわりが「ご先祖様」と「骨」への執着なのかな?(本書では「日本人の骨へのフェティシズム」なんて表現をされています)
 以上のようなメジャーではない宗教では、また様々な葬送が行なわれます。本書では124の国別に葬送が簡単に紹介されますが、たとえば日本でも「火葬」「土葬」「風葬」が行なわれていて一律に「日本では」と言えないところを見ると、こういった国別紹介でも“取りこぼし”は多いだろうと想像できます(もちろん本書でもそのことについては誤魔化さずにきちんと述べられています)。
 まるで「葬祭のカタログ」を読んでいるような気分になる本ですが、つくづく世界は広い(様々な文化で成り立っている)ことがわかります。こういった文化一つ一つの違いを心得ておかなければ軽々しく「地球は……」「人類は……」なんてことは言えません。


書誌情報:『世界の葬送』松濤弘道 監修、「世界の葬送」研究会 編、イカロス出版、2009年、1600円(税別)


参考図書:
・『儒教とは何か』加地伸行 著、中央公論社(中公新書)、1990年、720円(税別)

(下の二つは「集約化」にあげたものです)
・『弔ふ建築 ──終の空間としての火葬場』日本建築学会 編、鹿島出版会、2009年、3400円(税別)
・『火葬場の立地』(火葬研究叢書1) 火葬研究協会立地部会 編、日本経済評論社、2004年、2800円(税別)



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2009.11.28 17:06 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 1

割り切り

 ヘッドを洗浄したり、カラーインクが出なくなっても白黒でもいいや、などとだましだまし使っていたプリンターがとうとう限界になったので、新しいのを買いに行きました。店員が熱心に勧めるのは複合機です。
 日本では「たくさんの機能が付いている」ものが好まれます。実は私もその例外ではありません。わが家の電話機にも携帯にもボタンが一杯付いています。だけど、それを使いこなしているかと言えば、とてもとても。

 店頭での夫婦の会話です。「コピーがあれば便利だわ」「年にどのくらいコピーをする?」「……数十枚?」「スキャンは?」「あれば便利だけど……」「使う?」「……」

 もちろんどの機能も「あれば便利」です。でも「無いとたちまち困る」ものでもありません。結局買ったのはプリンター専用機でした。帰宅してから「そういえば貯まっているアルバムの写真を、パソコンに取り込んで整理するのにスキャナーが使えたんだ」と“用途”を思いついたのは、ご愛敬。まあそれは老後の楽しみ(と“次”のプリンターでのお仕事)とします。

 自然界では「機能フルセット」が必ずしも最善の道とは限りません。
 たとえば蜜蜂。働き蜂は生殖能力を欠いています。生殖という“余分な機能”を捨てて身軽になってぶんぶん飛び回って蜜や花粉を集めます。逆に女王蜂は「働く」機能を捨てて「生殖専用」の存在になっています。どちらが重要、とは言えません。どちらが欠けても「蜜蜂というシステム」は成立しないのですから。
 人間の体内でも、たとえば赤血球は核を欠いています。核がないということは“使い捨て”細胞ということです。純粋に「酸素を運搬すること」だけに特化してせっせとお仕事をします。
 働き蜂と赤血球に共通点を探すとしたら「寿命が短いこと」でしょう。それと「“修理”が効かない」こと。蜜蜂が怪我をしたらもうそこでオシマイです。組織の再生能力は持たされていません。赤血球も同様で、100日程度の耐用日数を過ぎたらそのまま破壊されてしまいます。

 「技術者は過剰品質を嫌う」のだそうですが、自然界もまた同様に「過剰品質」を嫌っているのかもしれません。働き蜂という一個の個体に生殖や採集など蜂の生存に必要なすべての機能を持たせるのではなくて、「蜜蜂の群れ」という一つのシステムの中にそれらの機能が分散してあればいい、という“割り切り”。だとしたら、プリンターも「あれもこれも」は不必要、という割り切りで購入すればいいのでしょう。どうしても今すぐ写真の整理をしたいのなら、フィルムスキャナーを買ってきてパソコンに接続する、という手もありますし。


