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2009.10.29 18:30 |  医療事故  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

対立/対話

 今回東京で“お勉強”をした中に、西内さんという弁護士の講演が一つありました。タイトルは「医療ADR 〜東京三弁護士会の医療ADRを中心として〜」。(「三弁護士会」って何だ?と思ったら「東京弁護士会、東京第一弁護士会、東京第二弁護士会」の三つのことだそうです。さすが帝都、弁護士会が三つも必要なんですね)
 話のなかで、まず訴訟とは一般的にいかなるものか(民事訴訟法などにより手続きが法定されており、その手続きに従って審理が進められ、被告には応訴義務があり(出廷して争わないと相手の言いなりに判決が出てしまう)、証拠調べ(証人尋問など)が行なわれ、それに基づいて判決を行なう(ただし、裁判手続きの中での和解もあり得る)。開始から終了までのすべての手続きが法により厳格に決められており、最終的には裁判所が判断するところに従って判決することにより解決するという国家権力に基づく権力的な紛争解決手続き、である)、が示され、ついで医療裁判そのものに関する問題点が列挙されたスライドが登場しました。以下の5点です。

1)裁判の長期化(ただし最近は24ヶ月に短くなってきたそうです。それでも一般裁判の6.5ヶ月よりはるかに長いのですが、一般裁判でも証人尋問を実施する裁判の平均値は18.7ヶ月(平成20年)だそうです)。
2)訴訟は「責任(過失、因果関係)の有無と損害額につきその範囲内にて可能な限りで判断するシステム」であることから、患者側の求める真相究明(=事故経過の全貌)が必ずしも明らかになるわけではない 。
3)事故の原因となった医療提供システム全体を分析するものではないことから、事故の再発防止には必ずしもつながらない。
4)原告と被告の対審(対立)構造がとられて相互に攻撃と防御の手続きを行なうことから、患者側の求める感情的な癒しや対話・説明・謝罪などの多様なニーズを実現することはできず、かえって対立がエスカレートしがちであり、お互いに真意が伝わりにくい。
5)患者側・医師ともに訴訟の準備や打ち合わせのために多大な労働と時間及び経済的なコストを負担しなければならない。

 だから「対話」のためには「医療ADR」を活用しましょう、というお話でした。

 参考までに「医療事故紛争とADRのあり方に関する提言書」(東京三弁護士会)
実際に始まったときの「スタート!医療ADR」というページはこちら。


 対立を求める人は訴訟/対話を求める人はADR(それも司法ADRではなくて医療ADR)/調査・システム改善による再発防止は真っ当な調査委員会、という使い分けが良さそうです。

 講演自体は大変面白かったのですが、それ以外に“言外”のところで気になることがありました。何回か「経験豊富な弁護士だったら、スムーズに手続きが……」「患者側にも病院側にも経験豊富な弁護士がいれば……」という言葉が繰り返されたのです。ということは、経験が豊富ではない弁護士や見識がなかったり動機が不純な者が関与したら、対立がますます激化することがある、ということに関しても西内さんは経験豊富なのでしょうか。(立場上言えないこともあるでしょうが)
 論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」とありますが、「意見が違う」ことはすなわち「対立する」とイコール、ではありません。意見が全く違っていても穏やかに話し合うことは可能です。たとえどんなに意見や持論や立場が異なっていても、対立前提で争うのではなくて穏やかに話し合うことで解決を探る方法もあるはずなのです。
 そうそう、東京三弁護士会の医療ADRには仲裁委員として「患者側代理人経験者」「医療機関側代理人経験者」も加わりますが、それは「どちらかの利益代表」としてではなくてあくまで「中立の立場で、自分の経験を生かして仲裁に関与する」ためだそうです。西内さんはこのことを何回も強調されていました。「利益代表者」が自分の立場だけを強く主張したらそれは容易に「対立」になってしまうからでしょう。繰り返しますが「対立」をしたい人は、ADRではなくて訴訟の方に行けば良いのです。

 ちなみに日弁連ADRセンターでは、札幌・仙台・名古屋・大阪・広島・福岡の各弁護士会にも東京モデル(3人体制)と同様の医療ADR設置を推進しているそうです。お近くの方はお楽しみにお待ち下さい。(岡山には全国4番目の医療ADRが設置された、と読んだ記憶があります)

 「来た見た勝った」ではありませんが、今回東京には本当に「(仕事が済んでから夕方)出かけてホテルで寝て朝から勉強して夜遅く帰った」だけでしたが、その間に「借金相談」の広告を何回見たかなあ。「経験が豊富ではない弁護士」が多くなって“生存競争”が厳しくなったら、「もしかしたら医療ミスではありませんか? 相談はこちらへ」の広告があちこちに出るようになったりして…… いや、それが「経験豊富な弁護士」のものだったら良いのですが。


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2009.10.29 06:58 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

死語(84)人格障害

 非常に誤解をされやすい言葉です。この言葉を、「人格に欠陥がある人」という解釈をしている人はけっこう多いのではないでしょうか。かつて日本(の精神科)では「境界例」と呼ばれたことがありますが、DSM-IVでは「人格傾向とは、環境および自己を認知し、かかわり合い、それについて考える様式が持続しているもので、広範囲の重要な社会的および個人的状況において示されるものである。人格傾向において、柔軟性がなく、適応不良で、著名な機能の障害か、または主観的苦悩の原因となっている場合にのみ、人格障害に相当する。人格障害の症状は、しばしば青年期か、それ以前までに認められ、成人期のほとんどを通じて持続するが、中年から老年期には、あまり目立たなくなることが多い」とした上で、「妄想性」「分裂病型」「反社会性」など10に分類されています。(DSMをそのまま日本で採用してよいのか、という議論もあったとは思いますが、私が知っている精神科医は基本的にDSMを使っているので私もそれに従います。異論が言えるほど知識も経験もありませんので)
 さらに10の人格障害の中に「境界性人格障害」もあってこれまた「境界」が登場するので、話が混乱する元となります。だから無造作に“略語”で「境界」は使わない方が良さそうです。

 2003年のDSM-IV-TRの日本語訳から「パーソナリティ障害」が使われるようになり、日本精神神経学会では2008年5月に「人格障害(Personality disorder)」を「パーソナリティ障害」に用語改定をしているそうです。つまり「人格障害」は「痴呆」と同様、“過去の言葉”です。
 しかし、「人格障害」→「パーソナリティ障害」は、単なる言い換えのようでもありますが、語感は相当違うように感じます。だって「人格障害」だと「その人の人としての存在そのものを丸ごと否定」のようですが「パーソナリティ障害」だと「人の一部の障害」のように聞こえません?


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