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2009.11.28 07:07 |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 2

きれいな作業着

 大災害のあと、対策本部に詰めている人たちがぴしっと糊のきいた防災服を着ている姿をTVで見ると、私は首を傾げてしまいます。
 防災服は要するに「汚れ仕事」をするための作業着です。で、作業着の値打ちは「作業」をどのくらいやったか、にあるでしょう。ぴしっと糊のきいたきれいな作業着って、要するに「俺は何もする気がないぞ。現場で役には立たないぞ」と声高に主張しているわけです。汗をかく気がないのだったら汗をかく準備は不必要です。汗をかく気がない人間は、災害の現場には不必要です。いるだけ邪魔でしょう。

 そういえばある地域で大災害の後、皆が半泣きで後片付けをやっていたら、政治家たちが視察に訪れたのだそうです。ある被災者があとで語ってくれたのですが、彼らが着ていた防災服がクリーニングしたてでとてもきれいだったのが腹立たしかったそうです。たぶんその人と私は同じ感覚を持っているのでしょうね。ただ現場の視察の場合には背広と革靴だとかえって場違いな気もしますから防災服は仕方ないかな。むしろ「視察」で片付けの邪魔をするのだったら、せめてなにか差し入れでも持って行けば良かったのにね。つまり「視察」ではなくて「激励」とか「お見舞い」にすればよかった。それだったら有権者に冷たい目で見られることもなかったでしょうに。


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2009.11.27 17:27 |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

白衣

 今日は(今日も?)二十世紀の思い出話をいたしましょう。
 ちょっと用事があってふらりとある大学病院にひさしぶりに寄りました。知り合いの講師のPさんと用件の後の雑談をしているとちょうど昼時になりました。「おかださん、食事に行きましょう」ということで学生・職員食堂に二人は向かいます。入り口にずらりと白衣が掛けられています。
「おや、前はこの白衣掛けはなかったですけど」と私。
「ああ、白衣は不潔、ということで、食事時には脱ぐようにお達しが出ましてね」
「あれれ、白衣は不潔でしたっけ?」
「まあ、そう言うことになってますね」
「ふうん、そうなんですか。私は、最近は遠ざかりましたけど、汚れ仕事をするときにはむしろ白衣は脱いで作業衣を来てキャップとマスクで完全装備をしてましたけど。痰やゲロや血液や便を頭からかぶる可能性があるときに、白衣なんか着てられませんから」
「食事時に平気でこんな話ができるのは医者同士だけですね」
「おっと、すみません」
「いや、かまいません。そういや確かに私も白衣を着るのはきれいな仕事のときだけですね」
「ですよねえ。学生の実習のときの白衣はたしかにドロドロでしたけど」
「解剖実習のときの白衣、あれは臭いがしみ込んで、すごかった」
「そのまま大学の食堂に行ったら、怒られました」
「おかださんが?」
「いや、私の友人が」
「そういうことにしておきましょう。私たちは学生食堂だったので、平気でやってましたけどね」
「なんだか、すごい光景を想像してしまいましたけど、そんな状態なら確かに食堂では白衣は禁止、と言われてもしかたないですね。そういえば、うちの病院、最近ナースキャップを廃止したんです」
「へえ、なんか最近流行ってますね」
「ええ、現場の抵抗はけっこうあったんですけど、やっぱり身軽に動くときに邪魔というのと『不潔』というのが効きました。実際に聞いてみるとキャップってほんとに洗濯しませんから」
「帽子はあまり洗濯しませんからねえ。ちゃんと調べたら黴菌がうようよいたりして」
「靴や手袋、そうそう、ネクタイもそうじゃないです?」
Pさんはぎょっとして自分が締めている洒落たネクタイに触りました。そのまま自分の手を見つめます。食堂に入る前に洗った手をもう一回洗いに行こうかどうしようか、という思い入れです。私は見て見ぬふりをしました。
 結局Pさんはそのまま食べ続けます。話題は変わりました。
「そういや最近投書がありましてね」
「……」私はもぐもぐと口を動かすことで返事のかわりとします。
「大学病院の医者の白衣は権威的だから廃止しろ、と言うんです」
「権威的、ですか?」
「白衣着て偉そうにしている、と言うんでしょうね」
「権威ねえ。実験のときにはただの汚れよけだったし、医者になってからも私は肩書きや権威なんぞとは縁がないけれど……だけど、あれれ、ちょっと引っ掛かります。その投書の主、問題にしているのは『医者の白衣』だけなんです?」
「そうです。大学病院の医者の白衣です」
「すると、大学の検査技師や放射線技師や看護婦の白衣は権威的じゃない、ということですね。なあんだ、それだったら問題なのは『白衣』じゃなくて『医者』ですね。要するに文字通り『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』じゃないですか」
「あ、そうですね。だったらいくら白衣のことを考えても、ピンぼけか」
「白衣脱いでも、威張る奴は威張るから、そっちの方を何とかしないと、医者の評判はますます落ちるだけでしょうね。困ったもんです」
「脱いで解決、なら楽だったのに」Pさんは残念そうに笑いました。
「だけど」私はふと思いつきました。「白衣が記号として役に立つこともあります」
「?」こんどはPさんが口をもぐもぐさせて質問のかわりとします。
「緊急事態でわっと人が集まって動いているとき、病院だったらどうしてもそこで指揮を執るのは医者になりますね。実際私の病院ではそうなります。そのとき、全員が顔見知りだったら良いんですけど、そうじゃない状況では、白衣は便利な記号になるんじゃないです? 『この人は医者だ。だから医療的な指示を行なっている』って、一々説明しなくてもすみますから。知人の医者がキャンプに行ったとき、集団蜂刺されだったかな、で走り回ってたら一々『あんた誰?』と問われて説明が面倒だったそうです」
「キャンプに白衣は持っていかないでしょうからね。たしかに少なくとも、ネクタイよりは役に立つ記号ですね」
 Pさんはまだ自分のネクタイが気になっているようです。本当に洒落たデザインなんですけど、アクセントにちょっとラーメンの汁が飛び散ってるのが残念です。


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2009.11.27 07:08 |  その他(一般)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

損得

 ズルをして得た「得」は、魂の不健康という「損」と釣り合っています。

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2009.11.26 18:36 |  医療制度 / 行政  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

構図作り

科学技術予算カットに異議 ノーベル賞野依氏らが会見」(朝日)
 科学技術予算に関しては「ノーベル賞に無縁の人間が、ノーベル賞受賞者たちに向かって『お前たちの研究なんかには金を出す価値がない』と喧嘩を売った」という極めてわかりやすい“構図”のために新聞でも取り上げやすいのでしょう。「ノーベル賞」というビッグネームの威力はまこと大きいですね。
 ただしこういった「世界を一つの“構図”の中に押し込める(そしてそれで何かを理解したつもりになり、何かを決めつける)」行為は、思考停止への簡単な罠でもあります。世間を動かすときにはこういった“構図”が便利なのですが、なるべく思考停止にはならない方が良いと、個人的には思います(良し悪しではなくて好き嫌いの問題ですが。だから「個人的」)。

 ところで医療費削減はどうでしょう。「大もうけしている医者からむしり取れ(そうすれば医者を罰すると同時に金も得られる)」という、これまたわかりやすい構図を作ることに成功した側が、そのまま押し切る構えです。それに対して「医療崩壊を防ぎたい側」が「その構図の中」で勝負したら(相手の主張に一つ一つ反論をしていたら)、勝ち目はありません。だって「医者はワルモノ、悪い医者の味方も全員ワルモノ」「金を惜しむためなら医療が崩壊しても良い」という構図で、医者に対する“悪口”のバリエーションは無尽蔵ですから。あとからあとから「医者をやっつけるための口実」は繰り出され、それに一々対応していたら単なる消耗戦になってしまいます。さらにその構図を生かす(その構図の中で動き回る)こと自体が医療崩壊に通じており、医療が崩壊したらそれは結局「医療崩壊を防ぎたい側」の敗北なのです。(銭を惜しむ側はもちろん「勝利宣言」をするでしょう。「金を惜しんだ」は自分の手柄/医療崩壊は医者の責任、として)
 ならば“抵抗”を試みましょう。たとえば「iPS細胞が実用化されたら、新しい医療手段が多種多様に出現するからその分医療費が膨らみます。それは困るからiPS細胞の研究はやめるべきだと主張するのですね?」とか。ただしこれは「戦術的な対応」ではありますが「戦略的な構図作り」ではありません。相手の「構図」を無効化するか、あるいはもっとパワーのある新しい構図を提出する(もうちょっと大きな図を描く)必要があるでしょう。ただ、構図が大きいと複雑になり、シンプルな言い回しでは説明できません。口ごもりながらややこしいことを言ったら、対立関係が単純な記事(ワルモノはこいつだ!)を書きたい記者やそういった記事を愛する読者には相手にしてもらえないでしょう。シンプルでインパクトのある言葉によって構成された新しい「構図」が必要なのです。
 あまり効果的な言い方は思いつきませんが……そうだなあ、たとえば「金を惜しんで医療を崩壊させるのか」とかを思いついたので取りあえずここにメモしておきます。しかしこれでは明らかに圧倒的なパワー不足です。「大もうけしている医者」に匹敵する感情的パワーを持った“悪口”って、どんなのでしょうねえ。反社会的な「医療崩壊を志す人」って、最大級の悪口に私には思えるのだけれど、不思議となぜかパワー不足。(「死なばもろとも」戦術もあります。「医療崩壊したらそれは金をケチったお前たちの責任だぞ」と大声でアナウンスし続けるの。世間に定着するまでひたすら言い続けます。ただこの場合は医療が崩壊しちゃいますので、あまりこっちはやりたくないなあ。私は医療崩壊は好みませんので)

 考えてみたら、2000年のWHO国際ランキングで世界1位と高く評価された日本の医療制度を「WHOなんか無視だ無視」「こんな日本の医療なんか碌なもんじゃない。最低最悪だ」と必死に壊そうとしてきた(そしてそれに成功している)人たちが相手なのですから、生半可な手では通用しないでしょう。

 ……しかし、金を惜しむ人って、どうして「世界一」が嫌いなんだろう? 
 もちろん「世界2位」でも「3位」でも、とにかく上の方だったら良いですけど、何もその足を無理に引っ張って引きずり落とさなくても良いでしょうに。


付録:
 上記のような“構図”を作る手順を示しておきます。
(1)まずワルモノを決めます。なるべく“味方”が少ない人が望ましい。
(2)次になぜそいつがワルモノであるかを決めます。「なぜワルモノか」の「理由」は、真実でなくても構いません。とりあえずなんとなくそれらしいものでOKOK。「理屈と膏薬は何にでもつく」です)。この1)2)の順番が大切です。間違えても2)を先にしないように。
(3)味方を集めます。
(4)2)の「理由」を示しながら、とにかくワルモノを責めます。そのときただひたすら責めまくるのが肝要です。その際、うっかり反撃を許して「理由」のウソや齟齬が明らかになるとまずいので、権力者を味方につけたり相手を圧倒できるだけの数の“味方”を集めておくことも大切です。もしも「理由」が破綻したらすかさず別の理由を見つけます。1)さえ確保しておけば、いつでも2)から始められるので大丈夫です。むしろいろいろな「理由」が数多く列挙されることで、「そんなにいろんな理由でそいつはワルモノなのか」というイメージを強調する効果も期待できます。(なぜ前の理由が引っ込められたのか、をしつこく覚えている人はそう多くはいません)

 学校や職場でのイジメと“構図”はよく似ていますね。


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2009.11.26 06:56 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 3

薬九層倍

 学生時代に学生食堂の委員をやっていて、「暴利だ」と怒られたことがあります。彼の計算だと、朝飯の原価がメニューの食材から計算したら半額以下だから値下げしろ、と。何なら自分にやらせて見ろ。その値段で提供できるぞ。
 私は質問しました。食事のコストとして、食材の購入費だけではなくて、ロスする分と光熱費と人件費、それと食器や施設への投資は含まれないのか、と。それとやるのは勝手だが、人件費はなしの無償ボランティアで、毎日確実に朝7時に食事が提供できるの?一年間一日も休みなく。
 なんだか急用を思い出したとかで、結局そのあとの話し合いはできませんでしたが。

 「薬九層倍」は、死語シリーズで扱っても良さそうな言葉ですが、かつては「薬価差益」とセットになって医者を攻撃するときに使われました(今でもときどき医者を攻撃しているつもりで使う人がいて、苦笑を誘われますが)。
 意味は簡単。「薬の原価なんて一割程度。あとは全部儲けていやがる」。そういった人が前提としているのは「越中富山の反魂丹(はんごんたん)、鼻くそ丸めて萬金丹」なのかもしれませんが、実際には、薬の「原価」には開発費や人件費や施設費や光熱費や保管料や販売諸費なども含まれています。薬の粉末だけ見て値段をつけるのは勝手ですが、それではたぶん「帳尻が合わない」ことになってしまうでしょう。


 おっとっと、そもそもこのことばをあまり字面通りまともに受け取ってはいけません。「薬九層倍(くすりくそうばい)」は実は語呂合わせで、類語に「魚三層倍」「呉服五層倍」「百姓百層倍」なんてものがございます。これだけ並べたら語呂合わせだということは一目瞭然でしょう。
 しかし「百姓百層倍」って……たしかに米粒だけ見たらそれは植えた苗から勝手にたくさん生まれてきたように見えるものではありますが、それまでの手間を一切評価しないとは、とんでもない語呂合わせにも思えます。「お米には八十八の手間が……」「お百姓さんに感謝しなさい、一粒たりとも残してはいけません」と教わって育った人間にはちょっとなじめないなあ。
 ちなみに「薬九層倍」が含まれる言い回しで有名なのは、「花八層倍・薬九層倍・坊主丸儲け」の連続技でしょう。ここでのキモは、語呂合わせからはずれた「坊主」です。江戸時代には坊主に対する庶民からの(川柳や地口での)揶揄が強烈で、ここでも語呂合わせと思わせておいて最後に坊主で落とす、という「技」が使われています。つまりこの言葉遊びの真のターゲットは「坊主」なのです。そういった流れを一切無視して「薬九層倍」を「部分引用」(格調高く言うなら「断章取義」)して医者を攻撃して喜ぶのは勝手ですが……それはユーモアも教養も欠如した格調低い行為です。
 そうそう、上の『連続技」をさらに「花八層倍・薬九層倍・坊主丸儲け・按摩掴み取り」と変化させるやり方もあります。これは金貸しの検校がターゲットなのかなと思いますが、ここまで“延長”するとちょっとくどくなって、かえって面白くありません。ユーモアには見切りも必要です。


蛇足:「九層倍」は今で言う「9倍」のことですが、江戸時代にはおなじことを「八倍」とも言っていました(八倍=九層倍(=現代の9倍))。
 江戸から現代に残っている言い方では、「人一倍働く」があります。「一倍働く」のだったらつまり他人と同じことだろう、と言葉尻を捉えて難癖をつける人がいるかもしれませんが、これはつまり江戸では「人の二層倍働く」ことで、現代日本語の「人の二倍働く」と同じ意味です。見た目は「一倍」ですが、実は素晴らしい働き者です。


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